東洋書画担当の植松です。
特集「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(2月27日(日)まで)の展示は、後期に入りました。
シリーズでお届けしているこのブログ、今回は、趙孟頫(ちょうもうふ)の活躍した元時代の絵画のうち、東京国立博物館の後期展示で見られる名品を紹介します。
日本では古来、宋・元時代の中国絵画が、将軍・大名のコレクションや茶道の大名物として珍重されてきました。
元についていえば、趙孟頫をはじめとする著名な文人画家の真筆はあまり日本になく、のちの中国の正統な絵画史観に照らし合わせると、傍流ともいえる作品が多い点は否めません。
例えば、これから紹介する、葛叔英(かつしゅくえい)、孫君沢(そんくんたく)といった画家は、室町将軍家の鑑賞体系を物語る『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』に名前が記され、日本では大画家としてもてはやされましたが、中国本土には作例があまりのこっていません。
しかし、日本にある元時代絵画には、当然ながら、大切に伝えられてきただけの理由があるはずです。
以下、その魅力を考えていきたいと思います。
(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
栗鼠図軸 落款
栗鼠図軸 落款
葛叔英は、栗鼠図の名手「松田」として、日本で有名でした。
本図は、落款から、彼の91歳の時の作とわかります。
かわいた墨線で、栗鼠のややかたい毛並みが細かに表現されています。
見つめ合う二匹の目元、やわらかそうな鼻先や口元の愛らしさも見所です。
また、栗鼠の毛描きとは対照的に、葉を落とした木の輪郭には、かすれのある、あらあらしい筆づかいが目立ち、幹のごわごわした質感が伝えられます。
木の輪郭の外側には淡い墨面がはかれていて、幹の内側の白さが引き立てられています。
この白さは、あるいはうっすらと雪が積もっていることを示しているのかもしれません。
栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。
枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。
栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。
枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。
「栗鼠図軸」には、江戸時代の狩野常信(かのうつねのぶ、1636~1713)の箱書、外題が付属しており、享保11年(1726)の狩野派絵師による模本も現存しています。
武蔵国忍藩主である阿部正喬(あべまさたか、1672~1750)の所蔵を経て、のちに十二代将軍徳川家慶(とくがわいえよし、1793~1853)に献上されたものと考えられています。
(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」
重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」
重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
孫君沢は元代の杭州(浙江省)にあって、すでに滅びた南宋の宮廷山水画風を慕い、それをよりわかりやすいものに昇華させていった画家です。
本図は、雪景色をながめやる書斎の高士を詩情豊かに描きます。
雪景山水図軸 部分(旅人)
雪景山水図軸 部分(山石)
雪景山水図軸 部分(柳、梅、椿)
雪景山水図軸 部分(花瓶)
書斎の高士の視線の先には、広い川面、そして笠をかぶって橋をわたっていく騎馬の旅人の姿が小さく見えます。
雪の積もった山石に施される皴(山石の質感を表わす筆線)は、かたく直線的で、ひんやりとした空気感を伝えます。
葉を落とした柳にも雪がうっすらと積もり、梅や椿(山茶花)の花が白一色の世界にわずかな色彩を点じています。
書斎の中にも瓶に活けられた梅花が見えます。
細かなところまでよく行き届いた描写が魅力です。
(3)伝禅月筆「羅漢図軸」
重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
(3)伝禅月筆「羅漢図軸」
重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
羅漢図軸 部分(顔)
禅月大師貫休(ぜんげつたいしかんきゅう)は五代十国時代(907~960)の蜀の僧侶です。
怪奇な風貌と豪放な衣文が特徴の羅漢図を描いたとされ、その画風は南宋~元時代に引き継がれました。
日本には、元時代に作られたと考えられる、禅月風の水墨羅漢図がいくつものこっていますが、本図は、なかでも肉厚で生生しい目鼻や耳の描写に優れています。
元時代の道教・仏教絵画では、常人とは異なる迫力ある風貌を、現実感を伴って描く、このような表現が好まれたようです。
羅漢図軸 部分(香炉)
背景の香炉や靴も、簡略な描写ではあるものの、形がしっかりとらえられているので、立体感を失っていません。
展示場では、となりに別の禅月様羅漢図も並んでいます。
市河米庵(いちかわべいあん、1779~1858)旧蔵のこちらの「羅漢図軸」は、最初のものに比べると、描写があっさりしており、あるいは迫力不足な感じがするかもしれません。
似たような作品を見比べて、違いを探してみるのも絵画鑑賞の楽しみの一つでしょう。
羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】
没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承― 編集:台東区立書道博物館 編集協力:東京国立博物館 発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団 定価:1,200円(税込) ミュージアムショップのウェブサイトに移動する |
![]() |
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、中国の絵画・書跡
| 記事URL |
posted by 植松瑞希(出版企画室) at 2022年02月02日 (水)
考古室研究員の山本です。
前回に引き続いて、今回はポンペイの街の様子や特産品などの特色について解説します。
ポンペイの城壁で囲まれた街の広さはおおよそ66ヘクタールほど。
東京国立博物館がある上野公園は53ヘクタールですから、上野公園より少し広いくらいです。
城壁の外にも裕福な市民たちが建てた別荘が点在していました。
ポンペイではこれまでに全体の3分の2ほどの面積が発掘されています。
ポンペイ市街図 Ⅰ~Ⅷ区の区域分けは古代のものではなく、発掘に際して新たに付されたものです。
街は南北に1本(スタビアーナ通り)、東西に2本の大通り(北からノーラ通り・アッボンダンツァ通り)で区切られています。
街の主要な建物は南西のほうに固まっていました。
中心に位置するのがフォルムと呼ばれる広場。その周りに役所や裁判所などの公的機関、市場や神殿が集まっていました。
フォルムは上下二重に柱が並んだ廊に囲まれ、市場のほかにも多くの露店が並びにぎやかな情景でした。
フォルムの日常風景 1面 62~79年 ポンペイ、「ユリア・フェリクスの家」、アトリウム出土 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵
さらにフォルムの南東にあるのが大劇場と小劇場(音楽堂)。
劇場はギリシャ都市によくみられる建物の一つですが、ポンペイが位置するカンパニア地方では仮面を付けて演じる笑劇(アテラナ劇)が発祥したと言われ演劇が盛んだったようです。
左上:俳優(悲劇の若者役)、右下:俳優(女性役、おそらく遊女) 1世紀後半 ともにポンペイ、「カロリーナ王妃の家」、庭園出土 土製 ナポリ国立考古学博物館所蔵
ここであらためてポンペイの地図を見てみてください。
ここまでで見てきた街でも南東にある多くの公共建物が集まる地区は道や地区の形が雑然として配置された印象を受けます。
いっぽうでそれ以外の地区は大通りに沿って整然と区画されているように見えます。
おそらく、古くからの街の中心が南西のほうにあり、それ以外は宅地として順に整備されたのでしょう。
ただし、こうした場所から離れて位置する建物があります。
それが円形闘技場と大運動場です。
特に円形闘技場は、城壁の南東の角を取り込むように利用して建てられています。
劇場がギリシャ文化を下地にする要素とすると、円形闘技場はまさしくローマ的な建築物。
一説には円形闘技場で行われた剣闘士試合もカンパニア地方が起源と言われます。
円形闘技場での乱闘 1面 59~79年 ポンペイ、円形闘技場での乱闘の家、ペリステュリウム出土 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵
紀元後59年に円形闘技場で起きた、ポンペイとヌケリア両市民の乱闘の模様を描いたフレスコ画。背後の城壁とともに闘技場の姿を写実的に描いています
ちなみにこの円形闘技場、かつてのローマ世界に含まれる地域の中で現在まで残っている事例としては最も古いもの。
上の作品で見た円形闘技場乱闘事件の際、ちょうどローマ皇帝だったのがネロでした。
同じころローマではネロの巨大な像〈コロッスス〉が建てられており、彼の死後にこの像の跡地に巨大闘技場が建設されることになります。これがローマのコロッセオです。
ポンペイの円形闘技場はコロッセオよりも古くに作られたものなのです。
次に名産品について見てみましょう。
ポンペイには3つの特産品がありました。
ワイン、オリーブオイル、ガルム(魚醤)です。
バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山 1面 62~79年 ポンペイ、「百年祭の家」アトリウム出土、東壁 フレスコ ナポリ国立考古学博物館所蔵
この絵を見ると、ヴェスヴィオ山の麓に葡萄棚が広がっているのがわかります。
画面左の葡萄を身にまとったバックスは酒の神であり、下の蛇は葡萄を守護する神アガトダイモンの象徴です。この絵じたいがワイン製造業者の家に飾られたものとも言われています。
大プリニウスは、ポンペイのワインは深酒すると翌日に残りやすいと書き残しています。
当時のワインはアルコール度数が16~18度と高く、ふつう水で割って香辛料や海水や石灰などの添加物で味や色を調整していたそうです。今とずいぶん違いますね。
単把手付きガルム(魚醤)用小アンフォラ 1口 1世紀 ポンペイ、「ファウヌスの家」出土 土器 ナポリ国立考古学博物館所蔵
ガルムは魚を発酵させて作る調味料で魚醤の一種です。
イタリアでは現在でもアンチョビの副産物として製造されているものがあります。
魚醤はかつて日本でも一般的な調味料でしたが、仏教の影響もあって次第に大豆を原料とする醤油が広く使われるようになったと言われています。
現代の日本では目にする機会が少ないですが、秋田の「しょっつる」のように親しまれている地域があります。
ローマ世界ではこのガルムをいろいろな料理に用いていました。
ガルムには発酵によりグルタミン酸が多く含まれており、いわゆる「うま味」が強く作用したことが当時の人々に好まれた理由のようです。
当時の食生活に触れておくと、裕福な人々の家では台所で奴隷たちがさまざまな料理を作っていました。
目玉焼き器、あるいは丸パン焼き器 1個 1世紀 ヴェスヴィオ山周辺出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵
そうではない多くの人々は、食堂(テルモポリウム)で食事を食べたり料理を買って持ち帰ったりして食べていたようです。
ちなみに特別展会場のうち第2会場入り口に設けてあるグッズ売場は、2020年末にポンペイ遺跡で実際に発掘された食堂をイメージしてデザインしています。
水は誰でもふんだんに使うことができました。
紀元前1世紀、イタリア半島を縦断するように位置するアペニン山脈を源とする上水道がポンペイにも引かれてきます。
上水は街のいちばん高いところにあるヴェスヴィオ門わきの浄水場でろ過されたのち、鉛製の水道管で街じゅうの水汲み場に運ばれました。
ただし下水道は存在せず、生活排水は道路の側溝などに流されていました。
水道のバルブ 1個 1世紀 ポンペイ出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵
鍛冶組合の管理のもと、工業製品には高い技術が用いられていました。
いかがでしょうか?ポンペイの街と歴史を理解するのに少しでもお役に立てたなら幸いです。
さて、次回からは「そこにいた」人々の生き様を語る出品作品にクローズアップしましょう。
カテゴリ:2022年度の特別展
| 記事URL |
posted by 山本亮(考古室研究員) at 2022年01月31日 (月)
こんにちは!考古室研究員の山本です。
現在、平成館特別展示室で開催中のポンペイ展。
その展示を深く知るために、このブログではポンペイがどんな街だったか解説します。
今回はまずポンペイの街の歴史について見ていきましょう。
ポンペイはイタリア中南部の中核都市、ナポリからヴェスヴィオ山を挟んで向かい側に位置する遺跡です。
ポンペイはヴェスヴィオ山の南方10kmほどの場所にあります。
紀元後79年このヴェスヴィオ山が大噴火。
天高く噴煙が吹き上がる、いわゆるプリニー式噴火であったとされます。
この噴火の影響により、ポンペイはエルコラーノなど周辺の町とともに埋没してしまいました。ポンペイでは人口1万人のうち2千人ほどが亡くなったと言われています。
噴火当日午前から火山灰や軽石が降り注ぎ、翌朝に高温の火砕流と火砕サージが到達し、街は厚い火山噴出物の層に閉じ込められました。
しかしそのために、こうした火山由来の堆積物が乾燥剤のような役割を果たし、当時の文化的な遺物が多く残ったのです。
噴火の日付は長らく大プリニウスの息子である小プリニウスの記述から8月24日とされてきましたが、近年は10月24日とする説も有力です。
円形火鉢 1台 1世紀 ポンペイ、「竪琴奏者の家」、エクセドラ出土 ブロンズ ナポリ国立考古学博物館所蔵
近年の発掘調査で見つかった壁の落書きの日付に加え、こうした寒い時期に活躍する道具が出土することも噴火を10月末とする説の証拠とされます。
ポンペイが埋没した、ちょうどそのころはローマが帝国となって100年ほどが経った時代。
皆さんもポンペイと言えばローマ時代、という印象を持たれているのではないでしょうか。
実際に、これまでも日本でポンペイが話題に取り上げられるときにはこの噴火が起きた時代=ローマ時代がクローズアップされてきました。
たしかに都市としてのポンペイの歴史はこの噴火で幕を閉じました。
しかし、今回の特別展では特段「ローマ」という言葉を前面に出していません。
ポンペイにはローマの支配下に入る以前にも長い歴史があるからです。
次に街の成り立ちについて見ていくことにしましょう。
オスキ語の銘文のある小祭壇 1個 1世紀 ポンペイ、「ファウヌスの家」、アトリウム出土 トラバーチン ナポリ国立考古学博物館所蔵
ポンペイはもともと在来の人々であるオスク人に加え、イタリア北方のエトルリア人や地中海で広く植民活動を行っていたギリシャ人を中心に町ができ、紀元前6世紀には現在も見られる城壁の輪郭が出来上がったとされています。
ローマ社会では公用語してラテン語が用いられましたが、旧家ではオスク人が用いたオスキ語が記された遺物も見つかっています。
その後、紀元前5世紀に山岳部から進出してきたサムニウム人により町は占領されますが、この時代に大きく発展を遂げることになります。
やがて東地中海との交易も活発化し、紀元前2世紀にはヘレニズム文化の影響を大きく受けるようになります。
特にエジプトではそれまでの文化とギリシャ文化が融合し、ナイル川河口の都市アレクサンドリアを中心に地中海一円に強い影響力を持ちました。
イセエビとタコの戦い 1面 前2世紀末 ポンペイ、「ファウヌスの家」、トリクリニウム出土 モザイク ナポリ国立考古学博物館所蔵
アレクサンドリアの学問的な背景をもとに、地中海世界で広く流行した主題と言われます
このころまでに、ポンペイが位置するカンパニア地方にもローマの力が及ぶようになります。
ポンペイがローマの同盟市になったのは紀元前290年。
カルタゴのハンニバルがイタリアに攻め入ってきた第2次ポエニ戦争(紀元前219~201)で近傍の街であったヌケリアが破壊されると、ポンペイはカンパニア地方を代表する都市となります。
このヌケリア、大きい都市だったようでその後もポンペイのライバル的(?)存在として登場することがあります。(次回入門編②をご参照ください。)
大きな転機となったのは紀元前89年の同盟市戦争です。
主にイタリア南部でローマと同盟を結んでいた都市がローマ市民権などの権利を求めて蜂起しました。
ポンペイははじめローマに忠誠を示していましたが、後に他の同盟市とともに反旗を翻し、スッラ率いるローマ軍に敗れてしまいます。
しかしローマもポンペイをはじめとする同盟市を無視することはできず、ついに市民権を与えます。
一方でポンペイは紀元前80年にはローマの植民市となり、多くの退役軍人をはじめとする人々がローマからやってきたことで、ローマ化が一層進むことになりました。
ミネルウァ小像 2軀 1世紀 ポンペイ、「竪琴奏者の家」エクセドラ出土
ナポリ国立考古学博物館所蔵
ローマの植民市になると、ローマにならってフォルムの北にあったユピテル神殿にユノとミネルウァも併せて祀られるようになりました
紀元後62年、ポンペイを大きな地震が襲います。
この時の被害は甚大で、17年後の噴火の際にも多くの建物が復興の途上にあったことが知られています。
特に浴場はフォルム北側にあった1か所を除き、最大のスタビア浴場をはじめほとんどが閉鎖されたままだったことがわかっています。
哲学者のセネカは『自然研究』の中で、ポンペイを含むカンパニア地方ではこれまでにも地震があったものの被害があまりなかったので、その恐ろしさを忘れていたのだと記しています。
寺田寅彦の言葉を借りれば、まさしく「天災は忘れた頃にやってくる」だったのです。
そして運命の79年を迎えます。
ポンペイは1748年に本格的な発掘調査が行われるようになるまで長い眠りについたのです。
(ポンペイ入門(2) 街の様子編に続きます)
カテゴリ:2022年度の特別展
| 記事URL |
posted by 山本亮(考古室研究員) at 2022年01月28日 (金)
ほほーい、ぼくトーハクくん! 特別展「ポンペイ」の開幕ブログ後編だほ!
前編はこちらです。じゃあ、続きの第4章「ポンペイ繁栄の歴史」にいきましょう。まずはこちら、ファウヌスの家の3DCGの大画面がお迎えしてくれます。
どんな家なのか説明してほ。
ポンペイでも古くて最大規模の家なのよ。とても有名なモザイク装飾が残っていたの。
この映像のことほ?
そう「アレクサンドロス大王のモザイク」よ。実物は展示していないけど高精細映像で細部を見ることができるの。実際のファウヌスの家の部屋の一部を再現して、「アレクサンドロス大王のモザイク」と、その手前のモザイク画「ナイル川風景」をシートにして、床の本来あった位置に貼ってあるの。
ポンペイの繁栄を象徴しているような家の雰囲気がわかるほ。
この章では、この「ファウヌスの家」と「竪琴奏者の家」、「悲劇詩人の家」の出土品と家の一部の再現展示でポンペイ繁栄の歴史を紹介しています。
この像がもしかして名前の由来になったほ?
踊るファウヌス 前2世紀
そう、この像が「ファウヌスの家」から発見されたのよ。これはオリジナルの作品で、今回日本初公開なのよ。髭の乱れ具合とかポーズとか今にも踊りだしそうで躍動感がすごいね。ほかにもこの家由来の作品を紹介するよ。
ナイル川風景 前2世紀末
コブラの左にいるのはマングースらしいよ。昔からコブラの天敵だったのかな?
ネコとカモ 前1世紀
食糧庫に忍び込んだネコがいるね。
今見てもきれいで、描かれているものがよくわかって、とても埋まっていたなんて思えないほ。おっ、次の家が見えてきたほ。
「竪琴奏者の家」再現展示
ポンペイでもとても大きい「竪琴奏者の家」の再現展示ね。真ん中にブロンズのイノシシと犬がいるね。ヘビの像の内部には水道管があって、口から水を噴き出すようなつくりになっているのよ。ほかにもこんな動物もいるよ。
【右】ライオン 1世紀
【左】シカ 1世紀
ライオンが飾ってあるってことはすごい家だった気がするほ。次は三つ目の家だほ。
「悲劇詩人の家」再現展示
【右】プリセイスの引き渡し 50~79年
【左】ヘレネの略奪(あるいはクリュセイヌの帰還) 50~79年
「ファウヌスの家」や「竪琴奏者の家」よりもかなり小さいけど、数多くの神話画が飾られていたらしいわ。真ん中にプールみたいなものがあるけど、実際の家では上に天窓があって、落ちた雨水を貯めていたみたいよ。
いよいよ次で最後の章、第5章「発掘のいま、むかし」だほ。
ヴェスヴィオ山の噴火ではポンペイ以外にも、エルコラーノ、ソンマ・ヴェスヴィアーナが埋没したの。これらポンペイも含めて3遺跡の発掘の、18世紀から今までの歴史を振り返る章よ。
これはポンペイ以外から出土したほ?
へプロスを着た女性(通称「踊り子」) アウグストゥス時代(前27~後14年)
エルコラーノから出土したんだけど、エルコラーノはポンペイと違って硬い溶岩に覆われていたから、作品の保存状態も違うのかしらね。
これはどこから出土したほ?
ヒョウを抱くバックス(ディオニュソス) 前27~後14年頃 ノーラ歴史考古学博物館蔵
これは、ソンマ・ヴェスヴィアーナから出土したんだけど、472年の噴火で埋没したから、ポンペイとは埋没した時期が違うのよ。
ほー、すごい作品がたくさんあったほ。最後の部屋にも映像があるほ。
発掘の歴史や現在進行中の文化財の修復作業などを紹介しているね。そろそろ終わりにしましょうかトーハクくん。
ぼくのおすすめのお犬さんを紹介するの忘れていたほ。
猛犬注意 1世紀
今のお家にも「猛犬注意!」って看板が出ているお家もあると思うけど、それと同じ感じで出ていたらしいほ。でもこれは可愛いから、注意しないでお家に入っちゃうかもしれないほ。これをモチーフにしたオリジナルグッズも特別展ショップで販売しているからおすすめだほ!
※所蔵表記のない作品は、全てナポリ国立考古学博物館蔵。
※入館は事前予約(日時指定券)を推奨します。詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。
カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん、2022年度の特別展
| 記事URL |
posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2022年01月24日 (月)
1月15日(土)より平成館1階の企画展示室にて、特別企画 沖縄県立博物館・美術館 琉球王国文化遺産集積・再興事業 巡回展 「手わざ -琉球王国の文化-」が開幕しました。
沖縄県立博物館・美術館が平成27年度より行ってきた、琉球王国文化遺産集積・再興事業では、明治以降の近代化や先の戦争で失われた琉球王国の文化財とその製作技術の復元に努めてきました。
本展は、この事業で製作した選りすぐりの模造復元品をご紹介します。
模造復元とは、手本となるオリジナルの作品(原資料)について調査・研究を重ね、製作当時の姿を忠実に復元し、新たに製作することを指します。製作には、可能な限り製作当時と同じ材料と技術を使用しています。
この事業で完成した作品は、絵画、木彫、石彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線に至る8分野と多岐にわたります。本展では、各分野の作品を展示しています。
四季翎毛花卉図巻(しきれいもうかきずかん)
令和元年度(原資料:康煕51年(1712)) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
(注)会期中、巻替えあり
三御飾(美御前御揃)御酒器(金盃・銀製流台・托付銀鋺・八角銀鋺)(みつおかざり ぬーめーうすりー おんしゅき きんぱい ぎんせいながしだい たくつきぎんわん はっかくぎんわん)
平成28~30年度(原資料:琉球王国時代(第二尚氏時代))
朱漆巴紋牡丹沈金透彫足付盆(しゅうるしともえもんぼたんちんきんすかしぼりあしつきぼん)
令和2年度(原資料:16世紀)
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
玉陵勾欄羽目(たまうどぅんこうらんはめ)
令和元年度(原資料:16世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:2022年1月15日(土)~2月6日(日)
蛇皮線(じゃびせん)
令和2年度(原資料:19世紀後半) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
一部の資料は原資料も展示しており、比較しながらご覧いただけます。
(右)模造復元 擬宝珠形丁子風炉(ぎぼしがたちょうじぶろ) 平成30年度
(左)原資料 擬宝珠形丁子風炉 琉球王国時代・19世紀
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:1月15日(土)~2月20日(日)
製作工程をパネルにて詳しく解説しています。
黒漆雲龍螺鈿東道盆(くろうるしうんりゅうらでんとぅんだーぶん)
令和2年度(原資料:19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)
製作に使用する材料や道具などの資料もあわせて展示しています。
(右)御玉貫(うたまぬち) 平成30年度(原資料:16~19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵 通期展示
(左)御玉貫の製作道具と材料 (公財) 美術院蔵 通期展示
白地流水菖蒲蝶燕文様紅型苧麻衣裳(しろじりゅうすいしょうぶちょうつばめもんようびんがたちょまいしょう) 令和元年度(原資料:18~19世紀) 沖縄県立博物館・美術館蔵
展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)
(右)白地流水菖蒲蝶文様紅型型紙(しろじりゅうすいしょうぶちょうもんようびんがたかたがみ) 平成28年度(原資料:18~19世紀) 展示期間:2022年1月15日(土)~2月20日(日)
(左)紅型の製作道具と材料 通期展示
両作品ともに、沖縄県立博物館・美術館蔵
復元事業に携わった専門家、技術者は県内外100人以上にものぼります。
琉球王国の文化を守り伝えてきた人々の努力に、思いを馳せてご覧ください。
今後も本ブログで展覧会についてご紹介していきます。
どうぞお楽しみに。
カテゴリ:特別企画
| 記事URL |
posted by 長谷川悠(広報室) at 2022年01月24日 (月)