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仁和寺の観音堂内部を再現!

現在開催中の特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」(3月11日(日)まで)では、普段は非公開の仁和寺観音堂の堂内を再現したコーナーがあります。まるで本物のお堂のなかにいるかのような臨場感があり、仁和寺のお坊さんも驚きのクオリティー。たしかに、見れば、本物か?と、思わず柱に触りたくなってしまいます。触ってはいけません。でも、写真撮り放題の大判ぶるまいです。


観音堂内部の再現(第四章 仁和寺の江戸再興と観音堂)

観音堂は、もともと観音院といい、創建は平安時代にさかのぼりますが、現在のお堂は江戸時代初期に再興されたものです。現在、修行道場として用いられています。


観音堂外観

ご本尊は千手観音菩薩立像。観音さまは、33通りの姿かたちに変身(三十三応現身)して、地獄に落ちた人々までも救うミラクルなパワーをもっており、古くより人々に絶大な人気を誇ってきました。ご本尊のまわりに脇侍として不動明王立像と降三世明王立像、そして千手観音立像に付き従う二十八部衆像と風神・雷神像が並ぶ様は、まさに圧巻です。

お像には鮮やかに彩色が残っていることから、レプリカ!?と思われる方もいらっしゃるようですが、正真正銘の本物です。観音堂の完成と同時期の作とみられます。彩色をしたのは、観音堂の壁画を描いた木村徳応という絵仏師でした。徳応については、以下にふれます。


壁画は高精細デジタルスキャナで取得した画像です。照明の明るさと照合させて、描かれた尊像が映える紙に印刷されています。壁画の正面に描かれるのは、観音の聖地で説法をする観音とその33の応現身。


須弥壇正面の壁画 部分。補陀落山で説法をする観音菩薩を中心に、そのまわりに観音の三十三応現身の一部が見えます 



裏側の下段には、六道という、人が生前の行いによっておもむく6種の世界が描かれており(地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天上道)、その上には、それぞれの道に堕ちた人の救済を担当してくれる観音菩薩が描かれています。



六道のうち畜生道


亡者の生前の行いを映し出す浄玻璃の鏡。獄卒に鏡の前に引き立てられた亡者は、鏡のなかに、殺生をする自分自身の姿を見ることになってしまいます


六道のうちの地獄道。紅蓮の炎に包まれる地獄の大釜とそこに落とされようとしている人々

内陣を取り巻く板壁にも、『法華経』という日本でもっともポピュラーな経典にもとづいて、観音の救済場面が細かに描き出されています。


観音堂内陣の壁画

これらの壁画を描いたのは、近年注目を集めている木村徳応という絵仏師です。生年は文禄2年(1593)と考えられており、少なくとも75歳ごろまで活動していたことが知られています。当時の記録にも「仏画をよくし、諸宗の祖師像をよく写す。諸山に多く蔵せり。仏画師中の健筆たり」と評されており、江戸時代前期、京都を中心に、宗派を問わずさまざまな寺院で活躍していました。


徳応は、京都の黄檗宗万福寺に所蔵される涅槃図や寺を開いた隠元禅師の肖像画、万福寺にほど近い浄土宗平等院の十一面観音厨子扉絵など、仏画や肖像画を多く描いていたことが知られています。仁和寺の観音堂の大画面壁画は、徳応50代前半ごろの大作です。現在知られるなかでは徳応の画業のなかでも特筆すべき大作ですが、観音堂が非公開ということもあり、これまであまり知られていませんでした。

観音堂壁画に見る徳応の描線は、筆の入りに打ち込みがあって力強く、非常に明快な印象を受けます。彼の若い時期の作品に共通するものと言えるようです。


この知られざる江戸仏画にも、ぜひご注目ください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2017年度の特別展

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posted by 皿井舞(絵画・彫刻室主任研究員) at 2018年02月01日 (木)