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中国山水画の20世紀ブログ 第5回-「二万三千里」時代の画家たち

日本人の知っている中国美術と言えば二つあるかもしれません。
中国の古美術、すなわち古代から清朝、そして近代の海上派に至る名品は、日本にもたくさんあるため、親しみやすく、よく知られています。これが一つ。
もう一つは、近年、張曉剛、方力鈞、蔡国強、など、1980年代以降、主にアメリカで評価された中国人アーティストたちです。

最近、彼らの華やかな活躍に眼が向かいがちですが、ちょっと待ってください。
その中間、新中国成立以後の美術の展開を知らなければ、現代美術の展開も理解することはできません。



当時中国は限られた国としか交流していなかったので、この時期の名品が海外に知られることが非常に少なかったのはやむを得ませんが、この時期の空白を埋めるのが、今回展示されている中国美術館のコレクションです。



新中国成立以後の最も代表的と言えるのが金陵画派の作品です。
国民党時代の首都であった南京(金陵はその古名)とそこに居住していた知識人たちは、新中国成立後、大きな変革の時代を迎えます。
日本にも留学した傅抱石は、中央大学から南京師範大学へ移り、そして江蘇省国画院院長となりますが、1960年、江蘇省国画院のメンバーを率いて、中国全土をめぐる大写生旅行に出かけます。
俗に言う「二万三千里」の写生旅行です。


傅抱石が教鞭をとった南京師範大学
民国時代に建てられた建築は、「東洋で最も美しい校園」とも言われています。


華山での写生。この場で描かれたのが、亞明のこの作品(「華山」)です。
左から二番目が亞明、中央で髭を蓄えたのが銭松嵒。


中国の伝統山水は、詩書画一致と言われるように、詩や古典を画題とすることがほとんどでした。
山の中に文人が坐っていて、童子がお茶を汲んでくる、そんな絵を皆さんも見たことがあると思います。
しかしこの時期の画家は、新社会の成立にともない、絵画の理念を実際の社会のなかに求め、写生を基礎とした制作を行っていくのです。


待細把江山図画(左) 傅抱石 1961年 中国美術館蔵
西陵峡(右) 傅抱石 1960年 中国美術館蔵
「二万三千里」旅行の成果は北京で行われた「山河新貌」展(1961)で展示され、その後中国美術館に収蔵されました。


会場には金陵画派の代表作がズラリと並んでいます。


この時期の絵画を「プロパガンダ絵画」と一蹴することはたやすいですが、むしろ絵画としての質の高さと、画家の真摯な取り組みに眼を向けていただきたいと思います。
傅抱石は新中国成立後、「思想が変われば筆墨も変わらざるを得ない」と述べますが、その基本的な作風はほとんど変化していません。
銭松嵒の「常熟田」も社会変革による農地整備と労働、人々の新生活を描いた絵画と言う説明はできますが、一見してもそうは見えません。
むしろ伝統の筆墨法の上に、近代絵画としての斬新な構図と美しい色彩に眼が奪われます。
このような、社会的要求と伝統絵画の発展、自らの絵画創作の方向性を、見事にミックスさせたのが、金陵画派の特色なのです。

(拡大)
常熟田 銭松嵒 1963年 中国美術館蔵
従来の文人画にはなかった、新しい視点から、江南の農村の人々の暮らしが描かれている。



緑色長城 関山月 1974年 中国美術館蔵
「従生活中来」印 : 「生活の中より来たる」  新社会、新生活のなかに絵画の理念を求めることが行われた。


およそ1900年代初頭に生まれた彼らこそは、1949年の新中国の成立、66-76年の文革などの激動の20世紀中国を生き抜き、中国の伝統的な筆墨を次代に伝えることになりました。
そこで育ったたくさんの学生たちが、80年代以降、世界中で活躍することになります。
中国では王朝が交代するたびに、個性的な画家たちが活躍してきました。
この「二万三千里」時代を生きた画家たちもまた、明末清初の画家たちと同じく激動の時代を生き、そのことによって今も私たちの心を打つ傑作を残したと言えるでしょう。

日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選
本館 特別5室   2012年7月31日(火) ~ 2012年8月26日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2012年08月11日 (土)