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1089ブログ

夏休みに発見! 料紙の魅力

当館所蔵の国宝・古今和歌集(元永本)をご存知でしょうか。

国宝 古今和歌集
国宝 古今和歌集(元永本) 藤原定実筆  平安時代・元永2年(1120) 東京国立博物館蔵(特別展「和様の書」にて展示中)

私はこの作品が展示されるたびに、その筆跡はもちろんですが、紙の美しさに驚きます。

美しく飾られた料紙、そのバリエーション、筆跡とのバランス。
この作品の前に立つと“日本人の美意識”を漠然と感じてしまう、そんな力をもった作品のひとつです。
特別展「和様の書」にも展示されている国宝 古今和歌集(元永本)の魅力をぜひとも多くの方にお伝えしたい、と思い、ファミリーワークショップ「きらきら光る唐紙を摺ろう」おとなのためのワークショップ「唐紙の魅力、料紙の魅力」を開催しました。

国宝 古今和歌集(元永本)には版を作ってもようを摺った唐紙も使われています。
雲母をいれた絵具で摺ると、キラキラと光るもようが浮かび上がり、光の加減でもようの見え方も変わります。
ついつい見入ってしまう美しい唐紙に感動していただくべく、トーハク特製「国宝 古今和歌集(元永本)から起こした版」をご用意しました!

ファミリーワークショップ「きらきら光る唐紙を摺ろう」ではまず、特別展「和様の書」担当の高橋裕次研究員と一緒に本館の展示を鑑賞。



わかりやすい解説にケースにかぶりつくように見入る子どもたち。


今日のもようは、上の写真と同じ、花襷文、獅子二重丸文の2種類です。
版に絵具をのせ、さらに紙をのせて手で押さえ、ゆっくりと紙を持ち上げたらお手製唐紙の完成!

料紙づくり

今回はこれでは終わりません。
本館で鑑賞した手鑑(書跡を貼りこんだアルバム)にならい、巻物を作ります。
和様の書や唐紙に関する解説カードと自分で摺った唐紙を、バランスを考えて貼り、三跡の作品から「月」「花」「海」をお手本に書いて貼りこんだら完成!

手鑑づくり

貼り方、書き方、飾り方にも個性が表れています。
「特別展「和様の書」でほかの唐紙のもようを探します!」「バランスよく散らして貼るのが難しい」「夏休みの自由研究で提出します!」という声のほかに、「私の手鑑を高橋先生に見てほしい!」というかわいいリクエストも。
そこで子どもたちに人気の高橋研究員と一緒にパチリ。

集合写真

おとなのためのワークショップ「唐紙の魅力、料紙の魅力」では高橋研究員から画像を用い、研究成果を交えながらの丁寧な解説、展示室での解説、唐紙をする体験を行い、こちらも大変好評でした。

日本人の美意識。それが一体何なのか、私もまだ説明できません。
でも、日本人の美意識を感じられる時間をトーハクで過ごしていただけたのではないでしょうか。

 

カテゴリ:教育普及2013年度の特別展

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年08月30日 (金)

 

書のデモンストレーション

書に関する特別展では最近恒例となっている席上揮毫会(書のデモンストレーション)を開催しました。
私も、書家の先生方が書に向かう姿を拝見し、その緊張感に驚いてきたひとり。
そして今回もまた、書の魅力に感動したひとりです。

350名近い多くのお客さまにお集まりいただいた今回は、書家の立場からお話くださる原奈緒美先生(読売書法会理事、書道香瓔会理事)と、書の研究者であるトーハクの島谷弘幸副館長が進行役。

司会の原奈緒美先生と島谷副館長

午前の回では、佐々木宏遠先生、山根亙清先生、田頭一舟先生、午後の回では日比野実先生、舟尾圭碩先生、岩永栖邨先生が揮毫してくださいました。

先生の手元はスクリーンに投影されます。大講堂にいたすべてのひとが、ステージ上で真剣に書に向かう先生の姿、筆が走り作品ができていく様子に見入ります。

先生の揮毫


揮毫してくださった先生と、進行役のおふたりのお話は、私のような初心者にも見どころがわかりやすく、私も舞台袖でひとりフムフムと納得したり、笑ったり。
会場には先生方とお客様の、書が大好き、という気持ちがあふれていました。
先生方の揮毫作品は、平成館ラウンジにて展示させていただきました。(当日のみ)

ラウンジに展示


席上揮毫会のあとに特別展「和様の書」の会場を歩いていると島谷副館長のお話を思い出しました。
「読めなくても楽しい。でも読めればもっと楽しい。書けなくても楽しい。でもかければもっと楽しい。」


筆の使い方、スピード、形、墨の濃淡などに注目すると、書家の姿が浮かびます。
作品のバランスや題材となる歌の内容にあった料紙の選択などの工夫に注目すると、書家のイメージに近づけたような気がしました。
特別展「和様の書」も残すところあと2週。この2週間、目いっぱい書を楽しみたいと思います。
お集まりいただきました皆様、書家の先生方、本当にありがとうございました。
 

カテゴリ:教育普及2013年度の特別展

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年08月27日 (火)

 

親子で三跡に挑戦!

特別展「和様の書」には三跡(さんせき)とよばれるひとたちの書いた作品が展示されています。
三跡とは、日本らしい「和様の書」をつくった平安時代の能書(のうしょ)。
小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのさり)・藤原行成(ふじわらのこうぜい)の3人です。

三跡の書をお手本に、実際に書いて三跡に挑戦してみよう!
と意気込んだ皆さんが、親子書道教室「三跡に挑戦!」に参加してくれました。
その様子をお伝えします。


髙木聖雨先生、師田久子先生

講師は書家の髙木聖雨先生(写真左)、師田久子先生(写真右)のおふたり。
それぞれ漢字とかなを書くコツを教えてくださいました。


練習と本番

三跡の作品から字をあつめてつくったお手本を真剣にうつします。


親子で
小学5年生の男の子とお母さん。
道風の本阿弥切の「ゆきふる」を書いた男の子は書道教室に通っているそうです。
さすがですね。ほんものの本阿弥切を見たら、感想を是非教えてください。

 

島谷副館長と
島谷副館長と一緒に記念撮影をした女の子は3年生。
どこまでがひとつの文字かよくわからなかったけど、学校の授業で書くのと違っておもしろかった、
と話してくれました。色紙への貼り方にも個性が出ています。


こどもたちの感想をご紹介します。

「変な字だった。書いてみたら筆の動きも変でおもしろかった」
学校で「とめ・はね・はらい」の基本を学んでいるこどもたちにとって草書は、ヒミツの暗号のようにも、不思議な図形のようにも見えたかもしれません。
三跡の字をみても「きれいな字」という感想が聞かれなかったのはきっとそのためでしょう。だからこそ楽しかったのかもしれません。
変な字、普段習うきれいな字と違うすごい字。その楽しさを展示室でも感じてね。

「むかしも夏は暑いから眠れなくて月をみたのかな」
「月っていまと同じだね、むかしのひとと同じ字をつかっているんだね」
姉妹の言葉に私もはっとしました。
道風の継色紙からのお手本「なつの月」を書きながら月を見上げるひとを思い浮かべたのでしょう。
文字そのものが伝わっているのもすごいよね。
長い時間を越えて伝わる心も字も、両方大切にしていきたいね。

「きれいな紙にかけてうれしかった。いつもは白い紙だから」
きれいな紙を料紙といいます。
きっとむかしの人も、きれいな紙に書けることがうれしかったり、自慢だったりしたんじゃないかな。

そして、完成した作品を手に記念撮影。
ご覧ください、この誇らしげな姿。
自慢の「和様の書」、大切にしてくださいね。

集合写真


書は楽しい。
彼らの姿をみると、皆さんもそう思いませんか?

 

関連イベントのお知らせ
特別展「和様の書」 席上揮毫会(書のデモンストレーション)
8月25日(日) 第1回:10時30分~、第2回:15時30分~ (各回300名)
平成館大講堂にて(どなたでも自由にご覧いただけます。)

 

カテゴリ:教育普及2013年度の特別展

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posted by 川岸瀬里(教育普及室) at 2013年08月23日 (金)

 

この秋、上海博物館の至宝に会える!!

トーハクでは今秋、特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」(2013年10月1日(火)~11月24日(日)東洋館8室)を開催します。
2013年8月20日(火)に報道発表会を行いました。

報道説明会の様子

本展覧会担当研究員、塚本麿充より展覧会の構成と見どころを解説いたしました。

塚本研究員
塚本麿充 東洋室研究員


一級文物18件!中国絵画史に燦然と輝く名品きたる!


中国でも最大規模の収蔵を誇る上海博物館。
そのなかから、一級文物18件をふくむ40件もの名品によって、中国絵画の流れをご紹介します。

煙江叠嶂図巻
一級文物 煙江叠嶂図巻(えんこうじょうしょうずかん)(部分) 
王詵(おうしん)筆 北宋時代・11~12世紀
展示期間:10月1日(火)~10月27日(日)

この作品は、文人画家・王詵の現存唯一の作品。そもそも北宋時代の絵画は、数が少なくて大変貴重なのだそうです。
美しい淡彩で書かれた岩山が、水上に幻想的に浮かび上がる山水画です。

この雄大な景色に溶け込むように、人間が8人描かれています。

人間発見1 人間発見2

山水画版「ウォーリーをさがせ!」のようで、見つけると嬉しくなってしまいます。小さいですが、ぜひ会場で見てみてくださいね。


日本人が見ることがなかった「正統文人画」


中国絵画は、日本でも古くから蒐集され、愛好されてきました。室町幕府8代将軍・足利義政によって収集された「東山御物」が有名です。
しかし、中国で「正統絵画」と言われている王道の作品は、実は日本ではほとんど所蔵されていないのをご存知でしょうか。
トーハクでも中国絵画の名品を所蔵していますが、それらは中国絵画史上「非正統絵画」と呼ばれている作品です。
(「正統文人画」の意味や、誰が正統だと決めたのかなど、詳細は後日、本1089ブログにてご説明する予定です。)

漁荘秋霽図軸
一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)
倪瓚(げいさん)筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間:10月1日(火)~10月27日(日)


元代を代表する文人画家・倪瓚の作品です。
すっきりとした筆墨によって描き出された無人の山水画。のちの中国絵画の規範になったのだそうです。
でも…、ただ枯れ木が描かれているだけのようにも見える…。
いえいえ!これこそが文人の心の風景、中国人の原風景といっても過言ではないのです!
ここに描かれた人生の機微を、ぜひその目でお確かめください。


正統だけじゃない!中国絵画1000年の歴史!

山陰道上図巻
山陰道上図巻(さんいんどうじょうずかん)(部分)
呉彬(ごひん)筆 明時代・1608年 上海博物館蔵


うねうねと波打つような山のかたち。怪奇的で、なんだか夢に出て来そうです。
明代末期になると、正統派に背を向けた異端の画家たちが現れます。これらの個性的な画家は、奇想派(エキセントリックスクール)と呼ばれました。
当時の人々もきっとこの絵に驚いたことでしょう。しかし奇想派は、日本ではあまり注目を浴びることがありませんでした。
本展覧会ではこのようなラインにも注目し、今まで知らなかった中国絵画の歴史を初めてご覧にいれます。

中国の五代・北宋から明清にいたる中国絵画の系譜。
その歴史を、これまでにない新たな視点も交えて名品で辿ります。
東京国立博物館と上海博物館の長年の友好が生んだ奇跡の展覧会に、ぜひご期待ください。

作品紹介やイベント情報など、今後も1089ブログでご紹介していきます。どうぞお楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2013年度の特別展展示環境・たてもの

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posted by 小島佳(広報室) at 2013年08月22日 (木)

 

断簡―掛軸になった絵巻―(3)絵巻が断簡になるとき

特集陳列「断簡―掛軸になった絵巻」で展示されている作品の様々なドラマをご紹介しているブログの第3回目。今回は「絵巻が断簡になるとき」と題して、巻子だった絵巻が、どういった理由で掛軸の断簡となったのかを、今回展示している紫式部日記絵巻断簡をめぐるドラマティックなエピソードとともにご紹介したいと思います。

さて、絵巻が断簡になるのはいくつかの理由が考えられるのですが、大きく分けて二つの理由が考えられます。一つは不可抗力により絵巻が断簡となった例。もう一つが人為的に断簡となった例です。

一つ目に関しては、経年による糊離れなどによってバラバラとなってしまい、一紙あるいは数紙分を断簡に仕立てた例。第1回目のブログ「断簡―掛軸になった絵巻―(1)再会する絵巻」でご紹介した男衾三郎絵巻や、今回展示している住吉物語絵巻とその断簡も、おそらくこの理由から断簡となったと思われます。戦災により分かれてしまった狭衣物語絵巻(この絵巻をめぐる数奇な運命は第2回ブログ「断簡―掛軸になった絵巻―(2)「断簡」に秘められたドラマ」を参照)もこの範疇に入ると思われます。

住吉物語絵巻
左:重要美術品 住吉物語絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀
右:重要文化財 住吉物語絵巻(部分) 鎌倉時代・13世紀
もとは一つの絵巻でありながら、詞書は失われ、絵のみが巻子と断簡に仕立てられています。



いっぽう、二つ目の例、人為的に断簡になった絵巻でもっとも有名な事例が佐竹本三十六歌仙絵巻の切断です。このエピソードに関しても、第2回ブログでご紹介しているのでぜひご覧いただきたいのですが、この絵巻切断を主導した益田鈍翁という人物。彼は今回展示している紫式部日記絵巻が断簡となるきっかけをつくった人物でもありました。

紫式部日記絵巻は大正期頃には数巻が確認されていましたが、大正8年(1919)頃、名古屋の森川勘一郎が発見した一巻は絵と詞各五段から成る巻子でした(このことから旧森川家本と呼ばれています)。東博の断簡は森川家本の第三段に当たるのですが、なぜ絵巻の真ん中に位置する段が掛軸になっているのでしょうか。

紫式部日記絵巻断簡
重要文化財 紫式部日記絵巻断簡 鎌倉時代・13世紀

森川は他の美術品を処分してまでこの絵巻を入手したとされていますが、昭和に入り絵巻を手放すことになった際、それを買い受けたのが益田鈍翁でした。その折、鈍翁は全五段のうちの第五段目を切断し森川に残しました(現在は掛軸となって個人蔵)。
この段階ではいまだ四段から成る巻子だったのですが、昭和8年(1933)、現在の天皇陛下ご誕生の折、宮様方をお招きしての祝いの茶会を催すに際して、鈍翁は東博断簡に当たる第三段を切断し、掛軸にしたといいます。この段が、藤原道長の娘・中宮彰子の産んだ敦成親王(のちの後一条天皇)の五十日の祝の場面であったためとも伝えられています(残る三段分の詞と絵はその後分割、額装され、現在、五島美術館所蔵)。
なお、この断簡は通常の掛軸とは異なる収納法で保存されています。普通、掛軸は巻いた状態で保存されますが、この断簡は桐箱に拡げた状態で保存されています。鈍翁がかかわった掛軸(とりわけ茶掛け)にこういった収納法が多いそうです。


紫式部日記絵巻断簡の保存法
紫式部日記絵巻断簡の保存法

さて、これら森川家本紫式部日記絵巻分断をめぐる秘話ともいうべきエピソードを残しているのが、絵巻などやまと絵の模写で知られる田中親美(1875~1975)です(竹田道太郎「田中親美翁聞書(5)―「紫式部絵巻」をめぐる争奪戦―」『芸術新潮』125号、1960年)。
親美はこの絵巻の発見から所蔵の流転、その後の伝来など、様々なエピソードを語っているのですが、鈍翁が森川へ残す一段分を分けようとした際、「一段残すということは切断することですから私は不賛成です」と述べたということはきわめて印象的です。
実は、先述した大正8年(1919)の佐竹本三十六歌仙絵分断の際、親美は相談役として立ち会い、模本の制作をおこなっています。その折の、切断を止められなかったくやしさのような想いが、この短い一文に込められているように思えます。
なお、第1回ブログでもご紹介しましたが、男衾三郎絵巻断簡は田中親美遺愛の品で、紫式部日記絵巻断簡とともに、同じ会場で展示していることに不思議なご縁を感じざるをえません。(あわせて、この特集陳列会場の大階段を挟んで反対側の特別2室「日本美術の作り方IV」(8月25日(日)まで)では親美模写の平家納経なども展示されていますので、あわせてご覧ください)。


田中親美旧蔵の男衾三郎絵巻断簡(鎌倉時代・13世紀)

こんなドラマ盛りだくさんの本特集陳列も8月25日(日)で閉幕です。ブログでは書ききれない、断簡をめぐる数々のエピソードは、8月24日(土)開催の月例講演会「絵巻物残欠愛惜の譜」(13:30~、平成館大講堂)でご紹介するつもりです。どうぞお運びください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 土屋貴裕(平常展調整室研究員) at 2013年08月21日 (水)