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140周年ありがとうブログ

トーハクで出会う全ての人にありがとう

広報室に勤務して約3年がたちました。
主にトーハクのウェブサイトの更新を担当しております。
時には展示室でウェブに掲載する画像を撮影をすることもあります。

一番好きなトーハク所蔵作品「火焔土器」を撮影
(伝新潟県長岡市馬高出土 伝新潟県長岡市馬高出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年 通年展示)


この「140周年ありがとうブログ」や「1089ブログ」の公開までの作業も行っております。
ウェブ担当として、特に記憶に残ったのはウェブの全面リニューアルの作業です。
仕様を決める作業から、ウェブを公開するまでの1年間は、その他の出来事に関する記憶がなくなるほどの忙しさでした。

制作の際に関わった業者の方々や館内の職員の皆さんのご協力に感謝しながら、
以前より格段に編集しやすくなったウェブ公開のシステムでコンテンツを編集しています。

また、博物館に勤務していると、本当に様々な人々に出会います。
案内をする人。
レストランでおいしいお料理を提供している人。
トーハクが好きで、いつも来館してくださるお客様。
展示の準備をする人。
ポスターやチラシを作る人。
朝早くから、展示室をきれいに清掃している人。


書き出したらきりが無いほど多くの方々が、トーハクを支えてくださっています。
そんな多くの方々のおかげで、安心して、仕事に従事できます。
トーハクで出会う全ての人に「ありがとう」を伝えたいと思います。

カテゴリ:2012年4月

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posted by 飛川玲奈(広報室) at 2012年04月29日 (日)

 

林宗毅氏にありがとう

東博に奉職して間もないころ、林宗毅氏より中国書画をご寄贈いただきました。
林氏は台湾の名家のご出身。台湾大学・東京大学を卒業後、日本に帰化され、実業家として世界を叉に掛けるかたわら、短歌や俳句をたしなまれ、中国書画の収蔵家としても名を馳せる文人の側面もお持ちでした。
数回にわたってご寄贈いただいた書画は、当館に欠落していた近代を補う貴重な作品ばかりです。


風鳶図巻(部分) 翁同わ筆 清時代・光緒17年(1891) (展示予定は未定)
風鳶図巻(部分) 翁同わ筆 清時代・光緒17年(1891) (展示予定は未定)


晩年、ご寄贈の件でご自宅を訪れたときのこと。
にこやかに笑みを浮かべながら
「週に2回通院してましてね、人工透析をした日は、終日だるいんですよ」。

するとすかさず奥様が
「だからあなた、お若い時分に総合病院を建てておけばよかったんですよ」。

これをうけて林さん
「今にして思えば、確かにそうしておくのでしたなぁ(笑)」。

私は日常会話の規模の大きさに、ただただ唖然とするばかりでした。
ご寄贈いただいた中国書画は、改修を終えた東洋館で永遠に輝き続け、多くの人々に深い感銘をあたえることでしょう。
林宗毅さん、ありがとうございました。
最後に林さんの句集からお気に入りを一つ。

「寒桜大志を胸に孤高なる」


東京国立博物館の庭園・茶室を背景にして。
東京国立博物館の庭園・茶室を背景にして。

カテゴリ:2012年4月

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posted by 富田淳(列品管理課長) at 2012年04月25日 (水)

 

先月も集まってくれてありがとう

保存修復課環境保存室の和田です。
文化財の保存環境を整える仕事をしています。
仕事はしんどい時もあり、楽しいこともあります。
色んな局面で自分の支えになってくれているのは共に働く仲間たちです。
勤め始めてから12年ほど経ちますが、本当にたくさんの仲間が協力し合って博物館を運営しているのだと、
今さらながら実感しています。


多くの仲間が意見を出し合い、展示を作っていく。

さて、近所に住んでいる仲間が集う会を発足させ、大体2月に1回位の頻度で飲みに出かけています。
一晩では語りきれないほどの豊富な話題と飲みきれない量のお酒を飲むため、
その日の内に帰宅することはまずありません。
先月も思いつきで声がけしたにもかかわらず、たくさん集まってくれました。
あの時は4月から新天地で働く方々もご一緒でしたね。
本当にありがとう。
そして理解のある家族にも感謝。
これからも続けましょう!

仲間との楽しい語らい。出会いがあれば別れもある。

カテゴリ:2012年4月

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posted by 和田浩(環境保存室) at 2012年04月22日 (日)

 

トーハクの建造物にありがとう

トーハクには大小さまざまな建造物があります。
移築されたものもあれば新築されたものなど、
いろいろな経緯をたどり現在のトーハク群はできています。

トーハクの顔は、何といっても本館です。
本館は、上野公園から続く軸線上に威風堂々、どっしりと構えています。
1879年(明治12年)に竣工した旧本館は、1923年(大正12年)の関東大震災で一部崩壊しました。

被災前の陳列館(旧本館)と、震災によって一部崩壊した陳列館(旧本館)
(左) 被災前の陳列館(旧本館)
(右) 震災によって一部崩壊した陳列館(旧本館)


損傷を受けた陳列館(旧本館)をもとどおりに修復したいという希望もあったようですが、
もっと立派でもっと大きな施設に建て直そうという機運が高まり、
その後の1937年(昭和12年)に竣工した復興本館が現在の本館です。
今年で75年目をむかえることになります。

現在の本館がどのようにできたのか、
造営工事の写真を少しご紹介したいと思います。

敷地展望 昭和七年六月二十七日
敷地展望 昭和七年六月二十七日

写真をみると更地になった建設予定地で肩を組み、「これから一緒にがんばろう!」という雰囲気がうかがえます。
左から2番目の方と一番右の方からは、少し笑みこぼれています。

基礎根切 昭和八年三月二十日
基礎根切 昭和八年三月二十日

人やトラックの大きさから根切の深さが約10メートル程度あることが想像できます。
本館は、東西120×南北100メートルほどですので体積にして10万㎥以上の土を掘り起こしたことになります。

西側鉄骨建方、鉄骨組立完了昭和九年十二月十六日
西側鉄骨建方、鉄骨組立完了昭和九年十二月十六日

鉄骨組立完了
(左) 鉄骨組立完了
(右) 左図中央付近拡大


クレーンで吊り上げられた鉄骨は、リベットで接合され組み立てられています。
鉄骨組立完了の写真の中央、屋根の棟あたりで、たいした足場もなさそうなところで作業をする人がいます。

正面屋根裏側コンクリート打
正面屋根裏側コンクリート打

コンクリートは、棟の上にかけられた足場から下の屋根の型枠へ流しこまれています。
少し反りのある屋根の形状を作るのは、本当に大変だったことと思います。

現在の本館は関東大震災の教訓を活かし、地震や火災に強く大切な文化財や人命を守れる建築であることは、昨年の東日本大震災でも身をもって体験しました。
造営当時は便利な重機など少なかっただろう時代に、これだけの大きな建造物の造営工事に実際携われ成し遂げられた方々に心から「ありがとう」。

カテゴリ:2012年4月

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posted by 矢野賀一(デザイン室) at 2012年04月18日 (水)

 

静けさにありがとう

東京国立博物館には音がほとんどありません。
もちろん音楽もありません。
お客様の多い休日の本館でも、皆様とても穏やかに観覧されていますし、法隆寺宝物館ではかすかに「こつっ」と靴の音がするほかは、空気もひんやりとして、それは静かです。
その音のなさ、ある種の密やかさが、どこへ行っても音があふれ、音楽が鳴っている都会のなかではとても好ましく感じられます。
いえ、平成館2階の盛況な特別展会場では、お客様の熱気が「ざわっ」と聞こえることはあります。
しかし、そんな日も、その熱気を帯びた会場のすぐ下、平成館1階の考古展示室は、2階の混雑ぶりからは考えられないくらい人もまばら、どこまでも「しん」としています。

でも、そんなに静かな考古展示室で、ある日、かすかに音が、より正確に言えば音楽が聞こえてきたことがありました。


左から、
埴輪 太鼓を叩く男子 群馬県伊勢崎市境上武士出土 古墳時代・6世紀
埴輪 楽器を鳴らす女子 群馬県伊勢崎市下触出土 古墳時代・6世紀
埴輪 琴を弾く男子 栃木県真岡市 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 大塚尚平氏寄贈
埴輪 鼓を打つ人物 群馬県伊勢崎市境上武士出土 古墳時代・6世紀
(全て展示予定は未定)

耳をすますと確かに聞こえてくる、琴の音、太鼓の響き、打楽器を打ち鳴らしながらの歌声。
そう、埴輪たちの演奏が静けさの中からふわっと浮かび上がってくるように、聞こえたのです。


左から、
重要文化財 埴輪 腰かける巫女 群馬県邑楽郡大泉町大字古海出土 古墳時代・6世紀 (~2012年6月10日展示)
埴輪 踊る人々 埼玉県熊谷市野原字宮脇 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 (通年展示)
埴輪の中で耳を傾ける筆者

気づくと、音楽に聴きほれている埴輪や、小躍りしている埴輪までいるではありませんか。

社会も生活も今とはなにもかも異なっていた遠い昔。
でもやっぱり人びとは、今と同じように歌をうたい、楽器を奏で、音楽を楽しんでいたのだ、
と思い、少しだけほっとしました。

はるかな音楽、遠い歌声。それを聞かせてくれた博物館の静けさにありがとう。

カテゴリ:2012年4月

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posted by 小澤靖(経理課) at 2012年04月15日 (日)