ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は特別展「縄文―1万年の美の鼓動」の報道発表会に来たんだほ。
担当研究員の品川さんによると、「いま、縄文がきてる!」らしいほ。
縄文土器のきれいさや土偶のかわいさ(さすが、土偶センパイ!)に注目が集まっているんだって。
※古墳時代の埴輪であるトーハクくんにとって、縄文時代の土偶は大先輩なのです。
そんな、今きてる「縄文」をとりあげる特別展が「縄文―1万年の美の鼓動」なんだほ。
これは注目しないと!
井上副館長からは、展覧会へのアツイ想いがほとばしっていたほ
展覧会には、北海道から沖縄まで、縄文時代のはじまりからおわりまで、「縄文といえばこれ」っていう作品が大集合するらしいほ。
ちょー有名な土偶も…
(センパイ、まぶしいっす!)
重要文化財 遮光器土偶
青森県つがる市木造亀ヶ岡出土
縄文時代(晩期)・前1000~前400年
東京国立博物館蔵
赤くてきれいな耳かざりも…
(縄文人はおしゃれさんだほ)
重要文化財 土製耳飾
東京都調布市 下布田遺跡出土
縄文時代(晩期)・前1000~前400年
江戸東京たてもの園蔵
縄文人のポシェットも…
(ポシェットの中に残っていたクルミも展示するんだって)
重要文化財 木製編籠(縄文ポシェット)
青森市 三内丸山遺跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年
青森県教育委員会蔵(縄文時遊館保管)
写真:小川忠博
人形がついたおもしろい土器も…
(ほほー! こんな縄文土器もあるんだ!)
重要文化財 人形装飾付有孔鍔付土器
山梨県南アルプス市 鋳物師屋遺跡出土
縄文時代(中期)・前3000~前2000年
山梨・南アルプス市教育委員会蔵
どうやら大々的な「縄文」の展覧会みたい。
ますます注目だほ!
トーハク考古チームが総力を挙げて臨みます。
左:井出研究員「2018年の流行語大賞が『縄文』になるよう、がんばります」
右:河野研究員「好きな土偶は縄文のビーナスです(埴輪も好きだよ、トーハクくん!)」
そして、報道発表会では品川さんから重大発表が。
国宝土偶5体+国宝 火焰型土器が集結! だほーー!!
※長野県茅野市所蔵の国宝「土偶 縄文のビーナス」と国宝「土偶 仮面の女神」は7月31日(火)から展示
「縄文時代の出土品のなかでも、国宝に指定されているのはわずかに6件。この6件すべてが、今回の展覧会で揃います。」
ほーほー。
「国宝6件が揃うのは今回が初めてです。」
ほー!!!
なんてスゴイ展覧会なんだほ。絶対に注目だほ!
「かわいい」「きれい」「おもしろい」「すごい」がぎゅっと詰まった展覧会なんだほ。
「縄文のことはよくわからないほ」という人にも、ぼくが自信をもってオススメするほ。
楽しみにまってるほー!
ちなみに、展覧会に出るこの3つの作品は、今なら平成館考古展示室で見られるほ(5月6日[日]まで)。
左から順に
鹿角製垂飾(腰飾)/重要文化財 遮光器土偶/重要文化財 人形装飾付壺形土器
すべて東京国立博物館蔵
今から縄文に会いたくてふるえちゃう人は、考古展示室へゴー!だほ。
この夏は縄文ブームを巻きおこすぞ!と、決意をかためたトーハクくんと品川さんなのでした
最後にトーハクくんからお知らせです。
お得な早割セット券2,200円は今日3月1日(木)に発売だほ。
販売は4月2日(月)まで。「絶対に縄文展に行くんだほ」という人はチェックしてみてほ。
トーハクでは早割セット券のお取り扱いがないから、要注意だほ!
※展覧会公式サイトほか各種プレイガイドで販売しています
カテゴリ:news、考古、2018年度の特別展
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posted by トーハクくん at 2018年03月01日 (木)
1月から平成館考古展示室では、特集「和歌山の埴輪―岩橋千塚と紀伊の古墳文化―」(~3月4日[日])を開催中です。
考古展示室内、古墳時代のコーナーにある展示ケースで展示中
この特集は和歌山県立紀伊風土記の丘から、岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群の作品をお借りして展示しています。
この岩橋千塚古墳群とは和歌山市の紀ノ川流域に造られた大古墳群です。
4世紀末から7世紀後半にかけて作られた総数約850基の古墳が分布し、国の特別史跡に指定されています。
奥の山が岩橋千塚古墳群です
和歌山県立紀伊風土記の丘資料館
岩橋千塚古墳群のなかでも、紀ノ川流域を一望することができる、たいへん眺望の良い所に築造されたのが大日山35号墳(6世紀前半)です。
和歌山県最大の前方後円墳であり、東西の造出(つくりだし/前方後円墳のくびれ部の両側に付設された方形台状の突出部のこと)からは数多くの珍しい埴輪が出土したことが著名です。
大日山35号墳は山の上にあります
大日山35号墳の復元埴輪
大日山35号墳からみた紀ノ川流域
ここで、特集で展示をしている大日山35号墳出土の埴輪のなかから、代表的なものをご紹介します。
まず重要文化財「翼を広げた鳥形埴輪」です。
重要文化財 翼を広げた鳥形埴輪
和歌山県教育委員会蔵
画像提供:和歌山県立紀伊風土記の丘
古墳時代の鳥形埴輪は数多くみつかっていますが、このように翼を広げてた鳥形埴輪は、全国的にみても珍しいものです。
頭とくちばしの形状から、この鳥をタカとする見方があります。
もしかしたら王(首長)が行う狩猟の際に、鷹匠の腕にとまらせたタカが飛び立った姿を表現したかったのかもしません。
続いては、重要文化財「胡籙(ころく)形埴輪」です。
(写真左)重要文化財 胡籙形埴輪 和歌山県教育委員会蔵 画像提供:和歌山県立紀伊風土記の丘
(写真右)参考画像:埴輪 靫 群馬県桐生市相生町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵 ※現在展示していません
胡籙とは弓を入れる道具のことで、5世紀に朝鮮半島から伝来しました。
同じ矢入れ道具である靫(ゆぎ)形埴輪は多く見つかっていますが、胡籙の埴輪の事例はほぼ皆無です。
矢羽根を5本表現しており、勾玉(まがたま)や直弧文(ちょっこもん)で飾っています。
最後にご紹介するのは、重要文化財「両面人物埴輪」です。
重要文化財 両面人物埴輪
和歌山県教育委員会蔵
画像提供:すべて和歌山県立紀伊風土記の丘
大日山35号墳でしか見つかっていない、2つの顔をもつ不思議な人物埴輪です。
顔には矢が刺さっており、痛そうです。しかも一方の顔は口が裂けています。首から下はみつかっておらず、どのような職掌の方なのかわかりません。『日本書記』には仁徳天皇の頃に、飛騨地方で1つの胴体に2つの顔をもつ人物(両面宿儺りょうめんすくな)がいたという伝承があり、その関連が注目されますが、まだまだ謎に包まれた埴輪です。
このほか力士や馬など様々な埴輪や、朝鮮半島で作られた陶質土器、鍛冶道具も展示していますので、ぜひ展示室にてお楽しみください。
なお、当館が所蔵する和歌山県の古墳時代出土品は、現在、和歌山県立紀伊風土記の丘資料館で展示中です。
ただいま和歌山に里帰り中です
特別陳列「紀伊の古墳―東京国立博物館所蔵品から―」と冬期企画展「うつわに隠された物語~装飾付須恵器の世界~」にてご覧いただけます(いずれも~3月4日[日])。
紀伊風土記の丘は、岩橋千塚古墳群の中にあります。
和歌山在住の方や、和歌山に足を運ぶ予定のある方はぜひご観覧ください。
※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)で和歌山の考古作品を紹介していきます。#1089考古ファン で検索してみてください。
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posted by 河野正訓(考古室研究員) at 2018年02月13日 (火)
2017年度の考古相互貸借事業はいわき市考古資料館と行います。
この貸借事業では、特集「いわきの考古学―貝塚と横穴墓―」と題して、いわき市から出土した縄文時代と古墳時代の名品を展示します。
今回のブログでは貝塚から出土したお宝を紹介しましょう。
縄文時代の交流を示す土器から展示ははじまります
福島県いわき市は浜通りと呼ばれる太平洋に面した地域で、その沖合は親潮(寒流、千島海流)と黒潮(暖流、日本海流)が交わる潮目の海、良い漁場として知られています。
このような漁業に適した自然環境が日本列島に出現するのは、実は縄文時代になってからです。
縄文時代になって氷期が終わり、温暖化が進むことによって、各地に入り江や干潟が新たに生まれます。この環境を積極的に活かしたのが縄文時代の人びとです。
いわき市には縄文時代前期から晩期の貝塚が密に分布することでもよく知れられ、往時盛んに行われた漁業の様子を貝塚から出土したさまざまな漁撈具から知ることができます。
現在と素材は違うも大きく形の変わらない鹿角製銛頭や釣針などの漁撈具
とくに寺脇貝塚から出土した結合式釣針は寺脇型と呼ばれる特徴的なものです。軸部と鉤部(かぎぶ)を別作りにした大形の釣針で、外洋に回遊する大型魚を外洋に回遊する大型魚を対象にしていました。
大形の釣針を作るため、また破損した際に備えて軸部と鉤部を別作りにする工夫が見られます。
これら漁撈具の多くは鹿の角や骨で作られました。
結合式釣針(寺脇型)。この釣針で狙った獲物はマダイやマグロ、サメなどの大型魚です
一方、装身具には笄(こうがい)や垂飾(すいしょく)、腕輪や腰飾があります。これらも動物の角や骨でしばしば作られました。
いわき市域の貝塚から出土した垂飾には鹿の角や骨に加えて、イノシシやサメの牙、サメの椎骨などで作られたものがあります。
イノシシやサメは凶暴で、時に人に危険を及ぼす恐れのある動物ですが、当時の人びとはあえて、このような動物の骨や牙を用いて装身具を作りました。
その背景には動物への畏怖や動物のもつ力にあやかりたいという思いがあったためと考えられています。
さまざまな動物の骨や牙で作られた装身具は、縄文人の動物観を知る手がかりです
また縄文時代の儀礼の道具である岩偶(がんぐう)や人面付岩版(じんめんつきがんばん)も見どころ。
これらは、いわき市域では縄文時代晩期に盛行しました。
この材料となったのが阿武隈(あぶくま)山地の東縁に発達する相双(そうそう)丘陵を形成する凝灰質泥岩(ぎょうかいしつでいがん)です。軟質で加工がしやすいため岩偶や岩版の材料として用いられました。
泥岩の素材の柔らかさを感じさせる岩偶や岩版は儀礼に用いられました
今回ご紹介した貝塚から出土した骨角製の漁撈具や装身具、そして儀礼の道具である岩偶や岩版の材料は、「地のもの」。いわきの素材を見事に活かしたものです。
これらを作り出した当時の縄文人の姿を思い浮かべながら、展示をごらんいただければと思います。
※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)でいわきの考古作品を紹介していきます。「#1089考古ファン」で検索してみてください。
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posted by 品川欣也(考古室主任研究員) at 2017年10月11日 (水)
秋が近づくと月を眺めたくなるのは僕だけでしょうか。
いえいえそんなことはないはずです。
月を詠んだ和歌がたくさんあるように、人は、いにしえより月に格別の思いをいだいてきたのです。
福岡県朝倉市の水(すい)神社には、「月見石」とよばれる石があります。
眼下には筑後川。
中大兄皇子(天智天皇)の母・斉明天皇は朝倉の地で崩御されました。
皇子はこの「月見石」にお座りになり、亡き母をしのんだという伝承があります。
東洋館で展示中の画像石にも月が登場します。
画像石(がぞうせき) 西王母/馬車/狩猟
中国山東省晋陽山慈雲寺天王殿
東洋館7室で展示/通年
でもそれは一見しただけではわかりません。
少しずつ内容を掘り下げて見ていきましょう。
画像石の図像は上中下の3段構成。
ここでは最上段の図に注目したいと思います。
真ん中に座るのは、この画像石の中心的な人物と考えてよいでしょう。
なぜならこの人物だけが正面を向いていて、そしてこの人物を中心に、左右対称をなすような構図をとっているからです。
中央の人物は誰?
ではこの人物は何者なのでしょうか。
きっと偉い方に違いありません。でも、着衣には際立った特徴はないようです。
そこで頭をみてみましょう。頭の両側にかんざしをつけています。
かんざしは中央が丸で、上下に三角形の飾りがついています。
こうした頭飾りをつけた人物像は、後漢時代になると画像石や銅鏡、玉器などにさかんに表されるようになります。
ときには人物の名前や飾りの名前が付されていることもあります。
そうした事例により、この頭飾りは「勝」と呼ばれていたかんざしであり、それを身に着けるのは西王母であることが判明するのです。
三本足のカラスとウサギ
西王母のすぐ脇には側仕えの者が坐し、そのうしろには上に三本足のカラス、下に2羽のウサギがいます。
三本足のカラスは、西王母に仕えて食事の世話をする神鳥であると『漢書』などに出てきます。
2羽のウサギは玉兎(ぎょくと)です。臼の中には不老不死の仙薬があり、これをかわるがわる杵で搗いているとされます。
その後ろにいるのは双頭人面犬とでもいいましょうか。なんとも不思議なすがたをしています。
人、人、・・・人?
次に西王母の右側、私たちから向かって左側の図像をみていきましょう。
こちらは簡単ですね。前から側仕えの人、その後ろにも人、そして、人…?
いやいや3人目はどうみても人ではありません。
同じ姿勢なのでつい流し見してしまいましたが、体は人間、顔は鳥。翼も生えていて、しかもちょっと宙に浮いています。
鳥頭の神人です。ここでは鳥人と呼ぶことにしましょう。
帰宅して居間にこんな鳥人が座っていたらびっくりしますが、ここでは普通とみえて、みな落ち着き払っています。
そう、この鳥人もまた西王母にお仕えする者なのです。
カラスとウサギの示すもの
ふたたびカラスとウサギに戻りましょう。
三本足のカラスは太陽を象徴します。
前漢時代にはそうした考えが定着しており、出土資料はもとより『淮南子』という文献にも記載があります。
一方のウサギは、ここにはいませんが蟾蜍(せんじょ)というカエルと共に、月を象徴します。
これも『淮南子』や『楚辞』といった古記録に記載があります。
ウサギを描けば、それは月。
画像石の月はここにありました。
西王母は、崑崙山(こんろんさん)という山で暮らしていると考えられていました。そこに太陽や月を表すことで、その山がはるか彼方にあることを示しているのでしょう。
4世紀に王嘉という人が著した『拾遺記』にも、崑崙山に崑陵の地というものがあり、その高さは日月よりもずっと上であるという記述があります。
また、太陽は昼間を照らし、月は『楚辞』に「夜光」と書かれるように、夜を照らす存在です。この両者をあわせて表現することで、西王母のまわりは昼夜かわらず明るいという、いわば永遠性を象徴する表現がとられているわけです。
考古学は、地下に埋もれた人類の営みの痕跡を研究の対象とします。
その営みとは、日常生活にとどまらず、今回ご紹介した画像石の図像のように、精神世界をも含みます。
あたかも日常を詠む和歌に深い精神性が宿るのと同じように。
それが人類の営みである以上、本来この両者は不可分の関係にあるのです。
考古学が扱う領域はどこまでも広く、そしてどこまでも深いのです。
ところで、冒頭で触れた中大兄皇子は、多くの歌を詠まれました。
もちろん月にまつわる歌も。
わたつみの豊旗雲に入日さし今宵の月夜さやけくありこそ
「大海に雲たなびき入り日差す。今宵の月はきっと明るく照るだろう。」
1日を終えた充実感がうかがえます。
秋の夜長の到来。トーハクは金曜と土曜は21時まで開館しています。
しかも、ちょうど「博物館でアジアの旅」を開催中。
夜、東洋館に足をお運びいただき、月のウサギに出会えたあかつきには、空を仰いで一句詠むのもまた一興です。
トーハクくんも月(ウサギ)を見ながら一句
「まんまるのお団子大好き月見だほ」
食欲の秋に意気込み十分のトーハクくんなのでした
※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)で東洋館のお月見作品を紹介していきます。「#1089考古ファン」で検索してみてください。
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posted by 市元塁(特別展室主任研究員) at 2017年09月05日 (火)
考古展示室にも仏像が展示されていることをご存知でしょうか?
それは…
「ここだほ!」
テーマ展示「塼と塼仏」/考古展示室
トーハクくん、大正解! そうです。考古展示室では塼仏(せんぶつ)を展示しています。
さて、開催中の特別展「タイ ~仏の国の輝き~」、皆さんはご覧になりましたでしょうか。
タイを代表する仏教美術品が一堂に会する貴重な展覧会です。
会場には古代から現在までのタイの歴史と文化に関する作品が展示されていますが、こちらの塼仏はご覧になりましたか?
塼仏
バンコク国立博物館蔵
8月27日(日)まで特別展「タイ ~仏の国の輝き~」で展示中
これはタイのトラン県カオサイ洞窟出土の塼仏です。
涙滴形の中に、蓮華の上に足を組んだ4臂の観音菩薩像が型押しされており、9世紀頃のものと考えられています。
タイを含め、マレー半島ではこうした塼仏が洞窟や山の上から出土しており、僧侶が修行した場所ではないかと推測されています。
そもそも、塼とは現在でいうレンガやタイルのようなもの。粘土を焼き固めて作られました。
この塼に仏像を表したものが塼仏です。寺院の壁をタイルのようにして飾りました。
通常、塼仏は笵型に粘土を押し当てて作られます。そのため、形や図像が同じものがたくさんあります。
これまでの研究成果によれば、以下の工程で作られていたと考えられます。
(1)原型をつくる
木や金属を素材として原型をつくります。塼仏そのものを原型とする例も考えられます。
(2)笵型をつくる
原型に粘土を押し当て笵型を作り、細かな表現を加えます。
塼仏笵(せんぶつはん)
奈良県桜井市 山田寺跡出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
(3)笵型の乾燥・焼成
(4)塼仏をつくる
(3)で作った笵型に粘土を押し当てて、乾燥したら型から粘土を外します。
(5)塼仏を乾燥させ、焼き固めます
(6)仕上げ
表面に金箔を貼ったり、彩色を施す場合があります。金箔が剥がれないように、表面に漆が塗られていたようです。
塼仏は大きく形によって、方形と火頭形と分けられ、また、仏様の配置から独尊、三尊などに分けられます。
「方形三尊塼仏」のように、本尊と脇侍だけでなく飛天が舞う例などもあります。
重文 三尊像塼仏(さんぞんぞうせんぶつ)
奈良県高取町 南法華寺出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
11月26日(日)まで展示中/考古展示室
独尊像塼仏(どくそんぞうせんぶつ)
奈良県明日香村 紀寺跡出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
塼仏の構図は唐代に類例があり、7世紀後半に始まる遣唐使によって日本に伝えられた可能性が高く、日本ではもっぱら7世紀後半から8世紀前半にかけて、近畿地方を中心に流行したようです。
さて、考古展示室の塼仏をよく見ると、表面が赤茶色のものや焦げ痕のようなものが付着しているもの、表面がざらざらと荒れているものなどがあります。
三尊像塼仏残欠(さんぞんぞうせんぶつざんけつ) ※写真右は部分拡大
奈良県明日香村 橘寺出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
これは、何らかの熱を受けたためと考えられます。
先ほど「塼仏の制作工程」(6)でご紹介したように、塼仏には金箔や彩色が施されていたので、おそらくは、もともと寺院で飾られていたものが、火災によって表面の金箔や彩色がなくなり、焦げ痕が残されたのでしょう。
なかには、熱によって表面の金箔が溶けて、ごく微小の金粒となって残されている場合もあります。展示室では難しいですが、実物を手に取りルーペでよく観察すると金粒がかすかに輝いて見えます。
モノに残された痕跡は、それがどのような経緯で現在に伝わったかを推測するヒントとなるので、考古学では資料観察がとても重要なのです。
形や模様だけじゃなくて、キズや付着物にも注目だほ
さまざまな国と地域の作品を見比べられるのも、トーハクの魅力の一つです。
特別展「タイ」と考古展示室は同じ平成館にある展示室。
特別展をご覧になった後は、考古展示室の仏教考古学関連の作品をぜひ見比べてみてください。
きっと新たな発見があると思います。
※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)でトーハクの塼仏を紹介していきます。「#1089考古ファン」で検索してみてください。
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posted by 井出浩正(特別展室主任研究員) at 2017年08月15日 (火)