山田長政ゆかりの地を訪ねて
泰平の世に、日本を飛び出し、活躍の地を求めてアユタヤーに雄飛した人びとがいました。
彼らのなかで最も有名な人物が、駿河出身とされる山田長政(?~1630)です。
「山田長政像」(江戸~明治時代・19世紀 、静岡浅間神社蔵)
洋装に身を包んだ長政の肖像。なぜ洋装なのかはよくわかっていません。
同時代の資料が少なく、なかば伝説的な人物のように扱われることの多い長政ですが、彼の名は江戸幕府初期に活躍した以心崇伝(いしんすうでん)が著した外交実務の記録『異国日記』に、「山田仁左衛門」の名で登場します。また、彼の故郷にある静岡浅間神社には、長政が奉納した絵馬の写しが伝わっています。
静岡浅間神社
「山田長政奉納戦艦図絵馬写」(浅間大祝高孝寄進、江戸時代・寛政元年(1789)、静岡浅間神社蔵)
荒波をものともせず進む軍艦。甲板に多数の鎧武者とともに長政が描かれています。
長政は、勇猛な日本人義勇軍を率いて活躍し、時の国王に重用されますが、宮廷内の諍いに巻き込まれてしまい、最後はタイ南部の六昆(リゴール)の地で暗殺されたといわれています。
「カティナ(功徳衣)法要図」(ラタナコーシン時代・1918年、タイ国立図書館蔵)
法要図に描かれた日本人義勇軍。薙刀を手にしています。
山田長政終焉の地である六昆は、ナコーンシータンマラートと名を変えて今に至っています。タイ南部を代表する都市です。
さてこの地に、長政を偲ぶものはあるのでしょうか。
この街には、現在でも長政が活躍したアユタヤー王国時代に作られた城壁が残っています。煉瓦(れんが)を平積みに積んだ高くて堅固な城壁です。
ナコーンシータンマラートは城塞都市だったんですね。
もしかしたら、長政もかつて見上げた風景かも知れません。
ほかに何かないでしょうか…街を歩いてみます。ナコーンシータンマラートは、目抜通りこそ車の往来が激しくて、とてもせわしないですが、少し裏手にまわるとのんびりとした風情があります。この日は、歩いている途中に眠りこけている犬を何匹も目にしました。
遂に見つけました!
山田長政邸宅跡に残る井戸です!! 本当かどうかはわかりません!!!
内側を煉瓦で積み上げた横長の井戸ですね。
今も井戸の底には水をたたえています。
井戸のすぐそばにパン屋さんがありましたが、そこの看板に「RIGOR」と書いてありました。「リゴール」、つまり六昆ですね。
ナコーンシータンマラートで美味しかったのは、地元特産の貝料理でした。
日本でいうと、これはたぶんサルボウとイガイですね。長政も亡くなる前にお腹いっぱい食べることが出来たのでしょうか。駿河人は海産物が大好きなのです。ちなみに、このコラムの筆者も駿河人です。
長政の故郷、静岡では毎年10月に「日・タイ友好 長政まつり」が開催されています。今年で32回目を迎えます。のんびりとしたお祭りです。興味のある方は行ってみて下さい。 今年は10月8日(日)開催だそうです。長政公も出迎えてくれます。
※今回ご紹介した作品は、東京国立博物館 平成館で8月27日(日)まで開催中の日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」でご覧いただけます。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2017年度の特別展
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posted by 望月規史(九州国立博物館 研究員) at 2017年08月04日 (金)