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1089ブログ

柳瀬荘のかまどの火焚き

東京国立博物館の施設のひとつ、柳瀬荘(埼玉県所沢市)をご存じでしょうか。

実業家であり茶人でもあった松永安左エ門(耳庵、1875~1971)氏の別荘だったもので、昭和23年(1948)3月に当館に寄贈されました。
 
松永氏は「電力の鬼」ともいわれた実業家で、第二次世界大戦後に9電力体制を発足させるなど、エネルギー産業再編成に尽力した人物です。
茶人としても名高く、60歳より茶道にたしなみ名器を集め、柳瀬荘において数々の茶会を催しました。
柳瀬荘以外にも多くの美術工芸品を当館に寄贈いただき、それらは貴重な収蔵品となっています。
 
竹茶杓 銘 埋火 小堀遠州作 江戸時代・17世紀 松永安左エ門氏寄贈 本館4室 5月18日(日)まで展示
「埋火(うずみび)」とは灰に残ったかすかな炭火のことです。遠州作と伝わり、細身の姿で中節の腰は低く、静かで繊細な印象の茶杓(ちゃしゃく)です。一方で、しっかりと曲げられた折撓(おりため)の櫂先(かいさき)と、そこに現れた胡麻の景色によって、貴人好みの洗練された趣が感じられます
 
柳瀬荘の主要建物である「黄林閣(おうりんかく)」は、江戸時代・天保期の民家の特色をよく示すものとして重要文化財に指定されています。荘内にはほかにも、書院造りの「斜月亭(しゃげつてい)」、茶室の「久木庵(きゅうぼくあん)」などが残されています。
 
重要文化財 黄林閣 
天保15年(1844)、現在の東京都東久留米市柳窪の地に大庄屋の住居として建てられたものを、昭和5年(1930)に松永氏が譲り受けて移築したものです。ふところの深い土間や天井の高い座敷は質実のうちに格調高い雰囲気を漂わせています
 
斜月亭
昭和13年(1938)から翌14年にかけて建築されたもので、数奇屋書院造、8畳の上の間、6畳の次の間、緑座敷の表5畳で構成されています
 
久木庵
江戸初期の建物で越後の武士、土岐二三の茶室だったものを解体し、その材料で昭和13年(1938)から翌14年にかけて移築されたものです。2畳台目の茶室と4畳ほどの水屋で構成されています
 
柳瀬荘は毎週木曜日、外観のみ無料で公開しており、また8月を除く毎月第2木曜日の10時から12時には、かまどの火焚きを行っています。
 
3月13日(木)に行われたかまどの火焚きの様子をすこしだけご覧いただきましょう。
 
最初の挨拶
 
かまどの火焚きは、「かまど火焚きの会」というボランティア団体によって支えられています。
会の母体は、柳瀬地域の郷土史研究会、民俗資料保存会の有志、そして見学等で活動を見て参加したいとおっしゃる近隣の方々で、現在20名の方がボランティア登録をして活動されています。
 
 
点火
 
点火後しばらく経つと、煙がもくもくとあがります
 
 
高い天井は煙でいっぱいになります
 
火焚きの目的は茅葺屋根の保存のためです。
煙に含まれる化学成分が茅に浸み込んで害虫を駆除する働きがあります。
ただ身体全体ににおいが染みつきますので、火焚きを見学になられる際には、服装にはご注意の上お越しください。
 
火焚き後のかまど
 
黄林閣の内部
 
火焚きのほか、柳瀬荘の室内も覗いてみてください。天井の高い座敷や襖絵などもみどころです。
 
公開日は週1回、毎週木曜日です。時間は時期によって変動しますので、詳しくはウェブサイトをご確認ください。
ぜひご都合をつけて、お越しください!
 

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posted by 天野史郎(広報室) at 2025年03月28日 (金)

 

金碧の障壁画空間―女御御所の襖絵―

大覚寺展チーフの金井です。

このところ暖かい日が続き、春の訪れを感じる今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 
創建1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(3月16日(日)まで)は連日たくさんのお客様にお越しいただき、誠にありがとうございます。
早いもので会期もあと2日となりました。
今回のブログでは、これまでに多くの方からご質問やご感想をいただいた、最後の障壁画の展示室のコンセプトについてお伝えしたいと思います。
 
第4章 女御御所の襖絵-正寝殿と宸殿 展示風景
 
▼空間を演出する―「障壁画」とは
大覚寺の宸殿(しんでん)と正寝殿(しょうしんでん)の2つの建物には、重要文化財に指定されている240面もの障壁画が伝わりますが、今回はこのうち、近年の14か年におよぶ本格修理を終えたものを中心に、前期100面、後期103面を見どころのひとつとしてご紹介しています。
 
ところで、本展でたびたび登場する「障壁画」という言葉は、あまり聞きなれないものではないでしょうか。皆様からのご感想のなかでも、屛風と障壁画の違いがよくわからない、といったお声も聞こえました。
 
障壁画は、襖や壁、杉戸や障子などに貼り付けたり直接描いたりしている絵画のことです。屛風はパネルに貼り付けられた折り畳み式の絵画ですが、障壁画は建物に付属するもので、原則入れ替えができません。そのため、それぞれの部屋の格式や使用目的に沿って画題が決められます。
 
たとえば、ご自宅の居間や応接間、書斎や寝室などをご想像ください。居間や応接間はお客様をおもてなしするための少し華やかな空間、寝室や書斎は休んだり集中したりするための落ち着いた空間です。その目的に応じて、壁紙の色やインテリアのテイストを決めると思いますが、その考え方は安土桃山~江戸時代も同様です。大覚寺宸殿の最も大きな「牡丹の間」は、公的な儀礼を行なう場として金地の色鮮やかな花鳥図が、そして正寝殿で最も重要な門跡の居室「御冠の間」には、画題のなかでも格式の高い水墨の山水図が収められています。障壁画は、空間にふさわしい空気感を演出する力を持っているのです。
 
宸殿「牡丹の間」

正寝殿「御冠の間」

▼障壁画の展示の仕方
今回の展覧会の展示で私たちが目指したのは、この空気感を体感していただくことでした。そのための展示方法は、大きく2つあります。ひとつは、現在収蔵されている部屋通りに並べて場を再現すること、もう一つは、障壁画に描かれた絵の姿がわかるように当初の順に並べかえて平たく展示することです。大覚寺展では後者を選択しました。
 
その理由は、大覚寺の障壁画群が当初は別の建物、おそらく内裏のいずれかの御殿のために描かれたもので、現在の配置とは異なっていた可能性が高いからです。寺伝では後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に入内(じゅだい)した徳川和子(とくがわまさこ)の女御御所の一部を移築したと伝えますが、女御御所のどの建物だったのか、どの部屋であったのは明確ではありません。また移築の際に、かなり改変が加えられたようで、襖の配置を入れ替えたり引手の位置を移したりといった跡が見られます。そのため、現在の大覚寺と同じ配置で展示するのではなく、なるべく制作当初に近い姿がみえるように、一つの絵の姿がクリアにわかるように広げて展示をしています。
 
重要文化財 牡丹図 狩野山楽筆
江戸時代・17世紀 京都・大覚寺蔵  展示風景

襖絵の引手位置を改変した跡

 
実際に展示室に足を運んでいただくと、大きな大広間で、四方を金地の花鳥図で囲まれたような空間を体感することができます。展示はまもなく終了しますが、障壁画が空間を演出する力を、ぜひ実感いただければと思います。
 
また展覧会を御覧になった後、もっと作品や大覚寺について知りたい!という方のために、参考文献リストを資料館ウェブサイトで公開しています。
文献の多くは資料館閲覧室にて無料でご覧いただくことができますので、こちらにもぜひ足をお運びください。
(平日のみ開館です。詳細は資料館利用案内をご確認ください)
 
 

カテゴリ:「大覚寺」

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posted by 金井裕子(教育講座室長) at 2025年03月14日 (金)

 

「拓本のたのしみ」その4

東京国立博物館(以下、東博)と台東区立書道博物館(以下、書道博)で開催中の連携企画「拓本のたのしみ」【3月16日(日)まで】は、閉幕まであとわずかとなりました。
両館の展示についてリレー形式でご紹介してきたブログも今回が最後となります。
 
初回でもお伝えしましたが、サブタイトルに「明清文人の世界」と題した東博展示では、前半部(「拓本あれこれ」、「碑拓法帖の優品」)で拓本そのものの魅力に注目し、後半部(「鑑賞と研究」、「収集と伝来」)で拓本を愛好し楽しんだ明清時代の文人の活動に焦点を当てています。
第1回のブログに続き、最終回は東博展示の後半部の概要を中心にお伝えします。
 
 
「鑑賞と研究」
書の拓本である碑拓法帖(碑帖)を手習いした臨書や模本、鑑賞記録として周囲に書きつけられた題跋や印記等の資料は、伝来はもとより、碑帖の鑑賞・研究の実体を物語っています。
ここでは、書画家や収蔵家としても名を馳せた、明・清時代の文人たちが残したこれらの資料から、碑拓の愛好の様子をご覧いただきます。
 

楷行草雑臨古帖巻(巻頭 本紙)
劉墉筆 清時代・乾隆51年(1786)
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】

楷行草雑臨古帖巻(本紙 冒頭)
 
こちらは、松・梅・笹の文様を廻らせた絹本に、王羲之(おうぎし、303~361)の草書の代表作「十七帖(じゅうしちじょう)」から五代の能書、楊凝式(ようぎょうしき、873~954)の「韭花帖(きゅうかじょう)」まで、歴代の法書を渾厚な筆致で臨書した1巻です。原跡の形にとらわれず、比較的自由な態度で書写された、書き手の個性がひかる臨書です。
筆者の劉墉(りゅうよう、1719~1804)は、清の乾隆・嘉慶期の高官で、書では法帖を拠り所とする帖学派の大家として知られます。『淳化閣帖(じゅんかかくじょう)』などの法帖から、三国・魏の鍾繇(しょうよう、151~230)や王羲之の書法を学び、濃墨を用いた重厚で古雅な表現を確立しました。


模九成宮醴泉銘冊(本文 第1開)
翁方綱摸 清時代・乾隆56年(1791) 
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】


模九成宮醴泉銘冊(第1紙 上部)
 
こちらは、碑帖研究の大家の翁方綱(おうほうこう、1733~1818)が、初彭齢(しょほうれい、1749~1825)所蔵の宋拓「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」から100字を選び、響搨(きょうとう)という技法で制作した模本です。
響搨とは、原跡の上に紙をのせて、窓から射す光で文字を透かして写し取ること。本作では、文字の輪郭を写し(双鉤)、中を墨でうめる(塡墨)、双鉤塡墨(そうこうてんぼく)という模写技法が併用されています。
翁方綱はこのような緻密な技法を駆使して同一古典の碑帖を比較、考証し、碑帖研究の進展に大きく寄与しました。
 
 
「収集と伝来」
書画家・学者・収蔵家など様々な顔をもつ文人は、鑑賞・研究の対象として、また社会的地位を示す文物として、優れた拓本を収集しました。
また、金石(青銅器や石碑など)の研究が盛行した清時代には、山野に埋もれた資料を自ら探し求めることもありました。
ここでは、収集と伝来に注目しながら、碑拓法帖やその原物をご紹介します。
 
武氏祠画像石 後漢時代・2世紀 
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
 
 
武氏祠画像石(部分) 
 
こちらは、後漢時代の地方豪族、武氏一族の祠堂(しどう)を飾った画像石のうち、武梁(ぶりょう、78~151)の祠堂東壁の拓本です。壁面のレリーフにみられる人物が刻された5層は、最上層が東王公のいる東方の神仙世界、2層以下は地上世界で、列女や孝行者、刺客の故事などを表しています。人物の近くには、当時刻された隷書の題記がみられます。
祠堂は地上に建てられて墓主を祀り、棺を安置する墓室は地下に造られました。武氏祠は今の山東省嘉祥の武宅山の北麓に造営され、長らく地中に埋もれていたところ、乾隆51年(1786)に金石学者の黄易(こうえき、1744~1802)らによって発掘、保存されました。武氏祠画像石のなかには、黄易らの発掘経緯が傍らに追刻されたものもあります。
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石) 唐時代・咸通9年(868)
端方氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石 第1面 上部)


仏頂尊勝陀羅尼経幢(台座(後補) 第5面 銘文)
 
こちらは唐時代に造られた「仏頂尊勝陀羅尼経幢(ぶっちょうそんしょうだらにきょうどう)」の原石です。経幢とは仏典などの経文を刻した石造物のことで、唐時代以降に盛んに造られました。多くは本作のように『仏頂尊勝陀羅尼経』を廻らせた八角柱で、蓋(欠損)と台座(後補)を備えます。
この経幢原石は、もとは清末の金石書画の大収蔵家である端方 (たんぽう、1861~1911)のコレクションのひとつでした。端方は、明治36年(1903)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会に、本作を含む自身の金石コレクションを出品しました。そして東京帝室博物館(現在の東博)の依頼を受けた端方は、閉会後に、本作など10数件の金石資料を博物館に寄贈しました。
寄贈された当初、本作は幢身の石柱のみの状態でしたが、のちに博物館で大理石製の台座(銘文「李唐咸通経幢台座/東京帝室博物館造」)に据えられ、拓本が取られました。
東京帝室博物館は寄贈に対して謝意を表し、江戸初期頃の甲冑一具を端方に贈呈し、端方は礼状を返送しました。

仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本) 唐時代・咸通9年(868)
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本 第1面 上部)

こちらが、端方の寄贈後に博物館で取られた拓本です。原石よりも比較的文字が見やすく、「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」の王羲之書法に通ずる典雅で変化に富む字姿であることがわかります。
この「仏頂尊勝陀羅尼経幢」の原石と拓本は、ただ金石・拓本の収集・伝来の様子を物語るにとどまらず、文物を介した近代の日中交流を物語る資料としても貴重です。
 
 
全4回にわたって東博・書道博の連携企画「拓本のたのしみ」についてお伝えしてきました。
ぜひ両館で魅力あふれる拓本と、拓本を愛してやまない文人たちのディープな世界をご堪能ください。

 

 

拓本のたのしみ

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
拓本のたのしみ 表紙画像

カテゴリ:中国の絵画・書跡「拓本のたのしみ」

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posted by 六人部克典(東洋室) at 2025年03月11日 (火)

 

1200年前から変わらない空気感、冬の大覚寺へ

 開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(~3月16日(日))の閉幕まで、残りわずかとなりました。

 
すでに展覧会をご覧いただいた方の中には、本展をきっかけに「大覚寺を訪れてみたい」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで今回は、大覚寺についてご紹介します。
 
京都府の北西、右京区嵯峨にある大覚寺は、平安時代のはじめに、嵯峨天皇が離宮・嵯峨院をつくったことにはじまります。
その後、嵯峨天皇の皇女・正子内親王(まさこないしんのう)が父や夫の淳和天皇(じゅんなてんのう)を供養するためお寺にしたいと願い、大覚寺が開創されました。
 
 
渡月橋は嵯峨天皇の行幸の際に架けられたという説も
 
JR京都駅から嵯峨嵐山駅まで、嵯峨野線に乗車して約16分。
年間を通して観光客でにぎわう嵐山エリアですが、大覚寺へは駅の北口から、閑静な住宅街を通って向かいます。
 
 
 
 
 
 
駅からゆっくり歩いて20分ほどで表門に到着。この日は時折雪が降り、しんとした静けさを肌で感じつつ、参拝口へ。
 
 
表門
 
大覚寺は、歴代天皇や皇族の方が門跡(住職)を務められたことから、門跡寺院として高い格式を誇ります。
 
 
いけばな発祥の地であり、嵯峨御流の総司所(家元)としても知られています。
 
また、大覚寺の周辺環境は見渡す限り電柱などの遮蔽物がなく、昔ながらの景色が今も変わらず楽しめることから、時代劇をはじめドラマや映画のロケ地としても親しまれてきました。
 
 
式台玄関と臥龍(がりょう)の松
 
それでは、さっそく境内へ入っていきます。
大覚寺の特徴として、建物のほとんどが移築されてきたものであることが挙げられます。
 
狩野山楽による襖絵「牡丹図」や「紅白梅図」のある宸殿(しんでん)は、江戸時代に後水尾天皇と結婚した和子(東福門院)の女御御所が移築されたものと伝わります。
 
 
宸殿(重要文化財)の外観(東側から)
 
 
宸殿「牡丹の間」(襖絵は復元模写)
 
大覚寺の建物に現在はめられている襖絵は、昭和中期に描かれた復元模写です。
 
今回の特別展では、大覚寺が霊宝館に保管する240面の障壁画(オリジナル)から、14か年計画で進んでいる修理作業のうち、修理を終えたものを中心に、前後期併せて123面が出品されています。
 
 
第4章の展示風景
 
障壁画をパノラマティックに展覧する本展の趣と異なり、大覚寺では、襖絵が当時の生活のなかでどのように使用されていたかを、間近に体感することができます。
 
 
宸殿「紅梅の間」(襖絵は復元模写)
 
 
蔀戸(しとみど:戸板を上下に開け閉めする建具)の蝉飾りは職人による手作りで、一匹一匹が異なる造形をしています。
 
宸殿の北西に位置する正寝殿も、重要文化財に指定されている建物です。
こちらは安土桃山時代の遺構と考えられており、本展で再現展示をしている「御冠の間」も正寝殿にあります。
大覚寺の中興の祖・後宇多法皇が院政を敷き、南北朝講和の舞台になったと伝えられます。
 
 
正寝殿「御冠の間」(襖絵は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています。(注)現在当館で展示中のため不完全な部分があります)
 
 
正寝殿「御冠の間」の再現展示
 
本展でもとりわけ愛らしさが際立つ「野兎図」は、正寝殿の腰障子に描かれています。
 
 
正寝殿「狭屋(さや)」に描かれた兎(野兎図は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています)
 
なお、今夏には通常非公開である正寝殿の特別公開が行われます(6月21日(土)~8月3日(日)まで)。
詳しくは大覚寺のウェブサイトをご確認ください。
 
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は「村雨の廊下」と名付けられ、縦の木柱を雨に、折れ曲がった廊下を雷に見立てているとのこと。
 
 
防犯を兼ねて天井は低く、床は鴬張りになっています。
 
大正14年に建てられた心経殿には、嵯峨天皇をはじめ、天皇直筆の書(宸翰:しんかん)の般若心経が奉安されています。
ちなみに、心経殿を建てる際に資金集めをしたのが実業家の渋沢栄一。ここにも歴史の一端が垣間見えます。
 
 
勅封心経殿
 
 
心経前殿(御影堂)

心経殿を拝するための心経前殿は、大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を移築したもの。
移築の際に、大覚寺の本堂を移動させたため、もともと本堂のあった場所が石舞台となっています。
 
 
石舞台と勅使門(奥)
 
心経前殿を過ぎ奥へ進むと、明治の廃仏毀釈の際に京都東山から移築された、安井門跡蓮華光院の御影堂(安井堂)があります。
本展の見どころのひとつ、重要文化財の刀剣「薄緑<膝丸>」は、安井堂が大覚寺に移築された際に共に納められたと伝わっています。
 
 
重要文化財 太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)(たち めい  ただ(めいぶつ うすみどり〈ひざまる〉))
鎌倉時代・13世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
安井堂に隣接するのは、現在の大覚寺の本堂にあたる五大堂。本堂には、大覚寺の本尊である不動明王を中心とした五大明王が祀られています。
大覚寺には平安時代後期、室町~江戸時代、近代の3組の五大明王があり、そのうちの2組の五大明王が、本展に出品されています。
 
 
 
 
五大堂では写経体験も。己を見つめなおす時間を設けるのもおすすめです。
 
明円作の重要文化財「五大明王像」は普段は厨子に入っているため、ガラスケース越しにじっくりと見られる本展の貴重な機会をお見逃しなく。
 
 
重要文化財 五大明王像のうち不動明王
明円作 平安時代・安元3 年(1177) 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
五大堂から眺める大沢池は、1200年前から変わらない風景が心を打ちます。
周囲約1キロメートルの日本最古の人工池で、日本三大名月鑑賞地としても親しまれています。
 
 
五大堂から大沢池をのぞむ
 
池の周りは散策コースとして、15分ほどで一周できます。
鴨や鷺(さぎ)、鵜(う)や、カイツブリなど多くの野鳥をはじめ、梅林や竹林もあり、春は桜、秋は紅葉と、四季折々でさまざまな風景が楽しめます。
 
 
令和6年2月には開創1150年記念事業の一環として、新たに名古曽橋が開通しました。
 
歴史の厚みが感じられる独特の空気感は、現地に行ってこそ得られる特別な体験です。
今回ご紹介したのは一部ですが、大覚寺の静寂さや宮廷文化の華やかな雰囲気が伝われば幸いです。
 
 
 
本展は大覚寺の貴重な寺宝の中から、障壁画の原品や、貴重な密教美術の名品を一挙に見られるまたとない機会です。会期は3月16日(日)まで。
 
ぜひ、特別展「大覚寺」と京都の大覚寺、どちらにも足をお運びください!
 
 

カテゴリ:彫刻絵画刀剣「大覚寺」

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posted by 田中 未来(広報室) at 2025年03月10日 (月)

 

おひなさまと日本の人形

東京国立博物館では、例年3月3日の桃の節句にあわせて、ひな人形や日本の伝統人形の展示を行っています。


特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室、3月23日(日)まで)の展示風景

古代には、罪や穢れ(けがれ)を人形(ひとがた)に託して水に流すという風習がありました。また、季節を問わず、平安貴族の子どもたちが小さな人形で遊ぶ「ひいな遊び」もあり、そのような文化から、今のひな祭りへと発展したと考えられています。
例年展示している、おひなさまのルーツとも呼べる天児(あまがつ)や這子(ほうこ)など、ひな人形の歴史を辿る展示に加え、今年は古今雛(こきんびな)の名品を展示しています。
古今雛は、山車(だし)人形の制作技術を応用してつくられたひな人形です。

古今雛
末吉石舟作 江戸時代・文政10年(1827) 山本米子氏寄贈
古今雛(部分)

 

きらりと輝く瞳には、ガラスが入れられています。いきいきとしながらも、お顔立ちは非常に端正で、気品あふれる表情をしています。また、宮廷装束を模倣しつつも、町方の好みの豪華な衣裳をまとっています。

そのほかにも、鮮やかな彩色を施した紙でつくられた立雛(たちびな)、上方で好まれた丸い頭部にちょこんと目鼻をつけた古式次郎左衛門雛(こしきじろざえもんびな)、江戸時代の奢侈禁止令をうけて流行した大変小さな芥子雛(けしびな)など、一口に「おひなさま」といっても、さまざまな種類や流行があります。
ぜひ展示室で、お気に入りのひな人形を見つけてみてください。


芥子雛
七澤屋製 江戸時代・19世紀 牧野次助氏寄贈

本特集では、ひな人形に加えて、日本の伝統的な人形も展示しています。たとえば、朝廷や公家で好まれたことに由来するとされる御所人形。ふくふくとした表情・体つきが愛らしく、愛でていたくなるようなお人形ばかりです。

御所人形 立子(奴姿)(ごしょにんぎょう たちご(やっこすがた))
江戸時代・19世紀
御所人形 立子(奴姿)(部分)

 

従者の奴(やっこ)に見立てた御所人形。きりっとした表情をしていますが、丸くつくられた頭にふっくらとした体つきは、まるでごっこ遊びをしている子供のようです。ずっと見守っていたくなるようなかわいらしさがあります。

加えて、子供たちが実際に衣裳を着替えさせて遊んだ、三折(みつお)れ人形も展示しています。3か所の関節が折り曲げられるため、「三折れ」とよばれます。


三折れ人形
江戸時代・19世紀

伊予国(いよのくに)宇和島藩の伊達家に生まれ、飯野藩保科家へと嫁いだ節子姫の愛用品といわれ、「御舟様(おふねさま)」の愛称をもつお人形です。子供の成長の側に、お人形が寄り添っていたことを物語っています。

「かわいらしさ」を尊ぶ日本の人形文化を、展示室にて味わっていただければ幸いです。
もちろん、それを支えている職人の高度な技術にもご注目いただきたく、細部までじっくりとご覧いただければと思います。遠目では見えにくい部分についても、展示室入り口のモニターに、クローズアップしたスライドショーを投影しています。
ぜひ、東京国立博物館で華やかに桃の節句をお祝いしましょう。

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 沼沢ゆかり(学芸研究部) at 2025年03月03日 (月)

 

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