特別展「東福寺」その5 やっぱり東福寺は「ラスボス」だった!
特別展「東福寺」も5月7日(日)までと残すところあとわずか。
いよいよ閉幕までのカウントダウンとなりました。本展をご紹介するリレーブログも今回で最終回。
ここでは最後に、展覧会担当者として感じたことや気づいたことなどを総括してみたいと思います。
重要文化財 東福寺伽藍図 了庵桂悟賛
室町時代・永正2年(1505) 京都・東福寺蔵
中世の東福寺の景観を描いた唯一の絵画資料。ラスボス感満載の壮大な伽藍が活写されています。
本展を開催して改めて実感したのは、「やっぱり東福寺はラスボスだった!」ということ。
これまでも、私が本展を紹介する際には、ことあるごとに「東福寺はラスボスだ!」と豪語してきました。
その意は、今まで数多くの禅宗寺院展が開催されてきたなかで、東福寺が「最後に残された大物」であることに基づいた発言でした。
東福寺は、知る人ぞ知る、日本最大級の「禅宗美術の宝庫」。
東福寺展を開催することは、かねてより当館の念願でもあり、また禅宗美術を専門とする私にとっても夢のひとつでした。
なにゆえにこれまで展覧会が開催される機会がなかったかというと、東福寺では、所蔵する文化財の修理事業を長年にわたって継続実施してきたからにほかなりません。
本展の開催の契機となったのは、そのなかでも超ド級の大作というべき重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」の14年にわたる修理事業が、令和3年度にようやく完成したこと。
そのお披露目をかねた展覧会を開催する運びとなり、所蔵する文化財を一堂に集めた「オールアバウト東福寺」の本展が実現しました。
このように、展覧会の開催というものは、時機を得て初めて実現できるもの。私が本展を担当できたのも、そうした好機に恵まれたからだったといえます。

第3章「伝説の絵仏師・明兆」 重要文化財「五百羅漢図」の展示風景
すでに展示をご覧になった方には実感いただけるかと思いますが、東福寺には、破格ともいうべき膨大な数の文化財が伝来しています。
展示会場に足を運ぶと、ずらりと並んだ中世文物の質と量に圧倒されます。その様子はまさに国指定文化財のオンパレード。
重文、重文、また重文、国宝はさんでまた重文。と、思わず歌ってしまいそうなほどリズミカルに指定品が並んでいます。

第1章「東福寺の創建と円爾」展示風景
本展を紹介するにあたり、チラシやポスターでは羅漢たちにさまざまなセリフを語らせていますが、そのなかに「ハンパない展示じゃ」というひと言があります。はたして、展示品の一体どんなところがハンパないのでしょうか。
ここでは、東福寺がラスボスたる所以を兼ねて、単に指定品であることに留まらない、東福寺の文化財の「ハンパないポイント」を3つ挙げてみましょう。
(1)歴史的由緒がハンパない
もともと東福寺は、鎌倉時代前期に創建された京都屈指の古刹(こさつ)ですが、東山の南麓に位置するその立地も幸いして、京都中を焼け野原にした応仁の乱(1467~1477)による大被害を免れました。
この点が、中世文物の多くを火災で失ってしまった、他の京都の禅宗寺院との大きな違いといえます。そしてさらに、それらの由緒がきちんと記録として残されているのも東福寺のハンパないところ。
例えば師古(しこ)賛の重要文化財「無準師範像(ぶじゅんしばんぞう)」は、東福寺の開山である円爾(えんに)の師・無準の姿を半身で表した作ですが、正和5年(1316)に記された重要文化財「円爾遺物具足目録(えんにいぶつぐそくもくろく)」という資料に、「同御影一幅 半身」として記載されています。
ついでに言うと、4月2日(日)まで展示されていた自賛の国宝「無準師範像」も、同目録に「仏鑑禅師頂相 一幅 自賛」と記載されています。
このように東福寺では、南宋時代や鎌倉時代に遡る文物が、きちんと記録され、由緒付けられて伝来しているのです。

重要文化財 無準師範像 師古賛
中国 南宋時代・宝祐2年(1254) 京都・東福寺蔵
重要文化財 円爾遺物具足目録 奇山円然署判
鎌倉時代・正和5年(1316) 京都・東福寺蔵
上記の2作品は右から2行目に記されています。
(2)文化的影響力がハンパない
さらに、東福寺に集積された文物は、大きな文化的影響力も持っていました。
例えば、無準師範から円爾に贈られたといわれる国宝「禅院額字并牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)」は、禅寺内に掲げられる扁額や牌(告知板)の基となるお手本の書。
建仁寺や円覚寺をはじめ、全国各地の禅宗寺院にこの書体が広まっていったことを考えるだけでも、東福寺が中世文化の一大拠点だったことが理解されます。
さらに南北朝・室町時代には、明兆(みんちょう)が絵仏師として活躍し、彼が描いた仏画様式がそのまま時代様式として定着していきました。東福寺の文化的発信力は、想像以上にズバ抜けていたのです。

第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」 国宝「禅院額字并牌字」の展示風景
(3)スケール感がハンパない
そして何といっても、東福寺の文化財の最大の特質は、その圧倒的なスケール感にあります。
東福寺の代名詞である「伽藍面(がらんづら)」を象徴するように、とんでもない大きさの巨幅や巨像が伝来しています。残念ながら、明治14年(1881)の火災により、像高7.5メートルを誇る仏殿本尊は焼失してしまいましたが、その左手だけは救出され、本展でもその堂々とした偉容をご覧いただいています。
また、焼失した仏殿本尊の前に置かれたと考えられる前机(前卓)も、とにかくすさまじい大きさ。
その前に人が立つと、まるでガリバーの国に入り込んだかのようです。

第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」 「仏手」の展示風景

重要文化財 朱漆塗牡丹唐草文透彫前卓
南北朝時代・14世紀 京都・東福寺蔵
高さ171㎝、甲板は縦124.7㎝、横315㎝とこちらも特大サイズ。
というわけで、展覧会の総括を兼ねて、改めて東福寺の文化財の「ハンパないポイント」について述べてきました。
これらの文物が放つ、桁違いの迫力や巨大さは、実物の前に立ってこそ実感できるもの。
まだ展示をご覧になっていない方は、ぜひ足をお運びいただくことをお勧めいたします。
禅宗寺院最後の大物、東福寺の圧倒的なパワーとスケールを体感いただけるはずです。
最後にもう一度言いましょう。
やっぱり東福寺はラスボスだった!
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posted by 高橋 真作(特別展室研究員) at 2023年05月04日 (木)
書跡担当研究員の六人部克典です。
特別展「東福寺」は閉幕まであと約1週間(~5月7日(日))、本展をご紹介するリレーブログも予告編含め5本目となりました。
前回までは絵画・彫刻の展示作品を中心に、その魅力や展覧会の舞台裏をお伝えしてきました。
「何か足りない…」と思われた書跡愛好者の皆さま、ご安心ください。
本展では数々の魅力的な書が展示されています。
日中の名だたる禅僧の書(墨跡)をはじめ、東福寺開山・円爾(えんに・1202~80)と門弟たちが中国より将来した稀少な典籍や石碑の拓本など、東福寺とその塔頭はまさに「書の宝庫」と言っても過言ではありません。
なかでも重要文化財「円爾号・円尓号(えんにごう)」や修行大成の証である国宝「円爾宛印可状(えんにあていんかじょう)」、伽藍を飾る扁額(へんがく)・牌(はい)の手本用の書である国宝「禅院額字幷牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)」など、師の無準師範(ぶじゅんしばん・1177~1249)が円爾に授けた一群の墨跡は、東福寺にとっても、禅宗の歴史においてもたいへん重要な書です。

重要文化財 円尓号 無準師範筆
中国 南宋時代・13世紀 京都・東福寺蔵

国宝 円爾宛印可状 無準師範筆
中国 南宋時代・嘉熙元年(1237) 京都・東福寺蔵

国宝 禅院額字幷牌字のうち普門院 無準師範筆
中国 南宋時代・13世紀 京都・東福寺蔵
そして、円爾や孫弟子の東福寺28世・大道一以(だいどういちい・1292~1370)ら師僧が、死を前にして弟子たちに書き遺した「遺偈(ゆいげ)」があります。
「遺偈」は求道に徹した筆者の生涯を物語るとともに、その最期を臨場感たっぷりに伝える、観る者の心に触れる特別な書です。

重要文化財 遺偈 円爾筆
鎌倉時代・弘安3年(1280) 京都・東福寺蔵

遺偈 大道一以筆
南北朝時代・応安3年(1370) 京都・永明院蔵
これらは東福寺に関する書のなかでも、名の知れた代表格と言えるでしょう。でも、それだけではありません。
本展では今まであまり知られてこなかった、展覧会初出品の「書?」もあります。
「書?」とはどういうこと?と思われた皆さま、ご安心ください。
まずはこちらをご覧ください。

虎 一大字 虎関師錬筆
鎌倉~南北朝時代・14世紀 京都・霊源院蔵
皆さまは何に見えますでしょうか?
もはや書なのか絵なのかわかりません。
墨で写された正体不明の何かがそこにいるようですが、、、
インパクト絶大なこの造形を初めて見たとき、私は「カメレオン!!!」と叫びました(お寺様での事前調査でしたので、もちろん心の中で)。。。
実はこちらのお方、虎なんです。
「虎」の一字が大きく書写されていると考えられています。その名も「虎 一大字」。
掛け軸に仕立てられており、裏面には後世に記された「虎之字 開山真跡 海蔵院」の墨書があります。
このことから、円爾の孫弟子にして東福寺15世の虎関師錬(こかんしれん・1278~1346)が書いた「虎」の字として、虎関が開き晩年に退隠した海蔵院(かいぞういん・東福寺塔頭)にかつて伝わったことがわかります。
現在は、虎関の孫弟子にあたる東福寺62世の在先希譲(ざいせんきじょう・1335~1403)が開いた霊源院(れいげんいん・東福寺塔頭)のご所蔵です。
実際に筆跡をたどってみると、確かに「虎」の字のような、、、
ですが、篆書(てんしょ)など各種の書体に作例を求めても、このような字形は見当たりません。
おそらく虎関は心のままに筆を走らせたのでしょう。
それも自らの号にある「虎」の字を。何やら意味深そうな。。。
細部はどうでしょうか。

ツノかトサカ(!?)のようにも見える部分は、篆書のような芯の通った線。

頭から顔のような部分は小刻みに筆を進め、鼻・口・目を緩急自在に一筆で。
アゴは逆筆気味に筆を入れて突き出すように。

足はドッシリとした重厚な線で座っているかのように。
そして、丸みのある背中から逆立つシッポまでを、速さを変えてカスレを出しつつ一筆で。
やはり書なのか絵なのかわかりません(2回目)。
「虎」の字が虎関の号にあることを思い合わせると、坐禅する虎関自身の肖像にも見えてくるかもしれません。
あたかも虎関が「これは何や?」と問いかけて、「あなたの心、そのものや」と諭しているようにも思われます。
もしそうであるならば、自らの心を知り、悟りを開くという禅の教えを表現しているのかもしれません。
いずれにしましても、こちらのお方が書としても見事であることは確かです。
さらっと書いているようですが、様々な筆使いにより、効果的な線を紙面にバランスよく配し、存在感あふれる「虎」という何かを生み出しています。
しかもためらいなく自然に。筆者の技量の高さが窺えます。
日本仏教の歴史書『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』の編纂など、学問に優れた虎関師錬は書の達人でもあり、一般的には中国・北宋の書家・黄庭堅(こうていけん・1045~1105)を学んだ洗練された端整な書風で知られます。
重要文化財 元亨釈書のうち巻第十(部分) 虎関師錬筆
南北朝時代・14世紀 京都・東福寺蔵
そんな虎関の怪作「虎 一大字」は、知られざる名品と言ってよいでしょう。
この機会に、絵画・彫刻・工芸などとともに、東福寺とその塔頭が誇る素晴らしき書の数々をご堪能いただけますと幸いです。
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posted by 六人部 克典(東洋室研究員) at 2023年05月02日 (火)
開幕から約40日、特別展「東福寺」はいよいよ会期大詰めです。
多くの雑誌やテレビ番組でも紹介されている圧巻の展覧会。
1089ブログでは、すでに展覧会にお越しいただいた方にはうなずきながら、 まだご覧いただいていない方には身を乗り出して読んでいただけるよう、今後本展に携わった各分野の研究員たちがこの展覧会の知られざるみどころを直接お伝えします。

特別展「東福寺」(東京会場)チラシ表面 制作:ライブアートブックス
さてその前に…本展のポスター・チラシを見かけたことはありますか?
今回の展覧会で多くのご寺宝を公開くださった慧日山 東福寺(えにちさん とうふくじ)は京都を代表する禅寺のひとつ。巨大な建造物の数々を誇る歴史ある大寺院です。
「そんな大禅宗寺院の展覧会とあらば、さぞチラシのビジュアルも厳かなはず……いや、なんだこのポップなデザインは…!」そう驚いた方も多いのでは…。
コンペを通して選ばれたデザイン案をもとに関係者一同でブラッシュアップしたこのビジュアルには、実は展覧会の内容にリンクする様々な意味が込められています。
今回はその要素を紐解きながら、「予告編」として展示会場の様子を少しだけご紹介します。
(1)ビビットな色使い、本当に禅宗美術の展覧会?
さて、このビジュアル。まず目をひくのは鮮やかな色と大きな背景効果。
従来の「禅」のイメージとは少し違うのではないでしょうか。
実はここにひとつめの要素。
東福寺の開山・円爾(えんに・1202~1280)は嘉禎元年(1235)に海を渡り、南宋禅宗界のスーパースター・無準師範(ぶじゅんしばん・1177~1249)に師事。
帰国後、時の権力者・九条道家(くじょうみちいえ・1193~1252)に招かれ東福寺を開きます。
以来、円爾とその弟子達は中国仏教界とも太いパイプを持ち、対外交流を深める中でさまざまな海外の文物が東福寺にもたらされました。
そうした今でこそ禅宗文化の基軸となった文物も、当時は大きな驚きをもって迎え入れられたはず。
今回の展覧会ではそんな「衝撃」もお伝えできればと、広報物の段階からビビットな色使い、まるで効果音が出てきそうなインパクトある背景を採用しました。

左手前:重要文化財 円爾像 自賛
鎌倉時代 弘安2年(1279) 京都・万寿寺蔵
右奥 :重要文化財 無準師範像 師古賛
中国・南宋時代 宝祐2年(1254) 京都・東福寺蔵
展覧会第1会場入り口には師弟の肖像が並びます。
第1章「東福寺の創建と円爾」、第2章「聖一派の形成と展開」では師の無準師範から円爾、そして「聖一派(しょういちは)」と呼ばれた弟子たちを、ゆかりの禅宗美術の優品を通してご紹介。
同じく第4章「禅宗文化と海外交流」では、海外交流の一大拠点として発展した東福寺に集積された文物の数々をご覧いただけます。
禅宗をはじめとする日本仏教界、そして日本文化にも多くの影響を与えた、東福寺の驚くべき存在の大きさをご堪能ください。
(2) 多彩な衣装を身にまとう羅漢たち、伝説の絵仏師 若き日の代表作
続いて目に留まるのは何かを見上げて拝んだり、霊獣を乗りこなすお坊さんたちの姿。
このデザインの主役ともいえる、個性豊かで細部まで描きこまれた羅漢(らかん・釈迦の弟子で、仏教修行の最高段階に達したもの)たちです。
画像のもととなった重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」を描いたのは、東福寺を拠点に活躍し、「画聖」とも崇められた絵仏師・吉山明兆(きっさんみんちょう・1352~1431)。
同作品は東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が伝わり、14年に渡る修理事業後、本展で初めて現存全幅を公開しています。

重要文化財 五百羅漢図 吉山明兆筆
南北朝時代・至徳3年(1386) 京都・東福寺蔵
展示風景(現在は第31~45号幅を展示中)
今にも動き出しそうな羅漢たち、各幅に描き分けられた50もの場面はひとつひとつが物語性を帯びています。
ビジュアルではその画力と「五百羅漢」という魅力的な画題を前面に押しだして、コミカルな(担当研究員がひねり出した)コメントも挿入。
絵画から飛び出した羅漢たちが、皆様を「明兆ワールド」へといざないます。
さらに展示室ではそんな羅漢たちが語りだすような、作品の躍動感を活かした特別な解説パネルも…。
この他にも第3章では「伝説の絵仏師・明兆」の大作がところ狭しと並びます。
その魅力の真髄についてはまたじっくりと。
(3)キャッチコピーに偽りなし!「圧倒的スケール、すべてが規格外。」
この展覧会・東京会場のキャッチコピーは言葉そのまま誇張無し。
巨大伽藍にふさわしい、まさに「圧倒的」な「スケール」感の作品が一度に並びます。
絵画作品も、書跡作品も、そして彫刻作品も、「すべてが」想像を超える「規格外」の大きさと迫力。
特に第5章「巨大伽藍と仏教彫刻」では特別な空間構成で皆様をお迎えします。
キャッチコピーに負けない、大迫力の「圧倒的スケール、すべてが規格外。」を是非会場で体感してください。

仏手 東福寺旧本尊
鎌倉~南北朝時代 14世紀 京都・東福寺蔵
展覧会初出品。焼失した東福寺旧本尊の左手。その大きさはなんと2メートル以上!
これまでの禅宗美術の展覧会とはまた一味違った角度から、その魅力に迫る特別展「東福寺」。
チラシのオモテから辿るだけではもったいない、その壮大さを展覧会会場で味わえるのは5月7日(日)まで。
この機会に、ビジュアル背景色に採用した緑も映える、新緑の上野・東京国立博物館へお出かけください。
(注)展示作品および展示替え情報については、作品リスト(PDF)をご覧ください。
特別展「東福寺」作品リストを開く
(注)本展は事前予約不要です。混雑時は⼊場をお待ちいただく可能性があります。
(注)チケットの販売は展覧会公式サイトよりご確認ください。

特別展「東福寺」東京会場:東京国立博物館 平成館
桜の季節は過ぎましたが、会場までの順路を鮮やかな若葉が彩ります。
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posted by 中束 達矢(広報室) at 2023年04月20日 (木)
永和9年(353)3月3日、王羲之が風光明媚な蘭亭に名士41人を招いて開催した曲水の宴は、北宋時代の李公麟(りこうりん)が描いた蘭亭図に基づいて、蘭亭序にまつわる諸資料を加えた蘭亭図巻が作られました。1780年、清の乾隆帝(けんりゅうてい)が明時代の拓本に拠って作らせた蘭亭図巻には、11人が2篇の詩を、15人が1篇の詩を賦し、16人は詩を賦さず、罰として大きな杯に3杯の酒を飲まされた、と注記しています。

蘭亭図巻(乾隆本)(らんていずかん けんりゅうぼん)(部分)
原跡=王羲之他筆
清時代 乾隆45年(1780) 林宗毅氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】
王羲之の上には2篇の詩が刻されていますが、実際には6篇の詩を書いたことが、唐の『右軍書記(ゆうぐんしょき)』等の諸文献から分かります。孫綽(そんしゃく)が記した詩集の後序に拠ると、曲水の宴で作られた詩は多く、全ては詩集に載せなかったようです。酔いが回ると筆は進みますが、後で読み返すと、冷や汗が出る内容であったりするものです。

蘭亭図巻(乾隆本)(部分)
曲水の両岸に陣取る名士たちを見ると、鼻を赤らめた后綿(こうめん)は、どうやら酩酊してぐっすり寝入っているご様子。

蘭亭図巻(乾隆本)(部分)
一方、虞説(ぐえつ)は今し方書き終えた詩稿を手に持って、声高らかに朗読し、お隣の呂系(りょけい)は片膝を立て、耳を傾けて聞き入っています。

蘭亭図巻(乾隆本)(部分)
足下に飲み干した杯を置く楊模(ようも)は、気持ちよさそうに踊っています。42人のパリピが参加した曲水の宴は、後世に大きな影響を与えました。

蘭亭図巻(乾隆本)(部分)
日本における曲水の宴は、『日本書紀(にほんしょき)』に拠ると、顕宗天皇元年(485)3月上巳を筆頭に、486年、487年、691年に開催されたと伝えますが、信憑性には疑問符が付されています。
一方、『聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)』では、推古天皇28年(620)3月上巳に、太子が奏して「今日は漢家の天子が飲を賜う日であるぞよ」とのたまい、大臣以下を召して、曲水の宴を開催。諸藩の大徳(冠位十二階の第一番目の位)ならびに漢と百済の文士たちに詩を作らせ、禄を賜りました。日中韓のにぎにぎしいパーティーは、聖徳太子絵伝にも描かれています。

国宝 聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)(部分)
秦致貞(はたのちてい)筆 平安時代・延久元年(1069)
【法隆寺宝物館の「デジタル法隆寺宝物館」で、8K高精細画像と複製を7月30日(日)まで展示】
『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、文武5年(701)から延暦6年(787)まで15回にわたって開催されたものの、延暦9年(790)に故あって停止され、寛平2年(890)3月3日に再開されました。
源高明(みなもとのたかあきら)の『西宮記(さいきゅうき)』には、曲水の宴の式次第が記されています。その内訳は、(1)天皇出御、(2)王卿が参上し、(3)紙・筆が置かれ、(4)詩題が献上され、(5)三献して、(6)音楽が流れ、(7)身分の低い者から披講し、最後に(8)禄を賜る、という流れでした。
平安時代の中期に、パリピの帝王として君臨したのが藤原道長(ふじわらのみちなが)でした。道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には、曲水の宴をはじめとする数々のパーティーが記録されています。とりわけ、長保年間から寛弘年間にかけては、タガが外れたように頻繁に開催しています。王羲之が開催した曲水の宴は、時空を隔てた道長の時代にも受け継がれ、道長の部下であった藤原行成(ふじわらのゆきなり)らによって、世界に誇るべきかな表現も最高峰に到達したのでした。

重要文化財 高野切第三種(こうやぎれだいさんしゅ)(部分)
伝紀貫之筆 平安時代 11世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で4月23日(日)まで展示】
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posted by 富田淳(東京国立博物館副館長) at 2023年04月18日 (火)
台東区立書道博物館(以下「書道博」)の鍋島稲子です。
東京国立博物館(以下「東博」)と書道博の両館で開催中の連携企画「王羲之と蘭亭序」は、早くも残すところ約1ヶ月となりました。
東博の植松瑞希さんから流れてきた觴(さかずき)が、目の前を通り過ぎる前にブログを書かないと、罰として大きな觴に三杯の酒を飲まされるかもしれない、ハラハラ&ドキドキリレーの1089ブログ!
わたしからは、今回展示の作品中、国宝に指定されている「世説新書巻第六残巻」(せせつしんじょかんだいろくざんかん)についてお話しをしたいと思います。
『世説新語』とは、後漢時代の末から東晋時代(2~4世紀)にかけて活躍した、640人余りの名士の逸話集であり、いいことわるいこと、あることないことが書かれた、今でいうところのゴシップ誌ネタのようなものです。
南朝宋の劉羲慶(りゅうぎけい)が編纂し、梁の劉孝標(りゅうこうひょう)が注を付しました。
都合1120話が収録され、王羲之にまつわるエピソードは45話あります。
その中に蘭亭序の話も含まれ、『世説新語』は、蘭亭序の記述がある最古の文献としても知られています。
王羲之は、自分の書いた「蘭亭序」が、西晋の貴族であった石崇(せきすう)が詩会の雅宴で作った詩集の序文「金谷詩序」(きんこくしじょ)に匹敵するほどの文章だと、ある人がほめてくれたので、とてもうれしそうだった。
『世説新語』企羨(きせん)第16より
王羲之のほほえましいエピソードですね。
そうかと思えば、仲の良かった友人が亡くなると、手のひらを返したように故人の悪口を言ったり、気に食わない奴を無視したりバカにしたりと、王羲之のブラックな部分も描かれています。
清談好きな貴族たちの人間味あふれる姿が映し出された『世説新語』は、王羲之とその時代背景を知る格好の資料であり、読み物としても楽しい内容です。

国宝 世説新書巻第六残巻-規箴・捷悟(きしん・しょうご)-(部分)
唐時代・7世紀 京都国立博物館蔵
【書道博で3月26日(日)まで展示】
親友の王敬仁(おうけいじん)と許玄度(きょげんど)が亡くなると、王羲之は彼らを手厳しく論じたので、孔巌(こうがん)がこれをいさめ、王羲之は自分を恥じた、というお話。
さて、日本には唐時代に書写された最古の『世説新語』が現存します。
巻末に「世説新書巻第六」と書かれていることから、唐時代には『世説新書』と呼ばれていたことがわかります。
「世説新書巻第六」は、明治時代の初期に西村兼文(にしむらかねふみ)が東寺で発見し、所蔵していました。
京都に住む文人の山添快堂(やまぞえかいどう)、北村文石(きたむらぶんせき)、山田永年(やまだえいねん)、森川清蔭(もりかわきよかげ)、神田香巌(かんだこうがん)は古写本に精しく、ぜひみんなで見にいこうと兼文を訪ねます。
現物を目の当たりにした時、清蔭が色めき立ち、ゆずってくれと言い出しました。
他の4人も欲しがり、ついには口論となったため、兼文は困り果て、しかたなく5人にゆずることにしました。
5人はこれを携え、帰りしなに旗亭へ立ち寄り、酒の席で「世説新語巻第六」1巻を5つに裁断し、くじ引きで各々1つ獲りました。
飲み終わると、みんな大笑いしながら家に帰りました。
この時、5分割された「世説新書巻第六」ですが、後に2つの残巻が1つに接合され、現在は4つの残巻が伝わっています。
東博所蔵の残巻には、尾題の「世説新書巻第六」や、旧蔵者の署名「杲宝」(ごうほう)の右半分が残っています。
本文の後にある神田香巌の跋文によると、杲宝は東寺観智院の開祖で、『本朝高僧伝』に見えると記されています。

国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽(ごうそう)-(巻頭部分)
唐時代・7世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で3月28日(火)~4月23日(日)展示】

国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽-(巻末部分)
唐時代・7世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で3月28日(火)~4月23日(日)展示】
昨年、東博で開催の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」でも展示されました!
また紙背には、平安後期に書写された「金剛頂蓮花部心念誦儀軌」(こんごうちょうれんげぶしんねんじゅぎき)があり、平安時代にはすでに日本に伝わっていたこともわかります。

[参考]
国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽-(紙背部分) 金剛頂蓮花部心念誦儀軌
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも紙背の展示はありません。
そしてなによりも、この作品のすばらしさは、唐時代に完成した楷書の字姿を肉筆で見ることができる点にあります。
美しく力強い筆勢で書かれ、理知的で典雅な響きを持つ「世説新書巻第六」は、日本にのみ現存する、まさに国宝の威厳と風格を備えた、唐時代7世紀の写本の傑作です。
会期中、残巻を書道博で順番に展示していますので、お見逃しなく!
「王羲之と蘭亭序」余話、ここだけのヒ・ミ・ツ
●平成館で開催中の特別展「東福寺」(~5月7日(日))では、国宝「太平御覧」(たいへいぎょらん/京都・東福寺蔵)の第75冊において、王羲之の書論と伝わる部分を4月9日(日)まで展示中!
●東洋館9室「中国の漆工」では、「蘭亭曲水宴堆朱長方形箱」(らんていきょくすいのえんついしゅちょうほうけいばこ)を4月2日(日)まで展示中!
東博館内で、王羲之や蘭亭序にまつわる作品をぜひ探してみてください!
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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館主任研究員) at 2023年03月24日 (金)