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特別展「運慶」20万人達成!

 現在、本館 特別5室で開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」(11月30日(日)まで)は、この度来場者20万人を達成しました。

これを記念し、京都府からお越しの柳井有佳子さんと東京都からお越しの柳井さち子さん親子に、当館館長藤原誠より記念品と図録を、興福寺の森谷英俊貫首より直筆の色紙を贈呈いたしました。


記念品贈呈の様子。左から森谷貫首、柳井さち子さん、柳井有佳子さん、20万人達成パネルを持つ藤原館長

現在京都の大学に通ってらっしゃる有佳子さんは近隣の歴史ある社寺や、関西の美術館などにもよく足を運ばれるそうです。今回は東京のご実家へのご帰省のタイミングに、お母さま・さち子さんのお声がけで本展へご一緒にお越しくださったとのこと。
有佳子さんは弥勒如来坐像のまなざしや表情を、さち子さんはドラマ等で知る「運慶」の実際の作品をご覧になることを楽しみにご来場いただいたそうです。

会場では、弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像に加えて、かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像(中金堂安置)を合わせた7軀(く)の国宝仏を一堂に展示しています。運慶らによって形成された、鎌倉期北円堂内陣の空間再現を試みた本展。その至高の空間をたっぷりとご堪能ください。

なお、毎週金・土曜日および11月23日(日・祝)は午後8時まで開館しています(入館は閉館の30分前まで)。
会期終了前は混雑が予想されます。ぜひ、夜間開館時にも足をお運びくださいませ。

カテゴリ:news彫刻「運慶」

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posted by 田中 未来(広報室) at 2025年11月05日 (水)

 

みんな大好き!酒呑童子のものがたり

ただいま本館特別1・特別2室では特集「平安武士の鬼退治―酒呑童子のものがたり―」を開催しています。

“酒呑童子のものがたり”とは、平安時代の武士・源頼光とその四天王が酒呑童子という鬼を退治する物語です。
室町時代後期から多くの美術作品に取り上げられ、時代を超えて人びとに愛されてきました。

さまざまな酒呑童子絵を紹介する本展では、この物語の広がりを紹介するために、江戸時代中期から明治時代につくられた浮世絵も展示しています。
その中から1点を紹介します。


見立大江山 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀

こちらは、喜多川歌麿が描いた美人画。
手前に7人の女性たちがいて、遠くには富士山が見えます。
酒呑童子となにか関係があるの?と思われるかもしれません。

女性たちの不思議な装いは山伏を模したもので、背中に笈(おい)を背負う姿は、まさに鬼退治に向かう武士たちにそっくりです。  

見立大江山(部分)
酒呑童子絵巻(孝信本)巻上(部分) 伝狩野孝信筆


山伏姿となって酒呑童子退治の準備をする頼光たち

さらに着物の模様や紋を細かく見てみると…
 

見立大江山(部分)
 
三つ星に一文字紋の入った着物の女性は、渡辺綱。
 

見立大江山(部分)
 
鉞(まさかり)と笹模様の着物を着た女性は、坂田金時。
 

見立大江山(部分)
 
笹竜胆の模様の着物の女性は、源頼光を表していると考えられます。
つまりこの作品は、酒呑童子物語の登場人物を江戸の女性たちに置き換えた作品なのです。
 
画面奥では、柴刈りをする男性がいます。
 

見立大江山(部分)
 
元のお話では、頼光一行が酒呑童子退治へ向かう途中、険しい崖に丸太を架けて武士たちを導く八幡、住吉、熊野の神々の化身が登場します。
これは、その場面の見立でしょう。
 
 
もう一つ気になるのが、画面中央で洗濯をする女性の姿です。
 

見立大江山(部分)
 
歌麿の作品ではどこかほのぼのとした雰囲気ですが、
この場面は、酒呑童子にさらわれた女性が血の付いた衣を洗う場面になぞらえています。
 
 
そして、右上では室内に銚子と器が置かれ、扇を手に踊っているような男性たちの姿も。
ここが、酒呑童子の館なのでしょうか。
 

見立大江山(部分)
 
中ではこのような宴席が催されているのかもしれません。
 
酒呑童子絵巻(孝信本)巻中(部分) 伝狩野孝信筆
 
このような見立絵(やつし絵)は、元のお話を知っているからこそ楽しめる作品です。
酒呑童子の物語が江戸の人びとに広く愛されていたことがうかがえるでしょう。
 
本展では、絵巻や扇に描かれたさまざまな作品をとおして、酒呑童子のストーリーたっぷりとご紹介しています。
 
さらに、会場でお配りしているリーフレットでは、出品作品の魅力を8ページにわたって解説しています。
ぜひ展示室でお手に取って、酒呑童子の世界をお楽しみいただければ幸いです!
 
(注)リーフレットは枚数に限りがあります(なくなり次第配布終了)
(注)本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。
 
平安武士の鬼退治―酒呑童子のものがたり―
会場:本館 特別1室・特別2室
会期:2025年9月30日(火) ~ 2025年11月9日(日)

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 村瀬可奈(調査研究課絵画・彫刻室) at 2025年11月04日 (火)

 

弥勒如来坐像の内に満ちる祈りの空間

本館特別5室で開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」も閉幕まで残り1か月をきりました(11月30日(日)まで)。
会場では、鎌倉時代に運慶一門によって復興された祈りの空間をご体感いただけます。 

 
(左から)世親菩薩立像、弥勒如来坐像、無著菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
ところで、北円堂にはもう一つ、小さな祈りの空間がひろがっていることをご存知でしょうか。それは、ご本尊である弥勒如来坐像の内部。直接拝することはかないませんが、本展の開催にともない当館で実施したX線CT撮影により、具体的な様相が明らかになりました。ここでは、その一部をご紹介いたします。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
同X線断層(CT)(作成:宮田将寛)
 
右側が今回当館で撮影したX線CTの画像です。像の内側が空洞になるように彫りこまれ、首、そして背中側の胸の高さに納入品が固定されていることが分かります。そもそも、仏像の像内は聖なる空間と考えられており、日本では平安時代以降、木彫像の内部を彫って空間をつくり、像に霊性を与える物や造像を取り巻く人々の願いにかかわる物が納められてきました。当然のことながら人目に触れることはなく、X線CT撮影が導入される以前は、修理の際にその存在がはじめて確認される場合がほとんどでした。北円堂弥勒如来坐像の納入品も、昭和9年(1934)に実施された解体修理の際に発見されています。修理後、納入品は元のとおり像内に戻されたため、これまでは当時撮影された貴重な写真と調書から、その存在を想像する他ありませんでした。今回のX線CT撮影により、およそ90年ぶりにその存在が確かめられたことになります。
 
それぞれの納入品をみてみましょう。
 
体部納入品(画像提供:文化庁)
 
背中側、胸の高さに込められた納入品です。蓮台の上に固定された水晶珠で、仏の魂である心月輪(しんがちりん)を表します。
 
頭部納入品全体像(画像提供:奈良国立博物館)
 
こちらは、首の辺りに込められた納入品。黒漆塗りの厨子、厨子を前後から挟む板彫五輪塔、五輪塔の後方に括りつけられた宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)が、板の上に固定されています。
 
厨子内部
 
板彫五輪塔に挟まれた黒漆塗り厨子の内部には、像高わずか7.1センチメートルの弥勒菩薩立像と奉籠願文(ほうろうがんもん)が納められています。この弥勒菩薩立像は、小像ながら大変見事な出来栄えで、運慶の作と推測する魅力的な見解があります。今回のX線CT撮影により、この弥勒菩薩立像の像容や厨子に描かれた絵画の様相などが明らかになったことも、とても大きな成果です。
 
ここにご紹介してきた納入品は、運慶一門とともに北円堂復興に尽力した勧進上人専心(かんじんしょうにん せんしん)によって準備されたものです。北円堂諸像に託された、鎌倉時代の人々の願いそのものに他なりません。ぜひ会場で「祈りの空間」に身を置きながら、その内に込められた時空を超えた真摯な祈りにも思いを馳せていただければ幸いです。
何より、現代を生きる我々が、約800年前の人々の祈りにこうして触れることができるのは、ご所蔵者のご尽力とご理解があってこそ叶うものです。この場をお借りして、興福寺の皆様に改めて深く御礼申し上げます。
なお、納入品の詳細や背景については本展の公式図録【本編】に、当館で撮影したX線CT撮影の調査速報は10月25日(土)より発売の別冊図録【展示風景編】に採録しております。あわせてご参照いただけますと幸いです。
 

(左)特別展『運慶 祈りの空間─興福寺北円堂』公式図録「本編」 (右)特別展『運慶 祈りの空間─興福寺北円堂』別冊図録「展示風景編」
本展の図録は特別展会場特設ショップ、展覧会公式サイト等からご購入いただけます。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「運慶」

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posted by 冨岡采花(絵画・彫刻室) at 2025年10月31日 (金)

 

興福寺北円堂諸像のX線CT調査

現在、本館特別5室にて開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」では、鎌倉時代に復興された当時の興福寺北円堂内陣を再現する試みとして、7軀(く)の国宝仏をご覧いただけます。


特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」会場風景
(左から)世親菩薩立像、弥勒如来坐像、無著菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

弥勒如来坐像、無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像は現在も北円堂に安置されますが、四天王立像は現在中金堂(ちゅうこんどう)に安置され、長年本来の安置場所が議論されてきました。これまでの研究により、中金堂の四天王像が、本来は北円堂に安置された可能性が有力視されており、このたび、同じ展覧会場で一緒にご覧いただけることとなりました。
ところで、日頃は寺社のお堂で信仰を集める仏像にとって、展覧会や修理といったタイミングは、貴重な調査研究の機会でもあります。調査といえば、メジャーで寸法を計測したり、間近にじっくり観察して調書をとったり・・・という光景を想像されるかもしれません。これらはもっとも基本となる大切な作業ですが、さらに近年注目されているのがX線CT撮影です。物質を透過するX線の特質を利用した分析手法で、医療用CTが有名ですが、外からは見えない内部を観察するという目的では、もちろん文化財にも有用な技術です。従来のX線撮影では、レントゲン撮影のように一方向の情報がすべて重なってしまいますが、CTは、対象となる物質に360度の方向から照射されたX線をコンピュータ上で計算し、3Dデータが生成されるため、対象を立体的に把握できる利点があります。


X線CT撮影装置

ただし、国内に設置された文化財用CTはまだまだ限られており、当館は大型CTを保有する数少ない施設として、館蔵品のみならず、展覧会等で文化財を借用する機会を利用して、積極的にCT撮影を実施しています。2017年に当館で開催した運慶展では、無著・世親菩薩像と四天王像をご出陳いただけたため、当時CT撮影を行ないました。残る弥勒如来像は、昨年度の修理中に奈良国立博物館で撮影がかない、さらにこのたび当館でも撮影することができました。これで7軀すべてのCTデータが揃ったことになります。
CTでわかることに、たとえば部材の接合箇所や木目、材質の違いがあり、構造や制作技法の理解に欠かせません。また、亀裂や虫損、朽損(きゅうそん)等も明らかとなるため、保存状態の把握にも有益です。いずれも、基本的には材質によってX線の透過率が異なる性質を利用しており、X線を通しにくい材質ほど白く映るため、その濃淡や連続性で判断します。
これは従来のX線撮影と同じですが、立体的な把握ができる点で得られる情報量は飛躍的に増大しました。たとえば、四天王立像のうち広目天(2017年運慶展開催およびCT撮影時の名称は増長天ですが、その後現在の名称に変更されました)の垂直方向の断面を見てみましょう。頭部と体部、それぞれ中央に線が見えるため、左右に木材を接合することがわかります。(体は広く内部をくり抜く内刳(うちぐ)りをして像内が空洞になるためわかりにくいですが)

四天王立像(広目天) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵 中金堂安置

同X線断層(CT)(撮影時の名称「増長天」)(作成:宮田将寛)

次に、肩辺りで輪切りにした水平方向の断面図を見ると、木目のつながりがはっきり見えます。

同X線断層(CT)(撮影時の名称「増長天」)(作成:宮田将寛)

体部は、頭部と首も含んで太い角材2本を左右に接合して彫刻されており、首は後で彫りやすいように木材を割っていることがわかります。さらに、太い角材に木心(もくしん)が残っている点も重要です。木心があると木が割れやすくなるため、通常はなるべく避けて使います。2017年の撮影で驚かれたのは、無著・世親菩薩立像、四天王立像のすべてにおいて、根幹となる角材に木心が含まれていたことです。

世親菩薩立像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置 X線断層(CT)(作成:宮田将寛)

四天王像は本来の安置場所がわかっていませんが、この6軀いずれも木心を残して彫刻される点が共通することは、北円堂安置説を補強する大きな材料になりました。さらに、このたびの弥勒如来像CT撮影の結果、やはり木心が含まれる材木を使用していることが判明しました。CTでわかる7軀の共通点は木心だけではありません。いずれも像内を刳(く)り抜いて内刳りを施しています。運慶の仏像は、見えない像内まで丁寧にさらって平滑に整えることが多いのですが、この7軀はいずれも鑿跡(のみあと)が残っており、粗く仕上げたままです。弥勒如来像は、体部は比較的滑らかですが、頭部内にはやはり鑿跡が確認できます。

弥勒如来坐像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置

同X線断層(CT)(提供:奈良国立博物館)

 

良材とはいえない材木を使わざるをえず、像内を丁寧に仕上げる余裕もなかったのでしょうか。寺内全域が焼亡の憂き目に遭い、復興事業が難航していた当時の様子がうかがえる側面もあるかもしれません。ここでは細かくご紹介することができませんでしたが、弥勒如来像を含むCTデータは特別展図録に掲載しております。


特別展『運慶 祈りの空間―興福寺北円堂』公式図録

さらに詳しくご覧になりたい方は、当館発行の『MUSEUM』(東京国立博物館研究誌)をご参照ください。2017年の運慶展で撮影したすべてのCT報告をご覧いただけます。(無著・世親菩薩立像、四天王立像はこのうち696号に掲載)

 

「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告」『MUSEUM』696号、2022年2月

「特集 運慶展X線断層(CT)調査報告II」『MUSEUM』703号、2023年4月
(注)『MUSEUM』は当館ミュージアムショップでお求めいただけます。各号の在庫の有無については、ミュージアムショップ(03-3822-0088)までお問い合わせください。

 
文化財を輸送、展示することは大きなリスクをはらみますが、多くの方に間近にご覧いただき、その大切さを実感いただく貴重な機会であるとともに、この時にしかできない調査研究の千載一遇の機会でもあります。展覧会の舞台裏で行われる、こうした取り組みにもご注目いただければ幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「運慶」

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posted by 西木政統(彫刻担当研究員) at 2025年10月29日 (水)

 

運慶仏に囲まれる幸福

みなさまは、仏師運慶をご存じですか?

日本で最も名の知れた仏師ですので、名前はもちろんのこと、運慶の作品をご存じの方も少なくないでしょう。夏目漱石の『夢十夜』には、護国寺の仁王門で仁王像を彫る運慶を見物するという話も出てきますから、ご承知の方もいらっしゃるでしょう。また、東博では2017年に興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」を開催しておりますので、親しく運慶の作品をご覧いただいた方もいらっしゃることと思います。
今回ご紹介するのは、現在、本館 特別5室で開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」です。この展覧会に出品されているのは7軀(く)の仏像だけです。とは言え、この7軀が日本の彫刻の歴史を代表する名品揃いなのです。すべて国宝、しかも、すべて運慶の作品です(と言って良いと考えています)。
 
特別展「運慶」会場入口
 
修学旅行などで多くの方が一度は訪れたことがあるのではないかと思われる、奈良・興福寺。その境内の西北隅に建つ北円堂は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌追善供養のために養老5年(721)に建立されたと伝えます。その後、平安時代に二度の火災に見舞われました。二度目の火災が、治承四年(1180)の平家による南都焼討です。
興福寺はこの未曾有の災害からすぐに復興を計画します。藤原氏と朝廷という強力な後ろ盾があったからこそなせる業です。ところが、北円堂の復興は遅れました。焼失から30年、創建から約500年を経た承元4年(1210)頃、北円堂の再建はなりました。この3代目の北円堂が、現在私たちが目にする国宝・北円堂です。興福寺境内でもっとも古い建造物です。その外観が、本展の入口で皆様をお出迎えいたします。
 
会場入り口にある国宝・北円堂外観の展示パネル
 
この鎌倉復興時の北円堂の造仏を担当したのが運慶(生年未詳~1223)率いる一門の仏師たちでした。建暦2年(1212)頃に完成した9軀の仏像のうち、両脇侍菩薩像は行方が知れませんが、国宝 弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)と国宝 無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像は、いまも北円堂に残ります。そして、現在中金堂に安置される国宝 四天王立像を運慶作の旧北円堂像と考える説が近年有力です。
本展は、この国宝仏像7軀で鎌倉復興期の北円堂を再現することを企図しています。運慶が構想した至高の祈りの空間を追体験していただけるのです。
では、会場にご案内いたしましょう。
 
(左から)世親菩薩立像、弥勒如来坐像、無著菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
展示室中央に設けた八角のステージ((注)画像は展覧会開幕前に撮影したものです)に、国宝 弥勒如来坐像と、国宝 無著・世親菩薩立像を展示しています。この八角ステージは外周に結界が巡りますが、4本の柱が立つ八角形の内部空間は、北円堂の八角須弥壇の実際の平面規模とほぼ同寸です。今は行方の知れない脇侍菩薩像と今回は会場の四隅でにらみを利かす四天王像も、本来はこの八角形の空間の中に安置されていたことを想像しながらご鑑賞ください。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
中央の弥勒像は奈良時代の古典彫刻の姿を踏襲しながら、運慶の新しい感覚が加味された傑作です。まっすぐと厳しいまなざしを向ける姿は堂々としていますが、ややはつらつとした運慶らしさに欠けると思われるかもしれません。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
ところが、八角ステージを時計回りに進んでみてください。たっぷりとした奥行き感を持つ独特の立体感覚をご体感いただけるはずです。これぞ運慶作品の持つ量感表現。さらに側面に回ると、正面からは理解できなかった奥行きを感じることができます。胸を張った堂々たる体軀と盛り上がった背筋に驚かされます。そして、やや猫背とすることで生まれる独特の奥行き感。斜め後ろから背中越しにのぞく頬は、ふっくらと赤ん坊のように膨らみます。ぐっと胸を張りつつ、首を前に出して猫背気味とする独特のスタイル越しにのぞく、かわいらしい頬のふくらみ。今回のおすすめ鑑賞ポイントのひとつです。
 
国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
さらに進むと、本展の目玉のひとつともいえる、弥勒像と無著・世親像の背面3ショットが皆様を待ち構えます。
 
(左から)無著菩薩立像、弥勒如来坐像、世親菩薩立像 すべて国宝 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
興福寺北円堂は春と秋に特別公開を行っていますので、拝観された方もいらっしゃるかもしれません。ところが、弥勒像の背後には光背があるので、普段はここまで背面をご覧いただくことができないのです。
本来、仏像に光背はつきものなのですが、弥勒像の光背は江戸時代に補われたものですので、今回の運慶の構想した空間の再現というコンセプトから、光背は興福寺でお留守番となりました。実はこの弥勒像、昨年度一年かけて表面の剥落(はくらく)止めを中心とする保存修理が行われました。特に背面の傷みがひどかったため、修理の成果を披露するためにも背面を是非ご覧いただきたく、このような展示となった次第です。弥勒像と無著・世親像の背中の対比を会場でお楽しみください。
 
国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
無著・世親像はインド古代僧をモデルとした肖像彫刻ですが、写実を超えて崇高な精神性までを表現した姿と、圧倒的な存在感が見どころです。おそらく、モデルが誰かを知らなくとも、本像の魅力は普遍的に理解されることだろうと信じています。眼に水晶を嵌(は)める玉眼技法の最も成功した例の一つと申し上げても過言ではないでしょう。角度によっては、世親像の眼は涙をたたえているようにも見えます。無著像はキラッと、世親像はキラキラと、その眼光の違いは正面よりも少し斜めからご覧いただくと、よくわかるかもしれません。
 
ところで、この二人、実は兄弟です。無著が兄、世親が弟。無著は老僧にあらわし、一方の世親は壮年の姿です。この兄弟僧は、法相宗(ほっそうしゅう)の根本となる唯識教学(ゆいしききょうがく)を修めました。彼らの著作をインドから中国にもたらしたのが、かの玄奘三蔵です。その教えの系譜に、興福寺はつらなるのです。玄奘がもたらした情報によると、無著は、夜は兜率天(とそつてん:天界のひとつ)に昇って弥勒の教えを受け、昼間は人間界におりてその教えを広めたといいます。こうした説話は、日本でも『今昔物語集』に収められるほど知られていました。人間の姿を見事にとらえながらも、それでいて崇高な存在であることを感じさせる運慶の彫刻表現は、無著が人間界と天界とを往還できる特別な存在であったと説く、こうした説話にも影響を受けているのかもしれません。
 
国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 北円堂安置
 
さて、本展の最大の見どころ、それは会場中央の現在も北円堂に安置される弥勒像、無著・世親像と、現在は中金堂に安置される四天王像が一堂に会したところをご覧いただける点です。
 
国宝 四天王立像(持国天) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵 中金堂安置
 
特にご覧いただきたいのがこちらの持国天像です。奈良時代の古典彫刻を踏まえながら、写実を基本とした力強い鎌倉彫刻の特徴を示す持国天像は、弥勒像と全く同じ視線を来館者に向けているように見えます。このことに気づいたとき、中金堂四天王像は北円堂のもので間違いない、つまり、弥勒、無著・世親像とセットの運慶作とみて間違いないだろうと確信しました。四天王像の激しい動きを示すポーズは変化に富み、静寂な雰囲気を漂わせる弥勒、無著・世親像とは対極的です。ところが、それが不思議と調和しているように見えるのです。これは、展覧会担当者のひいき目でしょうか。是非皆さんの眼で、お確かめください。
 
この7軀による競演は、興福寺でもご覧になれない本展だけの企画です。運慶による日本彫刻の最高傑作が織りなす至高の空間を是非会場でご堪能ください。特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は11月30日までです。どうぞお見逃しなく。金・土曜日は夜8時まで開館しています(入館は30分前まで)。比較的混雑を回避できる夜間開館も是非ご利用ください。
 
国宝 四天王立像(増長天) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵 中金堂安置
 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻「運慶」

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posted by 児島大輔(彫刻担当研究員) at 2025年10月23日 (木)

 

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