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1089ブログ

ヘビ~なパワ~あふれる作品で東博初め

来年で22年目となるお正月の恒例企画「博物館に初もうで」を、2025年1月2日(木)より開催します。
巳年となる今回は、特集「博物館に初もうで―ヘビ~なパワ~を巳(み)たいの蛇(じゃ)!―」(本館特別1・2室)と題して、東博に棲(す)む古今東西のヘビたちを展示します。
 


「博物館に初もうで」ポスター

皆さんはヘビにどんなイメージを持っていますか? 
脱皮を繰り返す生態や、時に毒をもつ特性もあいまって、私たちは古くからヘビに不思議なパワーを見出してきました。本特集は絵画や彫刻、工芸品を通して、美しさ、迫力、面白さ、可愛らしさなど、私たちがヘビに重ねてきたさまざまな魅力を紹介するものです。
 
まずは、悟りを得たブッダが瞑想する間、ヘビの王「ナーガ」が傘となり雨風から守ったという伝説に基づいた仏像です。
 
ナーガ上のブッダ坐像(なーがじょうのぶっだざぞう)
タイ・ロッブリー出土 アンコール時代・12~13世紀 三木榮氏寄贈 東京国立博物館蔵 
 
ブッダの背後には7つの頭を持ったヘビが見えます。東南アジアでは水を司る神であるナーガに対する信仰が篤(あつ)く、仏教と結びついてこの形の像が多数つくられました。
 
後ろ姿にもご注目ください! 
ナーガの鱗まできっちり表現されています。
 
「ナーガ上のブッダ坐像」の背面
 
こちらは、ポスターにも登場している「自在蛇置物」。
 
自在蛇置物(じざいへびおきもの)
宗義作 昭和時代・20世紀 東京国立博物館蔵
 
頭部を除き、大小合わせて222個の部材からなる「自在置物」です。本物のヘビのようにとぐろを巻いたり、這(は)いずり回ったり、自然な動きができます。展示室では原品とあわせて複製品を自動で動かし、にょろにょろと動く様子を目の前でご覧いただきます。
 
つぶらな瞳が可愛らしい土偶のヘビもいます。
古代西アジアでも、ヘビは再生や豊穣と結びつく生き物でした。にょろっとしたヘビの動きをとらえた作品です。
 
蛇形土偶(へびがたどぐう)
伝イラン、ルリスタン地方 鉄器時代・前1000年頃 谷村敬介氏寄贈 東京国立博物館蔵
 
薬師如来が従える十二神将の巳神。どこにヘビがいるか、わかりますか?
 
重要文化財 十二神将立像(巳神)(じゅうにしんしょうりゅうぞう、ししん)
京都・浄瑠璃寺伝来 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
 
正解は頭の上です。
鋭い眼差しのこちらの像は、頭上にとぐろを巻いて鎌首を持ち上げるヘビを表現しています。

「十二神将立像(巳神)」の顔部分
 
大きな口で人や動物を呑みこんだり、身体に巻きついたり、あるいは毒牙で噛みついたり。人間を圧倒する大蛇のイメージは伝説や物語にもしばしば登場し、人びとの前に立ちはだかります。
 
この場面には突如大蛇に巻き付かれてしまったお坊さんが描かれています。
 
重要文化財 清水寺縁起絵巻(きよみずでらえんぎえまき) 巻下(部分)
土佐光信筆 室町時代・永正14年(1517) 東京国立博物館蔵
 
「清水寺縁起絵巻 巻下」のお坊さんと蛇部分

清水寺に仁王像を安置すると誓うと大蛇は去り、窮地を逃れました。
 
こちらは有名な怪談話の「さらやしき」をモチーフにした作品。
主人が愛蔵していた皿を割ったために殺された腰元のお菊の霊が、夜中に井戸からあらわれ、皿の枚数を数える光景を描いています。
 
「百物語・さらやしき」
葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
 
お菊の首を、殺される原因となった皿を何枚も重ねることで描き、蛇のような姿にしています。

特集のパンフレットはこちらのページからご覧いただけます。
ご来館前にぜひどうぞ!
 
 
本特集のほかに、国宝「松林図屛風」(1月2日(木)~13日(月・祝)、本館2室)、「名所江戸百景・するがてふ」(1月2日(木)~2月2日(日)、本館10室)、国宝「太刀 長船景光(号 小龍景光)」(1月2日(木)~3月16日(日)、本館13室)といったお正月らしい名品の数々もご覧いただけます。
 
国宝 松林図屛風(しょうりんずびょうぶ) の過去の展示風景
長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵
2025年1月2日(木)~13日(月・祝) 本館2室(国宝室)で展示 
 
1月2日・3日は本館前のステージで、和太鼓や獅子舞、吟剣詩舞(ぎんけんしぶ)の新春イベントも!
スケジュールはイベント情報のページをご覧ください。
 
過去の和太鼓イベントの様子
 
博物館に初もうで」は、2025年1月2日(木)から1月26日(日)まで開催します。
東博の名品とヘビたちのパワーを浴びながら、新しい年の訪れを感じてください。
 

 

カテゴリ:news催し物博物館に初もうで特集・特別公開

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年12月26日 (木)

 

見どころ紹介! 中国書画精華―宋・元時代の名品―


東洋館8室では、毎年秋恒例の名品展、特集「中国書画精華―宋・元時代の名品―」が開催中(~2024年12月22日〈日〉)です。
中国の書画は古来日本人に愛され、現在に至るまで多くの優品が大切に伝えられてきました。ただ、現代の私たちの目には少しとっつきづらい、どこを楽しめばよいかわからない、というジャンルでもあります。
ここでは、「見どころ紹介」と題して、いくつかの作品について、鑑賞のおすすめポイントを説明したいと思います。

1. 修理後初公開!表装にも注目!!


山水図軸 伝夏珪筆 南宋時代・13世紀 中国

 
山水図軸(風帯)

本作は2022年に修理を終えてから初めての公開になります。現在の表装は、公家の名門近衛家(このえけ)で仕立てられた可能性があり、風帯(ふうたい)と一文字(いちもんじ)には、紫に染められて金箔が貼られた、羅(ら)という織り方の最高級の裂(きれ)が、おそらく非常に貴重であったため、端切れをつなぎあわせた形で使われています。
また、風帯は通常本体に縫い付けられて、巻いた状態では折りたたむように収納されるものですが、本作では、裂がこれ以上いたむのを避けるため、取り外しができるようになっています。これを掛風帯(かけふうたい)といいます。
修理前は、不安定であったため、掛風帯を使用することができなかったのですが、修理を経て風帯を掛けた状態で展示できるようになりました。近衛家で愛された本来の姿をお楽しみください。


2. 鳥は何羽?


重要文化財 雪汀遊禽図軸 羅稚川筆 元時代・14世紀 中国


雪汀遊禽図軸(部分)

手前の木々は葉を落とし、枝先は蟹の爪のようにとがり、枝と幹がねじれ複雑にからみあっています。後ろには、川面と白く雪の積もった岸、そして山々が水平方向にどこまでも広がっていきます。
色彩のない荒涼たる空間のようですが、目を凝らすと、寒さの中に息づく生命のいろどりを見つけることができます。枝の上には、水色の長い尾をもつ山鵲(さんじゃく)のような鳥2羽、首と腹の白い鳥(コクマルガラスか)の群れが、寒さに羽毛をふくらませてとまり、水辺には橙色の鴨の群れが身を寄せています。
宋・元時代の画家たちは、このような墨と色彩の効果的な対比を得意としました。


3. 「金」、使ってます!


重要文化財 猿図軸 伝毛松筆 南宋時代・13世紀 中国


猿図軸(目)

南宋時代の絵画には、要所要所で、非常に洗練された金の使用が認められます。本作はその好例で、ふさふさとした毛を描く細い線には、墨や赤茶に加えて金泥(きんでい)が使われ、白目には絹の後ろから金箔あるいは金泥が施されています。これらにより、繊細にきらめく光を表現しているのです。
特に白目の部分は、肉眼では光を感じるだけで、なかなかはっきりと金の存在を確認できません。しかし顕微鏡で拡大してみると、絹糸の後ろにしっかりと詰まった金箔(金泥)の存在を見ることができます。


4. 高僧と能書の競演


重要文化財 禅院額字「釈迦宝殿」 無準師範筆 南宋時代・13世紀 中国


禅院額字「釈迦宝殿」(部分)

無準師範(ぶじゅんしばん)が円爾(えんに)に贈った一群の額字(がくじ)・牌字(はいじ)には、筆者を無準とするものと、能書の張即之(ちょうそくし)とするものの2種があります。
展示中の禅院額字「釈迦宝殿(しゃかほうでん)」は無準、同じく「旃檀林(せんだんりん)」は張の書です。ともに太く堂々とした書きぶりですが、線質や点画の構成などには違いがあります。無準はややニジミがあり、粘りのある重厚な線質。点画の太細(たいさい)や疎密(そみつ)など、構成にバランスを欠くところもありますが、かえってそれが厳しくもどこか温かさのある独特な雰囲気を醸(かも)しているようです。一方、張は重厚かつ鋭い線質。点画が整然と配され、揺るぎのない字姿をつくっています。南宋を代表する高僧と能書による迫力満点の書。ぜひ見比べながらご堪能ください。


5. 修理後初公開、過去から未来へ


傑山偈 古林清茂筆 元時代・泰定3年(1326) 中国


傑山偈(修理前)

本作は2022年10月から1年をかけて本格修理が実施されました。本紙には強い折れや汚れが多く見られ、亀裂(きれつ)等によって墨書の一部に剥落(はくらく)が生じていました(上図の5行目2・5・6字目「若・低・可」)。剥落が進行する前に、作品を解体してクリーニングや補修等の処置を行い、本紙と表装の状態は改善され、今後の保存活用に支障がない健全な状態となりました。修理後はまず収蔵庫内の安定した環境で1年ほど保管、経過観察をして、今回晴れてお披露目することとなりました。
修理に際しては、もとの軸木(じくぎ)に江戸時代・天明(てんめい)元年(1781)の修理時の墨書が確認されました。先人たちが過去から現在まで大切に伝えてきた本作は、今また未来へとつなぐ準備が整いました。


6. 篆書もスゴイ!


楷書玄妙観重脩三門記巻 趙孟頫筆 元時代・14世紀 中国(部分)

本紙の末には、1字分下げて4行にわたって署名が添えられます。ここに「趙孟頫書幷篆額」とあり、行楷書による本文と冒頭にある篆書(てんしょ)の題額はともに趙孟頫(ちょうもうふ)の書であることがわかります。
趙孟頫と言えば、書聖・王羲之(おうぎし)を規範とした行草書や、碑文を得意とした唐の能書、李邕(りよう)を素地とした、本作のような行楷書などで知られます。碑文という性格を意識したのか、本文は余白がよく整った、見やすく美しい字姿をしています。点画の配置とその間の余白(分間布白(ぶんかんふはく))は、文字の視認性に直結します。その点で、厳格な分間布白や左右対称の字形、均一に保つ線などを基本とする篆書では、その技量が試されます。本作の題額は、趙孟頫の篆書の技量の高さを示しています。


展示会場風景

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室)、六人部克典(東洋室) at 2024年11月27日 (水)

 

大彦のきものと「彦根更紗」

本館2階、特別1室・特別2室では特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―」を開催中です(12月8日(日)まで)。
すでにご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、会場には今の私たちから見ても、とても素敵で「おしゃれ」と感じるきものが、一堂に会しています。大彦創業者である野口彦兵衛(のぐちひこべえ、1848~1925)、その次男であり二代大彦を継いだ野口眞造(1892~1975)を筆頭に制作されたデザインは、いつまでも新しさを感じさせるものといえるでしょう。そして、それを形づくるための染め・刺繡の高い技術もまさに圧巻です。

特別1室には、5枚の「彦根更紗(ひこねさらさ)」と呼ばれる、更紗裂(さらさぎれ)も展示しています。東京国立博物館は、彦根更紗を450枚一括して収蔵しており、この作品は当館を代表する名品のひとつです。
「さらさ」とは、主に17世紀より交易を通じて日本にもたらされた、染めによる裂を指し、日本ではよく「更紗」の漢字をあてています。その起源はインドにあり、大航海時代を皮切りにヨーロッパや日本を含む、世界中に輸出されるようになりました。オリエンタルな模様だけでなく、茜や藍が映える鮮やかな色遣い、洗っても色落ちしない堅牢(けんろう)な染めは、当時においては非常に画期的なものだったのです。更紗は交易における商品であったことから、輸出先の地域の好みに合わせて、模様が染められました。たとえば、展示中の「黒地扇散文様更紗(扇手)(彦根更紗)(くろじおうぎちらしもんようさらさ おうぎで ひこねさらさ)」は、まさに日本向けと考えられるものです。

 
黒地扇散文様更紗(扇手)(彦根更紗)
インド 野口彦兵衛旧蔵 18世紀

次第に、更紗は世界各地で模倣製作も行われるようになります。インドネシアのろうけつ染めによるバティック、木版や銅板捺染を用いたヨーロッパ更紗をはじめ、「和更紗」と呼ばれる日本製の裂もそのひとつです。日本では、インドの更紗だけでなく、これらの模倣製作も含めて「更紗」と称しています。

彦根更紗は、一部和更紗も収めているほか、インド更紗の中でもインド国内向け、ペルシャ向け、ヨーロッパ向け……など多種多様の更紗を含んでいます。まさに「更紗の宝箱」です。

彦根更紗がなぜこの特集に?と思われるかもしれません。彦根更紗は、作品名の通り彦根藩井伊家伝来の品ですが、昭和48年に当館に収蔵されるきっかけとなったのが野口眞造なのです。それだけでなく、野口彦兵衛・眞造父子は、非常に更紗を愛好していたことでも有名でした。更紗に対する深い研究成果が、大彦の高い評判へとつながったとも言われ、並々ならぬ情熱を持っていたことがわかります。それは実際に大彦のきものをみても、十分に伝わってきます。

着物 染分縮緬地更紗切継模様(きもの そめわけちりめんじさらさきりつぎもよう)
大彦作 昭和30年代・20世紀 渡辺眞理子氏寄贈
名古屋帯 染分平絹地変わり菱花卉更紗模様(なごやおび そめわけへいけんじかわりびしかきさらさもよう)
大彦作 昭和30年代・20世紀 渡辺眞理子氏寄贈

 

実際に、いくつもの更紗裂を切り継いできものを仕立てることが、近代以降流行していたようですが、「切り継ぎ」自体をひとつのデザインとしています。それだけでなく、古渡りの裂にみられる更紗模様を踏襲しながらも、柔らかな色遣いや輪郭線で表現することで、いっそうまとまりのある模様になっています。

 
着物 染分縮緬地更紗切継模様(部分)

「着物 染分縮緬地更紗切継模様」の中央上には、先ほどあげた扇手に近い模様も見えますね。このほかにも、実は三つ巴の模様や、虫の模様なども彦根更紗に類例を見ることができます。更紗裂にまなび、新たな制作へとつなげていったことが、作品からも読み取れるのです。更紗は、大彦にインスピレーションを与えていたものだったのでしょう。

展示室では、彦根更紗とこのきものや帯を見比べられるように展示しています。ぜひ、特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―」(特別1室・特別2室、12月8日(日)まで)でご覧いただけますと幸いです。

 

特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―
会期:2024年10月29日(火) ~ 2024年12月8日(日)
会場:本館特別1室・特別2室
(注)会期中、展示替えはありません

当館ミュージアムショップで本特集の図録を販売中
全40ページ 1,870円(税込)

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 沼沢ゆかり(文化財活用センター研究員) at 2024年11月25日 (月)

 

二代大彦・野口眞造の昭和モダンきもの

現在、本館特別1室、特別2室で特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―」(12月8日(日)まで)を開催しています。
明治8年(1875)、東京の日本橋に創業した呉服商・大彦(だいひこ)の二代目を継いだ野口眞造(のぐちしんぞう、1892~1975)が手がけた昭和のきもの約20件のほか、初代大彦が収集した江戸時代の小袖や更紗裂(さらさぎれ)等を展示しています。


特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―」の展示風景

大彦を創業した初代・野口彦兵衛(ひこべえ)は、伝統的な京都風の染(そめ)に対して、東京ならではの染をつくることを志します。明治20年頃、江戸川上流に染工場を立ち上げて職人を養成するかたわら、染の技術やデザイン、加飾において、東京らしさを念頭にさまざまな考案を重ねました。やがて大彦のきものは「大彦染(だいひこぞめ)」と呼ばれ、明治後期には東京名物として一世を風靡します。

初代大彦は、新しいものを生み出すには「ものに対する見聞を広くし、鑑識を高め、その取捨に明敏でなければ」と考え、江戸時代の小袖、とくに友禅染(ゆうぜんぞめ)による優品を数多く収集しました。初代が集めた小袖(大彦コレクション)は、二代大彦・野口眞造によって昭和40年代にすべて当館の所蔵となりました。


右:重要文化財 振袖 白縮緬地梅樹衝立鷹模様(ふりそで  しろちりめんじばいじゅついたてたかもよう) 野口彦兵衛旧蔵 江戸時代・18世紀
初代大彦が収集した江戸時代の友禅染の逸品

左:訪問着「鷹に衝立」(ほうもんぎ たかについたて) 野口眞造(大彦)作 昭和3年(1928)頃 渡辺眞理子氏寄贈
大彦コレクションが当館の所蔵となって半世紀以上、ひさびさの再会です

大彦が収集した江戸時代の小袖コレクションと初代・野口彦兵衛については、2015年開催の特集に関連した記事で紹介しています。
1089ブログ「呉服商「大彦」の小袖コレクションと野口彦兵衛」を読む

前述の記事でもふれていますが、古代織物の研究と復元で知られる初代・龍村平蔵(たつむらへいぞう、1876~1962)と初代大彦は、工芸家として互いに尊敬の念を抱き、深交を結びました。大正14年(1925)に初代大彦が没したのち、二代大彦となった野口眞造を染色工芸家の道へと導いたのもまた、龍村平蔵の言葉でした。

大正期、30歳前後の野口眞造は、兄の功造(こうぞう)とともに玉川沿いの染工場で合成染料による浸染(しんせん)や機械捺染(なっせん)といった量産型の染色業に打ち込んでいました。眞造自身は、染色業の新しい技術開発に明け暮れる日々は楽しかったと述懐しますが、初代大彦と親交のあった政治家(清浦奎吾)や研究者(正木直彦)等は、大彦の行く末を心配していました。初代大彦が没したのち、龍村平蔵は兄弟を訪ね、「こういう仕事は他にもする人がある。ただし先代が残した仕事は、君たちがやるべきだし、また君たちよりやる人がない」と、工業的な仕事は辞めて父の遺した工芸的な仕事をするべきだという忠言をします。その後、兄の功造は大彦の本家大黒屋から名をとって大羊居(たいようきょ)を興し、弟の眞造が大彦の二代目を継ぎ、それぞれが染色という工芸を究める道を歩むこととなりました。


訪問着「鷹に衝立」(部分)

二代大彦となった野口眞造はまず、父より受け継いだコレクションを参考に、江戸時代の小袖の復元に取り組みます。復元にあたっては、模様に特徴のあるもの、染色技術が難しいものから選んで染料や技法を調べ、小裂(こぎれ)に試験染を繰り返し、原品と見比べて精度を高めていきます。昭和3年(1928)、完成した20領ほどの復元きものを原品とともに展示し、初代大彦の頃からの知己に好評を得ます。こうした実証的研究を通じて得られた感覚と成果は、眞造の染色家人生において揺るがぬ基盤となりました。

訪問着「シャルトルのノートルダム」
野口眞造(大彦)作 昭和40年代・20世紀 渡辺眞理子氏寄贈
訪問着「シャルトルのノートルダム」(部分)

 

江戸の小袖という古典に学ぶかたわら、野口眞造は昭和という時代に合った創作きものを模索しました。昭和29年(1986)、アメリカのシアトルからニューメキシコ、ニューヨークなどへおもむき講演やファッションショーに参加した後、ヨーロッパへ渡り各都市を歴訪します。半年間にもおよぶ欧米での見聞の成果は、眞造の手がけるきものデザインの昇華となってあらわれます。


黒留袖「鸚鵡のいる風景」(部分)
野口眞造(大彦)作 昭和30~40年代・20世紀 渡辺眞理子氏寄贈
油絵のような濃厚なタッチの友禅染に、オウムの羽毛のように見える刺繡の技が光ります

眞造は、自らの感性から湧き出る詩情をきものにあらわすことに楽しみを見出し、その感覚を「文学する染色」とよびました。まず詩があって、それに見合う染や繡(ぬい)を施してきものになると考えたのです。
詩情あふれるモダンデザインと独創的な染繡に彩られた大彦のきものは、一時の流行に左右されることのない「美術衣裳」であり、当時の女性たちはもちろん今も多くの人びとを魅了します。


訪問着「緑の中のくれない」(部分)
野口眞造(大彦)作 昭和30年代・20世紀 渡辺眞理子氏寄贈
緑一色におおわれし森の奥深く、じんせき(人跡)容易に至らざるところ、一連の彩花咲く。染色にうつして、君に見せばや。
(野口眞造編『染繡美術衣裳集』昭和34年より抜粋)

 

特集「モダンきもの―名門「大彦」の東京ファッション―
会期:2024年10月29日(火) ~ 2024年12月8日(日)
会場:本館特別1室・特別2室
(注)会期中、展示替えはありません

当館ミュージアムショップで本特集の図録を販売中
全40ページ 1,870円(税込)

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 髙木結美(平常展調整室) at 2024年11月13日 (水)

 

「ふしぎな仁清」の金銀彩

タイトルにある「ふしぎな仁清」というのは、「走泥社(そうでいしゃ)」の中心メンバーとして知られる陶芸家八木一夫(やぎかずお、1918~79)のエッセイ(『芸術新潮』1969年3月号)です。実際に美術館で仁清の茶壺を観たときのことを次のように書いています。

「これだ、ああ、とおもった仁清の茶壺にだけは結局納得できなかった。ひとつは、ほとんど観念的に仁清の仕事そのものを高次元に置いていたのが、がくと私の内部で崩れたことなのだが、従ってこの場の仁清好尚への意味が、私にとってふしぎに、そして気味悪くも感じられ出してくるのだった。」
(「ふしぎな仁清」より一部抜粋)

仁清の作品といえば、20件以上も国宝や重要文化財に指定されており、日本のやきもののなかで圧倒的な知名度があります。
ただ、2017年に当館で開催した特別展「茶の湯」で江戸時代前期を代表するいくつかの仁清作の茶器を各地の美術館から拝借した際、私も図録や本の写真で知る姿とだいぶ違うと感じたことがありました。はっきり言ってしまえば絵付けの細部がつたなく、写真のほうが断然よく見えるのです。八木の場合、心理的な混乱によってまともに鑑賞することができない状況について「作品の弱さ」だけでなく「無理に他人から設定された主役の、持たざるを得ぬ悲哀」によるとまで表現し、古美術の評価や茶陶の価値を受け入れる眼や姿勢について自問しています。

しかし、博物館の研究員としては、仁清作品を積極的に評価したいし、高く評価してきた日本陶磁研究について考えてみたいと思いました。
そこで、仁清の絵付けをとりわけ力強く華やかなものにしている「金銀彩(きんぎんさい)」について調べてみることにしました。
これが、現在本館14室で開催中の特集「やきものを彩る金と銀」(12月1日(日)まで)のきっかけとなりました。


特集「やきものを彩る金と銀」の展示風景

日本でやきものに本格的な絵付けが行われるようになるのは、17世紀後半のことです。
この頃、肥前有田(ひぜんありた)では朝鮮半島からの技術に基づいて硬質磁器の生産が始まりました。一方、京都では施釉(せゆう)陶器の生産が隆盛します。そしてこれらの地で色絵、つまり赤や緑、青、紫、黄などの上絵具で装飾した製品がつくられるようになりました。興味深いことに、日本ではこの色絵装飾の草創期から、有田や京都で早くも「金銀彩」が導入されているのです。その先駆的な仁清の絵付けにみとめられるつたなさは、金銀をほかの上絵具といかにして共存させるかという試行錯誤のなかで生じた不具合によるものではないかと私は考えています。

重要文化財 色絵月梅図茶壺(いろえげつばいずちゃつぼ)
仁清 「仁清」印 江戸時代・17世紀
枝や源氏雲の配置に工夫がみられ、曲面ながらのびやかに月梅図を描くことに成功していますが、白梅と月をあらわした銀は黒く変色しています。
色絵月梅図茶壺(部分拡大)
梅花の輪郭に銀が侵食して、本来金彩の部分まで、硫化によって黒くなってしまっているところがみられます。

 

ちなみに銀彩は空気にふれると硫化(りゅうか)して黒く変色する性質があり、そのためか中国のやきものではほとんどみられません。有田でも硬質磁器における銀彩は17世紀後半の一時期に限られますが、京都では素地や賦彩(ふさい)に工夫を凝らしながら、金彩も銀彩も仁清以降継続して行われてきました。それは幕末の永樂(えいらく)家の作陶、明治期の輸出向け製品を経て、現代作家の仕事にも脈々とつながっています。
つまり「金銀彩」は、中国や朝鮮半島からの影響のもとに始まった日本のやきものの独自性や発展性を象徴するものと言えるのではないでしょうか。


重要文化財 柿釉金銀彩牡丹文碗(かきゆうきんぎんさいぼたんもんわん)
中国・定窯 伝中国陝西省楡林出土 北宋時代・11~12世紀 井上恒一氏・冨美子氏寄贈
宋時代を代表する白磁窯、華北の定窯(ていよう)の製品には、金彩をほどこした一群が知られています。
本作品はその「金花定碗(きんかていわん)」の代表作であり、金彩で牡丹をあらわし、口縁には銀を帯状に塗っています。




色絵七宝文盃洗(いろえしっぽうもんはいせん)
永樂和全作 江戸~明治時代・19世紀 横河民輔氏寄贈
器の外面は布を置いて絵付けをする「布目手(ぬのめて)」で七宝文をあらわし、見込みは刷毛で銀を塗っています。
異なる方法で「金銀彩」を効果的に取り入れた和全の技が光ります。


このたびの特集「やきものを彩る金と銀」では、中国宋時代の定窯で行われた「金銀彩」の貴重な例を皮切りに、明・清時代の金彩、日本の有田、京都を中心とした江戸から明治期のバラエティに富んだ「金銀彩」について、時代を追いながら紹介します。また、酸化銅や酸化銀を呈色剤(ていしょくざい)に用いたイスラーム陶器のラスター彩もあわせて展示します。
異なる時代や地域の「金銀彩」を比べてみると、日本のやきものの面白さをじわじわと感じていただけるのではないかと思います。

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 三笠景子(東洋室長) at 2024年10月28日 (月)