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中国山水画の20世紀ブログ 第9回-筆墨(ビィモォ)論争と中国画家のアイデンティティー

中国人画家に、「中国絵画で一番大切なものは何か?」と問えば、今でも99パーセントの人は「ビィモォだ」と答えるでしょう。
「ビィモォ」は漢字にすれば「筆墨」。これほどまでに中国人を虜にした「ビィモォ(筆墨)」とは何でしょう?
「ビィモォ」こそは近代絵画を理解するうえでも最も重要なキーワードの一つです。


大画面を制作する潘天寿
伝統的な筆力を生かして描いている。


すでにブログでも触れられた通り、水墨画の最も重要な表現は、墨のかすれやにじみです。
この表現を、中国では「筆墨(ビィモォ)」と言います。
600年ほど前、元時代には完成していたこの「筆墨」の表現は、中国文化では次第に違う意味を持ち始めます。すなわち、

筆墨が分かる人=文化人
筆墨が分からない人=非文化人

といった区分、権威の象徴になっていくのです。
特に、近代以降、西洋画法が中国に入ってくると、西洋画は「筆墨」がないからダメ、それを真似した日本画も(嶺南派も)「筆墨」がないからダメ、という議論までされるようになります。

実はこの背景には、近代の中国人画家たちによる「中国絵画とは何か?」という深刻な問いがありました。
日本は近代になって国家と民族を代表する絵画様式、すなわち「日本画」を生み出していましたが、近代になって「国画」と呼び変えられた中国画は、自らの行くべき将来について模索を続けていました。
その時、国画がよるべき価値基準とされたのが「筆墨」であり、「筆墨」を使い、鑑賞できる能力こそが、中国画家のアイディンティティーとされたのです(それゆえに「筆墨」の議論はわかりにくい)。


No.11 山水画冊(左) 張大千 1941年 中国美術館蔵
No.8 黄山写生画冊(右) 黄賓虹 1930年代 中国美術館蔵
それぞれが個性的ですぐれた「筆墨」を身につけ、絵画制作を行った


そんな「筆墨(ビィモォ)」に異議を唱えたのが呉冠中です。
1992年、「具体画面を離れた孤立した筆墨の価値はゼロである」と主張すると、美術界で大きな論争が巻き起こりました。
呉冠中は単純に筆墨を否定したのではありません。中国文化史上で筆墨が独占してきた伝統的な絵画観に疑問を呈したのです。


No.50 呉冠中 逍遥遊 1998年 中国美術館蔵
「逍遥」とは荘子の言葉で心を自在に遊ばせること。作品の前に立てば、従来の伝統絵画のイデオロギーを離れて、線や色に自由に心を遊ばせることができる。



「逍遥遊」のサインと印章。印は縦と横に押されている。
絵画の正面性にも疑問を呈しようとしているようです。


この作品は、作者が言うところの「具体的画面を離れ孤立した筆墨」のみで構成されているようです。
紙に墨(とインク)で描かれる以上、「筆墨」は存在するのですが、ここではどんな形象にもなっていません。
もしも「筆墨」の美しさのみを追求して形象を捨てていけば、どうなってしまうのか。ここに具体的な形象(家や船)を描きこめば、それで伝統山水に変化していってしまうのではないか…。

呉冠中はこの作品で、中国600年の筆墨至上主義の帰結を示そうとしたのです。
60年代、欧米ではアンフォルメルや抽象表現主義、日本では前衛書道が流行し、具象にこだわらないが東洋の水墨画が再評価されていました。しかし欧米の芸術運動に評価される側であった当の中国の伝統画家たちは、自らの伝統を自らの力で打ち破ることに必死でした。
中国の画家たちは、長い歴史を持つ水墨画が誕生した時点から必然的に内在する筆墨の可能性を再発見することで、逆にその伝統を打ち破り、国画の新しい方向性を指し示そうとしたのです。


会場では、伝統的な筆墨を使って最も優れるといわれる黄賓虹と呉冠中の作品を、対比的に展示してあります。

日本や西洋に学び、そして自らの伝統に学んだ中国近現代絵画は、こうして新たな展開を遂げていくことになりました。
そして私たちの時代。
世界中で創作を続ける中国画家たちがどのような作品をつくっていくのか、私もとても楽しみにしています。
伝統と現代をつなぐこの展覧会。中国美術を知る絶好の機会です。どうかお見逃しなく!

日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選
本館 特別5室   2012年7月31日(火) ~ 2012年8月26日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2012年08月18日 (土)