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根付と置物-象牙彫刻の伝統

「アイボリー」といえば象牙のようなごく淡いクリーム色を指すように、象牙の白い色は独特です。素材としての象牙の特徴にはまず、このわずかに黄味を帯びた優しい白色と、「粘り」ともよばれる弾力性をあげることができるでしょう。この二つの特質により、象牙には世界中で装飾・彫刻材料として珍重された歴史があります。

今回の特集展示「根付と置物-象牙彫刻の伝統」(2016年6月7日(火)~7月31日(日)、本館14室)でも、この象牙ならではの白色を生かした作例が多数を占めていますが、近現代の作品には、彩り豊かなものも間々見られます。特に近年テレビ番組などでも取り上げられ、人気が急上昇したのが、卓越した着色技術により野菜や果物などの形や色、質感の全てを見事に再現した安藤緑山(1885~1955?)の作品です。ここでは展示品の中でも、象牙を彫刻してから色彩を加えた作品に注目してみましょう。

といっても、象牙に色を定着させるのは至難の技なのです。江戸時代の牙彫根付ではしばしば、「矢車染め(やしゃぞめ)」という象牙を薄い茶色や肌色に染める技法が使われています。「矢車」とはタンニンを多く含む夜叉五倍子(やしゃぶし)の実のことで、いわゆる草木染めの一種です。

鼠捕牙彫根付 線刻銘「明實」
鼠捕牙彫根付 線刻銘「明實」 江戸時代・19世紀
全体を染めあげてから、角や丸みの部分を磨いてグラデーションをつけ、立体感を強調しています。

臼兎牙彫根付 線刻銘「蘭亭」
臼兎牙彫根付 線刻銘「蘭亭」 江戸時代・18世紀 郷誠之助氏寄贈
木製品である臼と杵の部分を淡い茶色に染めて、兎の白と対比させています。
 
常盤牙彫根付 線刻銘「光廣」
常盤牙彫根付 線刻銘「光廣」 江戸時代・19世紀 郷誠之助氏寄贈
着物や笠、下駄の部分を薄い茶色に染め、顔や腕などの肉身部は白いままで表現しています。

正倉院宝物などに見るように、奈良時代には日本にも象牙を赤・紺・緑などに染める技術が伝わりましたが、その後途絶えてしまいました。江戸時代にはこの技術の復興が試みられ、赤や緑に染めた象牙の櫛などが見られます。しかし飾り櫛と違って、根付は着物や手で擦れるためでしょうか、赤や緑に染められた牙彫根付は少ないです。

鬼面牙彫根付 線刻銘「壽玉(花押)」
鬼面牙彫根付 線刻銘「壽玉(花押)」 明治時代・19世紀 郷誠之助氏寄贈
全体を肌色に染め、頭部や頬の部分を赤く、濃淡をつけて染めています。

てんとう虫 
てんとう虫 村松親月 (1934~) 作 平成11年(1999) 高円宮コレクション
象牙が深紅と漆黒に染め上げられています。作者は、象牙を赤・紺・緑などに染めてから文様をはね彫りする「撥鏤」技法の復元を成し遂げました。


牙彫鷹置物
牙彫鷹置物 金田兼次郎作 明治25年(1892) シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局
白鷹の羽毛は象牙の白無垢で、脚の皮膚は茶色く染めて表現されています。

明治時代中頃までの牙彫置物は、このように象牙の白さをそのまま生かした作品が多かったのですが、大正期に入ると、冒頭で触れた安藤緑山のような人が出てきて、総天然色ともいうべき牙彫置物が登場します。

桜桃
桜桃 安藤緑山 (1885~1955?) 作    大正時代・20世紀     高円宮家蔵
桜の枝葉や軸など極薄く細い部分まですべて象牙彫刻で表わし、卓越した着色技術とあいまって、まさに実物と見紛うばかりです。

柿
 吉村竜渓作    明治~大正・20世紀     高円宮家蔵
作者は金田兼次郎門下の牙彫家で、明治後期から大正時代にかけて活躍しました。当時は安藤緑山の他にも、こうした着色作品を制作する作家がいたことが分かります。


こうしたリアルな着色作品は、象牙彫刻の文脈を知らずにご覧になる方にはまず、象牙製とは思われないことでしょう。ただし、本物そっくりのみずみずしい色彩表現は、象牙の表面に思い通りの色を定着させる難しさはあっても、象牙と言う白い素材だからこそ、可能になったことです。象牙という稀少素材の特質について、思いを廻らせながら、展示をご覧いただけますなら幸いです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 竹内奈美子(登録室長、貸与特別観覧室長) at 2016年07月07日 (木)