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「古代ギリシャ」海シリーズ(1)

海との関わりが深かった古代ギリシャ。
今回は海を越えて繁栄したミノス文明を物語る1品を紹介しましょう。


文字が刻まれた銅塊
前1500~前1450年頃(後期ミノスIB期)
クレタ島、メサラ、アギア・トリアダの邸宅(7室)出土
イラクリオン考古学博物館


銅塊が出土したアギア・トリアダはクレタ島の南西部に位置する遺跡。
ミノス時代の町と「邸宅」が20世紀初頭に発掘されました。
「邸宅」は、この地域を支配していたフェストスの領主の離宮と目されます。

この銅塊は、剥いだ牛の皮に形が似ていることから、「牛皮形インゴット」とも呼ばれます。
アギア・トリアダで出土した銅塊は合計19枚、うち8枚に文字や記号が刻まれていました。
ミノス文明の文字は未解読のため内容は分かりませんが、貴重な物資を管理するための印であったと想像できます。
銅の一大産出地であったキプロス島から輸入した銅であったと考えられています。

青銅器の原料となる銅や錫の地金は、最も重要な交易品の1つでした。
ミノス人たちはキプロス島などから銅を仕入れ、クレタ島各地に流通させるだけでなく、海外にも輸出していたことが知られています。


レクミラ墓に描かれたミノス人(前15世紀)
(Norman de Garis Davies 1935, Paintings from the Tomb of Rekh-mi-R ē ‘ at Thebes: Pl. III; V.)
※本展では展示しておりません。


レクミラは、エジプトのトトメス3世とアメンヘテプ2世に仕えた高官。
彼の墓には、クレタ島からエジプトに渡ってきたミノス人使節団が描かれています。
ミノス人が携えている品々の中に、牛皮形の銅塊が含まれているのにお気づきでしょうか。
日焼けした海の男が肩に担いでいますね。ちなみに、展示中の銅塊は25.7kgあります。

それから、ミノス人たちが履いているカラフルな靴。
このような靴がメソポタミアの王たちにも好まれていたことが知られています。
北メソポタミア(現在のシリア)の古代都市マリで出土した楔形文字史料には、マリの王が、バビロンのハンムラビ王にクレタ島製の靴を2足贈ったことが記されています(しかも、そのうち1足はサイズが合わなかったのか、返品されました)。
ハンムラビ王は「目には目を、歯に歯を」で有名なハンムラビ法典を残した王です。

ミノス文明の諸都市は、優れた製品を作り、各地に輸出しました。
エジプトや西アジアの遺跡で出土するミノス土器は、それ自体が付加価値のついた製品であるとともに、香油や軟膏といった高級コスメの容器であったようです。
また、ミノスの美術も各地で受容されました。
実は、ミノス様式のフレスコ画は、西アジアやエジプトの王宮址からも出土するのです。
ミノス人の壁画職人が各地の王に招かれ、壁画を描いたと考えられています(本展覧会では、クノッソス宮殿出土のフレスコ画や、テラ島で発掘された同時代のスレスコ画をご覧いただけます)。

このようにクレタ島でミノス文明が花開いた時代は、ギリシャの製品や美術が、初めて広範囲に広まった画期的な時代であったといえます。
ミノス文明の粋を示す選りすぐりの出土品は、展覧会第2章で展示されています!
お見逃しなく!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(東洋室研究員) at 2016年07月15日 (金)