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高御座(たかみくら)の歴史 特集「天皇と宮中儀礼」

新年、あけましておめでとうございます。特別展室の猪熊です。
昨年は天皇陛下の御即位があり、東京国立博物館(トーハク)では、その御慶事にちなんで昨秋には特別展「正倉院の世界」(会期終了)を開催し、昨年末からは特別公開「高御座と御帳台」(~1月19日(日))を開催しています。

高御座と御帳台
トーハクで特別公開中の高御座と御帳台。手前が天皇の御座の高御座です。中には御倚子(ごいし)が置かれ、その左右に剣璽(けんじ)と御璽(ぎょじ)・国璽(こくじ)を置く机があります。奥が皇后の御座の御帳台です。高御座に比べるとやや小ぶりで装飾が少なくなっています。

また、それらの展覧会に合わせて、トーハクの所蔵品のなかから宮廷関係の作品を集めて、特集「天皇と宮中儀礼」を開催しています。このたびのブログでは、その特集のなかに表わされた高御座を紹介します。

高御座は、古代から天皇の御座として用いられた調度で、黒漆塗りの基壇の上に御倚子(ごいし)を置き、その上に八角形の屋根をかぶせ、屋根の上には9体の鳳凰像や鏡などを飾り、御倚子のまわりに帳(とばり)をたらす形式のもので、本来は国家的な儀式を行なう朝堂院(ちょうどういん)の正殿である大極殿(だいごくでん)の中央に置かれていました。
かつて正月元日には朝賀(ちょうが)という儀式があり、大極殿の前庭に盛装した廷臣たちが整列して、高御座に昇られた天皇に対して慶賀の意を表しました。この朝賀の儀式の方式は、そのまま即位礼にも採用されました。やがて朝賀は途絶えましたが、その儀式の方式は即位礼に残されました。
その後、大極殿が焼失して再建されなくなると、太政官庁(だいじょうかんちょう)の建物で即位が行なわれるようになりました。

太政官庁御即位図(部分) 吉田静峯模、森田亀太郎彩色
大正4年(1915)模、大正5年(1916)彩色 ※展示終了
太政官庁の庁舎は、朝堂院の殿舎と配置が似ていたため、太政官庁の正庁を大極殿に見立てて即位礼が行なわれるようになりました。正庁の中央に高御座を置き、太政官庁の前庭に幢(どう)という装飾的なのぼりを立て並べる様子が図示されています。

ところが、この太政官庁も滅びると、天皇の御在所である内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)で即位礼を行なうこととなりました。江戸時代の「御即位図」には、紫宸殿とその前庭で儀式が行なわれている様子が描かれています。

御即位図(部分) 江戸時代・18世紀
内裏の紫宸殿での即位礼の様子です。紫宸殿の中央に高御座が置かれ、紫宸殿の上や前庭に盛装した廷臣が整列し、女官たちが高御座の周囲に控えています。前庭には三足烏や日・月や青龍・朱雀・白虎・玄武などの意匠の幢が立ち並びます。

現在、京都御所の紫宸殿に高御座が置かれているのには、このような経緯がありました。

江戸時代の高御座は内裏の火災のうちに焼失し、明治維新ののち、大正天皇の御即位に際して高御座が新調されました。これが現在の高御座です。その新調の時には、新時代にふさわしく天皇と皇后が並ばれるように、高御座のとなりに皇后の御座として御帳台(みちょうだい)を置くようになりました。御帳台は、高御座の形式に準じていますが、屋根には鳳凰ではなく鸞(らん)の像を1体だけのせて、鏡などの装飾もありませんでした。ところで、大正時代に描かれた「御即位大嘗祭絵巻」という絵巻を見ますと、現在の高御座と御帳台では両側の階段がなくなっているのがわかります。

御即位大嘗祭絵巻(部分) 大正4年(1915)
大正天皇の御即位に際して、高御座のとなりに御帳台を置くようになりました。この絵巻は、その即位礼の方式を描いたものです。ただし、実際には貞明皇后は御懐妊のために即位礼を欠席されたため、御帳台には昇られませんでした。

これは平成度の御即位に際して、京都御所ではなく、皇居で即位礼を行なうようになったところ、皇居の正殿の松の間に高御座と御帳台がおさまらなかったために、両側の階段を外しておさめ、そのまま現在に至っているのです。
宮廷での元日や即位の儀式に用いられた高御座については、このような歴史がありました。

貴重な機会ですので、ぜひ特別公開「高御座と御帳台」と合わせて、特集「天皇と宮中儀礼」もご覧ください。
それでは、みなさま、本年もよろしくお願い申しあげます。  

 

特集「天皇と宮中儀礼」

平成館 企画展示室
前期展示:
2019年10月8日(火)~2019年12月1日(日)
後期展示:
2019年12月3日(火)~2020年1月19日(日)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2020年01月15日 (水)