国宝 檜図屏風が、装い新たに展示されています。
平成23年1月の「本館リニューアル記念 特別公開」で展示されて以来、4年ぶりの公開になります。
その間に1年半に及ぶ修理が行われ、それまでの8曲1隻の屏風から4曲1双の屏風に形式も改められました。
国宝 檜図屏風 狩野永徳筆 安土桃山時代・天正18年(1590) (左:修理前、右:修理後)
修理前は幹から左に伸びる大枝が屏風の中央部分で大きくズレ、繋がりの悪い印象がありました。
「檜図屏風」には、画中に襖の引手跡があり、もと襖であったことが知られています。屏風の中央部分は、襖から屏風へ改装される際に切り詰められ、そのために図が不連続になっていたのです。
今回の修理では、もとの襖の形態を考慮して改装が行われました。襖の形に直すことも検討しましたが、絵の部分の高さが170㎝で襖としては高さが低く、上下に切り詰めがあると考えられることから、そこに枠をはめこんでは、画面が小さく見えてしまうのではないかとの意見もあり、当初の大きさも不明なことから、襖のような平面での展示もし行いやすい4曲の形態に直すことになりました。
絵の中には、木瓜形と円形の2種類の引手跡があります。襖として1度改装され、引手金具が付け替えられたのです。
引き手と紙の端までの距離が円形の方が揃っていることから、当初は木瓜形の引き手がつけられ、改装の際に画面の一部が切り詰められ円形の引手がつけられたと想像されます。
引手跡から紙端まで一番残りのよい第1扇と、中央部分の第4・5扇を比べると中央部分では約7cm狭くなっています。最初の襖から少なくともそれだけの部分が無くなっているのです。
左:第1扇(部分、修理前)、右:第5扇(部分、修理前)
上の囲みは木瓜形の引手跡。下の囲みは円形の引手跡
ケースの中で展示作業をしていると全体のつながりが見えません。中央部分を7cm空けたところでケースの外を見ると、全体を見ている研究員が両手を頭の上に掲げて○のサイン。
今回は当初の姿を再現するように、空間を考えて展示しています。
狩野永徳が描いた樹木は、江戸時代の『本朝画史』に「舞鶴奔蛇之勢」があると語られていました。檜図の枝にこそ、大蛇にたとえられる勢いが感じられます。
色彩が鮮やかになったこと、屏風の折れがなくなって枝の動きがスムーズになって増したことにより、重厚で沈痛な趣を宿した修理前の「檜図」が、明るく伸びやかな印象に生まれ変わりました。
これが当初の「檜図」だったはずです。
これによって永徳に対するイメージも変わってくるのではないでしょうか?
現在の展示では、中央部分を7cmほど空けて展示しています
本館2室(国宝室)にて、2015年3月15日(日)まで展示
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posted by 田沢裕賀(彫刻・絵画室長) at 2015年02月28日 (土)
謎を秘めた美しい像といえば、皆さんはダビンチのモナリザを思い浮かべるのではないでしょうか。あの謎めいた微笑は何なのか、世界中の人びとを魅了しています。
実は本展覧会に出品されている仏像のなかにも、謎を秘めた美しき像があります。
それが成島毘沙門堂の伝吉祥天立像です。
重要文化財 伝吉祥天立像 平安時代・9世紀
岩手・成島毘沙門堂蔵 (画像提供:東北歴史博物館)
名称に伝とあることからもわかるように、伝承では吉祥天とされていますが、本来はどのような像としてつくられたのかわかっていません。
というのも、このような姿の像は日本全国を探してもこの像だけだからです。頭の上をよくみてください。二頭の像に気づくでしょう。このことから頭が象の神さま歓喜天(インドのガネーシャ)ではないかともいわれています。
頭上をご覧ください。二頭の像がいます。
わたしは伝承のとおり吉祥天の可能性もあると思っています。吉祥天はインドではラクシュミーといい、二頭の象に水をかけられる姿でつくられることもあるからです。
楣(まぐさ) アンコール時代・11世紀 カンボジア・タ・セル フランス極東学院交換品
右:部分 カンボジアのレリーフに表わされた、二頭の像に水をかけられているラクシュミー(吉祥天)
ガネーシャもラクシュミーも東洋館地下・クメール彫刻のコーナーにありますので、みちのくの仏像をみた帰り、ぜひそちらもご覧ください。
カテゴリ:彫刻、2015年度の特別展
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posted by 淺湫毅(教育講座室長) at 2015年02月27日 (金)
国宝「檜図屛風」修理後初公開・文化財用大型CTスキャナー記者発表会
2月16日(月)、トーハクでは2つの記者発表会が開催されました。
まず初めは、文化財用大型CTスキャナーのお披露目です。
昨年3月に導入し、約1年の試験稼動を経て、このたび、正式稼動となりました。
これまで、文化財用のCTスキャナーは、西日本の施設(九州国立博物館、九州歴史資料館、奈良文化財研究所)にしかなく、東日本でも自然科学系の施設(理化学研究所、国立科学博物館)にしかありませんでした。そのため、東日本にある文化財の調査をするためには、長距離輸送のリスクが伴いました。今回の導入により、東日本における文化財の状態調査の可能性が広がりました。
水平型エックス線CTスキャナーの説明。
その大きさがおわかりいただけるのではないでしょうか。
今回導入されたのは、仏像など大型の文化財を立てたまま撮影ができる垂直型、長さ2.5mの文化財を水平に設置し断層撮影が可能な水平型、細かい部分の撮影が可能な微小部観察用の3台のCTスキャナーで構成されたCTシステムで、文化財用としては最新鋭かつ世界最大級のものです。
左から、垂直型、水平型、微小部観察用エックス線CTスキャナー
この日は、当館所蔵の「パシェリエンプタハのミイラ」(東洋館3室にて通年展示)の撮影結果についても紹介しました。
従来のエックス線撮影では不鮮明であった下腹部の塊が、CTによる調査の結果、ミイラ作成時の詰め物であることが鮮明に撮影されました。
今後、さまざまな文化財調査への活用と研究成果に期待が高まります。
次に、狩野永徳筆・国宝「檜図屛風」の修理後初のお披露目です(2月17日(火)~3月15日(日)、本館2室にて展示)。
バンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトの助成を受け、18ヶ月にもおよぶ平成の大修理を行いました。
記者発表にはバンク・オブ・アメリカ・グループ在日代表の
ティモシー・ラティモア氏にもお越しいただきました。
(右は独立行政法人国立文化財機構理事 池原充洋)
「檜図屛風」は、本来は4面の襖だったものを8曲1隻の屛風に仕立てたため、図柄のつながりに不自然なところがあったり、亀裂や糊浮き、彩色の剥離など経年による劣化によって鑑賞性が損なわれていました。
このたび、解体修理により、本来の姿を意識した4曲1双に改装し、亀裂や浮きの補修、汚れの軽減も施し、色鮮やかに甦りました。
また、修理の過程での発見もありました。
襖から屛風に改装されたときのものと思われる「一」から「八」までの数字や「山水桧」の墨書と、過去の修理で補修紙として用いられた五七桐文の文様が転写された跡です。
この五七桐文が八条宮家に縁の深いものであることがわかり、今回の修理では屛風の裏に貼る唐紙にこの文様が採用されました。
実際に使用された五七桐文の版木(宮内庁京都事務所保管)は、本館特別1室「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2月17日(火)~3月15日(日))にて、展示されていますので、あわせてご覧ください。
唐紙(見本)と五七桐大紋の版木(宮内庁京都事務所蔵)
修理の概要は、トーハクYouTubeチャンネルにて動画を公開しています。展示をご覧になる前にぜひ!
東京国立博物館研究誌「MUSEUM」最新号は「国宝 檜図屛風 平成の大修理特集」
ミュージアムショップにて販売中です(税込1543円)
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posted by 奥田 緑(広報室) at 2015年02月17日 (火)
開催中の特別展「3.11大津波と文化財の再生」では、本館特別4室で「文化財再生のみちのり」と題した、文化財レスキューの進み方と今後解決を必要とする技術的課題についてのパネル展示を行っています。
今回は、パネル展示の流れに沿って、本館特別2室で展示中の「石川啄木歌碑拓本」が救出されてから本展での展示にいたるまでのみちのりをご説明します。
写真1は、被災した陸前高田市立博物館(写真2)から救出された直後の資料の様子です。
画面中央にコンテナがあり、そこにたくさんの掛軸が収納されているのがわかりますでしょうか。
写真1 写真2
こうして救出された掛軸は津波で濡れ、泥や砂に覆われた状態でした(写真3)。このまま放置するとカビが発生し、劣化が著しく進行してしまいます。
写真3
そこで、表具を解体し、本紙1枚の状態にした後で水を使って洗浄と脱塩(塩分の除去)を繰り返します(写真4)。救出後に行なわれるこうした作業を安定化処理と呼び、これ以上劣化が進行しないような状態に留める処理内容のことです。安定化処理後の状態は本紙1枚だけですから(写真5)、このままでは展示に活用できません。
写真4 写真5
再び表具を仕立てる本格修理を行い、ようやく現在の姿(写真6)に再生されるのです。
写真6
今回の特別展でお借りした全ての作品は、それぞれが様々なみちのりを経て当館で展示することができたものです。しかし、これで文化財の再生が完結したわけではありません。被災地が復興して、新たな博物館が完成した後に、そこで展示に活用されてようやく再生の終着を見ることができるのだと思います。
館内各所では特別展「3.11大津波と文化財の再生」のリーフレットを配布しています。
こちらからリーフレットのダウンロードができます
文化財レスキューの進み方など現地で撮影された画像とともに詳しく説明した内容となっています。
ぜひ、お手にとってご覧ください。
カテゴリ:2014年度の特別展
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posted by 和田浩(環境保存室長) at 2015年02月13日 (金)
彫刻を担当しております、研究員の西木です。
学生時代から、薬師如来像を研究対象にしておりましたので、勝常寺(しょうじょうじ)・黒石寺(こくせきじ)・双林寺(そうりんじ)から三大薬師が揃っておでましになる機会に立ち会えて、感動の日々を送っております。
しかし、ここでご紹介するイチオシは、ずばり山形・本山慈恩寺(ほんざんじおんじ)の十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)です。
あまり大きくないので目立ちませんが、キリっとしたお顔に見とれる方も多いのではないでしょうか。
重要文化財 十二神将立像(左から、酉神、卯神、寅神、丑神)
鎌倉時代・13世紀
山形・本山慈恩寺蔵
ジュニアガイドの表紙にも大抜擢!
お子様にせがまれて「お、これが十二神将か!」と
注目された方もいらっしゃるのでは?
十二神将は、薬師如来のお供であり、ガードマンのような存在です。
12体のうち4体は江戸時代に補われたものですが、残る8体は鎌倉時代につくられたとみられ、なかでも選りすぐりの4体をお借りしております。
それぞれ、頭につけられた十二支をあらわす動物の頭によって、向かって右から丑神(ちゅうしん)、寅神(いんしん)、卯神(ぼうしん)、酉神(ゆうしん)となっていますが、動物の頭は後の時代のものとみられるため、正確な名前はわかりません。
ですが、みてください、このリアルな表現!
それぞれ甲冑をつけて武装していますが、体の動きにあわせて帯や裾がはためいていますね。袴もはかず、沓(くつ)のかわりにサンダルをはいたり、裸足にあらわしたり、なかなかバリエーション豊かです。
こうした形式自体は、すでにあった作品や図像にもとづいたものかとみられますが、ここまで自然に、いきいきとあらわしたところが作者の技量です。とくに卯神をみてください。右手をふりあげ、左手は腰のあたりで拳をにぎりますが、上半身を大胆にねじっています。彫刻作品はいうまでもなく立体表現ですが、ここまで奥行きをもたせるのは珍しく、甲冑を着けずにあらわになった躍動する筋肉の表現もあわせて、まさに見事です。
十二神将立像 卯神
当館でも鎌倉時代の十二神将像を所蔵しておりますが、たとえば辰神(しんしん)や巳神(ししん)が少し上半身をねじって、前後の空間に奥行きをもたせたところなどがよく似ています。
重要文化財 十二神将立像(左から辰神、巳神)
鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
※この2体は特別展には出品されていません。
巳神は本館11室で2016年1月19日(火)~4月17日(日)展示予定
袴をはかずにブーツのような沓をはいたり、裸足にしたり、バリエーション豊かなところも本山慈恩寺の像に通じるところです。力んだところで息をとめたような、緊迫した表情も・・・。
左:当館所蔵の重要文化財 十二神将(辰神)
右:山形・本山慈恩寺所蔵の重要文化財 十二神将立像(卯神)
じつは、当館の十二神将像は、かつて京都・浄瑠璃寺(じょうるりじ)に伝わったものですが、近年の研究によって、鎌倉時代を代表する仏師、運慶の作である可能性が強まっています。こちらと比べると、身振りや筋肉の表現にやや誇張がみられるため、すこしあとの時代につくられたものと思われますが、やはり都でも一流の仏師が手がけたものにちがいありません。本山慈恩寺のある山形県寒河江市は、かつて藤原氏の経営する荘園があったところなので、このような都風の仏像が伝わっていると考えられています。
鎌倉時代の名品も展示中の特別展「みちのくの仏像」、みなさまのご来館お待ちしております!
カテゴリ:彫刻、2015年度の特別展
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posted by 西木政統(絵画・彫刻室アソシエイトフェロー) at 2015年02月06日 (金)