このページの本文へ移動

1089ブログ

聖徳太子の実像に迫る二つの宝物

こんにちは、工芸室の三田です。今年は聖徳太子の1400年遠忌ということで、特別展「聖徳太子と法隆寺」を開催しております。そもそも遠忌というのは、没後に引き続き行われる追善(ついぜん)の仏事で、一般にはごく丁寧な場合でも50回忌が限度であるのに対し、高僧や聖徳太子のような人物に対しては、100年、500年、1000年といったように、節目節目で大きな法要が開かれます。
よく今年は聖徳太子が亡くなって1400年目のように勘違いされていますが、没年が622年ですので、実際は1399年目です。これは亡くなった年の法要(1回目)を起点として、翌年を一周忌(2回目)、二年目を三回忌(3回目)と数えるためで、聖徳太子の場合、没後1399年目の2021年が1400年遠忌という計算です。
さて、そんなメモリアルイアーだからこそ、まさに100年に一度と言ってよい最大規模の法隆寺展を開催することができました。このブログでは展示を担当した立場から、いくつかの作品について見どころをご紹介したいと思います。

まず注目頂きたいのが「夾紵棺断片」です。


夾紵棺断片(きょうちょかんだんぺん) 飛鳥時代・7世紀 大阪・安福寺蔵

大阪の安福寺が所蔵されているもので、お寺の居住部分にあたる庫裡(くり)の床下から発見されたということです。その後、なかなかいい板だということで床の間の敷板として使われていたところ、昭和33年(1958)に、周辺の古墳調査のため同寺に寄宿していた猪熊兼勝氏によって見出されました。
聖徳太子が活躍した7世紀、天皇や皇族の棺として、布と漆を貼り重ねて作った夾紵棺が使用されていました。「紵」とはカラムシという植物繊維のことで、普通にはこれで作った織物を30枚程度漆で重ねて作られています。ところがこの断片は極めて珍しいことに絹を45層も重ねて作られており、より高級な素材で密度が大変高く仕上げられているのが特徴です。


夾紵棺断片断面

絹を使った夾紵棺は他に例がなく、7世紀の中でもまったく異質な遺物と言えます。
江戸時代に活躍した安福寺の珂憶(かおく)和尚は聖徳太子を深く崇敬し、太子のお墓である叡福寺の御廟に仏舎利を寄進したことが安福寺の記録から知られますが、あるいはこの時に叡福寺から太子の棺の断片を拝領したのかもしれません。
ところで、この断片は幅が98.5センチあり、猪熊氏はこれが棺の短辺にあたると考察されました。一方で長辺を裁断したものという説もあることから、今後とも断層画像の撮影など更なる調査が必要なのですが、この棺の短辺と考える説にはとても魅力があります。
それというのも、明治時代に聖徳太子の陵墓が調査された際、棺を乗せた石の台が計測されており、その110.6センチという幅は、これが棺の短辺とした場合にちょうどピッタリのサイズなのです。できすぎた話かもしれませんが、他に例のない非常に丁寧な造りからしても、なかに納められたのは相当の貴人に相違なく、聖徳太子はまさにそのイメージに合致します。
はたしてこれが本当に聖徳太子の棺の断片であるかどうか、蓋然性は極めて高いものの、本当のところはわかりません。その解決は今後の研究に委ねられていますが、聖徳太子に直接結びつく可能性の高い遺物として今後とも注目されます。

前期展示のなかでも特に有名で、ファンのみなさんが多いのは奈良・中宮寺が所蔵する「天寿国繡帳」でしょう。


国宝 天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう) 飛鳥時代・推古天皇30年(622)頃 奈良・中宮寺蔵 8月9日(月・休)まで展示

聖徳太子が亡くなられた後、「天寿国」に旅立って行かれた太子のお姿を見たいと願った橘妃の願いによって作られました。現在も画面の左上に「部間人公」<聖徳太子の母である孔部間人公主(あなほべのはしひとのひめみこ)の名前部分>という文字を亀の甲羅に表わした部分がありますが、もとは100匹の亀形に400文字の銘文が記されており、平安時代にそれを写し取った記録から制作の経緯がわかります。
それによると、「天寿国」は人間の目には見えない世界であるから、せめてお姿を描くことで偲びたいと橘妃が願い、これを受けて妃の祖母に当たる推古天皇が宮中の女官に命じて、カーテンに「天寿国」の様子を刺繡で表わさせたものと知られます。
現在はバラバラになった断片を一つの画面に貼り合わせた状態にありますが、よく見ると色鮮やでよく残されている部分と、いかにも古く色あせて糸もボロボロの部分が確認できます。じつはこれ、鮮やかな部分が飛鳥時代の原本、ボロボロの部分は鎌倉時代に作られた模本なのです。
どういうことかというと、鎌倉時代の文永11年(1274)、中宮寺の信如という尼僧が法隆寺の蔵から「天寿国繡帳」を発見するのですが、当時すでに朽ち始めていたため、後世にその姿を残すべく模本を作ったのです。やがて新旧2種類の作品はともに断片と化し、江戸時代になってそれらを取り混ぜて貼ったのが現在の姿なのですが、こうして長い時間を経てみると、新しく作った模本の方がより劣化するという逆転現象が起きたのでした。
断片と化してもほとんど色あせることなく、制作当時の輝きを保ち続ける原本の部分からは、飛鳥時代の非常に高度な染色技術が知られます。おそらく極めてよい材料を使い、何度も何度も重ねて染め上げたのでしょう。また驚くほど緻密な刺繡も、その堅牢さが保存に役立ったと考えられます。聖徳太子を思って祈りながら刺繡をした人々のひたむきな様子が目に浮かびませんか。橘妃や推古天皇が手を合わせて祈った感動を、1400年経た我々が共有できるというのは、本当に奇跡だと思います。

この特別展では聖徳太子その人と同時代の文物に注目した展示に始まり、徐々に聖徳太子信仰が高揚していく様子を展示物とともにご覧いただけます。この特別展を通じて、いつの時代も聖徳太子をもとめ、その人に近づきたいという心の表れを感じ取っていただければ幸いです。

※会期は9月5日(日)まで、会期中展示替えがあります。
※入館は事前予約制。詳細は展覧会公式サイトにてご確認ください

カテゴリ:2021年度の特別展

| 記事URL |

posted by 三田覚之(工芸室主任研究員) at 2021年07月28日 (水)