創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」(2024年7月17日~9月8日)の開幕まで、いよいよあと1か月。
正門前に設置された神護寺展の看板
前回のブログでは展覧会のみどころについてご覧いただきました。
今回は「神護寺」についてご紹介します。
京都市右京区の高雄にある神護寺は、紅葉の名所として古くから知られてきました。
京都市地図
国宝「観楓図屛風」には清滝(きよたき)川のほとりで紅葉狩りを楽しむ人々とともに、神護寺の伽藍(がらん)が描かれています。
国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
京都駅から西北へバスで約1時間、山道(やまみち)を進むと最寄りのバス停「高雄駅」へ到着します。
「高雄駅」バス停
今の時期は新緑がまぶしく、秋とはまた違った美しさがあります。
清滝川に架かる高雄橋を渡り...
参道の長い石段を登りきると...
ようやく神護寺の入り口、楼門(ろうもん)にたどり着きます。
楼門
広い境内を進むと、その先に金堂があります。
金堂
金堂には神護寺のご本尊である国宝「薬師如来立像」がいらっしゃいます。
国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
1200年以上の歴史を持つ神護寺は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺(たかおさんじ)を起源とします。
天長元年(824)には、高雄山寺と、同じく清麻呂が建立した神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり、正式に密教寺院として神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ、略して神護寺)が誕生します。
神護寺の前身寺院にまつられていた「薬師如来立像」を本尊として迎えたのが、高雄山寺を拠点として活動をしていた空海です。
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
大師堂に本尊としてまつられている秘仏です
大師堂(だいしどう)
空海が住んだ納涼房(どうりょうぼう)に由来する建物
厳しく威厳のあるお顔、そして重量感あふれるご本尊。
日本彫刻史上の最高傑作です。
国宝 薬師如来立像(部分)
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」は、お寺以外でご本尊の荘厳さにふれていただく初の機会となります。
まさに1200年越しの奇跡といえるでしょう。
さて、金堂の先に進むと、神護寺名物の厄除け祈願「かわらけ投げ」を体験できます。
遠くへ投げ、その先で割れると厄除けになるといわれています
かわらけとは素焼きの盃(さかずき)のこと
眼下には清滝川が見えます
ご紹介したのはほんの一部ですが、神護寺の神聖な雰囲気を感じていただけたでしょうか。
神護寺展では国宝「薬師如来立像」を初め、空海が唐から請来(しょうらい)した曼荼羅をもとに制作された4m四方の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」など、空海が生きた時代を感じさせる名品をご紹介します。
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示(8月14日~9月8日)、右の【胎蔵界】は前期展示(7月17日~8月12日)
調査により、紫根(しこん)という高価な染料が使われていたことが分かりました
また、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる国宝「釈迦如来像」、日本で最も有名な肖像画のひとつである国宝「伝源頼朝像」といった、神護寺に受け継がれる寺宝の数々を一堂に展示します。
国宝 釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
鮮やかな衣には細かく切った金箔がキラキラと輝いています
国宝 伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
前期には国宝「伝平重盛像」、国宝「伝藤原光能像」とともに三像揃って展示します
本展は半世紀ぶりに開催される神護寺展です。
現在前売り券を販売しています。シンガーソングライターのさだまさしさん、「ルパン三世」峰不二子役や、「HUNTER × HUNTER」クラピカ役などでおなじみの沢城みゆきさん(声優)が出演する音声ガイド付き前売り券も注目です!
この夏、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、貴重な文化財を上野でご覧ください。
そして、ぜひ神護寺にも足をお運びください!
五大堂と毘沙門堂
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年06月17日 (月)
特別展「法然と極楽浄土」その3 福島浜通りと「法然と極楽浄土」
特別展「法然と極楽浄土」(6月9日(日)まで)の主担当を務めました研究員の瀬谷愛(絵画担当)です。
何年もかけて準備してきましたこの展覧会も、東京国立博物館での会期は残りわずかとなりました。
この後は、京都国立博物館、九州国立博物館へと巡回しますが、目黒・祐天寺のご本尊「祐天上人坐像」など、東京会場にしか出品されない作品もありますので、ぜひあきらめずに! お越しいただきたく思います。
思い返すに、特別展の準備は、それはもう、筆舌に尽くしがたいくらい、たいへんなものです。
全体のコンセプトづくり、リストの作成、ご出品のお願いから始まり、作品調査、応急修理の手配。
作品解説、論文の執筆、図録用の写真撮影や手配、図録の校正、校正につづく校正、校正、校正。
ポスター、チラシなど広報の文章執筆やデザインのチェック、会場構成と会場デザインの相談、数センチ単位の図面検討、音声ガイドの台本校正や収録、ジュニアガイドの作成…。
作品の集荷で全国のご所蔵者様をトラックで伺うのがつかの間の楽しみで、館に戻って、緊張の展示作業。
開幕後もテレビ、新聞、雑誌、ウェブ記事の取材対応、講演会、ブログ…。
気が遠くなるほど長く感じる準備期間でした。
それはまるで、極楽に往生していながら、なかなか開かない蓮のつぼみの中でひたすら阿弥陀仏の説法にふれる下品下生(げぼんげしょう)の赤子のような日々。
もう、十二大劫(じゅうにだいこう・とんでもなく長い時間)です。
重要文化財 當麻曼陀羅図(貞享本)(部分) 青木良慶・宗慶筆 江戸時代・貞享3年(1686) 奈良・當麻寺蔵
まさに當麻曼陀羅に描かれるこの赤子のような日々
やっと開いて、会場で多くの方がご観覧なさっているのをみると、あぁ本当にがんばってよかったなと思います。
ずーっと観想していた世界が目の前に広がっている。これこそが研究員(学芸員)の極楽です。
と、同時に、仕事や研究に一生懸命取り組んでいると、思いもよらない巡りあわせのようなことが起きて、驚くことがあります。
今回、広報の最前線に登場いただいていたのは、国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」でした。
国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) 鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵(東京会場での展示は終了しています)
早来迎が会期前半で撤収され、後半に展示したのはこちら。
重要文化財 阿弥陀三尊来迎図 鎌倉時代・14世紀 福島・いわき市蔵
福島・いわき市所蔵の重要文化財「阿弥陀三尊来迎図」です。
縦240センチ、横140センチを超える極めて大きな画面に、阿弥陀仏と観音・勢至菩薩が並んで来迎しているところが表されています。
その姿はとても量感的で、美しいです。
この仏画は、同市内に所在する如来寺というお寺に伝来しました。
こんなに大きな仏画を掛けられるというだけで、いかに立派なお寺かということが想像されます。
如来寺は14世紀初頭に名越(なごえ)派3世・妙観によって開かれた古刹(こさつ)で、鎌倉光明寺の開山・然阿良忠(ねんなりょうちゅう)の弟子であった尊観から始まる名越派の檀林(僧侶の養成機関)として多くの学僧を輩出しました。
本展ではそのはじまりのとき、尼僧真戒が如来寺の前身と伝えられる庵に安置したという本尊「阿弥陀如来および両脇侍像(善光寺式)」(5月12日まで)も展示しました。
そうしたなか今回は国宝「綴織當麻曼陀羅」が奈良県外で初めて出品されるということで、染織の仏教美術にも着目し、『繡仏(しゅうぶつ)』(日本の美術470、至文堂、2005)を執筆された九州国立博物館の伊藤信二さんから繡仏の名品を選んでいただきました。
そのなかに福島・阿弥陀寺所蔵の重要文化財「刺繡阿弥陀名号」がありました。
阿弥陀寺は福島・南相馬市に所在する浄土宗寺院で、妙観の孫弟子にあたる源尊が開いた古刹です。
重要文化財 刺繍阿弥陀名号 鎌倉~南北朝時代・14世紀 福島・阿弥陀寺蔵(東京会場での展示は終了しています)
こちらは縦63センチ、横19センチという小さな作品ですが、下地の絹を刺繡で覆いつくす「総繡」と呼ばれる仕上げで、表装となる部分も刺繡されており、全体が制作当初の姿を美しく残すという点でも、稀有で優れた繡仏の代表作と評価されています。
「南無阿弥陀仏」の名号部分は、毛髪を刺しているんですよ。
中世の繡仏ではよくある技法だそうですが、制作者の思いの強さが伝わってきます。
今回の展覧会では近世の浄土宗の広がりにも着目しまして、17世紀初頭に琉球に浄土宗を広めた袋中(たいちゅう・1552~1639)にふれました。
一説に沖縄のエイサーは袋中が伝えた念仏踊りを起源に持つともいわれています。
袋中上人像 尚寧王筆・讃 江戸時代・慶長16年(1611) 京都・檀王法林寺蔵(東京会場での展示は終了しています)
袋中は増上寺の学寮で白幡派(良忠の弟子・良暁の一派)を極め、郷里の古刹・成徳寺13世となります。
成徳寺の開山は聖観といって妙観の弟子、源尊の師にあたります。
そして袋中の出身地は、奥州菊多郡岩岡(現・福島県いわき市)。
おや? いわき…
第4章「江戸時代の浄土宗」展示風景
(右手前)祐天上人坐像 竹崎石見作 江戸時代・享保4年(1719) 東京・祐天寺蔵
そして、同じく本展を担当した研究員・長倉の1089ブログ「特別展「法然と極楽浄土」その1 浄土宗にまつわる江戸時代の書」でもご紹介した、
東京会場のみでご覧いただける東京・祐天寺のご本尊「祐天上人坐像」と祐天寺の多くのご寺宝。
祐天(1637~1718)は、大巌寺(だいがんじ)、弘経寺、伝通院の住持を歴任し、増上寺36世となった高僧で徳川5代将軍・綱吉やその母・桂昌院、そして大奥の女性たちや江戸の多くの民衆から多大な帰依を受けた方でした。
その祐天の出身地は、陸奥国石城郡(現・福島県いわき市)。
んん?? いわき…!!
当初まったく意図していなかったので、ここにきて福島浜通りのつながりに気づいてたいへん驚きました。
考えてみればこれはただの偶然というよりは、奥州における名越派のつながりが優秀な僧侶と文化財を生むにいたった必然、とみることができるのではないでしょうか。
実は私がこの展覧会の担当になったのは、13年前、2011年秋に当館で開催した特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を担当したご縁があったからなのですが、当時、開催の半年前に東日本大震災が起きました。
阿弥陀仏はすべての人を平等にあまねく救うことを誓い、悟りを得たといいます。
誰も置いていかない。誰をも忘れない。
仕事の巡り合わせとはいえ、いろいろなことを考え、感じました。
今回の展覧会の準備が佳境に入っていた今年1月には、能登半島で大きな地震が起きました。
まだ多くの方が不自由な生活をされていますし、余震も続いています。
どんなに準備をしても、展覧会は会期が終われば、記憶の中だけに残ります。
このような機会に10万人を超える方々がわざわざ上野までご来場くださり、過去の多くの人々の想いの結晶にふれていただけたことに、とても感謝しています。
本当にありがとうございました。
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posted by 瀬谷愛(登録室長) at 2024年06月06日 (木)
創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」報道発表会
2024年7月17日(水)~9月8日(日)、当館平成館で創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」を開催します。
神護寺(じんごじ)といえば、「紅葉(もみじ)の名所」としてご存知の方もいらっしゃるでしょう。京都駅からバスと徒歩で1時間30分ほどの場所にある寺院です。
青紅葉も美しい神護寺の金堂
天長元年(824)、高雄山寺(たかおさんじ)と神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり神護寺が誕生しました。今年は神護寺創建1200年、そして神護寺とゆかりの深い、空海生誕1250年の年にあたります。本展では、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、文化財の数々をご覧いただきます。
2月14日(水)には本展の報道発表会を行いました。
まずは、主催者の高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照(たにうちこうしょう)氏と、当館副館長の浅見龍介がご挨拶しました。
高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照氏
当館副館長 浅見龍介
続いて、本展の見どころについて、当館の古川攝一研究員が解説しました。
研究員 古川攝一
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」は5章に分かれています。
ここでは、それぞれの章の概要と作品の一部をご紹介します。
【第1章 神護寺と高雄曼荼羅】
唐から帰国した空海が活動の拠点とした場所が高雄山寺です。「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海が中国から請来(しょうらい)した曼荼羅が破損したため、それを手本に制作されたものです。本章では約230年ぶりに修復された「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」や、院政期の神護寺に関連する作品をご覧いただきます。
現存最古の両界曼荼羅
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示(8月14日~9月8日)、右の【胎蔵界】は前期展示(7月17日~8月12日)
等身大の迫力 日本肖像画の傑作
国宝 伝源頼朝像
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
【第2章 神護寺経と釈迦如来像―平安貴族の祈りと美意識】
「神護寺経」は神護寺に伝わった「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい平安仏画を代表する作例です。平安貴族の美の世界をお楽しみいただきます。
鳥羽天皇発願 金泥で書かれた一切経
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(部分)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
繊細優美な平安仏画の傑作
国宝 釈迦如来像
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
【第3章 神護寺の隆盛】
僧である文覚(もんがく)による復興後、弟子によって伽藍(がらん)整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛が伺える「神護寺絵図」や、密教空間を彩る美術工芸品の数々を展示します。
密教儀礼の場にしつらえられた屛風
国宝 山水屛風
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
【第4章 古典としての神護寺宝物】
幕末に活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は数々の古画を模写しました。神護寺宝物では「山水屛風」や「伝源頼朝像」を写しています。また、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝が古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。
国宝「山水屛風」を丁寧に写した摸本
山水屛風
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
【第5章 神護寺の彫刻】
「薬師如来立像」は、神護寺が誕生する以前につくられており密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文(えもん)表現は重量感にあふれており、日本彫刻史上の最高傑作といえます。本章では、5体が勢揃いした「五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)」や変化にとんだ姿の「十二神将立像」などをご覧いただきます。
寺外初公開 厳しい眼差しのご本尊
国宝 薬師如来立像
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
本展は、約半世紀ぶりに開催される神護寺展となります。
今後も展覧会公式サイトや当館サイトなどで最新情報をお伝えしていきます。ぜひご注目ください!
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年02月29日 (木)
「近世のやまと絵」と聞いた時、どのような作品が思い浮かぶでしょうか?
「あれ、やまと絵といえば、平安時代のきらびやかな作品なのでは?」と思われる方も多いのではないかと思います。
しかしやまと絵は、日本絵画を代表するジャンルの一つとして、近世、江戸時代になっても輝きを放ち続けていました。
現在、平成館で開催中の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」に合わせ、本館7室、8-2室、特別2室で開催している特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」において、「近世やまと絵」に関する作品を展示しています。
本館8-2室の展示風景
すでに特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を御覧いただいた方はご存知かもしれませんが、室町時代後期、それまで200年近くやまと絵の仕事の多くを担っていた土佐家の当主が戦死し、土佐家の工房が京都から堺へと拠点を移すことになりました。そして土佐家の京都不在を機に、他の多くの絵師たちがやまと絵を手がけるようになったのです。それは、中世のやまと絵を継承しつつも、やまと絵が大きく変容していくことを意味していました。
今回特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」では、大きく3つのテーマを設けて展示しています。
まず本館7室では、「やまと絵の系譜―四季の景物、名所の情景―」と題し、やまと絵の大きな主題でもある四季や名所をテーマとする優品を展示しています。
桜山吹図屛風(さくらやまぶきずびょうぶ)
伝俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 田沢房太郎氏寄贈
桜山吹図屛風(さくらやまぶきずびょうぶ)
伝俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 田沢房太郎氏寄贈
桜と山吹が咲きほこる春の風景です。緑の土坡で大胆に画面が区切られ、金銀泥や砂子などで装飾された季節の草花の上に和歌が記された色紙が貼り交ぜられています。
宗達(そうたつ)が活躍したのは、安土桃山~江戸初期という変革期の京都。王朝文化に対する憧れから古典復興の気運が高まっていました。
宗達は、金銀を多用し鮮やかな色彩を用いて宮廷や京都の上層町衆の需要に応えていました。本作にみえるリズミカルで意匠美豊かな画風は、宗達が中世のやまと絵を継承しつつ、時代の要請に合わせて大胆に変容させた、近世やまと絵の画風の一端を示すものといえます。
続く本館8-2室では、「近世やまと絵の担い手たち」と題し、やまと絵本流である土佐派、住吉派、板谷派に加え、狩野派、岩佐派、長谷川派、さらには琳派、復古やまと絵の諸派など、画派ごとのやまと絵表現の流れをご覧いただきます。
粟穂鶉図屛風(あわほうずらずびょうぶ)
土佐光起筆 江戸時代・17世紀
粟穂鶉図屛風(あわほうずらずびょうぶ)
土佐光起筆 江戸時代・17世紀
堺に拠点を移した土佐派を一世紀ぶりに京都画壇に復帰させたのが土佐光起です。以降、土佐派はやまと絵を担う重要な画派として、幕末に至るまで活躍してゆくことになります。
鶉(うずら)は光起が得意とした画題の一つで、その後の土佐派の絵師たちにも受け継がれる代表的なモチーフとなりました。
秋郊鳴鶉図(しゅうこうめいじゅんず)
土佐光起、土佐光成筆 江戸時代・17世紀
今回は、光起の屏風と、息子である光成との合作の掛軸を並べて展示しています。
羽毛のふわふわ感を楽しんでいただければと思います。
粟穂鶉図屛風(あわほうずらずびょうぶ)(部分)
土佐光起筆 江戸時代・17世紀
年中行事図屛風(ねんじゅうぎょうじずびょうぶ) 左隻
住吉如慶筆 江戸時代・17世紀
ここでぜひこの機会にご覧いただきたい作品をご紹介しましょう。住吉如慶(すみよしじょけい)の屛風です。
如慶は土佐光吉(とさみつよし)、もしくは光則(みつのり)の門弟とされる絵師で、鎌倉時代以来途絶えていた住吉家を復興した人物として知られています。
なぜこの作品に注目かといいますと、ちょうど平成館で開催中の特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」で、如慶らが後水尾天皇の命で模写した「年中行事絵巻(住吉本)」が半世紀ぶりに(!)公開されているからなのです。
「年中行事絵巻」は、もともと平安時代後期に後白河天皇の命で制作された絵巻で、宮中や都の儀式や行事、儀礼などが描かれた年中行事の集大成だったのですが、原本は火災で焼失してしまい、模本のみが現存しています。そうした貴重な模本の中でも、住吉本は描写も正確であり、重要視されてきました。
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」では、住吉本四巻の展示のうち、巻第五が展示されていますが(展示期間:11月7日(火)~19日(日))、この屛風には、ちょうど巻第五と同じ場面、「内宴」の様子、中でも内教坊(ないきょうぼう)の妓女(ぎじょ)たちが舞を披露するところが描かれているのです。
もちろん、絵巻から屛風へと拡大して描いていますので、構図も整理されていますし、そっくりそのまま形を踏襲しているわけではありません。
しかし、貴重な原本を模写した経験があるからこそ、如慶は、こうした屛風を描くことができたのです。この機会にぜひ、両作品を見比べるという経験もしてみていただけたら幸いです。
源氏物語図屛風(絵合・胡蝶)(げんじものがたりずびょうぶ えあわせ・こちょう)
狩野〈晴川院〉養信筆 江戸時代・19世紀
源氏物語図屛風(絵合・胡蝶)(げんじものがたりずびょうぶ えあわせ・こちょう)
狩野〈晴川院〉養信筆 江戸時代・19世紀
『源氏物語』はやまと絵において最も多く絵画化された主題だと思いますが、本作も、右隻は『源氏物語』の「絵合(えあわせ)」から、女御たちが冷泉帝の御前で絵を競う場面を、左隻は「胡蝶」から、秋好中宮(梅壺女御)が春の仏事を行う様子を描いています。(特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」では、現在「源氏物語図屛風(胡蝶)」を展示中)。
狩野派の絵師たちは、すでに室町時代からやまと絵の画法を取り入れた作品を制作していましたが、やまと絵学習という点において最も特筆すべき存在は、本作の筆者である木挽町(こびきちょう)狩野家九代目当主の養信(おさのぶ)です。
当館には木挽町狩野家に伝来したとされる模本類が5,000件近く収蔵されていますが、その模本からは、養信がすでに10歳で狩野探幽の作品を的確に模写し、14歳の段階でやまと絵の絵巻模写にも挑戦していることがわかります。
法然上人行状絵傳(模本)(ほうねんしょうにんぎょうじょうえでん)(部分)
狩野養信等模(原本:土佐吉光) 江戸時代・文化六年(1809)
(注)展示の予定はありません
養信はその後も膨大な数の古画の模写を続け、学習を深めていきました。
「源氏物語図屛風」は養信のやまと絵学習の成果がいかんなく発揮された優品です。保存状態も良いので、発色のよい絵具や精緻な描写など、ぜひお近くで御覧ください。
四季花鳥図巻(しきかちょうずかん) 巻下(部分)
酒井抱一筆 江戸時代・文化15年(1818)
酒井抱一(さかいほういつ)は、姫路藩主の弟として文雅をたしなむ風流人を多く輩出した家柄に生まれ、若くして俳諧や狂歌、能など諸芸をたしなみました。
そして江戸の地で尾形光琳を顕彰しながら、俳人ならではの感性で瀟洒(しょうしゃ)な作品を制作し、彼を取り巻く江戸後期の文芸サロンの交遊の中で、自らの画業を展開していきました。
「四季花鳥図巻」は、春夏で1巻、秋冬で1巻、計2巻にわたり月々の花と鳥たちが描き連ねられ四季がめぐってゆく画巻です(特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」では、現在下巻を展示中)。
左へと巻き広げる巻物の形態を最大限に生かした構図が特徴です。 幹や枝、蔓(つる)の配置とともに、鳥や虫たちも、左へと続く次の季節へとリズミカルに私たちの視線を誘導させていきます。 極上の絵具により描かれた本作は、抱一の琳派学習や江戸後期の中国絵画に対する嗜好、博物図譜の流行など、さまざまな要素を取り入れ紡ぎだされた、抒情性(じょじょうせい)あふれる抱一花鳥画の代表作の一つです。
近世の江戸における新たなやまと絵の表現をお楽しみください。
後嵯峨帝聖運開之図(ごさがていしょううんひらくのず)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 岡田かつ子氏寄贈
次にご紹介するのは、平安・鎌倉時代のやまと絵に立ち戻ることを作画理念とした復古やまと絵の作品です。
中でも最も著名な冷泉為恭(れいぜいためちか)の作品をご紹介しましょう。
「後嵯峨帝聖運開之図」には付属の書付があり、それによると、後嵯峨天皇がまだ即位する前、百姓から献じられた米を近習の男女が洗って折敷(おしき)・土器に盛ったところ、亀が現れて寿いだという話を絵画化しているようです。
為恭もまた、多くの古画を模写しやまと絵学習に励んだ人物でした。特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」で10月24日(火)~ 11月5日(日)まで展示していた「伝源頼朝像」(京都・神護寺像)を為恭が模写した作品が、当館に2点残されています。
為恭はまた、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」で展示している、奈良・春日大社に祀られる神々の霊験を描いた「春日権現験記絵巻(かすがごんげんけんきえまき)」(皇居三の丸尚蔵館収蔵)の模写も制作しているのですが、「後嵯峨帝聖運開之図」にも絵巻からの影響が指摘されており、そうした古画学習の成果が発揮された精緻(せいち)な装束も見どころです。
また、画面をじっくり見てみると、2匹の可愛らしい亀も見つかるはずです。ぜひ会場で探してみてください。
後嵯峨帝聖運開之図(ごさがていしょううんひらくのず)(部分)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 岡田かつ子氏寄贈
そして最後の特別2室では、「近世やまと絵と宮廷」と題し、宮廷文化と深くかかわる作品や、京都御所ゆかりのやまと絵を展示しています。
四季草花図屛風(しきそうかずびょうぶ)
「伊年」印 江戸時代・17世紀
四季草花図屛風(しきそうかずびょうぶ)
「伊年」印 江戸時代・17世紀
「伊年」の印は、俵屋宗達の工房「俵屋」の商品に捺された商標的な印章です。宗達だけでなく、俵屋工房の他の画家の作品にも捺されていて、一種のブランドマークとして使われていたと考えられています。
伊年印の草花図屛風は、江戸初期の宮廷における園芸愛好も手伝い、多数の作品が現存しており、「四季草花図屛風」もその一つです(特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」では、現在右隻を展示中)。六曲一双の屛風に、四季折々の草花が絵具の濃淡を変えて華やかに描かれています。
宮内省の中でも宮中調度に関することなどを司った主殿寮(とのもりょう)から引き継いだ作品です。
耕作図屛風(こうさくずびょうぶ)
円山応瑞筆 江戸時代・19世紀
応瑞(おうずい)は、円山派の祖として近代日本画にまで多大な影響を与えた円山応挙(まるやまおうきょ)の長男です。
耕作図は重要な年中行事のひとつとして多く絵画化された画題で、本作でも、金砂子を撒いた画面の中、生き生きと農作業に勤しむ人々の姿が描かれています。
こちらも「四季草花図屛風」と同様、主殿寮(とのもりょう)から引き継いだ作品です。
応瑞の父である応挙は、多大な庇護を受けた円満院祐常(えんまんいんゆうじょう)をはじめとする宮中や公家のサークルとも深く関わっていました。
天皇の住まいである禁裏御所の七度目の造営(寛政度内裏造営)では、京都の町絵師が参加する中、多くの絵師を輩出したのも円山応挙率いる一門でした。
応瑞も父とともに参加し、その後も宮中との関係を築いていきます。
孫の応震(おうしん)が宮廷の依頼を受けて描いた下絵も当館に所蔵されています。
禁中花御殿障壁画下絵(きんちゅうはなごてんしょうへきがしたえ)(部分)
円山応震筆 江戸時代・天保5年(1834)
(注)展示の予定はありません
大嘗会屛風のうち悠紀屛風 嘉永元年度九月・十月帖(だいじょうえびょうぶのうちゆきびょうぶ かえいがんねんど くがつじゅうがつちょう)
土佐光孚筆 江戸時代・嘉永元年(1848)
最後にご紹介するのは、天皇が即位した際に行なわれる大嘗会の際に制作される大嘗会屛風です。京都から東の悠紀国、西の主基(すき)国からそれぞれ一国が選ばれ、その名所を詠んだ和歌と景色を描いたものです。
令和度は、悠紀は栃木県、主基は京都府だったことは記憶に新しいところですが、この屛風は嘉永元年、孝明天皇が即位した際の悠紀国(近江国)の屛風です。
頻繁に展示される作品ではないため、この機会にぜひ御覧いただければと思います。
以上、駆け足で展示作品をご紹介してきましたが、近世やまと絵の魅力はまだまだ語りつくすことはできません。
今回の特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」で出品している作品は、一般に知られる名品からあまり展示されることのない逸品まで、さまざまな作品を厳選しています。
ぜひ会場で各流派の画家たちが描く近世やまと絵の多様さを体感いただければと思います。
特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」と合わせて、中世から近世への900年に及ぶやまと絵の歴史とその変化を一気にご堪能いただけたら幸いです。
主要作品を載せたリーフレットも、本館インフォメーションにて好評配布中です。
また、今回の出品作品が多く掲載された『東京国立博物館所蔵 近世やまと絵50選 江戸絵画の名品』(吉川弘文館、2023年)も好評発売中です。
合わせてぜひ御覧ください。
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posted by 大橋美織(保存修復室主任研究員) at 2023年11月07日 (火)
東京国立博物館では、「横尾忠則 寒山百得」展が12月3日まで開催中です。
トーハクで横尾忠則展?とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
中国・唐の時代に生きた、「寒山」と「拾得」という伝説的なふたりの詩僧が、横尾さんと当館との御縁を繋いでくれたといえます。
表慶館外観
当館では、寒山拾得を画題とした作品を多く所蔵しており、本館特別1室にて11月5日まで開催中の特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」では、前後期合わせて18件の作品を展示しています。(10月11日からは後期展示となりました。)
寒山拾得についての詳しい説明は、植松研究員の1089ブログ「東京国立博物館の寒山拾得図」をご覧ください。
寒山拾得は、その常識にとらわれない生きざまや反骨精神から、特に禅宗の世界で尊敬されるようになり、東アジアにおいて人気の画題となりました。
森鷗外や芥川龍之介など、近代文学にも取り上げられていますので、小説をご存知の方も多いかもしれません。
重要文化財 寒山拾得図
伝顔輝筆 中国 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
11月5日(日)まで、本館特別1室にて展示
しかし日本では近代以降、画題に取り上げられることが少なくなりました。時代の流れもあるのかもしれません。
そうして、一度は途絶えてしまったかのように見えた寒山拾得の系譜を、現代に繋ぎ合わせたのが、いまを生きる横尾さんだったというわけです。
そのため、「横尾忠則 寒山百得」展は、ぜひとも特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」とあわせてご覧いただきたいと思います。(特集は会期が11月5日までと、横尾展よりも少し短めです。)
特集では、水墨で瑞々しく描かれた楽し気な寒山拾得たちが、「横尾忠則 寒山百得」展では明るい色調を帯びて、いとも軽々と常識を超えて世を楽しんでゆきます。
過去の作品は、決して過去だけのものではなく、現代にも呼応して生き続けていること、歴史は地続きであることを、特集と横尾展を通して、改めて感じ取ることができます。
と、つい小難しく考えてしまう癖があるのですが、そんな小さなことはどうでもいいよと笑い飛ばしてくれるような、ふっと力を抜いて楽しめる展覧会、それが「横尾忠則 寒山百得」展です。
特集「東京国立博物館の寒山拾得図」展示風景
「横尾忠則 寒山百得」展 展示風景
「横尾忠則 寒山百得」展 展示風景
多種多様な寒山拾得と出会えます。
会場内は写真撮影も可能です!
横尾展グッズも素通りできないほど充実していますので、展覧会とあわせてお楽しみください!
横尾展グッズコーナー(充実!)
フラットトート(全4色)3,630円(税込)
生地がしっかりしていて、内ポケットもあってとても使いやすいです。
ちなみに、私が黒地に青のトートを持っていたら、それを見た子どもが「お菓子!」と言いました。
さまざまな楽しいかたちが、お菓子に見えたのかもしれません。きっと横尾先生も、笑って許してくださる、はず…!
カテゴリ:特集・特別公開、絵画、「横尾忠則 寒山百得」展
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posted by 小島佳(広報室) at 2023年10月11日 (水)