東福寺 三門
東福寺
東福寺は、鎌倉時代前期に摂政・関白を務めた九条道家(くじょうみちいえ)が、奈良の東大寺と興福寺とを合わせたような大寺院の創建を発願し、開山として円爾(聖一国師)(えんに(しょういちこくし))を招いて建立した禅宗寺院です。後世「伽藍面(がらんづら)」と称されるほど我が国随一の巨大伽藍を誇り、多くの弟子を育成しました。
南北朝時代には京都五山の第四に列し、本山東福寺とその塔頭(たっちゅう)には中国伝来の文物をはじめ、建造物や彫刻・絵画・書跡など禅宗文化を物語る多くの特色ある文化財が伝えられています。
国指定を受けている文化財の数は、本山東福寺・塔頭合わせて国宝7件、重要文化財98件、合計105件におよびます。そのうち東福寺所属の絵仏師・吉山明兆(きっさんみんちょう)は大部の禅宗画を数多く描き、代表作に近年大修理の完成した重要文化財「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」があります。
展覧会のみどころ
第1章 東福寺の創建と円爾
嘉禎元年(1235)、円爾(1202~80)は海を渡り、南宋禅宗界の重鎮である無準師範(ぶじゅんしばん、1177~1249)に師事します。帰国後は博多に承天寺(じょうてんじ)を建立。その後九条道家(くじょうみちいえ)の知遇を得て京都に巨刹、東福寺を開きました。以来、寺は災厄に耐えて古文書や書跡、典籍、肖像画など無準や円爾ゆかりの数多の宝物を守り継いできました。それらは13世紀の東アジアの禅宗と日中交流の実情を窺わせる、質量ともに類をみない文物群で、今日、東福寺を中世禅宗文化最大の殿堂たらしめています。
国宝 無準師範像
自賛 中国 南宋時代・嘉熙2年(1238) 京都・東福寺蔵
展示期間:2023年3月7日(火)〜4月2日(日)
南宋禅宗界きっての高僧で、円爾の参禅の師である無準師範の肖像。無準が自ら賛を書いて円爾へと付与した作で、中国から日本へと禅の法脈が受け継がれたことを象徴する。迫真的な面貌表現は南宋肖像画の高い水準を示す。
重要文化財 遺偈
円爾筆 鎌倉時代・弘安3年(1280) 京都・東福寺蔵
展示期間:2023年4月4日(火)~5月7日(日)
円爾が臨終に書き遺した四言四句よりなる詩。衆生(しゅじょう)の利益(りやく)を念じて精進した79年、禅の真理は仏も祖師も伝えず自ら体得するものと、仏道に捧げた生涯を顧みる。渾身の気力を注いだこの筆跡は、日本に残る最古級の遺偈としても貴重である。
第2章 聖一派の形成と展開
円爾の法を伝える後継者たちを聖一派(しょういちは)と呼びます。円爾は禅のみならず天台密教(てんだいみっきょう)にも精通し、初期の聖一派の僧たちも密教をよく学んでいました。また彼らはしばしば中国に渡り、大陸の禅風や膨大な知識、文物を持ち帰りました。東福寺周辺には彼らの書や、面影を伝える肖像画や彫刻、袈裟などの所用品が多数現存し、いずれも禅宗美術の優品ぞろいです。聖一派は国際性豊かで好学の気風が強く、名僧を多く輩出し、禅宗界で重きをなしました。
重要文化財 癡兀大慧像
鎌倉時代・正安3年(1301) 京都・願成寺蔵
展示期間:2023年3月7日(火)~4月2日(日)
癡兀大慧(ちこつだいえ、1229~1312)は、もと天台僧。円爾に法論を挑んだが、その徳に圧倒されて弟子となった。本像は73歳の折の肖像画で、目も見開きにらむ顔が迫力満点である。中世の肖像表現の白眉であり、畏怖にみちた禅風をしのばせる。
虎 一大字
虎関師錬(こかんしれん)筆 鎌倉~南北朝時代・14世紀 京都・霊源院蔵
展示期間:通期展示
円爾の孫弟子で、東福寺第15代住職・虎関師錬(1278~1346)の書と伝える。漢詩文や書にも優れた当代きっての学僧が、これは何かと問いかけているようだ。文字や絵か、座した虎か怪物か、はたまた座禅する虎関自身の肖像か。
第3章 伝説の絵仏師・明兆
吉山明兆(きっさんみんちょう、1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師です。 江戸時代までは雪舟とも並び称されるほどに高名な画人でした。寺内で仏殿の荘厳(しょうごん)などを行う殿司(でんす)職を務めたことから、「兆殿司(ちょうでんす)」とも通称されます。中国将来の仏画作品に学びながらも、冴えわたる水墨の技と鮮やかな極彩色とにより平明な画風を築き上げ、巨大な伽藍にふさわしい巨幅や連幅を数多く手掛けました。 本章では、東福寺および塔頭に伝蔵される明兆の代表作をご覧いただきます。
重要文化財 五百羅漢図のうち
吉山明兆筆 南北朝時代・至徳3年(1386) 京都・東福寺蔵
(左)第1号幅 展示期間:2023年3月7日(火)〜3月27日(月)
(中)第20号幅 展示期間:2023年3月28日(火)〜4月16日(日)
(右)第40号幅 展示期間:2023年4月18日(火)〜5月7日(日)
(上)第1号幅 展示期間:2023年3月7日(火)〜3月27日(月)
(中)第20号幅 展示期間:2023年3月28日(火)〜4月16日(日)
(下)第40号幅 展示期間:2023年4月18日(火)〜5月7日(日)
水墨と極彩色とが見事に調和した、若き明兆の代表作。1幅に10人の羅漢を表わし50幅本として描かれた作で、東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が現存する。東福寺の伽藍再興運動のなか、至徳3年(1386)に完成したことが記録により判明する基準作としてもきわめて貴重である。14年に渡る修理事業後、本展で初めて全幅が公開される。
重要文化財 白衣観音図
吉山明兆筆 室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:2023年4月11日(火)~5月7日(日)
明兆は巨幅や連幅を数多く描いたが、そのなかでも本作の巨大さは圧倒的である。もとは法堂(はっとう)の壁面に貼られていたとも考えられる作で、筆勢あふれるダイナミックな描写には明兆の非凡な画力が遺憾なく発揮されている。
高さは326.1センチメートル。
重要文化財 達磨・蝦蟇鉄拐図
吉山明兆筆 室町時代・15世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:2023年3月7日(火)~4月9日(日)
明兆画を代表する優品。中央の達磨はシンメトリックな構成美と緻密な陰影描写、江戸絵画を先取りしたような明るく伸びやかな筆さばきが印象深い。ユーモラスな左右の蝦蟇・鉄拐図は中国絵画の名品を模写したものである。
第4章 禅宗文化と海外交流
中国で禅を学んだ円爾は、帰朝に際して数多くの仏教文物を将来しました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も継続し、さらにそうした対外交流のネットワークは、円爾の弟子に連なる聖一派の禅僧たちにも受け継がれていきます。彼らは外交や貿易にも積極的に携わり、その後の禅宗文化の基軸となるさまざまな文物が東福寺に集積されていきました。海外交流の一大拠点として発展した東福寺は、日本の文化史上においても重要な役割を果たしたのです。
国宝 太平御覧
李昉(りぼう)等編 中国 南宋時代・12~13世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:通期展示(ただし、冊替えあり)
北宋2代皇帝太宗(たいそう)の勅命で李昉ら文臣が編纂した1000巻よりなる類書(るいしょ、百科事典)。この南宋版は、円爾が宋から将来したと伝わる。宋王朝の知を結集した本作のように、円爾は禅宗に付随して様々な中国文化をもたらした。
十六羅漢図
中国 明時代・15~16世紀 京都・永明院蔵
展示期間:2023年3月7日(火)~4月9日(日)
十六羅漢は、釈迦の命を受けて永くこの世に留まり、仏の教えを守り伝える役目を負った16人の仏弟子のこと。奇怪でありながらもコミカルな表情を示す羅漢たちは、まるで漫画のようだ。洗練された美しい描線にも注目したい。
第5章 巨大伽藍と仏教彫刻
東大寺と興福寺の名に由来する東福寺の壮大な規模は、京都東山にそびえる巨大伽藍と尊像等の仏教彫刻に象徴されます。創建当初は宋風の七堂伽藍に、仏殿本尊の釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)をはじめとした巨大群像が安置され、「新大仏寺」とも称されました。その後、度重なる災禍に遭いながらも復興を遂げてきた東福寺には、歴代の再建あるいは塔頭伝来にかかる禅宗建築や彫刻、また関連する書画が現存し、「伽藍面」と称されてきた壮観を今に留めます。
重要文化財 東福寺伽藍図
了庵桂悟(りょうあんけいご)賛 室町時代・永正2年(1505) 京都・東福寺蔵
展示期間:2023年4月11日(火)~5月7日(日)
東福寺の全景を詳細に描く東福寺最古の絵画遺品。伽藍の方位や配置を伝える絵図として作られたものだが、通天橋や紅葉を含む山内の景勝が一流の水墨画人の手で表されており、中世の実景山水図の代表作ともみなされている。
国宝 禅院額字幷牌字のうち方丈
張即之(ちょうそくし)筆 中国 南宋時代・13世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:2022年3月7日(火)~4月9日(日)
円爾が博多の承天寺を開堂した際に、無準師範が贈った一群の額字・牌字(はいじ)。堂舎に掛ける扁額や牌(行事等の告知板)の、手本用の書である。無準と南宋の能書の張即之が筆者とされ、各地の禅院にこの雄渾の書風が広まった。
四天王立像のうち多聞天立像
鎌倉時代・13世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:通期展示
法堂本尊の釈迦如来を守護する四天王のうち、北方をまもる多聞天像。この四天王は現本尊とともに、三聖寺(さんしょうじ)から移されたもの。他の3像は鎌倉時代後半頃の作だが、本像のみ鎌倉時代前半のもので、きわめて運慶風が強い。
重要文化財 迦葉・阿難立像
鎌倉時代・13世紀 京都・東福寺蔵
(右)迦葉、(左)阿難 展示期間:どちらも通期展示
東福寺仏殿兼法堂本尊の脇侍。江戸時代までは三聖寺にあった。三聖寺は東福寺第2代住職東山湛照(とうざんたんしょう、1231~91)が13世紀後半、禅宗寺院として整備した寺。阿難・迦葉像はその時期の作であり、京都の禅宗寺院の創建当初の像として貴重。
仏手
鎌倉~南北朝時代・14世紀 京都・東福寺蔵
展示期間:通期展示
この手は明治14年(1881)に焼失した、東福寺旧本尊の巨大さをしのべる数少ない遺例。九条道家によって創建された当初の本尊は、建長7年(1255)までに完成したが約70年後に焼失。この仏手はその後に再興された像の左手。
高さは217.5センチメートル