日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」も、まもなく閉幕となりました。
今回の展覧会をご覧いただき、タイに行ってみようかな、と思った方もいらっしゃるのでは?
各地の魅力は語りきれませんが、ここではバンコクの散歩の楽しみをご紹介します。
まずは暁の寺、ワット・アルンです。
バンコクの観光名所のひとつとしても名高いところで、チャオプラヤー川を挟んで、王宮や寝釈迦で有名なワット・ポーの対岸に位置します。
暁の寺(ワット・アルン) ワット・ポー近くの船着場(ター・ティアン)から渡し舟に乗って。片道3バーツ。
王宮の対岸は、トンブリーといいます。トンブリーにはアユタヤー時代から続くお寺が残っています。
暁の寺(ワット・アルン)からワット・ポーを望む。 まだ雨季のため、チャオプラヤー川の水量が多い。
チャオプラヤー川をずっと遡るとアユタヤーに至る。対岸には王宮が見える。
400年続いたアユタヤーはビルマとの戦争に破れ、1767年、崩壊しました。その半年後、中国人の支援を受けて立ったタークシンが、兵を率いてアユタヤーからビルマ軍の追放に成功しますが、タークシンは、アユタヤーを捨てトンブリーを都に定め即位しました。 タークシンがアユタヤーからチャオプラヤー川を下り、トンブリーのこの寺に至ったのが、明け方だったため、ワット・チェーン(チェーンは明るい、澄み切ったなどを意味します)と名づけられたといわれています。
現在の高い仏塔が建てられ、ワット・アルンと名づけられたのは、ラタナコーシン朝になってのことです。ラーマ1世王が修繕、拡張に着手し、現在の仏塔が完成したのはラーマ3世王の時代ですが、もともとのお寺はアユタヤー時代に創建され、トンブリー王朝時代(1768〜82)には、王宮寺院として最も重要なお寺でした。現在、バンコクの王宮寺院(エメラルド寺院)に国の守護仏として祀られているエメラルド仏は、かつてワット・アルンに安置されていたのです。
さて、このワット・アルン、4年の大修理がつい先日8月はじめに終わりました。 ここ数年、修理のための足場が組まれていましたが、やっと美しい仏塔が姿をあらわしました。
間近で見ても素晴らしいのですが、川から眺める姿は良いものです。
ワット・アルンから少し北に行くとワット・ラカン。ちょうど王宮の対岸にあたります。
ワット・ラカンへは、ワット・アルンから歩いてもよし、シリラート病院近くのワンラン船着場から市場を散策しながら歩いてもよし。
マハーラート船着場からワット・ラカンを望む。
トンブリー側のシリラート病院
ワット・ラカンはアユタヤー時代に創建されたお寺で、トンブリー時代には、タークシン王が大僧正パヤーシータンマティラートをこの寺に招き、ビルマとの戦争で散失した経典や写本を再編する作業が行われたといいます。
本展覧会ではタイ歴代王朝の名品を一堂にご紹介していますが、その中には、タイ国内でさえなかなか実物を見ることができなかった作品があります。
そのひとつが『三界経』の絵入り写本です。
「三界経」(トンブリー時代・18世紀、 タイ国立図書館蔵 ※場面替えあり)
トンブリーのワット・ラカン内で1776 年に完成しました。 この場面は、インドラ神(帝釈天)の住む三十三天。右上の仏塔の前には地獄と天国を自由に行き来するマーライ尊者も見えますよ。 (1089ブログ「マーライ尊者の奇妙な冒険」も見てね)
『三界経』は欲界、色界、無色界という仏教的宇宙を構成する三つの世界について説かれたもので、スリランカから取り寄せた経典をもとに、スコータイ王朝第6代リタイ王が皇太子時代の1345年に記したと伝えられるものです。
「三界経(トンブリー本)」は、三界の中でも特に欲界が詳しく描かれています。 会場には欲界(神々の世界と地獄)図解を掲示しているので、是非みてくださいね。
チャオプラヤー川を王宮側に渡って、今回の展覧会の大きな見どころとしてご紹介しているワット・スタットに行ってみましょう。
王宮から東に向かって歩いていくと、大きな鳥居のようなものが見えてきます。
昔、吉凶を占うために使われていた大ブランコです。
その向こうに見えるのがワット・スタット。
ワット・スタットと大ブランコ(サオ・チンチャー)
タイ展では、ワット・スタットの大扉を展示してます。写真撮影もできますよ。
「ラーマ2世王の大扉」(ラタナコーシン時代・19世紀、バンコク国立博物館蔵)
扉の奥に見えるのは、スコータイの中心寺院ワット・マハータートからバンコクに運ばれたシャカヤムニー大仏の大写真。スコータイからバンコクに運ばれた大仏は、ワット・スタットの仏堂に安置されています。1089ブログ「スコータイへの旅」参照。
ワット・スタットを訪れる際には、仏堂、そして、奥の布薩堂にも足を伸ばしてみてくださいね。どちらの壁画もタイを代表する素晴らしいものです。
布薩堂内には、ラーマ3世王時代の仏像と素晴らしい壁画。
布薩堂の壁画。なんと! 焚き火をする象たちが!!
いつも暑いタイですが、バンコクの旧市街を観光するなら、散歩がおススメです。
疲れたらおいしそうなお店に寄って、一休み。
ワット・スタット近くの氷菓子屋。老若男女を問わず、制服や喪服を着たおじさんたちも、思わず寄り道したくなります。
ちょっと小腹がすいた人にはこちら。ワット・ラーチャプラディット(「花水山水図螺鈿扉」の寺院)近くの名店スン・ポーチャナーの牛肉麺。
川や運河沿いは風も気持ちよく、休憩にちょうど良い日陰もあります。
民主記念塔近く、バーンランプー運河にかかるパーンファー・リーラート橋
民主記念塔近く、マハーカーン砦から見る運河
是非地図を片手に、のんびり歩いて見てください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2017年度の特別展
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posted by 原田あゆみ(九州国立博物館 研究員) at 2017年08月25日 (金)
日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」10万人達成!
日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」(7月4日(火)~8月27日(日)、平成館)は、昨日10万人目のお客様をお迎えしました。ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
10万人目のお客様は、中国の南昌(なんしょう)市からいらっしゃった周玥(チョウ ユエ)さん。
ご両親と日本旅行中に来館されました。
玥さんには、東京国立博物館長の銭谷眞美より、記念品として特別展図録と展覧会グッズの「A4クリアファイル」などを贈呈しました。
また、贈呈式には当館公式キャラクターのトーハクくんとユリノキちゃんも登場! 一緒にお祝いを盛り上げました。
玥さんは、「タイの仏像は見たことがあります。今回の特別展も楽しみです」とお話しくださいました。
(左)周玥さん(右)当館館長 銭谷眞美、後ろにはユリノキちゃんとトーハクくん!
特別展「タイ ~仏の国の輝き~」の閉幕まで、いよいよあと4日。
8月25日(金)・26日(土)は21時まで、最終日の27日(日)は18時まで開館しています。
8月25日(金)・26日(土)は平成館の前庭で「トーハク BEER NIGHT!」も実施しします。タイ料理など屋台のほか、都内でも珍しい樽出しのシンハービールも楽しめますよ!
タイにおける国宝級の作品をいちどに見ることができるまたと無い機会です。皆様のご来館をお待ちしております。
「ナーガ上の仏陀坐像」(シュリーヴィジャヤ様式・12世紀末~13世紀、バンコク国立博物館蔵)
カテゴリ:2017年度の特別展
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2017年08月23日 (水)
本館では名物「三日月宗近」が人気を集めていますが、日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」にも見逃せない刀剣が展示されていることを皆さまご存知でしょうか。
日本刀をモデルにタイで作られた刀剣、「日本式刀剣」です。
タイにおける日本刀の受容は、16世紀から17世紀にかけてのアユタヤー朝で活発化したと思われます。
日本刀は正式な交易品として以外にも、流入した日本人の武装として、人の流れに沿う形で大量にタイ国内へもたらされました。 ところが、朱印船貿易の終息とその後の江戸幕府の政策によって、日本とタイの間の直接交流が途絶えると、当然のことながら日本刀の輸入量も激減し、タイ国内の需要をまかないきれなくなりました。その結果、日本よりもたらされた日本刀をモデルにタイで日本刀を模した刀=日本式刀剣が製作されることとなるのです。
この日本式刀剣には発達段階があると考えられます。本展で展示している刀を例に見てみましょう。
第一段階は刀身・拵(こしらえ)ともに日本製と思われるものです。 しかし、タイでは高温多湿のため素材の木材が痛み、拵が刀身よりもはやく壊れてしまいます。ですから、16世紀にアユタヤへ持ちこまれた日本の拵は現存していません。
そのため、刀身は日本製、拵は日本刀を模したタイ製の刀剣が作られるようになります。これが日本式刀剣の第二段階です。「ニエロ装拵刀」がこれにあたります。
「ニエロ装拵刀」([鐔・柄]ラタナコーシン時代・19世紀 [刀身]室町時代・16世紀、バンコク国立博物館蔵)
その後、刀身も錆(さび)などで腐食し失われてしまうため、刀身・拵ともに日本刀を模したタイ製のものが現れます。これが日本式刀剣の第三段階で、今回の展示では「金板装拵刀」がそうです。
「金板装拵刀」(ラタナコーシン時代・19世紀、バンコク国立博物館蔵)
これらタイで作られた日本式刀剣の外装には特筆すべき特徴があります。
それは考古学用語でいうところの「痕跡(こんせき)器官」の存在です。痕跡器官とはもともとは生物学の用語で、退化によって本来もっていた機能を失った器官が、わずかに形だけがそれと分かるように痕跡的に残っているもののことを指します。
先ほどの「ニエロ装拵刀」をもう一度よく見てください。
鐔(つば)の部分に半円の模様が描かれています。
一方こちらの日本刀をご覧ください。
同じ場所に、小柄(こづか)といわれるナイフのような道具や、笄(こうがい)と呼ばれるくしのようなものを抜き差しするために、孔があけられています。
「黒漆大小」(江戸時代・19世紀、東京国立博物館蔵)
小柄と笄を用いないタイにおいて、この孔は装飾の類として捉えられていたようで、孔を模した図様を鐔に描いてその痕跡を留めているのです。
これはほんの一例ですが、日本とは異なる服飾や髪型、習俗などをもつタイにおいて、本来の用途を喪失し、形状だけを写した結果がタイ製日本式刀剣にあらわれています。(刀の装着方法も日本とは逆で、刀剣を下にして、帯に直接差し込みます。)
これら日本式刀剣は現在のラタナコーシン朝においても重要な宝剣ととらえられており、国王の即位式ではタイ七宝製の外装に包まれた日本式刀剣を佩用(はいよう)して威儀を正します。
タイと日本のつながりを象徴するもののひとつ「日本式刀剣」。特別展「タイ ~仏の国の輝き~」の会場では、ぜひ作品の細部にも注目してください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2017年度の特別展
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posted by 末兼俊彦(平常展調整室主任研究員) at 2017年08月18日 (金)
皆様にご好評いただいています、親と子のギャラリー「びょうぶとあそぶ」も残すところあと2週間余りとなりました。もうご覧いただけましたか?
今回は、松林図のちょっとツウな楽しみ方についてお届けします。
国宝 松林図屏風の複製と映像のインスタレーションをお楽しみいただいている第一会場「松林であそぶ」には、松林図屏風10分というサインを出しています。
実は、そのうち
6分間が 「映像の時間」
4分間は 「屏風の時間」 です。
「映像の時間」には、高さ5メートル、直径15メートルの半円形のスクリーンを使って、松林の外に広がっていたかもしれない広い風景とその四季のうつろい、さらに、松林の中の世界をご覧いただいています。
映像の時間
屏風の時間は、映像ぬきの屏風だけの時間です。なかには映像が終わるとその場を立ってしまうお客様がおられるのですが、実はこの屏風の時間も「びょうぶとあそぶ」の大切な一部分なのです。
映像が終了すると同時に、屏風の形にきれいにマッピングされたプロジェクターの光が、松林図を暗がりのなかにふわっと浮かび上がらせます。
屏風の時間
少し硬質な光で、きっと今までに見たことのない松林図の表情が出ていると思います。直前まで繰り広げられていた映像で刺激された想像力を自由にはばたかせて、自分だけの松林図屏風の世界に遊んでいただける時間です。
やがて、照明は徐々に暗くなります。この暗くなる瞬間をお見逃しなく。松林の表情が劇的に変わります。
そして、ほどなく照明は完全に落ちて、会場の地灯りだけに。昔の日本建築のなかで眺める松林図は、もしかしたら、この暗がりに溶け込みそうな松林図だったかもしれません。
「松林図であそぶ」で展開される、ドラマチックな4分、屏風の時間を、ぜひご堪能ください。
「びょうぶとあそぶ」公式サイトでは、このほかにもびょうぶの楽しさが広がる情報を発信中。ぜひ、アクセスしてみてください。
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posted by 小林 牧(博物館教育課長) at 2017年08月16日 (水)
考古展示室にも仏像が展示されていることをご存知でしょうか?
それは…
「ここだほ!」
テーマ展示「塼と塼仏」/考古展示室
トーハクくん、大正解! そうです。考古展示室では塼仏(せんぶつ)を展示しています。
さて、開催中の特別展「タイ ~仏の国の輝き~」、皆さんはご覧になりましたでしょうか。
タイを代表する仏教美術品が一堂に会する貴重な展覧会です。
会場には古代から現在までのタイの歴史と文化に関する作品が展示されていますが、こちらの塼仏はご覧になりましたか?
塼仏
バンコク国立博物館蔵
8月27日(日)まで特別展「タイ ~仏の国の輝き~」で展示中
これはタイのトラン県カオサイ洞窟出土の塼仏です。
涙滴形の中に、蓮華の上に足を組んだ4臂の観音菩薩像が型押しされており、9世紀頃のものと考えられています。
タイを含め、マレー半島ではこうした塼仏が洞窟や山の上から出土しており、僧侶が修行した場所ではないかと推測されています。
そもそも、塼とは現在でいうレンガやタイルのようなもの。粘土を焼き固めて作られました。
この塼に仏像を表したものが塼仏です。寺院の壁をタイルのようにして飾りました。
通常、塼仏は笵型に粘土を押し当てて作られます。そのため、形や図像が同じものがたくさんあります。
これまでの研究成果によれば、以下の工程で作られていたと考えられます。
(1)原型をつくる
木や金属を素材として原型をつくります。塼仏そのものを原型とする例も考えられます。
(2)笵型をつくる
原型に粘土を押し当て笵型を作り、細かな表現を加えます。
塼仏笵(せんぶつはん)
奈良県桜井市 山田寺跡出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
(3)笵型の乾燥・焼成
(4)塼仏をつくる
(3)で作った笵型に粘土を押し当てて、乾燥したら型から粘土を外します。
(5)塼仏を乾燥させ、焼き固めます
(6)仕上げ
表面に金箔を貼ったり、彩色を施す場合があります。金箔が剥がれないように、表面に漆が塗られていたようです。
塼仏は大きく形によって、方形と火頭形と分けられ、また、仏様の配置から独尊、三尊などに分けられます。
「方形三尊塼仏」のように、本尊と脇侍だけでなく飛天が舞う例などもあります。
重文 三尊像塼仏(さんぞんぞうせんぶつ)
奈良県高取町 南法華寺出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
11月26日(日)まで展示中/考古展示室
独尊像塼仏(どくそんぞうせんぶつ)
奈良県明日香村 紀寺跡出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
塼仏の構図は唐代に類例があり、7世紀後半に始まる遣唐使によって日本に伝えられた可能性が高く、日本ではもっぱら7世紀後半から8世紀前半にかけて、近畿地方を中心に流行したようです。
さて、考古展示室の塼仏をよく見ると、表面が赤茶色のものや焦げ痕のようなものが付着しているもの、表面がざらざらと荒れているものなどがあります。
三尊像塼仏残欠(さんぞんぞうせんぶつざんけつ) ※写真右は部分拡大
奈良県明日香村 橘寺出土 飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵
12月25日(月)まで展示中/考古展示室
これは、何らかの熱を受けたためと考えられます。
先ほど「塼仏の制作工程」(6)でご紹介したように、塼仏には金箔や彩色が施されていたので、おそらくは、もともと寺院で飾られていたものが、火災によって表面の金箔や彩色がなくなり、焦げ痕が残されたのでしょう。
なかには、熱によって表面の金箔が溶けて、ごく微小の金粒となって残されている場合もあります。展示室では難しいですが、実物を手に取りルーペでよく観察すると金粒がかすかに輝いて見えます。
モノに残された痕跡は、それがどのような経緯で現在に伝わったかを推測するヒントとなるので、考古学では資料観察がとても重要なのです。
形や模様だけじゃなくて、キズや付着物にも注目だほ
さまざまな国と地域の作品を見比べられるのも、トーハクの魅力の一つです。
特別展「タイ」と考古展示室は同じ平成館にある展示室。
特別展をご覧になった後は、考古展示室の仏教考古学関連の作品をぜひ見比べてみてください。
きっと新たな発見があると思います。
※今後SNS(Twitter, Facebook, Instagram)でトーハクの塼仏を紹介していきます。「#1089考古ファン」で検索してみてください。
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posted by 井出浩正(特別展室主任研究員) at 2017年08月15日 (火)