イノシシ 勢いのある年に
こんにちは、ユリノキちゃんです!
ほほーい! ぼくトーハクくん!
今日は本館特別1室・特別2室で開催中の、特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」(1月27日(日)まで)を見にきたんだほー
亥年にちなんだ作品がたーくさん展示されているのよね。
中でも「野猪」がオススメね、ユリノキちゃん。
その声は、皿井研究員!
こんにちは、トーハクくん、ユリノキちゃん。二人は動物の彫刻を見たことある?
もちろんあるほ。鮭をくわえた熊だほ。
おみやげっ(どこで見たの?)
私は、本館18室・近代の美術のコーナーで「老猿」や「馬」を見たし、いまなら「牝牡鹿」も見られますよね。
そう、近代の美術よね。
そもそも古い彫刻には動物作品はあまりなくて、近代になってモチーフのバリエーションを広げていく中で、ここにある「野猪」やユリノキちゃんが見た「老猿」といった作品が生まれてきたの。
とりわけ「野猪」は、日本の彫刻史全体の中でもイノシシをモチーフにした珍しい作品なのよ。
野猪 石川光明作 大正元年(1912) 石川光明氏寄贈
なんだか、いじらしいほ。
うん、可愛い。
イノシシって、現代ではどっちかというと害獣で獰猛なイメージだけど、この「野猪」は横座りしてシナをつくった感じが、妙に可愛いってイメージよね。
作者の石川光明はもともと、根付とかの牙彫の職人として技術を学んだ人なの。根付ではいろんな動物を彫るのは普通のことなので、それを木彫でも制作したいっていうのは、彼の心の中に常日頃からあったのかもしれない。
ふーん、根付のような可愛らしさが自然と表れたのかな。
可愛いだけじゃなくて、牙彫作家らしい細かい彫りの技術も見てほしいな。細かい毛並み、動物らしい毛並みが実に巧みに表現されているの。可愛らしさと写実がギュッと凝縮されている作品なのよ。
皿井さん、ここには他にもイノシシさんがいますね。
ぼくの友達もいるほ。
そうよ。例えばこの中国の「玉豚」は、ものすごく抽象化されていて、死者の手に握らせていたと考えられているものです。イノシシは多産や富の象徴として、死んだ後も幸せにいられるよう、お墓の中に一緒に埋葬されることがあったのね。
玉豚 中国 前漢~後漢時代・前2~後3世紀
それと、そのほかの中国の作品を見ると、逆に小さいながらもイノシシの力強さがよくあらわされていて、中国の人たちの対象物を見て、それを写し取って造形化する技術力、造形把握能力ってものすごいと感じるけど・・・。
灰陶豚 中国 前漢時代・前2~前1世紀 広田松繁氏寄贈
褐釉豚 中国 唐時代・8世紀
ん、なんだほ?
一方で日本の「埴輪 猪」を見ると、あれ?って。これでよかったの?って。
縄文時代は、イノシシは狩猟の対象として身近だったからよーく観察されていて、「猪形土製品」のような形をちゃんと写し取った作品はいっぱいあるのに、それが埴輪になると一気にゆるキャラ化して・・・、形もこんな足が長い。馬みたい。
重要美術品 猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年
重要文化財 埴輪 猪 群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山出土 古墳時代・6世紀
なな、なんてこと言うんだほ、皿井さん。
ふふ。中国の造形に対する関心のあり方と、日本の対象物をどう造形化するか、この違いが浮き彫りになって、すごく面白い。皆さんにはそういうところも見てほしいと思います。
しくしく。「埴輪 猪」の立場が・・・。
じゃあ、どうして足が長いのか、私に説明させてください。
あ、あなたは、河野研究員!
ほほーい! 河野さん、たのんだほ!
はい。まずこの重文「埴輪 猪」、縄文時代や東洋考古のイノシシと比べると極めて足が長いのが奇妙でして、イノシシというには不思議な体形ですね。
よく見ると足の先の後部が半円形にくりぬかれて、馬の蹄と同じようになっています。日常的にイノシシを見ている人が作ったのなら、偶蹄類なのでつま先は二つに分かれるはずなのに。
つまり、馬形埴輪を作っている人がイノシシをよく知らないまま作ったんではないかと思われます。
えーっ、そういうことあるんですか?
古墳時代になると、縄文時代にくらべて、人が生きる上での生業がいろいろ多様化していますし、山など自然からは離れて生活している、そういう人たちも沢山いたと考えられます。
イノシシ狩りは王様の狩猟儀礼みたいなものに変わってしまっているだろうし、イノシシと犬の埴輪でそれを古墳内に再現する際も、そこにはあまり写実性が求められてなかった、そんな背景があるんじゃないでしょうか。
なるほどぉ。
王様にとってイノシシを狩るというのは、突進してくる獰猛な存在をやっつけるということで、自身の権威を高めることになりますね。狩ったということを表現しようとして「矢負いの埴輪」も作られたと考えられます。古墳に眠る人の権威のほどを示したわけです。
埴輪 矢負いの猪 伝千葉県我孫子市出土 古墳時代・6世紀
ほんとだ、“←”が付いてる! 現代のやじるしと全くおんなじ。
この矢の形(←)というのは誰かが考えて広めたというものではなく、動物を狩るような尖ったものを表現する際、人類が普通に思い浮かび知らずしらず共有されている、時間と場所も超越する、そんなサインなのかな。だから、この埴輪でも使用されたんじゃないかと思います。
そーそー、超越したサインなんだほ。
埴輪を研究している身としては、この大阪の堺市から出土した「埴輪 猪」も、ぜひ見てほしいですね。
埴輪 猪 大阪府堺市出土 古墳時代・5~6世紀 伊藤福次氏・橘喜一郎氏寄贈
微笑ましい表情で、私も大好き。
ゆるキャラ具合もそうだけど、重文「埴輪 猪」と見比べてみて、どっか違うところないかい?
ほ?
こっちのは足の側面に穴が開いてるでしょ。これは近畿地方の埴輪の特徴です。埴輪の地域性が見て取れますね。
ほんとだほ。お尻以外に足の付け根にも穴があるほ。ね、ユリノキちゃん。
ほんと、お尻以外にも穴が空いてるわ。
河野さん、言っておくけど、ぼくもユリノキちゃんも極めてマジメだほ。
はい(汗)
ところでトーハクくん、こっちには絵画作品もあるわよ。
そうだほ。あれは、特集のメインビジュアルをつとめる「猪図」だほ。
もう、“猪突猛進”感だしまくり、ビューって向かってくるほ。
猪図 岸連山筆 江戸時代・19世紀 ハーディ・ウィルソン氏寄贈
ふふふ。やっと私の出番がきたわね。
大橋研究員!
「猪図」もいいけど、私のオススメはこれよ。その名も「大小暦類聚」。
だいしょうごよみるいじゅう?
大小暦類聚 寛政3年(1791)
大黒天様の打ち出の小槌からイノシシさんがいっぱいでてきてる。よく見ると、大きいのと小さいのがいて、お父さん、お母さん、子供たちみたい。
ほう。でも、大きいイノシシは2匹だけじゃないほ。叔父さん叔母さん、従妹たち、親せき一同が集まって、いったい何の騒ぎだほ?
二人ともすばらしい観察力ね。これは適当に大小があるんじゃなくて、ちゃんとした、っていうか、江戸の時代のユーモアが隠されてるのよ。
どういうことだほ?
作品名を見てみて。大小の暦の類をあつ(聚)めたってことで、これは暦を描いているの。
そうなんだ。
江戸時代の暦は現代と違って、月の満ち欠けを基にした、大の月(30日)と小の月(29日)が年ごとに変わる、そういう暦だったの。
ほー。
お正月になると、その年の月の大小を示す絵暦を交換したりして楽しむようになって、デザインに干支を表わすおめでたい図柄も多く採用されたってわけ。
これもイノシシの大小によって月の大小がわかるというユーモアあふれる絵暦なのよ。
じゃぁこれは、亥年の暦ってことですね?
そう、200年以上前の寛政3年(1791)の絵暦です。
暮らしぶりが粋なんだほ。
うん、江戸時代の人たちは、いろいろと粋なことをして楽しんだのよ。
この「見立富士の巻狩」もそう。
見立富士の巻狩 葛飾北斎筆 享和3年(1803)
葛飾北斎さんだほ。
本来は、源頼朝の富士の裾野での狩りを題材にした「富士の巻狩」っていうのがあって、その中に頼朝に向かって突進してきたイノシシを退治した話があるんだけど、それを北斎は七福神がしているように見立てたわけ。つまり・・・
パロディー!
大黒天がイノシシに跨って、打ち出の小槌でしっぽを切ろうとする仕草が描かれていて、昔の人もパロディーを楽しんだっていうのが分かる作品なのよ。
大橋さん、こっちは? イノシシの団扇を持っている人に蛇のオモチャでいたずらしてる人が描かれてますよ。
むっ、悪さをする子は、ぼくが許さないんだほ。
浮世七ツ目合・巳亥 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀
二人とも十二支は言える?
はい。子ぇ、丑、寅、卯ぅ、辰、巳ぃ
午、未、申、酉、戌、亥ぃ・・・
あ、巳年、蛇もでてくるわね。
そう、この作品は「浮世七ツ目合・巳亥」といって、亥年のイノシシと巳年の蛇がモチーフになってるの。
どうして、この組み合わせなのかしら?
ある干支と、それから数えて七つ目の干支の組み合わせは幸運を招くとされていたからなのよ。亥年から七つ目は巳年なの。
この喜多川歌麿の作品は、いたずらしてるように見えて、じつは幸運を招く縁起の良さが描かれているのね。
ほ! 巳年から数えたら七つ目は亥年だほ。この浮世絵はきっと、7年後の特集展示にも出てくるほ。
トーハクくんて、ときどき妙にピントが合ったこと言うのね(まぁ、数えるなら6年後だけど・・・)。
トーハクくん、イノシシさんの楽しい見方がいっぱい詰まった特集展示ね。
ユリノキちゃん、そうなんだほ。みんなにもぜったい見てほしいんだほ。
うん。じゃ、そろそろほかの展示室に行こうか?
ちょっと待ったぁー!!!
強烈に聞き覚えのある声。
おいおいおい。水くさいじゃないか二人とも。
井上副館長!
そうだよ。井上副館長だよ。
井上さん、そんなに興奮して、どうし
ここにある国宝、目につかないかい? 国宝「袈裟襷文銅鐸」だよ。
(食い気味にきたほ)画数の多い漢字は苦手だほ。
国宝 袈裟襷文銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀
この部分にイノシシが描かれているんだ。見てごらん。
あっ、ほんとだ。ほかに小さい動物と人間もいますね。
そ、これはもう弥生絵画の傑作だよ。
いいかい、まずイノシシ、それに立ち向かっていこうとする5匹の犬。そして矢を放とうとする人間。つまり当時の犬追い狩猟の様子の在りのままがここに再現されているんだ。
縄文時代はリアルなイノシシだって皿井さんが言ってたように、この弥生時代の銅鐸に描かれたイノシシもまた、イノシシそのものをうまく表現している。素晴らしいだろ?
イノシシらしい鼻先、耳、しっぽ。イノシシにしか見えないわね。
銅鐸にイノシシが描かれることは非常にめずらしい。多く描かれているのは鹿なんだよ。縄文時代の土製品などはイノシシが大変多いんだが、それが弥生時代に入ると、イノシシに代わって鹿が多くなるんだ。
どうしてだほ?
それには縄文時代と弥生時代の生業の違いが関係しているようだね。縄文時代は狩猟・漁労・採集といったものが人々の生活を支えていたんだ。ところが、弥生時代になると大陸から米作りが伝わり、人々の生活は大きく変化する。
そうなんですか?
おそらく、縄文人は獰猛で多産なイノシシにパワーを感じ、弥生人は稲作のシンボルとして田の豊穣をもたらす神、ひいては子孫の繁栄をもたらす神の象徴として鹿にパワーを感じていたんだな。稲作が始まって、狩猟採集から食料の栽培生産へと変化したために対象獣も変わったんだよ。
時代は変われど、人間は動物にさまざまな願いを託していたことを分かって欲しいんだ。そして大切なことは、この絵画が示すように、弥生人は稲作を始めたからと言って狩猟というものを止めたわけじゃないんだよと。
たったこれだけの中に、それだけの情報が詰まっているのね。
そう。ただし、他の遺物との比較があってのことだけどね。
比較から、そういう考察が生まれるよってことだほ。
そう、考察が生まれ、え?
(トーハクくん、どうしちゃったの?)
ん、二人ともなんだほ?
だから、絵画、彫刻、歴史資料、いろいろなイノシシが会場にはいるけれど、ぜひこの銅鐸も見ていってほしんだな。
うん、分かった。井上副館長、いろいろ教えてくれて、どうもありがとうなんだほ。
皿井さん、河野さん、大橋さんもどうもありがとうございました。
さてトーハクファンのみなさん、私たちの紹介で、この特集に興味を持ってくれたかしら?
特集「博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に」は1月27日(日)までです。
みなさんのご来館をお待ちしてまーす!
カテゴリ:研究員のイチオシ、特集・特別公開、トーハクくん&ユリノキちゃん
| 記事URL |
posted by トーハクくんとユリノキちゃん at 2019年01月15日 (火)