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1089ブログ

柳瀬荘のかまどの火焚き

東京国立博物館の施設のひとつ、柳瀬荘(埼玉県所沢市)をご存じでしょうか。

実業家であり茶人でもあった松永安左エ門(耳庵、1875~1971)氏の別荘だったもので、昭和23年(1948)3月に当館に寄贈されました。
 
松永氏は「電力の鬼」ともいわれた実業家で、第二次世界大戦後に9電力体制を発足させるなど、エネルギー産業再編成に尽力した人物です。
茶人としても名高く、60歳より茶道にたしなみ名器を集め、柳瀬荘において数々の茶会を催しました。
柳瀬荘以外にも多くの美術工芸品を当館に寄贈いただき、それらは貴重な収蔵品となっています。
 
竹茶杓 銘 埋火 小堀遠州作 江戸時代・17世紀 松永安左エ門氏寄贈 本館4室 5月18日(日)まで展示
「埋火(うずみび)」とは灰に残ったかすかな炭火のことです。遠州作と伝わり、細身の姿で中節の腰は低く、静かで繊細な印象の茶杓(ちゃしゃく)です。一方で、しっかりと曲げられた折撓(おりため)の櫂先(かいさき)と、そこに現れた胡麻の景色によって、貴人好みの洗練された趣が感じられます
 
柳瀬荘の主要建物である「黄林閣(おうりんかく)」は、江戸時代・天保期の民家の特色をよく示すものとして重要文化財に指定されています。荘内にはほかにも、書院造りの「斜月亭(しゃげつてい)」、茶室の「久木庵(きゅうぼくあん)」などが残されています。
 
重要文化財 黄林閣 
天保15年(1844)、現在の東京都東久留米市柳窪の地に大庄屋の住居として建てられたものを、昭和5年(1930)に松永氏が譲り受けて移築したものです。ふところの深い土間や天井の高い座敷は質実のうちに格調高い雰囲気を漂わせています
 
斜月亭
昭和13年(1938)から翌14年にかけて建築されたもので、数奇屋書院造、8畳の上の間、6畳の次の間、緑座敷の表5畳で構成されています
 
久木庵
江戸初期の建物で越後の武士、土岐二三の茶室だったものを解体し、その材料で昭和13年(1938)から翌14年にかけて移築されたものです。2畳台目の茶室と4畳ほどの水屋で構成されています
 
柳瀬荘は毎週木曜日、外観のみ無料で公開しており、また8月を除く毎月第2木曜日の10時から12時には、かまどの火焚きを行っています。
 
3月13日(木)に行われたかまどの火焚きの様子をすこしだけご覧いただきましょう。
 
最初の挨拶
 
かまどの火焚きは、「かまど火焚きの会」というボランティア団体によって支えられています。
会の母体は、柳瀬地域の郷土史研究会、民俗資料保存会の有志、そして見学等で活動を見て参加したいとおっしゃる近隣の方々で、現在20名の方がボランティア登録をして活動されています。
 
 
点火
 
点火後しばらく経つと、煙がもくもくとあがります
 
 
高い天井は煙でいっぱいになります
 
火焚きの目的は茅葺屋根の保存のためです。
煙に含まれる化学成分が茅に浸み込んで害虫を駆除する働きがあります。
ただ身体全体ににおいが染みつきますので、火焚きを見学になられる際には、服装にはご注意の上お越しください。
 
火焚き後のかまど
 
黄林閣の内部
 
火焚きのほか、柳瀬荘の室内も覗いてみてください。天井の高い座敷や襖絵などもみどころです。
 
公開日は週1回、毎週木曜日です。時間は時期によって変動しますので、詳しくはウェブサイトをご確認ください。
ぜひご都合をつけて、お越しください!
 

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posted by 天野史郎(広報室) at 2025年03月28日 (金)

 

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