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中国山水画の20世紀ブログ 第3回-中国近現代絵画の「選択的受容」

台湾大学芸術史研究所に留学していたころ、ある台湾の老先生が
「若い頃はよく『真美大観』で勉強したもんだ」と言って、驚いたことがあります。

『真美大観』は日本で明治32年(1899)にその第一冊が出版され、以後10年をかけて20冊が刊行された、
アジアの美術全集としては最も早い出版物の一つです。
『故宮名画三百種』(1948)をはじめ、1950年代以降の大陸や台湾で続々と美術出版が行われる以前、
日本の美術出版は、中国文化を理解しようとする人たちにとって、重要な役割を果たしていました。
その一つの例が陳少梅「秋江雨渡図」(1941)です。


秋江雨渡図(左) 陳少梅筆 1941 中国美術館蔵 (中国山水画の20世紀にて展示中)
風雨渡水図(中) 呉亦仙筆 明時代 (『真美大観』
(右) 12巻 審美書院 1904)
精緻な筆使いからは、画家のたゆまぬ努力の跡がうかがわれます。


この作品は、『真美大観』所載の呉亦仙「風雨渡水図」(桑名鉄城蔵〔当時〕)を写しています。
陳少梅はそのほかにも梁楷「六祖截竹図」(東京国立博物館蔵〔現在〕)も写していますが、
陳少梅は来日したことがないため、これらも『唐宋元明名画大観』(昭和4年(1929)刊)など、
当時の日本の出版物から写したものでしょう。


重要文化財 六祖裁竹図(右) 梁楷筆 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵 (展示予定は未定)

当時故宮文物はすでに四川地方に南遷し、北京に古画はほとんど残っていませんでしたが、
日本からの美術出版物がこの画家の渇望を満たしたのです。
これより以前、金城が来日したおりも、東京でたくさんの美術書を買い求めた記録が残っています。
これら日本の最新の美術出版物は、陳少梅も参加した北京の中国画学研究会において披露されていたに違いありません。


陳少梅(1909-1954)と金城(1878-1926)
15歳の陳少梅は46歳の金城が会長をつとめる中国画学研究会に入門し、研鑽を重ねました。


しかし、陳少梅が日本所蔵の宋元画を多く臨模したことには、より積極的な陳少梅の意志を感じることができます。
『真美大観』には中国と日本の絵画が混在して所載されていますが、
陳少梅は当然眼にしたであろう日本の伝統絵画の図版にはほとんど関心がないようなのです。
中国では古来、日本にはより古い中国文化が保存されていると思われていました。
画家たちはより古い中国の文化を追求するために、日本の美術出版物を必死に見つめ、写したのでしょう。
古画の臨模は画家の創作の源だったからです。



会場では陳少梅作品と彼が見たはずの『真美大観』が並べて展示してあります。

日本人が、日本美術史における中国美術との関係を語る際、よく「選択的受容」という言葉を使います。
それは日本美術が中国美術と接した際、決して中国美術をそのまま受容したのではなく、
日本国にないもの、日本のテイストをもとに、必要なものだけを「選択」して「受容」した、と言う意味です。
とかく、日本から中国への「影響」ばかりが強調されがちですが、中国でも同様の
中国の「選択的受容」がなされていたと言えそうです。
このような中国近代美術の重要な特色を、本作品は物語ってくれています。

日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選
本館 特別5室   2012年7月31日(火) ~ 2012年8月26日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2012年08月03日 (金)