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タイヤル族の織物探訪 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その2

「フォルモサ Formosa」という言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。美しき島、麗しの島、という意味の台湾島の美称で、大交易時代のポルトガル人が形容したのがはじまりといわれています。台湾には、現在に至るまで多様な民族が暮らしています。そのなかでも、古くから住んでいたオーストロネシア系語族の人々は、現在では社会運動を通してみずからを「原住民族」と総称しています。(日本語では「先住民族」ということもありますが、字義がやや異なりますので、本特集では台湾での表記に倣っています。)

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―に関するリレーブログその1でお伝えしたように、台湾原住民族の資料をご紹介するべく、当館では少しずつ準備をしてきました。2023年と翌24年に台湾を訪れる機会を得た我々は、ざっくりとまとめた当館資料の情報を片手に、各地をめぐりました。どうしても広く浅くの調査となることは承知の上で、実際に資料が使われていた土地を訪れて風土や生活を知ること、いまを生きる原住民族の方々のお話を聞くことを念頭に出発しました。現地の皆様には深い寛容とご協力をいただき、無事に第一歩の調査としては充実したものとなり、ありがたい限りです。
当然、この旅については書ききれないほどですが、今回のブログでは、当館でこれまであまり展示する機会のなかった、タイヤル族の織物と調査の旅について記したいと思います。

遡って2021年、館内で日々の資料整理をしていたある日、中が刳(く)り抜かれた不思議な丸太のようなものを見つけました。これをよくよく調べてみると、タイヤル族の女性たちが衣服を織り出すときに用いる、織機(織器)の一部だということがわかりました(現地ではクォングー〈qo-ngu、織布箱〉といいます)。ぎっしりと密に織っているのに柔らかい、タイヤル族の苧麻(ちょま:カラムシともよばれる麻の一種)の衣服をこれでどうやって織っているのか、とても気になっていました。

織器(TK-3594)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区
 
そこで最初の調査では、台湾北部にある烏来(ウライ)という集落に向かいました。台北から1時間ほどの烏来は、山地ながら有名な観光地で、行楽のため人出の多い場所です。雨のなかでキラキラ光る、温泉の看板の誘惑に惹かれながら、まずは烏来泰雅(タイヤル)民族博物館へ。

烏来市街。あいにくの大雨。
 
博物館では、×と○を交互に表した文様の織物が、烏来の集落を表わすものとして象徴的に紹介されていました。実は同じ文様の肩掛を東博で所蔵しており、思いがけないつながりに嬉しくなりました。(いま考えれば、もとの収集地が近いので当然なのですが!)
タイヤル族の衣服は、日本の着物や洋服とは構造がかなり異なり、各部分を別に展示すると分かりにくいので、本展では思い切ってマネキンに着せつけています。悩みどころだったのはその着こなし。現代の写真では肩掛を袈裟懸けにすることが多いようなのですが、昔の写真を見ると本当にさまざま。本展会場では、古写真の一つに倣って、試みに首に懸けて前に展示しています。どちらもカッコいいのですが、いかがでしょう。
 

 
左:袈裟懸けスタイル、右:前懸けスタイル この胸掛や方衣は男性の衣服で、肩掛には細かい×○紋がある。
胸掛(TK-585)、方衣(TK-583)、袖套(TK-586)、肩掛(TK-582)19世紀後半~20世紀初頭 台湾、新北市烏来区

烏来をはじめタイヤル族ではこの数十年来、日本統治時代より高機の奨励や現代化の波により下火になっていた、伝統的な織物技術の復興運動が進んでいるそうです。いくつかの工房を訪れると、それぞれに古い織物に学んで図案を起こし、織物を織り出しており、これまで積み重ねてきた取り組みについて貴重なお話をうかがうことができました。しかし残念ながら、台風による大雨でこれ以上の見学はできず、翌年に再来を期すことになりました。 

 
達卡(タカ)工作坊の高林美鳳(Taka Tana)氏に、基本的な織り方を教わる。足の微妙な伸ばし方で経糸の張力を変えるので、普段使わない筋肉が刺激されて筋肉痛に。

満を持して翌年秋、カラッと晴れた烏来に再来できました。
前回と異なりにぎやかな商店街。マグリ(Mageli、磨格力)というタイヤル族の伝統料理が店頭にありました。説明文によれば、もち米と焼いた猪肉をマーガオ(Makauy、馬告)という香辛料と合わせて蒸したもののようです。この場では食べなかったのが悔しいところ、その後昼食で食べた鶏のスープにも、このマーガオが使われていました。台湾の山麓地帯にのみ自生する植物で、タイヤル族が大切にしてきた香辛料だそうです。レモンのような爽やかな強い香りと、若干の痺れがクセになるおいしさでした。

重要伝統工芸保存者(日本でいう人間国宝)でありタイヤル族の織物を復元しているユマ・ダル(Yuma Taru)氏と、タイヤル文化を研究している鄭光博氏による講義を博物館で拝聴したのち、午後は、さらに南の桃園市の山麓地帯である角板山(かくはんざん)に向かいました。
 
烏来の渓谷
 
店頭に並ぶ伝統料理

鶏のスープ。黒く浮かんでいる粒がマーガオ

角板山では、今年、それぞれ伝統工芸保存者にも認定された、ユリ・アバウ(Yuri Abaw、宗貞嫻)氏の工房、ウパ・タリ(Upah Tali、王碧珠)氏の工房を訪れ、織りや苧麻の糸の作り方などを見学することができました。以下に、その様子を写真で順に紹介します。

 
ユリ・アバウ氏の工房にて。これまでの研究の成果である織図の記録と、完成した織物

苧麻を刈り取る

茎から余分な葉を落とすウパ・タリ氏

 
苧麻の外皮を、竹を割った道具で剥いで繊維を取り出す(日本でいう苧引き)。剥いだばかりの中の繊維(青苧)は光沢があり美しい

 
天日で乾燥したのち、束にまとめる
 

処理した苧麻の糸に紡錘で撚りをかけていく(撮影:鄭光博氏)

整経したのちに織機にかけて織り出す。


以上、2年にわたり、現代のタイヤル族の織物について見学する機会をいただきました。それぞれの制作者による、自らの文化を守り継承するための真摯な取り組みと熱意には、胸を打たれました。当館の所蔵品を保存し、調査と公開の機会を重ねることは、台湾と日本に生きる現代の人びとにとって大事なことと、再確認する機会にもなりました。
本特集では、19世紀後半に作られたとみられるタイヤル族の衣服を、帽子や耳飾り、刀などの服飾品とともに展示しています。また、本ブログでは字数の都合で紹介できなかった他の民族の衣服と見比べてみてもきっと楽しいと思います。
特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―は5月31日(日)までの開催となっております。お近くの際には、ぜひお立ち寄りください。
 

パンフレット

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

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カテゴリ:特集・特別公開工芸調査・研究

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posted by 廣谷妃夏(東洋室研究員) at 2026年05月13日 (水)

 

【あそびば☺とーはく!】大学生と博物館職員が考えた、東京国立博物館の未来

 2026年1月16日(金) から3月1日(日)まで、本館特別5室にて開催した「あそびば☺とーはく!」の関連イベントとして、大学生と当館職員が気兼ねなく意見を交わす企画【シリーズ「わたしの場所」 とーはくは「サードプレイス」? ~学生とのびのび語ろう~】を、2月27日(金)に開催しました。 

本イベントは、昨年度の「あそびば☺とーはく!」(2024年11月8日(金)~12月8日(日))でご縁が始まった、早稲田大学の博物館支援サークル「ミュゼさぽ」(以下、ミュゼさぽ)とともに企画したものです。 

議論を重ねる中でたどり着いた今回のトークテーマは「サードプレイス」です。サードプレイスとは、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグ(Ray Oldenburg)が提唱した概念で、自宅(第1の場所)や職場(第2の場所)とは異なる、心地のよい「第3の場所」を意味します。 

現在、当館は「東京国立博物館 2038ビジョン」を掲げ、様々な取り組みを進めています。その目標の一つが「みんなが来たくなる博物館」になることです。当館が多くの人にとっての「サードプレイス」となるためには、さらなるアップデートが求められています。 
 
しかし、それは博物館職員だけで実現できるものではありません。より多くの人に愛される博物館となるためには、幅広い属性をもった声に耳を傾けることが不可欠です。本イベントは、そのような考えのもと企画されました。 
 
その後、議論を重ねていく中で、より多様な視点を取り入れるため、ミュゼさぽから「参加する大学サークルをもう一つ増やしてはどうか」という提案がありました。その結果、法政大学児童文化研究会(以下、児文研)の皆さんにもご参加いただくこととなり、より多角的なクロストークが実現しました。 
 
イベント当日は、会議室でのオリエンテーションから始まりました。職員から当館および「あそびば☺とーはく!」の概要を紹介した後、ミュゼさぽより「サードプレイス」に関する説明がありました。また、ミュゼさぽにご用意いただいた、サードプレイスに関するキーワードを記したメモ紙を配布したことで、オリエンテーション後の館内見学がより充実したものとなりました。
 
 
会議室で事前オリエンテーションを行っている様子

約1時間半の自由見学が終わり、参加者全員が「あそびば☺とーはく!」の会場に集合して会場内を見学したのち、クロストークを実施しました。参加者は、ミュゼさぽ10名、児文研10名、当館職員が約10名の計約30名で、大変賑やかなイベントとなりました。これほど多くの大学生を招き、さらに様々な部署の職員が参加するイベントは、当館としても非常に珍しい試みです。多様な視点をもつ参加者が一堂に会し、活発に意見交換ができたことは、「あそびば☺とーはく!」ならではの成果だと改めて感じました。 

トークは前半と後半の二部構成で行いました。前半では、ミュゼさぽ・児文研・当館職員をバランスよく5つのグループに分け、密度の高いディスカッションを実施しました。後半では全員が再び集合し、各グループのファシリテーターが議論の内容を発表することで、全体共有を行いました。
議論では、博物館を「サードプレイス」にするための施策に加え、館内を見学した時の率直な感想も数多く寄せられました。なかでも、私にとって特に印象的だったのは、「立場の違いによって、博物館の受け取り方や意味が大きく変わること」、そして「学生との協同によって、職員だけでは気づきにくい新たな着眼点が生まれたこと」の二点でした。 
 
 
前半のグループディスカッションの様子①
 
共通して指摘されたのは、博物館という空間がもつ印象についてでした。「格式高い・難しい・厳か・威圧感」といった先入観は、実際に訪れてみると必ずしも当てはまらないものの、普段あまり博物館に足を運ばない人々にとっては依然として根強く残っているようです。 
そのような印象を和らげる方法として、博物館好きのミュゼさぽからは「展示の改善」という視点でいくつかの提案があり、児文研からは「体験型コンテンツの拡充」という提案が示された点が興味深く感じられました。 

ミュゼさぽのように、歴史や文化に関心が高く、日頃から博物館を利用する層にとっては、「作品」や「展示」、「展示解説」そのものが重要な要素であることが明らかになりました。すなわち、「知識」を得る機能が強く求められているといえます。具体的には、中学生を想定したわかりやすい内容で、かつ「自分ごと」として捉えられるような解説戦略を図ることで、より多くの来館者が展示を楽しめるのではないかという提案がありました。また、多言語対応が充実している点については、国際的な視点に立った包摂的な姿勢が感じられるという評価も得られましたが、難解な専門用語など、「わからないものが、わからないまま終わる」状況を防ぐための工夫が求められました。 
 
 
前半のグループディスカッションの様子②
 
一方、児文研からは、「経験」と「教育」という博物館の機能に焦点を当てた意見が出されました。本館1階の体験型展示スペース「日本文化のひろば」や、東洋館3階の「オアシス」など、展示室とは異なる雰囲気の体験が味わえる空間が非常に有効であるという感想が述べられました。こうした空間は、来館者がリフレッシュできるだけでなく、コミュニケーションのきっかけを生み出す場として、居心地の向上に大きく寄与していると考えられます。さらに、展示室内にハンズオン資料を増やすことで、子どもや障害のある方を含め、誰もが身体感覚を通じて理解を深められる仕組みが必要であるという意見も挙げられました。 
 
そのほか、「会話」を促す新たな提案も出されました。「会話」はサードプレイスの条件の一つでもありますが、「静粛にしなければならない」という固定観念が来館者の心理的な負担になっているのも事実です。その対策として挙げられた「庭園」の活用案や、敷地内のベンチの配置換えは、いずれも新鮮なものでした。庭園での気軽な会話を促すコンテンツの開発および施設面の整備に加え、ベンチの配置によって自然に視線や言葉が交わされる環境づくりは、鑑賞体験をより豊かなものへと変えていきます。 

このような気づきは、日々博物館に勤務する職員にとっては、当たり前になっているがゆえに見落としがちなものでもあります。来館者にとっても、博物館にとっても、他者との「会話」は何より重要なカギであると改めて実感しました。 
 

後半に行われた全体での意見交換の様子
 
来館者と言ってもその属性はさまざまで、100人いれば100通りの博物館像があるといえるでしょう。一概に論じることはできないですが、「みんなが来たくなる博物館」を実現するためには、その対象を具体的に設定した取り組みを積み重ね、博物館の視野を徐々に挟角から広角に広げていくことが重要だと考えます。「あそびば☺とーはく!」は、その長い旅の第一歩だったかもしれません。 
 
本イベントは当館にとっても非常に挑戦的な試みでした。この貴重な経験を通して得られた気づきや発見は、大変意義深いものです。できるだけ多くの人々の意見を聴取し、これからの博物館運営に活かすことは、もう一つのビジョンである「共に創る博物館」の実現に欠かせないプロセスです。本イベントが、そのビジョンに近づく第一歩となることを期待しています。 

 
※ミュゼさぽのブログはこちら 

 

カテゴリ:あそびば☺とーはく!

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posted by 朴 祥炫(国際交流課) at 2026年05月11日 (月)

 

東博のスリーピング・ビューティー 東洋の民族資料 特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」その1

現在、平成館の企画展示室では、特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―(2026年3月10日(火) ~ 2026年5月31日(日))を開催中です。「東博には何度も行ってるけど、こういう展示や資料は初めて見た」という感想もいただいています。

本ブログでは、本展への想いと現地調査について、担当研究員によるリレー形式でお届けします。


特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし 台湾の原住民族の資料」の展示風景
民族ごとに器物や衣服を陳列し、それぞれの民族の居住地や住居などをパネルで紹介しています。右手のケースにはパイワン族の家屋のなかで安置する祖霊像、左手のケースにはパイワン族の首長が着用する雲豹(うんぴょう)の毛皮の服がみえます。

東博には、平素より「東洋民族」という分野の展示があります。場所は東洋館の地下の一番奥で、展示ケースはひとつきりです。そこでは台湾の原住民族の資料だけでなく、インドネシアのワヤンという人形や、クリスという短剣、南太平洋の民族資料などを代わりばんこに展示しています。

念のために申しますと、展示場所が小さいという不満を漏らしているわけではありません。展示ケースはひとつだけですが、かつては民族資料を紹介する場所さえなかった時期もありました。もともと東博の所蔵品のなかでも、民族資料は規模が小さいので、それに応じた展示場所の広さだともいえましょう。大切なのは、小さくとも展示場所があるということです。


東洋館地下にある東洋の民族資料の展示
現在は「南太平洋の生活文化」というテーマでオセアニア地域の民族資料を展示しています(東洋館13室、2026年6月21日(日)まで)
ここで台湾の民族資料を展示することもあります。過去のブログでも、パプアニューギニアでの調査タオ族の文化などについて紹介をしてきました。

パプアニューギニアでの調査 (2016年11月16日付ブログ「南太平洋の生活文化」 へ移動)
タオ族の文化 (2024年10月23日付ブログ「世代を重ねるおしゃれ タオ族の胸飾」へ移動)

東洋の民族資料については、まだまだ未整理のところがあり、きちんと調べてからでないと展示できない事情があります。ビジネス用語で「スリーピング・ビューティー(眠れる美女)」という「眠ったままになっている素晴らしい資産」を指す言葉がありますが、そういった状態の作品たちを目覚めさせるためには相応の準備が必要になります。台湾の原住民族の資料については、ここ数年ほど、日本や台湾の研究者、そして現地の方々にも教わりながら、同僚たちと一緒に調査を進めてきたのですが、その成果を生かして、いつもより大きな規模で展示したのが、このたびの特集です。

 


台湾の角板山(かくはんざん)での伝統的な工芸技術に関する調査(鄭光博氏撮影)
タイヤル族の伝統的な工芸技術の伝承者の方から苧麻(カラムシ)の繊維の採取について指導を受けました。左から伝統工芸保存者のユリ・アバウさん、一人おいて、東博の研究員 猪熊兼樹(筆者)、福島修、廣谷妃夏。


台湾東部の花蓮にある祖霊屋での調査
アミ族の祖霊を祭るカキタアンという建物のなかで、伝統的な生活様式や信仰について取材を行いました。屋内には、祖霊の姿を浮き彫りした像が安置されています。


台湾南東沖の蘭嶼(らんしょ)という島での調査
蘭嶼には海洋民族のタオ族が暮らしています。その船は両端が反り上がり、白・赤・黒で彩られる独特な形状です。船の工房で製造工程を見学したのち、実際に海上に出て、その操作法や機能性について教わりました。左から大野颯真さん(東華大学)、一人おいて、東博の研究員 廣谷妃夏。

東博の展示には、日本やアジア地域の素晴らしい美術品や考古資料が多数ならび、皆様がよくご存知の名品も少なくありません。そのようななかで東洋の民族資料の展示というのは、あるいは珍しく見えるかもしれませんが、だからこそ東博の展示に多面性を与えるように思っています。宝石を輝かせるには、カットを加えながら大小の面(ファセット)から構成される多面体を作り出して、光の反射を増幅させてゆきますが、展示についても、大小さまざまな内容があることで、来館者の皆様に多様な楽しみを提供できると考えています。これからもブリリアントな東博をお見せできるように、頭をめぐらせたいと思います。

特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」
―台湾の原住民族の資料―


編集:東京国立博物館

パンフレットでは、本展にかかる調査研究について解説しています。
フォルモサの世界を知る機会となれば幸いです。
本特集ページよりPDFをダウンロードしていただけます。

ゆりの木の花咲く季節に、ひととき、お目覚め中のフォルモサの民族資料たちに会いにいらっしゃいませんか?
パンフレットPDFをひらく


特集「フォルモサ(美しき島)の豊かな暮らし」―台湾の原住民族の資料―は2026年5月31日(日)まで、金曜日・土曜日は20時まで(入館は19時30分まで)夜間開館を実施しています。
台湾の原住民族の多彩で豊かな生活様式を伝える資料を、ぜひ会場でご覧ください。

 

 

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 猪熊 兼樹(調査研究課長) at 2026年05月07日 (木)

 

特別企画「韓国美術の玉手箱」その3 祈りの造形が伝える、高麗王妃の生きた証

4月5日まで開催中の日韓国交正常化60周年記念 特別企画「韓国美術の玉手箱―国立中央博物館の所蔵品をむかえて―」では、東京国立博物館と韓国国立中央博物館が所蔵する選りすぐりの美術作品を一堂に展示しています。
ここでは高麗時代と朝鮮時代をテーマとしたふたつの章で構成される本展のなかから、第1章「高麗―美と信仰」の韓国国立中央博物館蔵「銅製銀象嵌香炉」をご紹介します。
香炉といえば、香を薫ずるための器として知られ、特に仏教においては華瓶、燭台と並んで仏前の供養具である三具足の1つとされています。


第1章「高麗―美と信仰」展示風景

高麗時代の香炉は、銅だけでなく高級品の青磁や庶民が用いる陶器など、制作する素材のバリエーションが複数存在し、幅広い層に需要があったことが窺えます。形のバリエーションも非常に豊富で、本展にも展示されている韓国国立中央博物館蔵「青磁陽刻饕餮文香炉」のほか、香炉の上部に瑞獣を象ったものなど、形の種類もさまざまです。
 
 
銅製銀象嵌香炉 韓国国立中央博物館蔵 高麗時代・13世紀

そのなかで、本作のように縁の広い鉢の下にラッパ型の台座が付く形態のものを、韓国では「香垸(こうわん)」と呼んでいます。本展示の解説では、解説に日本でもなじみのある「香炉」という名称を用いていますが、「香垸」という名は高麗時代の史料や器物に刻まれた銘文のなかに確認することのできる、当時の人びとの実際の呼び方です。ここでは韓国での用例に倣い、「香垸」という名称を用いて作品をご紹介します。「香垸」の名が確認される作品は、本作も例外ではありません。どこかに、その名を伝える銘文が刻まれています。いろんな角度から作品を観察してみてください。いったい、どこにあるでしょう…。

答えは、水平に折れた口縁部の裏。下から覗き込んで見てください。
 

香炉を下から見た際に見える銘文(展示では香炉の底面はご覧いただけません)

すると、「咸平宮主房以造上華嚴經蔵排靑銅香垸一副」という銘文が、口縁の形に沿って反時計回りにぐるりと縦書きで刻まれていることが確認できます。
「銘文を見逃してしまった!」という方がいれば、会期中にもう一度見にいらしていただければ嬉しいです。
そしてこの銘文の中には「香垸」の文字を確かに確認することが出来ます。


銘文のうち「香垸」部分拡大
 
さて、この文を読んでみると、「咸平宮主の居所にて、華厳経蔵に供えるため、青銅を鋳造して香垸一副を造る」と解釈することができます。この香垸を作った目的が、華厳経の経典を納めた蔵、つまり経蔵に奉安するためだった、というわけです。仏殿だけではなく、経蔵でも香を供える慣習があったこと、そして高麗時代の人びとが経典に対して熱心に信仰を捧げていたことを知ることができる貴重な記録といえるでしょう。
ところで、銘文に残される咸平宮主とはいったい誰でしょうか。「宮主」という称号がヒントになりそうです。これは高麗時代に王妃や王の後宮、王女などを冊立していた別称の1つで、宮殿の主人を意味する言葉です。このことから、この香垸を造らせ、発願した人物は、王室に属する女性――王妃、あるいは高位の後宮や王女であることがわかります。
さらに、咸平宮主という人物を史料から辿っていくと、この人物が高麗第21代国王・熙宗(1204~1211)の妃、成平王后を指すことがわかります。彼女は1211年に咸平宮主として正式に冊立されました。しかしその同年、熙宗が退位に追い込まれます。当時、王を凌ぐ実権を握っていた武臣政権の最高権力者・崔忠献の排除を試みて失敗したためです。熙宗と太子は流刑に処され、成平王后のみが宮殿に残されました。その後も、モンゴル侵攻による江華島への遷都など激動の時代を生きることとなり、決して順風満帆とはいえない生涯を歩んだ人物でした。こうした背景を踏まえると、この香垸は彼女が咸平宮主に冊立された1211年から没する1247年までの間、王権の失墜と外敵の脅威という不安定な時代状況のなかで制作されたものと推測されます。
香垸の鉢の部分に注目すると、前後左右に4字の梵字が配置されています。これらは、それぞれオン(om)、マ(ma)、二(ni)、パド(pad)と読む仏教の真言です。真言とは、仏の力や救いを音に託した神聖な言葉(マントラ)のことです。本作にあらわされる4字は、オン(om)、マ(ma)、二(ni)、パド(pad)、メ(me)、フム(hūm)の6字から成る「六字真言」の一部にあたります。
  
オン(om)

 

二(ni)

それぞれの音には象徴的な意味が込められ、その解釈には諸説ありますが、全体として「蓮のなかの宝珠よ、清め、救いたまえ」という救済の祈りをあらわす言葉と理解されています。本作のように梵字を配する香垸の多くは、その梵字一字一字を際立たせるように美しい銀象嵌の装飾文様で囲み、荘厳な趣が与えられています。このような香垸の意匠は、梵字や真言に宿る神聖な力を尊び、その功徳を重んじる信仰の意識を視覚化させたものと考えられます。苦難の時代を過ごした成平皇后もまた、この真言に救いを求め、立ち上る香煙とともに祈りを捧げたことでしょう。祈るという行為は時代や地域も関係なく行われる人間の普遍的な営みです。遠い過去に作られたこの香垸も、その背景を知り、そこに生きた人物が直面した苦難に思いを寄せると、作品に込められた思いは時代と地域を超えて私たちにも通じるものとして受けとめられるのではないでしょうか。
本展は、韓国美術の美を紹介することを軸としていますが、それだけにとどまらず、作品の制作背景や当時の社会状況、信仰や人びとの営みに目を向けることで、モノの意味がより立体的に浮かび上がり、モノに対する理解と共感が一層深まります。この機会に韓国美術の美しさを楽しむと同時に、その背後に広がる歴史にも思いを巡らせ、韓国美術を生み出した文化への理解を深める契機となることを願います。
 

カテゴリ:特別企画

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posted by 玉城真紀子(海外展室研究員) at 2026年04月02日 (木)

 

特別企画「韓国美術の玉手箱」その2 高貴なる美意識の結晶、高麗青磁

現在開催中の日韓国交正常化60周年記念 特別企画「韓国美術の玉手箱―国立中央博物館の所蔵品を迎えて―」(4月5日まで開催中)は、大きく高麗時代と朝鮮時代の2つの章から構成されています。
今回は、工芸を担当する三笠より、第1章「高麗――美と信仰」でご覧いただける韓国国立中央博物館所蔵の金銀器と高麗青磁の魅力について紹介いたします。


第1章「高麗――美と信仰」展示風景

高麗時代(918~1392)は、中国の影響を受けながら、独自の仏教文化を開花させました。それに裏づけられたハイセンスな高麗の上流階級者たちを魅了したのが、金銀器と青磁のうつわです。高麗では仏教信仰を礎に金属工芸が大きく発展したといわれていますが、金属は後世に鋳直すことが多いため、伝世品はきわめて稀少です。
なかでも上質な金銀器は日本ではなかなか目にすることはできないと思います。今回、韓国国立中央博物館から高麗の王族や貴族たちが手にした、たいへん貴重な作品をお借りすることができました。花びらをかたどり、うつわの内外に細かな装飾を刻んだ皿や盃に、当時の人びとの洗練された暮らしの一端をみることができるでしょう。
 

 
「福寧宮房庫」銘 銀製花形皿(ふくねいきゅうぼうこめい ぎんせいはながたさら)  高麗時代・12世紀 韓国国立中央博物館
会場では、縁にほどこされた「福寧宮房庫」の銘がちょうど手前に見えるように展示されています
 
そして、華麗な金銀器と歩みをそろえるように発展したのが青磁です。
青磁とは、窯に燃料を連続して投入し、空気をできるだけ遮断する焼成法によって、素地と釉薬に含まれる鉄分が酸素を奪われ、 還元されて青く見えるやきものです。中国で生まれ、唐時代末には江南の越窯(えつよう)で皇帝や貴族が手にする上質の青磁が完成し、「秘色(ひしょく)」と呼ばれました。この越窯の技術を直接的に取り入れて、高麗青磁は10世紀頃に生産が本格化し、12世紀には最盛期を迎えました。その窯址(かまあと)は、現在の韓国南西部を中心に、半島各地から見つかっています。とくに優品の生産で知られるのが、全羅南道康津(チョルラナムドカンジン)や全羅北道扶安(チョルラプクトプアン)一帯です。
 
高麗青磁の魅力は、まるで吸い込まれそうな、青緑色を帯びたガラス質のなめらかな釉調にあります。北宋末に中国から派遣された徐兢(じょきょう)という官吏が、『宣和奉使高麗図経(せんなほうしこうらいずきょう)』という史書に、高麗にも「翡色(ひしょく)」と呼ばれる美しい青磁があるとその驚きを記し、当時の皇帝や人びとに伝えたことはよく知られています。
 

青磁十二弁花形皿(せいじじゅうにべんはながたさら) 高麗時代・12世紀 韓国国立中央博物館
素地はとても薄く、金属器を意識した様子がうかがえます。釉調も安定した発色で、最盛期の粋ともいうべき作品です
 
ところで、高麗青磁の成立に大きな影響を与えた中国の青磁は、基本的に文様をほどこさず、青い色や玉のような釉薬の質感を追究したのに対して、高麗では次第に線彫りや透彫り、象嵌(ぞうがん)による器面装飾を究めるようになります。同じ青磁でも、文化の土壌が異なると、美しさの目指す先も大きく異なるという点が興味深いですね。
とくに、素地に線刻やスタンプで文様を彫りあらわした部分に黒や白の土を埋め込んで、そのうえから青磁釉をかけて焼き上げる象嵌青磁は、半島特有のもので、繊細かつ情感豊かな表現が魅力です。

青磁象嵌山水人物文扁壺(せいじぞうがんさんすいじんぶつもんへんこ)  高麗時代・13~14世紀 韓国国立中央博物館

最近、私は鎌倉から出土した、黒と白の象嵌文様がほどこされた高麗青磁の小さなかけらを拝見しました。それが見つかった場所は、執権(しっけん)・北條時頼(ほうじょうときより)によって建長5年(1253)に創建され、鎌倉五山の一位に列せられた建長寺です。建長寺の敷地からは、中国や日本で焼かれた陶磁片が大量に出土していますが、高麗青磁はきわめて稀少です。日本国内では、鎌倉以外でも高麗青磁は出土していますが、その数は決して多くはありません。
一方で近年、中国でも杭州(こうしゅう)や上海(シャンハイ)、寧波(ニンポー)などの都市遺跡から、高麗青磁の出土が報告されています。いまから700年ほど前、元の至治3年(1323)頃に寧波から日本の博多へ向かう途中に韓国の新安沖(しんあんおき)で沈没した船の引揚資料にも、わずかながら上質な高麗青磁が積載されていました。
 

新安沖沈没船積載の高麗青磁(出典:韓国国立中央博物館  www.museum.go.kr/MUSEUM/contents/M0502000000.do?schM=view&searchId=search&relicId=4657)
注)今回の当館での展示には出品されていません
 
高麗だけでなく、中国や日本の上流階級者たちをも魅了した青磁。東アジアの文化交流の歴史に想いを馳せながら、ぜひこの特別企画「韓国美術の玉手箱」をお楽しみください。

カテゴリ:特別企画

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posted by 三笠景子(東洋室長) at 2026年03月31日 (火)

 

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