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特別展「神護寺」後期展示が開幕!

早いもので本日(8月14日)から、創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」の後期展示が始まりました!


第2会場入り口

絵画と書跡はおおよそ展示替えを行いました。
後期の見どころをご紹介します。
こちらの
神護寺展作品リストとともにご覧ください。

まずは作品No23.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」です。


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)の展示風景
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 【金剛界】 9月8日(日)まで展示

前期の胎蔵界から金剛界へと替わりました。
金剛界は九つの区画に分けられており、整然と並ぶ密教の仏は圧巻です。

区画の中央最上段、一印会(いちいんえ)の大日如来は保存状態も良く、高雄曼荼羅を象徴します。
 
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)の大日如来部分

上方にあるのでご覧になりにくいですが、その先の映像コーナーと合わせてご覧ください。
 

「映像で解説する高雄曼荼羅」コーナーに写る大日如来

続いて平安貴族の美意識にうっとり、作品No43.  国宝「釈迦如来像」、通称「赤釈迦(あかしゃか)」です。


国宝 釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 9月8日(日)まで展示

身体をかたどる朱色の輪郭線は、伸びやかで張りがあり、なおかつ一定の描線で、よほどの鍛錬(たんれん)を積んだ絵師にしか引けないものです。


釈迦如来像の輪郭線

赤い衣の装飾は見事! 
截金(きりかね)という、金箔を髪の毛ほどの大きさに切ったものを模様の形に貼る技法が用いられています。


釈迦如来像の衣部分

優雅な彩色文様とのコラボも見事! どこをとっても平安貴族の美意識が感じられます。
その大きさもぜひ会場で体感してください。
 
そして御本尊、作品No97.  国宝「薬師如来立像」です。


(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう) 
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示 
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

後期からは光背と白い幕を取り、脇侍(わきじ)の日光・月光菩薩とともにその周囲をぐるりとご覧いただけます。


第5章 中央ステージ背面からの風景

「薬師如来立像」は日本彫刻史上の最高傑作です。
 
 国宝 薬師如来立像と十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)

傑作たるゆえんのひとつに、背中の美しさがあります。図録には掲載しておりますが、迫力ある正面観に対し、背中の丸み、衣文の曲線、腰から下の柔らかな造形など、優美で上品な背面です。

展覧会図録に用いる写真撮影の際、初めて背中を拝見した筆者はその美しさに息をのみました。
木の素材感ではなく、暖かみのある穏やかで気品あふれる背面。ここまで意識をして造形されていることに心が震えました。
 
展覧会ではぜひ皆様にもご覧いただきたいと思い、神護寺様と相談を重ねてまいりました。

会場では彫刻作品として鑑賞されますが、本来は1200年もの間、国の平和と安寧(あんねい)という人々の願いを受け止めてきた、信仰の対象です。お寺では厨子(ずし)内に安置され、正面から拝観します。したがって、お寺と同じようにご覧いただきたいというのが神護寺様の想いです。一番近くで静かにご本尊を見つめ続けてこられました。

どのようなお姿をご覧いただくのが適当か、開幕後も検討を続けてまいりました。

そしてこのたび、酷暑の中、展覧会にお運びくださる来館者のため、背中を拝見する機会を作ってくださいました!


薬師如来立像の背中部分

おひとりでも多くの方々にご本尊の素晴らしさをより一層感じていただければ、担当者として望外の喜びです。
 
最後に、改めまして神護寺ご住職様はじめ、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

 
第5章 展示風景
 
後期も引き続き、展覧会をお楽しみください!
 
 

会期は9月8日(日)まで。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。

 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」 公式サイト

 

カテゴリ:news彫刻書跡絵画工芸「神護寺」

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posted by 古川 攝一 (教育普及室) at 2024年08月14日 (水)

 

密教の仏たちに包まれる―高雄曼荼羅の世界―

連日の酷暑のなか、 創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」にお越しくださり、まことにありがとうございます。
夏バテ気味の体に、密教の仏のパワーを感じるのはいかがでしょう?

今回は現存最古の両界曼荼羅である国宝の「高雄曼荼羅」についてご紹介します。


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)の展示風景
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 
【胎蔵界】前期展示(7月17日~8月12日)

そもそも曼荼羅とは、大日如来を中心とした密教の世界を図示したものです。
金剛界と胎蔵界という二つの世界から成り立ちます。
 

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)
右から【胎蔵界】江戸時代・寛政7年(1795)【金剛界】江戸時代・寛政6年(1794)
 京都・神護寺蔵 通期展示
こちらは光格(こうかく)天皇の発願によって製作された「高雄曼荼羅」の原寸大摸本 

九つの区画に整然と分けられ、規則的な仏の配置を見せる金剛界。


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)
【金剛界】後期展示(8月14日~9月8日)


そして、大日如来を中心に密教の仏たちが広がるように配置される胎蔵界です。


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)【胎蔵界】
 
大きさも違います。これは、金剛界と胎蔵界が別々に成立し、展開してきたためです。
ともにインド発祥ですが、空海の師匠である、唐の都・長安の青龍寺(せいりゅうじ)にいた恵果(けいか)のときに、金剛界と胎蔵界がセットになったと考えられます。

空海は恵果から密教のすべてを受け継いで帰国しますが、その際、経典だけでなく曼荼羅や法具類、祖師像などを数多く持ち帰りました。


国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示

この持ち帰った曼荼羅を手本に描かれたのが「高雄曼荼羅」です。

天長年間(824~834)、神護寺の灌頂堂(かんじょうどう)にかけるために、淳和(じゅんな)天皇の願いにより制作されました。
当時、空海は神護寺にいたと考えられますので、高雄曼荼羅の制作には空海が密接に関わったと思われます。


重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう) 
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

 
高雄曼荼羅は花や鳥の文様が織られた絹に、金銀泥で仏の姿が描かれます。

国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)【胎蔵界】の不動明王部分


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)【胎蔵界】の千手観音部分

彩色をしていないので、輪郭線が際立ちます。
仏の姿、形を正しく描き出そうとする意図が感じられます。

神護寺のお堂の中で見ると、仏たちの姿が浮かび上がり、密教の宇宙観を体感できたことでしょう。

後期に展示される国宝「文覚四十五箇条起請文」に「大師御自筆」と記されるように、平安時代後半には、高雄曼荼羅は空海が直接筆を執(と)った曼荼羅として認識されていました。


国宝 文覚四十五箇条起請文(もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん)(部分)
中山忠親筆 平安時代・元暦2年(1185) 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日) 



国宝 文覚四十五箇条起請文(部分) 
画像の2行目に「大師御自筆」と見えます

まさに聖遺物です。
ですから、高雄曼荼羅に描かれた仏の姿は曼荼羅の模範であり、仏の姿が写されました。
 
会場では、高雄曼荼羅の旧収納箱や高雄曼荼羅を写した白描図像もご覧いただけます。
 
両界曼荼羅(高雄曼荼羅)唐櫃(りょうかいまんだら、たかおまんだら、からびつ)
江戸時代 寛政5年(1793) 京都・神護寺蔵 通期展示


会場内のパネル
唐櫃の蓋裏には朱漆で銘が記され、徳治3年(1308)8月に後宇多天皇によって高雄曼荼羅の修理がなされたのち、寛政5年(1793)、光格天皇と後桜町(ごさくらまち)上皇によって再び修理を行った旨が記されています


高雄曼荼羅図像 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵 場面替えあり

また、現在見えにくくなっている銀泥部分を復元した動画、曼荼羅そのものの解説映像などもあり、曼荼羅の世界に没入することができます。


「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナー

密教の仏に包まれる不思議な感覚、ぜひ会場で味わってみてください!



館内には日傘などのご用意がありますが、無理せず休みながらお越しください。
また、会場内は少し肌寒くなっておりますので羽織るものをご持参いただくと良いかもしれません。

 

 
 

 

カテゴリ:news書跡絵画工芸「神護寺」

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posted by 古川 攝一 (教育普及室) at 2024年08月02日 (金)

 

写実を超えたリアルさを求めてー人形作家・平田郷陽

生人形をご存じでしょうか。
「生」を「なま」と読む方も多いのですが、「いきにんぎょう」と呼びます。「活人形」と書かれることもあり、つまり「生きているように見える人形」のことです。
幕末には、見世物興行の1つとして人気を博し、等身大の人形を制作して、いかに生身の人間に見えるかを技の見せどころとしました。
浅草で初めて生人形の見世物興行を開催した松本喜三郎(まつもときさぶろう、1825~1891)や、安本亀八(やすもと かめはち、初代:1826~1900、二代:1857~1899、三代:1868~1946))といった作家が名手として知られていました。眉毛やまつ毛、瞳や歯のリアルさにはびっくりですよね(図1)。


(図1)生人形足利時代将士体立姿(いきにんぎょうあしかがじだいしょうしたいたちすがた)
三代安本亀八作 明治時代・20世紀 日英博覧会事務局寄贈


二代平田郷陽(ひらたごうよう、以下郷陽)の父である初代平田郷陽は、高名な生人形作家・安本亀八に弟子入りしました。生人形作家となった父の後を継ぎ、郷陽も14歳の時から生人形制作に携わりました。
本館14室で開催している特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」(9月1日(日)まで)では、郷陽の創作人形を多数展示しています。
郷陽が制作する人形は、「普段私たちが目にしている伝統的な日本人形とは何かが違う」と思われるでしょう。例えば「薬玉」(図2)。元禄風の風俗を振袖の模様にいたるまで丁寧に仕立てられ、一見すると伝統的な衣裳人形です。しかし、肌の生々しい色合い、手足の先の爪にいたるまでの細部の写実性、目の周りにはまつ毛まで植え付けられていて、衣裳人形でありながら生人形のリアリズムを併せ持っています。


(図2)薬玉(くすだま)
二代平田郷陽作 昭和8年(1933) 平田多惠子氏寄贈


郷陽は子どもと女性の造形にこだわった作家でした。その中でも有名な作品がこの「泣く子」(図3)。木彫彩色とは思えない写実性。注目すべきは、まだ歯が生えていない歯茎や舌の表現、眉間や頬の皺、動きある手足の表現です。展示室で実際に見ていただくことをお勧めしたい、超絶技巧です。


(図3)泣く子(なくこ)
二代平田郷陽作 昭和11年(1936) 平田多惠子氏寄贈


「これまで玩具や年中行事の飾り物として扱われてきた人形を、芸術として高めたい」という思いが郷陽にはありました。リアリズムはその1つの手法だったのでしょう。
しかし、戦後になると、郷陽の造形に変化があらわれました。これまでの写実性から離れ、人体に量感を持たせ大胆にデフォルメした木彫に、手足を彩色で、胴部分を木目込み(きめこみ、これも伝統的な日本人形の手法です)にして、現代的な造形を求めるようになりました。この時代には特に女性像を得意とし、母性や女性の心情などを見事に表現しました。
かつては一人の女優の生人形を制作するために、目の前でその女優の顔のパーツを採寸したというエピソードがあるほどに、写実性にこだわりを持ってきた郷陽。しかし、晩年の郷陽の作品には、真正の女性の姿はリアリズムではなく、そのしぐさやたたずまいにあるということを見ることができます。「抱擁」(図4)で母親が赤子に唇を寄せる姿、手札を眺めつつ思案する「おんな」(図5)の姿勢など、1つ1つの造形には、女性の心情にまでイメージが膨らみます。

 

(図4)抱擁(ほうよう)(部分)
二代平田郷陽作 昭和41年(1966) 平田多惠子氏寄贈
(図5)おんな
二代平田郷陽作 昭和39年(1964) 平田多惠子氏寄贈

 

特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」は、ご遺族のご意向により、当館に一括で寄贈を受けたことで実現しました。小さな展示室ですが、郷陽の代表作の数々をご覧いただける貴重な機会です。
ぜひ展示室で、郷陽の技が生み出す美をご覧ください。


特集「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」の展示風景

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室室長) at 2024年07月23日 (火)

 

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」開幕!

 創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」がいよいよ7月17日(水)より開幕しました。


平成館エントランスのバナー

本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺(じんごじ)創建1200年と、空海生誕1250年を記念するものです。


神護寺の金堂

空海が密教を学ぶため唐へ留学して帰国したあと、当時の都である平安京で活動するために住んだお寺が、京都の高雄にある神護寺(当時は高雄山寺)でした。
神護寺は、空海が密教という新しい教えを披露したメジャーデビューの場所、つまり「はじまりの地」といえます。

では、さっそく会場の様子を見てみましょう!


会場入り口

入り口で皆さまをお迎えするのは、神護寺 谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫(きごう)した大きな看板。
制作の様子は神護寺展の公式Xでご覧ください。

入ってすぐの場所には、国宝「観楓図屛風」と秘仏である重要文化財「弘法大師像」が展示されています。


(右)国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ) 
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)


重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう) 
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


会場は、草創記の神護寺からはじまり、だんだんと時代が下っていく構成になっています。
第1章の第1節では空海や初期の神護寺にまつわる品々をご紹介しています。


国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示
 
書の名手であり、この時代の三筆のひとりと称される空海直筆の作品も必見です。


国宝 灌頂暦名(かんじょうれきみょう) 
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 展示期間(7/17~8/25)
 


会場を進んで第1章の第2節「院政期の神護寺」では、有名な神護寺三像(右から国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)が登場。


(右から)国宝 伝源頼朝像(でんみもなもとのよりともぞう)、国宝 伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)、国宝 伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう) 
すべて鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日) 

そして振り返ると…


4メートル四方の大きさの国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が掛けられています!


会場奥に国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が見えます


国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)のうち胎蔵界(たいぞうかい)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)※金剛界は後期展示(8月14日~9月8日)

神護寺展ならではの贅沢な空間です。
空海が制作に関わったとされる、現存最古の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」。曼荼羅の世界に包まれてください。

第1会場の終わりには「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナーがあります。
金泥、銀泥で描かれた仏の姿を細部までご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。
 

続いて第2章では、通称「神護寺経」と呼ばれる「大般若経(紺紙金字一切経)」と、お経を包む経帙(きょうちつ)をご覧いただきます。


重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(だいはんにゃきょう まきだいいち、こんしきんじいっさいきょう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


(手前)紺紙金字一切経経帙(こんしきんじいっさいきょうきょうちつ) 
平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵 通期展示


美しい色糸で組まれた竹のすき間から雲母がきらめいています。ぜひ間近でご覧ください


第3章では中世神護寺の隆盛がうかがえる絵図や、密教空間を彩る作品をご紹介します。


重要文化財 十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ) 
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 ※場面替えがあります


第4章の「古典としての神護寺宝物」では、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)によるもうひとつの「伝源頼朝像」が展示されています。


伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう) 
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
 

古画が大好きな為恭は絵画技術を学ぶため、神護寺宝物を模写しました。
ぜひ会場でふたりの頼朝を見比べてください。


そして最後の第5章では、1200年の歴史の各時代につくられた神護寺の彫刻が一堂に会しています!


国宝 五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示 



(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう) 
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示 
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
 


会場ならではの横からの姿にもご注目ください!


十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
吉野右京、大橋作衛門等作 [酉神、亥神]室町時代 15~16世紀 [子神~申神、戌神]江戸時代 17世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
 


前期展示は8月12日(月・休)まで、後期展示は8月14日(水)~9月8日(日)です。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。

神護寺三像など、前期のみの作品もありますのでお見逃しなく!
夏休みはぜひ神護寺展へお越しください。

特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」 公式サイト
 


二天王立像(にてんのうりゅうぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵
撮影スポットもあります。ぜひ記念の一枚を撮影してください!

 

 

カテゴリ:news彫刻絵画工芸「神護寺」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年07月19日 (金)

 

わたしのカミは左利き?

「十年一昔」といいますから「二昔」前のことですが、「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」として、奈良県の吉野・大峯(おおみね)、和歌山県の熊野及び高野山を中心とする地域が、平成16年(2004年)に世界文化遺産に登録されました。アテネでオリンピックが開催され、樋口一葉、野口英世のお札が登場し、微笑(ほほえ)みの貴公子・ヨン様が日本を席巻した年です。

私は初任地である奈良国立博物館にこの年に採用されましたので、今年で在職20年ということになります。それを記念して・・・ではなく、勝手に世界遺産登録20年記念に便乗した企画なのですが、特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」という小さな展示の企画・構成を担当し、現在本館14室で開催しております(2024年7月15日(月・祝)まで)。
当館が所蔵する金峯山経塚(きんぷせんきょうづか)出土品、那智山(なちさん)経塚出土品の一群に、奈良・大峯山寺(おおみねさんじ)から寄託されている大峯山頂出土品を加えた構成で、普段はお目にかけないようなもの(図1・2)も展示してますが、吉野・大峯信仰を代表する蔵王権現(ざおうごんげん)像が多数展示されているのが目を引くことと思います(図3)。

 

(図1)永承七年銘金具残片(えいしょうしちねんめいかなぐざんぺん)
奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀
永承七年銘金具残片の裏面
会場では裏面を展示しています。

 


(図2)重要文化財 鉄錠(てつじょう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・12世紀 奈良・大峯山寺蔵



(図3)特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」(本館14室)の展示風景

蔵王権現は日本で創出された修験道(しゅげんどう)独自の尊格で、「権現」(仮の姿で現れる)と記されるように、インド以来の仏教の仏が変化(へんげ)した存在で、釈迦(しゃか)、千手観音(せんじゅかんのん)、弥勒(みろく)の三つの仏尊の徳を合わせ持つとされています。役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山で修行中に、過去の存在である釈迦、現在の存在である千手観音(阿弥陀の化身)、未来の存在である弥勒に続き、盤石(ばんじゃく)の中から涌出(ゆじゅつ)したとされており、過去・現在・未来を司る特別な存在と目されています。その姿についてはインド由来の仏のように経典に記されてはいないのですが、南北朝時代に記された『金峯山秘密伝(きんぷせんひみつでん)』という書物には次のように記されています。
「顔が一つ、目が三つ、腕は二つで、色は青黒く、顔は忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)。頭に三鈷冠(さんこかん)をいただき、左手は剣印(けんいん)を結んで腰に置き、右手は三鈷杵(さんこしょ)を持って頂上に上げ、左足は盤石を踏みしめ、右足は空中を踏む」(図4)


(図4)重要文化財 銅板鋳出蔵王権現像(どうばんちゅうしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・11~12世紀 奈良・大峯山寺蔵


なるほど、涌(わ)いて出てきただけあってなかなか大胆なポーズで、思わず真似してみたくなります。右手に邪悪なものを破砕する三鈷杵を持つので、きっと右利きなのでしょう。昔の人はだいたい右利きです。右手でさっと抜けるよう、刀は左腰に帯びました。
金峯山寺蔵王堂(本堂)には秘仏の巨大な蔵王権現像が3体並んでいますが、揃って右手・右足を上げています。同じ姿の仏像が3体並ぶ(しかも大きい)のはなかなかおもしろいものです。

ところが会場を眺めると、逆向きの方がいらっしゃいます(図5・6)。しかも複数。 左右を間違えて作ってしまったのでしょうか。それとも鏡に映した姿でしょうか。

 

(図5)重要文化財 銅板鋳出蔵王権現像(どうばんちゅうしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・12世紀 奈良・大峯山寺蔵
(図6)重要美術品 銅板鎚出蔵王権現像(どうばんついしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村金峯山出土 平安時代・12世紀

 

密教(みっきょう)では鏡に尊像を思い浮かべる修行があり、そこから派生して鏡に尊像を彫り表したのが鏡像(きょうぞう)ですので、鏡に映した姿を表したと考えることもできますが、他の尊像ではこうした例はまずありません。私も解説などを書いていてよく間違えるので、同じような人がやっぱり間違えちゃったのかなとも思われるのですが、実は蔵王権現は、元は左右一対(いっつい)で表されることもあったと考えられています。
滋賀・石山寺には蔵王権現のような形の奈良時代の仏像の心木(しんぎ)があります。この石山寺の当初(奈良時代)の本尊の姿を描いたと考えられる平安時代の図像(図7)が残っていて、それを見ると本尊・如意輪(にょいりん)観音(二臂・半跏踏み下げの古い形式)の向かって右下に蔵王権現のような姿の天部形(てんぶぎょう)、向かって左下にそれを反転させた姿の天部形が描かれています。


(図7)重要文化財 諸観音図像(しょかんのんずぞう) 第17紙 如意輪観音(部分)
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
(画像提供:奈良国立博物館)


蔵王権現のルーツについては、はっきりとは解明されていないのですが、この金剛力士(こんごうりきし、仁王)と思われる如意輪観音の脇侍(わきじ)も起源の一つと考えられていて、それを踏まえると、対(つい)になるように左手・左足を上げた方もいらっしゃったということになります。当時の礼拝法もよくわかってはいないのですが、石山寺と同じように左右向かい合うようにして用いられた可能性も考えられますし、古い形式が残ったことも考えられます。

いずれにしろ、左利きの蔵王権現は、左右を間違えちゃったわけではなく、ちゃんと由緒を持った姿ということが確かめられるのですね。
私は野球世代なので、希少な左利きには憧れがありました(右利きです)。投げる方はダメでしたが、打つ方は時々左で打ってみたりして、中日ファンだったので、打席でバットをグルグル回す田尾選手の真似をしてみたり、構えた時にお尻をキュッと投手の方へ向ける谷沢選手の真似をしてみたり・・・。
恐らく希少な存在の、左利きの蔵王権現がどのように見られてきたことか・・・。 仏様の前でポーズは取ってみなかったとは思いますが、気になるところではあります。

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 清水健(工芸室) at 2024年07月04日 (木)

 

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