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「インドの仏」の見どころ(1)~ダイナミックな仏教の変化~

ゴールデンウィークを迎え、特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」もいよいよ終盤にさしかかってきました。

平成館では特別展「鳥獣戯画―京都 高山寺の至宝―」が始まりましたが、高山寺中興の祖である鎌倉時代の明恵上人が望んでついに叶わなかったのが「天竺(インド)」行きでした。
しかし、800年を経て、図らずも明恵上人像とインドの仏教美術が時を同じくしてトーハクに揃うというのも何かの因縁でしょうか。
上人も果たせなかったインドの仏を、いともたやすく間近に見られる現代の私たちの幸せは如何ばかりかと!

「インドの仏」展の大きな特徴は、古代初期から後期密教までの千年を超える展開、そして周辺諸国に伝播した上座部仏教までを網羅する幅の広さでしょう。
ミャンマーの美術まで含めれば2千年近い歴史を一望できるわけです。
これだけの時代の間に仏教そのものも大きく変化していることは、展示からもよく感じ取っていただけていると思うのですが、ここではさらに興味深い例をご紹介してみましょう。

私たちはお寺で仏像を拝むのが当たり前、と思っていますが、インド古代初期のバールフットが造営された時代(前2世紀頃)には、ブッダを偶像表現する習慣はまだなかったことは、今回の展示でもご紹介しています。


法輪の礼拝
バールフット出土 シュンガ朝・紀元前2世紀頃
photograph(c)Indian Museum, Kolkata


仏教徒は法輪、樹木、足跡などさまざまな象徴物、そしてブッダの舎利をおさめたストゥーパ(仏塔)を通して、その存在を感じていたのです。
これだけでも目からウロコかも知れませんが、驚くことはまだあります。
悟りを開いたブッダに対して、修行を求めて修行するものを「菩薩」と言います。菩薩は釈迦の前生の呼称でもありますが、私たちにとっても観音菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩など身近にさまざまな菩薩の存在を感じる機会は間々あります(そうでない人もおられるかと思いますが、まあそこはゆるやかに)。
そうすると、菩薩というのもインドでごく初めから信仰されていたようについ思ってしまいがちです。

しかし、実はそうではないのです。

バールフット遺跡から出土したストゥーパの建築材には、さまざまな説話や華麗な蓮華文、動物文などが浮彫されているだけでなく、古代インドのブラーフミー文字を用いた数多くの銘文が刻まれています。

  
バールフットの浮彫彫刻に見られる文様

この銘文を読んでいくと、ブッダのことを指す「世尊=bhagavat」の語はみられるものの、「菩薩=bodhisattva」という言葉はどこにも記されていないのです。

つまり、バールフットには菩薩がいない!?

バールフットに「菩薩」の文字がみられない理由はいくつか考えられます。
たまたま菩薩という語を使用しなかったか、あるいは菩薩と書いた部分は既に散逸してしまった。
これに対して、当時まだ菩薩の語が存在しなかったとも考えられます。
その場合、菩薩の概念自体は形成されてきているが、まだそれがきちんと定義できるところまで熟成していない状況も想定されます。

ちょっと難しい話になってしまいましたが、少なくともバールフットから100年ほど経ったインドでは菩薩の存在はきっちりと認識され、古代の銘文にも「bodhisattva」の語が現れています。
つまり紀元前後頃のインド仏教にとてつもなく大きな変化が生じていたことになります。

今回の展示でも、ガンダーラのイケメンの弥勒菩薩をはじめとしてたくさんの菩薩像が勢ぞろいしています。


弥勒菩薩坐像
ロリアン・タンガイ出土 クシャーン朝・2世紀頃
photograph(c)Indian Museum, Kolkata


しかし、バールフットが造られた前2世紀頃には、こうした仏たちへの信仰ははっきりとした形で世に生まれていなかったのです。
バールフットのストゥーパをお詣りした仏教徒たちは、ブッダの舎利をおさめたストゥーパを前に、一体何を思い、祈ったのでしょう・・・?

このように、本展の作品には仏教の変化が色濃く投影されています。
作品をつぶさにご覧いただき、背景にあるダイナミックな仏教の変化を感じ取ってみてください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

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posted by 小泉惠英(企画課長) at 2015年05月01日 (金)