新年あけましておめでとうございます。今回、特集「博物館に初もうで」を担当した工芸室主任研究員の清水と申します。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今年のテーマは、「兎(と)にも角(かく)にもうさぎ年」ということで、展示室には兎に角、たくさんのうさぎ達が集まりました。絵もあれば工芸品もあります。今回のブログでは、その中でも特に文房具に焦点を当て、ご紹介したいと思います。
文房具は、結構個人の趣味や好みが表れますよね。小学校の頃は筆箱なんか、かなり嗜好が表れていました。私は第二次ベビーブーマーなのですが、男の子だとスーパーカーとか特撮ヒーロー、女の子だとアニメなどのキャラクターのデザインが多かったような記憶があります。私はというと、ただの黒い合皮を貼っただけの四角い筆箱。上下両面開きとかも流行っていましたが、シンプルな片面開き。流行に流されず、目論見(もくろみ)通り6年間使いました。
そんな筆箱は、昔だとさしずめ硯箱(すずりばこ)でしょうか。今回展示の「豆兎蒔絵螺鈿硯箱(まめうさぎまきえらでんすずりばこ)」は、ちょっと大きな二段重ねで、硯の下に紙を入れる部屋があります。外は蒔絵と螺鈿で大豆の文様(もんよう)。派手ですがデザイン的にはシンプルですね。
豆兎蒔絵螺鈿硯箱
伝永田友治作 江戸時代・19世紀
豆好きかと思いきや、蓋を開けると、裏にうさぎがいました。
持ち主は密(ひそ)かにうさぎ好きのようです。家人や弟子に知られたくなかったのでしょうか。なかなか小粋な趣向です。
この硯箱に附属するものではありませんが、「織部兎文硯(おりべうさぎもんすずり)」(個人蔵)という、うさぎ形の硯もあります。うさぎの体が硯面になっていて、頭と尻尾、脚が周りに付いているのですね。ちょっと不思議な感じです。
(撮影不可の作品のため、実物は展示室にてご覧ください。)
そして、墨を擦るための水を注ぐための水滴(すいてき)。墨汁の普及した今ではあまり見掛けませんが、以前は必須アイテムでした。これもうさぎ形がたくさんあります。ふくらんだ子(図1)や振り返る子(図2)、首をかしげた子(図3)もいます。小さいものは硯箱に入れていたのでしょう。これも蓋を開けると、ひょっこり現れたことでしょうね。
(図1)
(図2)
(図3)
図1~3 兎水滴
江戸時代・18~19世紀 渡邊豊太郎氏・渡邊誠之氏寄贈
紙と墨は今回ありませんが、筆は…。
実物はありませんが、「米庵蔵筆譜(べいあんぞうひっぷ)」という、江戸時代の文人・市河米庵(いちかわべいあん。1779~1858)の唐(中国)筆コレクションの図録には、「兎毫(とごう)」という、うさぎの毛のものがあります!
米庵蔵筆譜
市河米庵編 江戸時代・天保5年(1834) 徳川宗敬氏寄贈
(赤枠内が兎毫の筆です)
硯箱を開けてうさぎとご対面、うさぎの硯にうさぎの水滴で水を注ぎ、うさぎの毛の筆でうさぎを摺りだした料紙にうさぎの和歌を書いたら…、うさぎ好きには堪(たま)らないでしょうね。墨もうさぎ膠(にかわ)で固めていたりして。そんなうさぎ尽くしの書斎は、実際にあったのか、卯年(うどし)の初夢なのか。ちょっと、そんな気分を味わいに、是非平成館企画展示室へお運び下さい。
特集「博物館に初もうで 兎にも角にもうさぎ年」展示風景
| 記事URL |
posted by 清水健 at 2023年01月12日 (木)
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
未だ新型コロナウイルス感染症は我々の生活に少なからず影響を与えております。健康被害を受けた皆さまに心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。
さて、当館は昨年創立150周年を迎え、今年度末までさまざまな記念事業を行っております。昨年秋に開催した特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」には多くの皆さまにご来場いただきました。誠にありがとうございます。一方、来館者数を制限したため、事前予約の枠が埋まってしまい、ご希望通りにご観覧いただけない事態も発生してしまいました。開館時間延長や会期の延長でできる限りの対応をいたしましたが、ご希望に添えないこともあったかと思います。今回の経験を、次回以降に活かして、より良い観覧環境の提供に努めてまいります。
1月29日までは、表慶館で「150年後の国宝展-ワタシの宝物、ミライの宝物」として、今から150年後に国宝候補として伝え残したいものを個人・企業から集めて展示しています。
また「月イチ!トーハクキッズデー」は3月まで毎月開催、お子さまにも楽しんでいただける催しものをご用意しております。
本年も1月2日より開館し、恒例「博物館に初もうで」から始まります。干支の「ウサギ」にちなんだ特集「兎(と)にも角(かく)にもうさぎ年(どし)」を開催するほか、吉祥をモチーフにした作品の展示など、新春限定の企画も行います。特別企画「大安寺の仏像」も1月2日に開幕(3月19日まで)、奈良の大安寺から奈良時代の仏像を7体お借りして当館所蔵の瓦とともに本館1階の11室(彫刻展示)にて公開します。東京でこれらの仏像をみられる貴重な機会となります。
また、今年は台東区立書道博物館との連携企画が20周年となります。今回は原点回帰し第1回目の連携企画で取り上げたテーマ「王羲之と蘭亭序」の特集を改めて行います。王羲之の書法あるいは蘭亭文化の広がりなど、文人たち憧れの世界が堪能できる企画です。
3月には特別展「東福寺」を開催します(5月7日まで)。伝説の絵仏師・明兆(みんちょう)による大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開、京都を代表する禅寺の大伽藍ならでは、スケールの大きい作品がそろいます。
夏にはメキシコ合衆国の全面協力をいただき、特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」を開催します。この展覧会では、紀元前15世紀から紀元後16世紀のスペイン侵攻まで3千年間以上にわたって繁栄したメキシコの古代文明のうち、日本であまり紹介されていなかった「テオティワカン」を「マヤ」「アステカ」とともに取り上げ、古代メキシコ文明の奥深さと魅力をご紹介します。
秋は多彩な展覧会が目白押しです。
10月半ばより特別展「やまと絵―受け継がれる王朝の美―」を開催します。日本絵画の長い歴史のなかで、連綿として描き継がれてきたのが「やまと絵」ですが、千年を超す歳月のなか、王朝美の精華を受け継ぎながらも、常に革新的であり続けてきたやまと絵を、特に平安時代から室町時代の優品を精選しご紹介いたします。当館蔵の国宝「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」や重要文化財の「浜松図屛風」をはじめ、まさに「日本美術の教科書」と呼ぶに相応しい豪華な作品の数々をご堪能いただけます。
特別5室では「やまと絵」展に先んじて9月末から浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念の特別展「京都・南山城の仏像」を開催します。京都の浄瑠璃寺のご所蔵品を中心に、東京であまり紹介されたことのない南山城(みなみやましろ)に点在する古刹に伝わる仏像の名品をご紹介します。
恒例の「博物館でアジアの旅」は「アジアのパーティー」をテーマに、各地の宴の様子をあらわす作品や祭りに使われた道具などウキウキした気分になる作品が東洋館を彩ります。
このほか、各種イベント等をご用意し、博物館をさまざまにお楽しみいただけるよう工夫してまいります。
私自身、昨年6月に就任し、創立150年の大きな節目に立ち会うことが出来ました。思いも新たに、創立150年を経て新しい一歩を皆さまとともに歩んでまいりたいと思います。
今年も東京国立博物館をよろしくお願いいたします。
東京国立博物館長 藤原 誠
カテゴリ:news
| 記事URL |
posted by 藤原誠(館長) at 2023年01月01日 (日)
ほほーい、ぼく、トーハクくん!今年のぼくはやる気が違うほー!さあ、今年のことをドシドシふり返るほ!ユリノキちゃんはどこだほー?
トーハクくん…?一体どうしたの?なにか変なものでも食べたのかしら…。いつもは「もうお正月にむけてだらだらするほー」って、言っているころじゃない。
なに言ってるほ!今年はこの東京国立博物館ができて150年。いろんなことがあったほ!その締めくくりに気合じゅうぶんだほー!
あらあら、そういうことねトーハクくん。そのやる気は大切よ!でも創立150年を記念する事業はまだ来年の3月まで続くわ。今、そのまとめをするのは少し早いわよ。
そ、そうだったほ?だったら、ぼくは春まで少しお昼寝…
こらこら、そうはいかないわよ。150年の歴史も1年1年の積み重ね。さあ、まずは今年あったことを振り返るわよー!
今年もトーハクは1月2日から開館。恒例のお正月の展示はいつみてもおめでたいわね!
特集「博物館に初もうで 今年はトーハク150周年!めでタイガー!!」は圧巻の迫力だったほ。でもそれにトラわれている暇もないほど1月はいろんなことがあったほ。
そうね、トーハクくんのダジャレをひろう暇もないくらい。同じく1月2日から東洋館8室で台東区立書道博物館との連携企画第19弾「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」が開催されたわ。来年はいよいよ連携20周年ね。
2023年1月31日からの東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画 創立150年記念特集「王羲之と蘭亭序」も楽しみだほ!
1月7日からはユネスコ無形文化遺産 特別展「体感! 日本の伝統芸能―歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界―」が表慶館で開催されたわね。伝統芸能をささえる「わざ」にも感動したわ。
翌週1月14日には特別展「ポンペイ」が開幕したほ。まるで当時にタイムスリップしたようだったほ。あのまっくろなパンのインパクトがわすれられないほ。
本当に当時の人達の暮らしぶりがよく見られたわ。細部にまでこだわり抜かれたモザイク画も美しかったわね。
特別企画 沖縄県立博物館・美術館 琉球王国文化遺産集積・再興事業 巡回展 「手わざ-琉球王国の文化-」も1月15日からだったほ。技術と想いを継承するための努力に感動したほ~。
3月1日からの特別展「空也上人と六波羅蜜寺」も思い出深いわ。半世紀ぶりに東京で公開された空也上人立像は本当にリアルだったわね。
春には今年も「博物館でお花見を」が3月15日から始まったほ。昨年リニューアルされた庭園で、はれやかな気持ちで桜をながめられたほ。
5月3日からは沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」が開催されたわね。私も沖縄の歴史と文化の奥深さに魅了されたわ。
5月15日の沖縄の歴史と美術を学ぶイベントでは久しぶりにみんなに会えてうれしかったほ!
今年は7月24日のグランドキッズデーでもみんなと楽しい時間を過ごすことが出来たわね。
夏には7月26日から日中国交正常化50周年記念 特別デジタル展「故宮の世界」が始まっていたほ。ほんとうにお城の中にいるような不思議な体験だったほー。
9月21日からの毎年恒例企画「博物館でアジアの旅 アジア大発見!」も面白かったわね。東洋館を探検しているような気分になったわ。
そして詳しくはまたすべての事業が終わってからの紹介になると思うけれど、今年は創立150年を記念した特集展示もたくさんあったわね。
9月27日~11月6日に開催された創立150年記念特集「つたえる、つなぐ―博物館広報のあゆみ―」は珍しい企画だったほ。
創立150年を記念する特別展に先駆けて、当館の広報の歴史をたどることが出来たわね。懐かしい展覧会のポスターもたくさんあって、博物館の大切な歴史の一部を楽しみながら振り返れたんじゃないかしら。
そして、そしてだほ…。
そうよ、秋には東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が10月18日に開幕したわ。
なんというか、すごい展覧会だったほ…。
多くの方にお越し頂いて本当にありがたかったわね。展覧会の締めくくりとしてブログ「特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』閉幕」を佐藤研究員が書いてくれているわ。
150年の歴史の重みをぼくも感じたほ。思い出したらなんだか未来に向けてやる気がわいてきたほ!
同時期には本館と東洋館の一部で東京国立博物館創立150年特別企画「未来の博物館」も開催されていたわね。11月2日から表慶館で始まった「150年後の国宝展―ワタシの宝物、ミライの国宝」は2023年1月29日まで開催中よ。
これに加えて創立150年の特集やイベントがたくさんあったほ…。なんだかとんでもなく盛りだくさんな一年だったほ…。ぼくも疲れてお肌がカサカサだほ。
トーハクくん、元気をだして!2023年のお正月も1月2日から注目の展示が目白押しよ。まだまだ続く創立150年事業の数々からも目が離せないわ。
そうだほ!まだ来年に向けて干かラビットる場合じゃなかったほ~。
……。
2022年も皆さん大変お世話になりました。おかげさまで当館は創立150年を無事に迎えられました。引き続き2023年もよろしくお願いいたします。
カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん
| 記事URL |
posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2022年12月28日 (水)
東京国立博物館(以下、東博または当館)の創立150年を記念した特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」は、1週間の会期延長をへて、12月18日(日)に閉幕しました。
翌日から作品撤収が始まり、展示作品たちはそれぞれの収蔵庫に戻りました。
また、キリンのファンジも国立科学博物館の筑波研究施設へと帰っていきました。
約2か月間の会期を無事に終えることができて、職員一同ほっとしています。
本展には、開幕初日から多くの方が御来場くださり、誠にありがとうございました。
会期中の総来場者数は約35万人にのぼり、国宝をはじめとする東博の名品と150年の歴史を御覧いただくことができました。
しかしながら、事前予約制としたため、見に行きたくてもチケットが手に入らなかった方も多いと思います。
当館所蔵の国宝たちは、本館や東洋館、法隆寺宝物館などの総合文化展で定期的に展示されていますので、いつかまた見ることができます。
さっそくこの正月には、国宝「松林図屛風」が展示されます(創立150年記念特集 戦後初のコレクション 国宝「松林図屛風」のページに移動)。
しかも写真撮影ができますので、ぜひ推しの国宝たちに会いに来てください。
そして、本展は終了しましたが、創立150年の記念事業は来年3月まで続きます。
次の特別展も鋭意準備中ですので、どうぞ御期待ください。
最後になりましたが、本展の開催にあたり、御協力と御支援をいただきましたすべての皆様に厚くお礼申し上げます。
作品撤収後の展示室。祭りの後のような寂しさを感じます。
カテゴリ:東京国立博物館創立150年、2022年度の特別展
| 記事URL |
posted by 佐藤寛介(登録室長) at 2022年12月27日 (火)
展示室で確認等の作業をしていると、来館者の皆様のちょっとした声が耳に入ってくることがあります。
先日は「根付 郷コレクション」展示室で、制服を着た数人の学生さんたちから笑い声が聞こえてきました。
何がおかしいのかと思うと、どうも根付の使用法を紹介する解説パネルの絵がツボにはまったようです。
名古屋山三郎絵巻(部分) 伝宮川春水筆 江戸時代・18世紀
そうですね、たしかに変な顔をしていますね。まあ見てほしいのは顔ではなく腰のあたりなのですが、ウケてもらえたなら何よりです。
根付とは、このように帯から巾着など提げ物を吊るすための留め具です。この絵では瓢箪(ひょうたん)を根付として使っています。
現在、東京国立博物館では館蔵の根付を代表する二大コレクション、「郷コレクション」と「高円宮コレクション」を一挙同時に全件公開しています。
前者は実業家の郷誠之助氏(1865~1942)から寄贈いただいた古根付等274件を、後者は故・高円宮憲仁親王殿下(1954~2002)が蒐集された現代根付を中心とするコレクション500件をまとめて鑑賞できる稀有な機会です(両コレクションを一緒に見られるのは12月25日(日)までになりますのでご注意ください)。
根付の魅力の一つとして、自由で多彩な主題選択が挙げられます。
神仙、故事伝説から、芸能、遊戯、怪異、霊獣、動物、虫、魚介、植物、器物など、ありとあらゆるものが根付の題材とされていると言ってよいでしょう。
なかには何に分類すべきか、ちょっと迷うようなものもあります。
嚔木彫根付(くしゃみもくちょうねつけ) 線刻銘「三輪」 江戸時代・18世紀
たとえば「肩肌脱いでお腹をかき、大口をあけてくしゃみをする直前のおじさん」。
眉根を寄せて片頬を上げ、おでこの皺も克明に刻み込んでいます。筋張った鎖骨周りの表現も、一瞬をとらえて見事です。
人が身に着ける商品のモチーフは、通常はそれに需要があるから売れるものですが、このどこかの知らないおじさん(当時は知られていたおじさんかもしれませんが)のくしゃみのどこに需要があったのでしょうか。
黄楊材(つげざい)でなめらかに再現された肢体に、作者の対象に対する愛着が感じられるようです。
肉眼で確認するのは大変ですが、口の中には象牙の歯が象嵌されているのもポイントです。
緊褌木彫根付(きんこんもくちょうねつけ) 線刻銘「ふ多葉」 江戸時代・19世紀
こちらは「褌(ふんどし)を締めるおじさん」。
膝のあたりの肉のたるみ具合から、老人に近い年齢に見えます。
褌を締めたことのある方ならおわかりと思いますが(いるのかな?)、前紐を結ぶために前垂れを上げておかなければいけないので、ここでは前垂れを顎と首で挟んでいます。
こんなとき、口は半開きになりますよね。よく見ると、やはり赤い口の中に歯が覗いています。
くしゃみやら褌やら、「美術」の文脈で見ると奇妙ですが、綿密な観察を経て再現された姿には奇妙な魅力があります。当時としてはありふれた「あるある」な光景だったのではないでしょうか。たとえば「モノマネ」のおもしろさは、対象を「知っている」という見る側の共通認識を前提として、その徹底した観察と再現性から生まれるのだと思いますが、こうした作品に感じる諧謔味(かいぎゃくみ)には、どこかモノマネに近いものがあるように感じます。
展示室で、二人連れの女性が「なんか、おっさんばっかだね」と語っていた言葉が印象に残っています。
別にいつも聞き耳をたてているわけではないのですが、そうです、その通りなのです。実際は先述のように多様な主題があるのですが、おじさん主題の作品は圧が強く、記憶に残りやすいように思います。おじさんが造形美の世界で輝く数少ない場と言うべきか。
もう一つ、輝けるおじさんの姿をご紹介しましょう。
按摩木彫根付 線刻銘「惇徳岷江(花押)」 江戸時代・19世紀
盲目の按摩さんが施術する様子は比較的好まれた主題で、「郷コレクション」には他にも数点が含まれています。
澄ました顔で男性の腕を捻っていますが、一方で施術される側の表情やいかに。
左右反対を向く二人の対照的な表情が、一つの作品のなかで見事にオチをつけています。
強面のおじさんが必死の表情で訴える姿は、まさに輝いていると言わざるを得ません。
さて、幕末から明治にかけて、生活様式の変化とともに根付は徐々に実用の場を失っていきます。
一方で海外では人気が高まり、輸出向け商品として命脈を保つこととなりました。
郷氏が蒐集を始めたのも、根付が海外へ大量に流出することへの危機感が背景にあります。国内市場は縮小する一方でしたが、戦後、とくに1970年代からは根付師たちが意識的に「根付」という枠の中で現代的な感覚を反映させた造形を模索しはじめます。
古根付の技術を継承しながら、実用的な需要を失ったジャンルで、芸術性を伴う現代性を表現する。
そんな恐ろしく困難な課題に対峙して生まれたのが「現代根付」です。
幻兎 立原寛玉作 昭和46年(1971) 象牙
白うさぎを見ると、つい反射的に「かわいい!」と愛でたくなりますが、よく見るとどうも「かわいい」うさぎとは何かちがう。
これは一度うさぎの形を分解して、勾玉形に収まるように再構成したためです。根付らしく手慣れする形状にまとめつつ、対象を理知的に捉えて表現しているあたりに、現代根付作家に課せられた問題に対する一つの回答が示されているようです。
現代根付に大きな転機が訪れたのは1990年のことでした。
伝統的な根付の主要素材たる象牙の輸出入が、ワシントン条約のもと原則禁止となったためです。象牙が使いにくくなる一方で、根付素材の多様性は一気に広がりを見せました。
DNAクローンイルカはイルカⅡ 黒岩明作 平成10年(1998) エポキシ樹脂,銀,貝、金粉
伝統的な素材からの脱却は止むを得ない事情であったにせよ、合成樹脂のような新素材の利用は伝統的な技術からも距離を置くことになります。根付師としては大きな挑戦であり、「根付とはこういうもの」という既成概念との闘いでもありました。
この少し前、昭和59年(1984)に高円宮殿下がはじめて根付を購入され、ここから「高円宮コレクション」が形成されはじめます。殿下の蒐集は生きている作家を相手とするものでもあり、制作に関するディレクター的役割を持たれていた点も興味深いところです。
これでもか 針谷祐之作 平成11年(1999) 黄楊、蒔絵
こちらは限界までお腹をふくらませる蛙。やわらかいお腹の感触が、指をめり込ませることで伝わってきます。
このお腹の表現は、殿下のご指摘によって修正された部分だといいます。
「高円宮コレクション」は、現代という根付作家にとって順風満帆とは言い難い状況のなかで、ときに作家に課題を与え、助言をし、作家とともに同じ時代を進んでこられた殿下の活動を通じて形成されたものです。コレクションの全体像を一度に見わたせる機会は、今月12月25日(日)までとなります。高円宮妃殿下による作品解説が掲載された図録『続 根付 高円宮コレクション』もぜひ、この機にご高覧ください。
カテゴリ:研究員のイチオシ
| 記事URL |
posted by 福島修(特別展室) at 2022年12月09日 (金)