先週、南京に出張した合間に、前回ブログでもご紹介した古林清茂の住した保寧寺の跡を訪ねることが出来ましたのでご紹介します。
保寧寺は明代には廃寺となってしまい、現在は存在していません。しかし、その場所を知る史料がいくつか残されています。まずは元時代の南京の地図を見てみましょう。ここには、南京城の西南に「保寧寺」の文字が見えます。
これで大体の位置はわかりますが、南京は今でも人口700万人を擁する大都市。これだけでは具体的な場所までわかりません。注目すべきは、そのとなりにある「鳳凰台」の文字です。
「鳳凰台」とは六朝の昔、鳳凰が集まってきたという伝説から名付けられた小さな丘です。ここで古林清茂「賦保寧寺跋」を見てみましょう。
重要文化財 保寧寺賦跋 馮子振筆、古林清茂跋 中国 元時代・泰定4年(1327)
前半では元時代の有名な文人である馮之振が、「鳳凰台」を訪ねて感慨にふけり、この場所が六朝時代から佛教寺院のあった聖地であった歴史を記しています。
というのもこの丘には昔、瓦官寺という有名なお寺があり、しかも李白などの文人が訪れ金陵(南京)の街を眺めて詠んだ「金陵の鳳凰台に登る」という有名な詩の舞台でもあったからです。
どうやら、瓦官寺の付近、鳳凰台と呼ばれる丘の上に「保寧寺」はあったようです。
今、南京の地図を見てみると、その名も「鳳台路」という地名が残っていました。そこまでを日本で調べて、南京へと旅立ちました。
地図上で「く」字型に曲がっているのが南京城の城壁とその外堀。ちょうど東南角に「鳳台路」がのびています
南京に入ってすぐ、地元の文物局と友人たちに保寧寺の場所について尋ねると、「鳳台小学校」というのがあると言われ、翌日早速、友人の車にのって市内から西南に向かうと、ちょうど集慶路から上り坂になっており、期待がいやがおうにも高まります。
集賢路から南京城の城壁(集慶門)が見えます。左に曲がると、そこは「鳳遊寺」という一画でした。
地元の人にこの辺にお寺はあるかと聞くと、曲がったところにあるという答え。
果たしてそこは小さな丘になっており、「古瓦官寺」が建っていました。しかしこれは、最近建てられたお寺です。
お坊さんに「この辺にあった「保寧寺」というお寺について知りませんか」と訊ねても、「知らない」との答え(よくあること)。
しかし、この丘に鳳凰台があったのは間違いありません。さらに進んでいくと、南京城壁にたどりつき、そこからその小さな丘が望めました。
南京城壁の東南と、保寧寺はここにあったはず(!)
今では紡績工場になっていましたが、ちょうど再開発が進んでいるのか、中にまで入ることが出来ました。
この丘が鳳凰台、そして保寧寺の旧在地でしょう。
中央のちょっと小高くなっている丘が鳳凰台。記録によれば保寧寺のなかにこの「鳳凰台」は保存されていたようです。
明時代の「金陵梵刹志」巻四八によれば、三国時代の呉の孫建の赤烏四年(241)に西域から来た康僧会によって建てられたこのお寺は、祇園寺、長慶寺、南唐には奉先寺、北宋に保寧寺と名を替えながら存続し、宋代には五百人もの僧が修行した大寺でした。
もし将来この場所が発掘されたならば、きっと長い歴史を物語る文物が出土するに違いありません。しかし現在のところ、その栄華を伝える文物はわずかに日本に招来された墨蹟のみです。
この保寧寺に関する重要な文物が日本には残されており、その法灯が今も受け継がれているとは、同行してくれた中国の友人たちも驚きであったようです。
(左)現在、復元が進められている南京のシンボル・大報恩寺塔。来年オープン予定だそうです。
(右)1721年にヨーロッパで描かれた大報恩寺塔(パネル展示)。ここから出土した阿育王塔は、「中国王朝の至宝」展でも展示され、大きな話題となりました。
保寧寺はその後まもなく廃絶してしまいますが、それは元末の戦乱が南京を巻き込んだことや、彼の有力な弟子が二人とも日本に渡ってしまったこととも関係しているのかもしれません。
残された文物は、長い歴史の一部分でしかありませんが、その一片が残っていることによって、過去と現在が、そして変化していく都市や人々が、現在もまた再び結びつけられていきます。それが博物館で研究することの醍醐味でもあります。そんなことを実感した保寧寺跡訪問でした。
古林清茂「賦保寧寺跋」は、特集「南京の書画―仏教の聖地、文人の楽園―」(2015年2月24日(火)~4月12日(日)、東洋館8室)で展示中です。
ぜひじっくりとお楽しみください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
| 記事URL |
posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2015年03月22日 (日)
彫刻を担当しております、研究員の西木です。
特別展「みちのくの仏像」は、おかげさまでこれまでに12万人を超えるお客さまにご来館いただいております。
東北6県を代表する仏像に遠く東京までお出ましいただいている本展覧会、この機会にひとりでも多くのお客さまにご覧いただき、展示を通してみちのくの文化や歴史に思いを馳せていただきたい! というのがスタッフ一同の想いです。
「三大薬師」はじめみちのく各地の仏像が、展示室でみなさまをお待ちしております!
ところで、美術館・博物館ならどこの館でもアンケート用紙が用意されていると思いますが、当館でも特別展ごとにアンケートを実施しております。
さまざまなご感想やご要望が寄せられていますが、本展覧会に限らず、遠方から貴重な作品を集めてもらえてありがたい、というコメントをいただくことがよくあります。
本展覧会でも、担当研究員が各地にうかがい、責任をもって大事な仏像をお借りしてまいりました。
通常、展覧会の開催1ヵ月前が作品借用のピークですが、このたびは多くの作品を11月にお借りしました。
それは、(もちろん)借用先がすべて東北だからです。
12月に入ると、地域によっては雪のシーズン。
お寺によっても、冬季は拝観を停止しているところもあるので、できれば避けたいところ・・・。
行く先々で「なぜこの時期に?」といわれましたが、本展は、2011年3月11日の東日本大震災から4年を迎え、あらためてその復興を祈念して開催するもの。
やはりこの時期でなければなりませんでした。
そこで、雪の時期を避けて前倒しで11月から借用にうかがっていた訳です。
秋のみちのくはすばらしく、見事な紅葉にみとれることもありました。
山形・吉祥院の観音堂。イチョウが鮮やかです
(左から)菩薩立像(伝阿弥陀如来)、重要文化財 千手観音菩薩立像、菩薩立像(伝薬師如来)は奥にある収蔵庫に安置されています
千手観音菩薩立像は平安時代・10世紀、他2件は平安時代・11世紀 山形・吉祥院蔵
ただ、お正月は一年でもっとも大事な日ですから、ご本尊にはお寺にいてもらわなくては、というご希望もあります。
とはいえ、開会式は1月13日(火)。
展示作業も考えると、なるべく早くうかがわねば、ということで、無理をお願いして正月明けの1月5日(月)から手分けして借用にお邪魔したお寺もありました。
なかでも印象深いのは、1月7日(水)の岩手・黒石寺です。前日の深夜、最寄りの水沢駅に降りた目に飛びこんできたのは一面の雪景色。
やはり・・・と思いながら、翌日晴れることを願うもむなしく、当日も雪が舞い、最高気温はマイナス1.3度!
雪の降りしきる黒石寺本堂
寒さはともかく、薬師如来坐像が安置されるお寺の収蔵庫から近くで待機するトラックまで、屋根のないところを運ばなければならないので、雪は本当に困ります。
一時でもやんで欲しいという願いも空しく、まったくやむ気配はなし。
しかたなく、お像を入れた箱を厳重にビニールで覆ったうえ、えいや! の勢いで運び出しました。
(左)「雪やまないかなあ」と外の様子をうかがう我々
(右)やまない雪のなか仏像(台座)を運び出す様子
ちなみに、左の写真中央、仁王立ちになって作業を見守る人物は、黒石寺の藤波洋香ご住職。
「冬は寒いんだから、寒いといっても仕方ない」と笑うご住職が、関係者のなかでいちばん薄着でした・・・
ご本尊の薬師如来坐像は、体内に「貞観四年」(864年)の墨書きがあり、制作された年のわかるたいへん貴重な仏像です。貞観11年(971)に東北を襲った貞観地震と、このたびの東日本大震災、2度にわたる大地震を経験し、そのたびにひとびとの祈りをうけてきました。
重要文化財 薬師如来坐像
平安時代・貞観4年(862) 岩手・黒石寺蔵
このたび真冬の集荷で、震災に加えて、毎年の厳しい冬を耐え、春を待つ人々も見守ってこられたのだとあらためて思います。
薬師如来は、左手に持つ薬壺が病気を癒す効能ををわかりやすくあらわしますが、もともと寿命をのばし、死者の魂を弔うに至るまで、願い事はなんでも叶えてくださる仏です。
黒石寺のお像は「厳しい」と評されることの多いお顔ですが、それだけ真剣にひとびとに向き合ってこられたからかも知れません。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2015年度の特別展
| 記事URL |
posted by 西木政統(絵画・彫刻室アソシエイトフェロー) at 2015年03月20日 (金)
特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」開幕
特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」、いよいよ本日開幕です。
これに先立ち、昨日16日、開会式・内覧会が行われました。
開会式では、本展覧会でインド仏像大使に就任し、オリジナルグッズの開発など展覧会を力強く応援してくださっている、みうらじゅんさん、いとうせいこうさんも加わり、にぎにぎしくテープカットが行われました。
開会式テープカットの様子
天気予報では午後から雨かとも言われておりましたが、幸いにもお天気はもち、内覧会の観覧者が1000人を超す大賑わいぶりでした。
内覧会の様子
インド東部の大都市コルカタ(旧カルカッタ)に所在するコルカタ・インド博物館は、1814年に創立したアジア最古の総合博物館。そのコレクションの中から、初期仏教美術を代表するバールフット遺跡の出土品、仏像誕生の地であるガンダーラやマトゥラーの仏像、インドで発生し、中国を経て日本にももたらされた密教の仏像などを厳選。本展はインド仏教美術のあけぼのから1000年を超える繁栄の様子を紹介する展覧会です。
コルカタ・インド博物館
展示される像やレリーフ、ストゥーパは、ほとんどが石製。初期仏教美術の素朴にして野趣あふれる表現、ガンダーラ仏の精緻な彫技、密教尊の妖しげな微笑。時代や地域により、その表情は異なります。
石の材質や色もまたさまざま、しかしその色や質感が、とても美しいのです。
弥勒菩薩坐像 ロリアン・タンガイ出土 クシャーン朝(2世紀ごろ) コルカタ・インド博物館蔵
Photograph (c)Indian Museum, Kolkata
この特別展は、久しぶりに表慶館を展観会場として行われます。
表慶館はご存知のとおり、明治42年(1909)に開館した建物。中央と左右に美しいドーム屋根をいただき、上層部の外壁面のレリーフや床のモザイク状のタイルなど、随所に趣のある明治末期の洋風建築で、重要文化財に指定されています。
それぞれの部屋はこじんまりとしていますが、中央ホールの左右に、小部屋が左右均等になっています。本展の1階中央からスタートして、2階を経て再び下階へと戻る流れは、インド仏教美術作品の展示に、しっくりなじんでいるように思われます。
かつてコルカタ・インド博物館を訪れたことのある私としては、同博物館がトーハクに再現されたような感をも抱きました。
表慶館 外観と中央エントランスから見た展示室
桜の花に囲まれた上野で、あなたをきっと、時空を超えたインドへのジャーニーに誘ってくれることを、お約束します!
Don't stop believing! 「インドの仏」、絶賛開幕中です。
カテゴリ:news、2015年度の特別展
| 記事URL |
posted by 伊藤信二(広報室長) at 2015年03月17日 (火)
3月に入っても寒暖の差が激しい日が続きましたが、ようやく、春らしい気温に落ち着きつつあるようです。
トーハクでは、明日3月17日(火)より、春の恒例「博物館でお花見を」(~4月12日(日))、「春の庭園開放」(~4月19日(日))が始まります。
今年は、期間中の3月23日(月)、30日(月)は特別開館し、3月27日(金)、4月3日(金)は庭園ライトアップ(19時30分まで)を行います。
東京の桜の開花は、3月26日(木)、満開は4月2日(木)との予想が出ていますので、ライトアップもタイミングがよさそうですね。
「博物館でお花見を」では、桜をモチーフにした作品の展示のほか、鑑賞ガイド、ワークショップ、コンサートなどイベントももりだくさんです。
国宝 花下遊楽図屛風 狩野長信筆 江戸時代・17世紀(3月17日(火)~4月12日(日)、本館2室にて展示)
2年ぶりの公開となります。
こちらも恒例のさくらスタンプラリー。「博物館でお花見を」パンフレット(A4二折)がスタンプラリーの台紙になっています。
桜のマークを目印に展示室を巡ると、5つのポイントでスタンプを集めることができます。
スタンプを全部集めると、オリジナル缶バッジをプレゼント!
今年のバッジのデザインは、花よりだんご!?のトーハクくんです!
トーハクくんのように「花よりだんご」な方におすすめしたいのが、こちら。
構内のレストラン(ゆりの木、ホテルオークラガーデンテラス)はもちろん、庭園にはさくらカフェも出店します。
そして今回は、表慶館で開催の特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」にちなみ、表慶館前にカレーを中心とした屋台が登場します!
4月26日(日)まで、曜日ごとに2~4台の屋台が出店いたしますので、ぜひご利用ください。
さらに、ミュージアムショップでは、「博物館でお花見を」期間中(3月17日(火)~4月12日(日))、千鳥屋総本家の「舟橋硯箱もなか」(6個入り 1,080円)を1日5箱の限定販売(本館ショップのみの取扱い)をいたします!
箱や桜の包装紙も素敵。もなかも作品の形を再現しています。
現在、本館12室で展示中の国宝「舟橋蒔絵硯箱」をモチーフにした老舗の逸品です。
国内の直営4店のみでしか販売されていないというレアもの。作品の鑑賞とあわせて、お土産にどうぞ。
この春はトーハクの展示室で華やかな作品を、庭園で可憐な桜を愛で、レストランやカフェ、屋台でお腹も春爛漫気分にひたってみてはいかがでしょうか。
| 記事URL |
posted by 奥田 緑(広報室) at 2015年03月16日 (月)
置き手紙には
「博物館資料を持ち去らないで下さい。高田の自然・歴史・文化を復元する大事な宝です。市教委」
と書かれていました。
特別展「3.11大津波と文化財の再生」の展示パネルでご覧いただける置き手紙の写真は、2011年3月28日に撮影されました。
撮影者は遠野市文化センターの前川さおりさん。
手紙は、津波に呑み込まれて、近づくことさえ困難な陸前高田市立博物館のエントランス付近にあったそうです。
侵入しようと思えばどこからでも入れる状態の博物館でした。同じような状況が阪神淡路大震災の時にも、兵庫県立近代美術館でありました。
それを心配してやってきた誰かが、あまりの被害の大きさに何もできないかわりとして、置き手紙を残していったのだろうと思います。
実際に誰が書き残したかは、今もってわかりません。
もしかしたら、置いて行ったのは博物館の神様かもしれません。
下が陸前高田市立博物館に残されていた手紙の写真です
その手紙からすべてが始まりました。
そしてその思いはその後のレスキューに受け継がれました。
あの日から丸4年が経った現在、陸前高田市では46万点の資料がレスキューされ、閉校となった山間の小学校をはじめとして、全国各地で急激な劣化を止めるための安定化処理が進められています。
これまでに安定化が完了したのは16万点ほどです。
折れたり剥がれたりした部分を修理する本格修理は安定化処理を終えてからになりますが、これまでに本格修理を終えて再生した文化財はやっと1000点程度です。
被災地に路や建物が整ったとしても、文化財が残らないままの復興であるなら、それは真の復興ではありません。
この土地の自然、文化、歴史、 記憶の集積であり、かつてここに人々が生きた証である文化財は、陸前高田のアイデンティティーです。
それを再生し残すためには長い道のりと試行錯誤が今後も続きます。全ての再生が完了するまで10年以上の年月が必要と考えられます。
1月14日(水)に開幕した特別展「3.11大津波と文化財の再生」は、3月14日(土)のオルガン演奏会の後、翌15日(日)に最終日を迎えます。
これまでにご来場いただいた多くの方々、あるいはオルガン演奏を聴いていただいた皆様には、被災文化財再生の記憶が深く刻み込まれたのではないかと思います。
私たちの取り組みが次なる段階を迎え、再び皆様にご紹介できる日が必ず訪れることを期し、閉幕にあたってのご挨拶とさせていただきます。
どうもありがとうございました。
3月14日(土)のオルガン演奏会の奏者は、日本リードオルガン協会の伊藤園子さんです。
演奏曲目はNHK東日本大震災復興支援ソング 「花は咲く」や「月の砂漠」などを予定しています。
被災した後、修復されたリードオルガンの音色をまだ実際に耳にされていない方は、どうぞお聞き逃しのないように。
また、展覧会会場にもお越しいただき、展示を通じて、改めて東北の復興について考える機会となれば幸いです。
被災した文化財のひとつひとつに物語があります
カテゴリ:研究員のイチオシ、2014年度の特別展
| 記事URL |
posted by 神庭信幸(保存修復課長) at 2015年03月13日 (金)