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書を楽しむ 第16回「写された書03」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第16回です。

今回も、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))から、
市河米庵(1779~1858)のふたつの「天馬賦」(てんばふ)をご紹介します。
「天馬賦」は、中国・北宋の米芾(べいふつ、米元章、1051~1107)の著作・筆跡として有名なものです。

まずは、米庵が17歳のときに写した「天馬賦」です。

天馬賦(模本)
天馬賦(模本) 市河米庵筆  江戸時代・寛政7年(1795) 市河三次氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)


双鉤塡墨(そうこうてんぼく、字の輪郭を線でとり中を墨で埋める)で
「天馬賦」を模写しています。
上の画像ではよく見えないかもしれませんが
右側のページは、「高君」という字の輪郭線のみです(双鉤といいます)。

わかりにくいかもしれませんので、
私が、米庵の「高君」を途中まで双鉤塡墨してみました。
(もちろんコンピュータのデータ上でのことです。ご心配なく)

恵美が書き込んだ天馬賦「高君」
恵美が書き込んだ天馬賦「高君」

双鉤塡墨、ということは、
米芾の「天馬賦」を忠実に写そうとしているということです。
輪郭をとることで、筆遣いを細部まで知ることができます。

もうひとつは、
米庵80歳のときに書いた「天馬賦」です。

臨天馬賦
臨天馬賦(部分) 市河米庵筆 江戸時代・安政5年(1858) 林督氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)


これは、臨書といいます。
米芾の「天馬賦」を横に置いて書いたものです。

17歳と80歳の「天馬賦」をもう一度並べてみます。

比較
比較 17歳(左)と80歳(右)の「天馬賦」 

17歳のときは忠実に写していますが、比較すると80歳では違う字になっています。

臨書には、
形を真似る臨書(形臨)と、筆意を汲みとっての臨書(意臨)とがあります。
80歳の「天馬賦」は、意臨なのです。

それにしても、
市河米庵が、17歳のときも写した「天馬賦」を80歳でも臨書する、
一生涯写し続ける、その姿勢が大切です。

意臨に続いて、
その雰囲気で別の文章を書く、倣書があります。
それが、さらに創作へとつながります。
いろいろと学んだことから、新たな書を創作する、
まさに、“古典から創造へ”、なのです。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月14日 (木)

 

書を楽しむ 第15回「写された書02」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第15回です。

今回も、本館特別1室で開催中の、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))からご紹介します。

写す、
ということが基本中の基本であることは、
何回も言ってきました。

その、写すことに
人生を捧げた人がいます。
田中親美(たなかしんび、1875~1975)です。

親美は15歳のときに、多田親愛(ただしんあい、1840~1905)の門に入りました。
多田親愛は、当時、帝国博物館(トーハクの前身)で働いていて、
親美に、博物館所蔵の古筆(こひつ、平安から鎌倉時代の能書の筆跡)を写させました。

また、親美の父親は、画家の田中有美(ゆうび、1840~1933)、
父親の従兄弟は、冷泉為恭(れいぜいためたか、1823~1864)です。
冷泉為恭は、幕末の動乱期にあって、自らの絵を探求するために模写を続けていました。
その為恭の影響と、多田親愛の教えがあって、
親美は若い頃から、古筆や絵巻などの模写をするようになります。

紫式部日記絵巻、源氏物語絵巻、元永本古今和歌集…今日に残る名品の数々です。

もちろん、原本があっての模本ですが、
模本にもドラマがあります。

大正9年(1920)、
厳島神社の依頼により、国宝「平家納経」の模本を作ることになります。
親美はすでに、書や絵の模写だけでなく、料紙の再現まで行っていました。
「平家納経」では、さらに、軸首や発装、題箋、紐、経箱などの工芸品の模造まで監督。
関東大震災にも遭遇しましたが、5年かかって完成した「平家納経模本」33巻は、厳島神社に納められました。
その後さらに作ったのが、今回展示の「平家納経模本」です。

平家納経模本 平家納経模本 拡大
平家納経(模本)厳王品 田中親美筆 大正時代・20世紀 松永安左エ門氏寄贈 (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 厳島神社所蔵 平安時代・長寛2年(1164)


料紙や題箋などの工芸や絵は、弟子たちと協力して作りましたが、
書は、田中親美自身が全部写したそうです。

ふつう模写は、
字をそっくりに写すことに集中してしまうため、
行間や筆の動きなどが不自然になってしまいます。
でも、
田中親美の模写は、不自然さを感じさせません。

一行ごとの原寸大の写真を、左に、上に、真下において、
何度も何度も見て、目に焼き付けて、書を写していきました。
自分を捨てて、執筆した人になりきって、書を再現することに集中する。
それはとてもたいへんな作業であったと、本人も述べています。

今回の特集陳列「写された書 ―伝統から創造へ―」では、ほかにも、田中親美が模写した
「本願寺本三十六人家集模本」などを展示しています。

本願寺本 本願寺本 拡大
本願寺本三十六人家集(模本) 田中親美筆 明治40年(1907) (右は拡大図)
(~2012年6月24日(日)展示)
原本=国宝 西本願寺所蔵 平安時代・12世紀


平安時代の作品を、明治・大正時代にこれだけ再現する、
その熱意と苦労の継続を想像してみてください。

文化財の保護と伝統文化の継承という
ふたつの大きな仕事を成し遂げています。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月04日 (月)

 

書を楽しむ 第14回「写された書01」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第14回です。

本館特別1室で、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))がはじまりました。

写す、ということで、
まずは、私がエンピツで写した画像をお見せします。


エンピツの写し

今年のはじめに当館の特別展「北京故宮博物院200選」(2012年1月2日(月)~2月19日(日))に展示されていた、
中国の黄庭堅(こうていけん、1045~1105)の書をエンピツで写したつもりですが…。

上手ではありませんが、
エンピツでも写すと、黄庭堅がどういう字だったのかは、しっかりと頭に残ります。

写す、
という作業は、書にとって、とてもとても重要です。
手を動かすことで、見ただけよりも鮮明に記憶に残ります。
写すことによって、美しい文字の造形を、眼でも手でも鑑賞できます。
こうした伝統を基盤にして、新たな創造もはじまります。


 
(左)臨知足下帖 西川寧筆 昭和2年(1927)日本書道作振会展出品作 昭和2年(1927) 西川杏太郎氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
(右)十七帖(王文治本) 王羲之筆 原跡:東晋時代・4世紀江川吟舟氏寄贈(展示予定未定)



左の画像は特集陳列に展示する作品で、右の画像を「臨書」したものです。
ようするに、右の画像を手本として書いています。

右の手本は、中国の書聖・王羲之(おうぎし、303?~361?)の拓本「十七帖」。
古くから、さまざまな能書が王羲之の書を学んできました。

左の作品は、西川寧(にしかわやすし、1902~1989)の25歳のときのもの。
昭和から平成初期の書壇を代表する書家です。

西川寧は、『自選集』という作品集で、この作品を一番目に紹介しています。
「つたないながら、若い日の苦悶にはちがいない」
「私なりの探求の跡が残っている」
と自身で述べています。

苦悶しながら、写し続ける。
これは、じつは楽しい作業でもあります。
音楽やスポーツと同様に、
レッスンやトレーニングをして、できるようになる。
それと似た感覚でしょうか。

そこから新しい作品が生まれる。
書は、その繰り返しなのかもしれません。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月22日 (火)

 

書を楽しむ 第13回「仲麻呂」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第13回です。

前回のブログは「人麻呂」でしたが、今回は「仲麻呂」です。

「仲麻呂」、エンピツで写してみました。

 
(左)「仲麻呂」 (右)エンピツで写した「仲麻呂」
((左)は国宝 法隆寺献物帳(部分) 奈良時代・天平勝宝8年(756))
(~2012年6月3日(日) 法隆寺宝物館第6室で展示)


仲麻呂とは、藤原仲麻呂(706~64)ですが、
恵美押勝(えみのおしかつ)という名前を淳仁天皇からもらっています。
そう、私の姓と同じなのです。
私は、自己紹介すると必ず「恵美押勝と関係が?」と聞かれます。
そのたびに「いいえ、恵美押勝は乱を起こして一族が滅んでますから…」と
何百回こたえたことでしょう。

その仲麻呂の署名を初めて見たのは、
正倉院宝物を紹介する本だったと思います。
正倉院に伝わる「東大寺献物帳」に、仲麻呂の署名がありました。

クセのある字。
これがあの恵美押勝の字か、と、とても印象に残りました。
自分の名前との係わりで、歴史に残る人物の中で初めて、
その署名がしっかりと心に刻まれていました。

そしてトーハクで働き始めたある日、
法隆寺宝物館で、そのクセのある字に出会ったのです。


国宝 法隆寺献物帳(全体) 奈良時代・天平勝宝8年(756)
(~2012年6月3日(日)展示)


本で見た「仲麻呂」の字が目の前にある!
思わず、心がときめきました。
写真でなく、仲麻呂本人が書いた実物が、私の目の前に。
なんという至福の時でしょう。

心に残る書は、
上手な字ばかりではありません。

「仲麻呂」も、一見、たどたどしいです。
でも、バランスは良く、意志の強さを感じます。
やはり、「書は人なり」です。

心に残る書の引き出しを増やしていきたいです。
みなさんもぜひ、本物に会う感激を体験してください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年05月07日 (月)

 

書を楽しむ 第12回「柿本人麻呂」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第12回です。

いま、本館2階の展示室に、3点の「柿本人麻呂像(かきのもとのひとまろぞう)」が展示されています。
まずは2点、本館3室「宮廷の美術」にあります。

 
(左右ともに)柿本人麻呂像 鎌倉時代・13世紀 (右)松永安左エ門氏寄贈
(~2012年4月22日(日)展示)


柿本人麻呂(650頃~710頃)は、三十六歌仙のひとり。
『万葉集』や『古今和歌集』に人麻呂の和歌が見られます。

そして、本館8室「書画の展開」にも1点、展示されています。

  
柿本人麿自画賛 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
(~2012年5月6日(日)展示)


先に紹介した人麻呂像と姿は似ていますが、なにか少し違うと思いませんか?
これは、文字絵になっています。

文字絵、
私は小さい頃、「へのへのもへじ」で顔を描いていましたが、
みなさんも経験ありませんか?

この文字絵は、
顔のあたりの上半身が「柿」の字になっていて、
右手が「本」をくずして、筆を持っている様子。
右ひざが「人」、左ひざが「丸」のようです。

柿本人麻呂は、人丸とも呼ばれ、
歌聖として尊ばれ、「人丸影供」(ひとまるえいく[えいぐ、とも])という
人麻呂像を掲げた歌の会が開かれていました。

この文字絵を描いたのは、近衞信尹(このえのぶただ、1565~1614)、
「寛永の三筆」と呼ばれる能書です。
(寛永年間<1624~45>には生きていませんが…)
信尹は、何枚もこの文字絵を描いていて、
近衞家の資料を収める陽明文庫にも同じような文字絵が
伝来しています。
信尹の豪快で豊潤な筆遣いが、よくわかりますよね。

信尹はほかにも文字絵を描いています。


渡唐天神自画賛 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
(2013年02月26日(火)~4月7日(日)展示予定)


「天神」という文字で、「渡唐天神像(ととうてんじんぞう)」を表現しています。


文字絵は、
「葦手」(あしで)という、平安時代にはじまり、
硯箱などの装飾として鎌倉時代以降も続いたものもあります。
江戸時代に、文字絵は流行しました。

新しい文字絵、考えてみましょうか。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年04月14日 (土)