創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」がいよいよ7月17日(水)より開幕しました。
平成館エントランスのバナー
本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺(じんごじ)創建1200年と、空海生誕1250年を記念するものです。
神護寺の金堂
空海が密教を学ぶため唐へ留学して帰国したあと、当時の都である平安京で活動するために住んだお寺が、京都の高雄にある神護寺(当時は高雄山寺)でした。
神護寺は、空海が密教という新しい教えを披露したメジャーデビューの場所、つまり「はじまりの地」といえます。
では、さっそく会場の様子を見てみましょう!
会場入り口
入り口で皆さまをお迎えするのは、神護寺 谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫(きごう)した大きな看板。
制作の様子は神護寺展の公式Xでご覧ください。
入ってすぐの場所には、国宝「観楓図屛風」と秘仏である重要文化財「弘法大師像」が展示されています。
(右)国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場は、草創記の神護寺からはじまり、だんだんと時代が下っていく構成になっています。
第1章の第1節では空海や初期の神護寺にまつわる品々をご紹介しています。
国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示
書の名手であり、この時代の三筆のひとりと称される空海直筆の作品も必見です。
国宝 灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 展示期間(7/17~8/25)
会場を進んで第1章の第2節「院政期の神護寺」では、有名な神護寺三像(右から国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)が登場。
(右から)国宝 伝源頼朝像(でんみもなもとのよりともぞう)、国宝 伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)、国宝 伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう)
すべて鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
そして振り返ると…
4メートル四方の大きさの国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が掛けられています!
会場奥に国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が見えます
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)のうち胎蔵界(たいぞうかい)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)※金剛界は後期展示(8月14日~9月8日)
神護寺展ならではの贅沢な空間です。
空海が制作に関わったとされる、現存最古の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」。曼荼羅の世界に包まれてください。
第1会場の終わりには「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナーがあります。
金泥、銀泥で描かれた仏の姿を細部までご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。
続いて第2章では、通称「神護寺経」と呼ばれる「大般若経(紺紙金字一切経)」と、お経を包む経帙(きょうちつ)をご覧いただきます。
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(だいはんにゃきょう まきだいいち、こんしきんじいっさいきょう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(手前)紺紙金字一切経経帙(こんしきんじいっさいきょうきょうちつ)
平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵 通期展示
美しい色糸で組まれた竹のすき間から雲母がきらめいています。ぜひ間近でご覧ください
第3章では中世神護寺の隆盛がうかがえる絵図や、密教空間を彩る作品をご紹介します。
重要文化財 十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 ※場面替えがあります
第4章の「古典としての神護寺宝物」では、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)によるもうひとつの「伝源頼朝像」が展示されています。
伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
古画が大好きな為恭は絵画技術を学ぶため、神護寺宝物を模写しました。
ぜひ会場でふたりの頼朝を見比べてください。
そして最後の第5章では、1200年の歴史の各時代につくられた神護寺の彫刻が一堂に会しています!
国宝 五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場ならではの横からの姿にもご注目ください!
十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
吉野右京、大橋作衛門等作 [酉神、亥神]室町時代 15~16世紀 [子神~申神、戌神]江戸時代 17世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
前期展示は8月12日(月・休)まで、後期展示は8月14日(水)~9月8日(日)です。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。
神護寺三像など、前期のみの作品もありますのでお見逃しなく!
夏休みはぜひ神護寺展へお越しください。
二天王立像(にてんのうりゅうぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵
撮影スポットもあります。ぜひ記念の一枚を撮影してください!
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年07月19日 (金)
東洋館8室では、「橋本コレクション受贈記念 明代宮廷絵画と浙派」が始まりました(2024年7月17日(水)~8月18日(日))。
橋本コレクションは、橋本末吉氏(はしもとすえよし、1902~91)の収集した、世界的に有名な中国絵画コレクションです。
2023年、当館はこのコレクションのうち明(みん)時代絵画の優品15件の寄贈を受けました。
本展はこれを記念し、ご寄贈作品を中心として、明時代の宮廷画家と浙派(せっぱ、宮廷画家に起源をもつ職業画家一派)の作品を展示するものです。
東洋館8室「橋本コレクション受贈記念 明代宮廷絵画と浙派」の展示風景
明王朝を開いたのは、貧民から武力でのし上がった朱元璋(しゅげんしょう、1328~98)であり、明の宮廷でははじめ、わかりやすく豪壮な絵画が好まれました。
その雰囲気をもっともよく伝えるのが、辺文進(へんぶんしん)筆「柏鷹図軸(はくようずじく)」です。
柏鷹図軸 辺文進筆 明時代・15世紀 中国 橋本末吉氏・橋本太乙氏寄贈(8月4日まで)
画面のサイズは、縦145.7センチ、74.0センチ、決して小さくはないのですが、鷹に熊、雉といったモチーフがパンパンに詰め込まれ、体格のよい鷹は窮屈そうで、その抑え込まれたエネルギーが強調されています。
鷹は英雄の象徴であり、明の皇帝たちが大好きな鳥でした。
辺文進の描く、肩を怒らせ、つやつやと生えそろった羽毛、がっちりとした大きな嘴と足の爪をもつ鷹は、さぞ、皇帝たちのお気に召したことでしょう。
柏鷹図軸(部分)
宮廷画家の活動の違った側面が見えるのは、石鋭(せきえい)筆「探花図巻(たんかずかん)」です。
探花は、超難関の高級官僚登用試験、科挙(かきょ)の第三位合格者のこと。
全中国人が目指す、最高の栄誉の一つです。
重要文化財 探花図巻 石鋭筆 明時代・15世紀 中国 個人蔵
探花の称号は、皇帝が科挙合格者をもてなす宴で、最年少合格者に一番の名花を探させたという故事に由来します。
この画巻のなかの高士たちも、うららかな春の山に美しい花を探して思い思いに散策しているようです。
石鋭は、華やかな彩色の山水図を得意にした宮廷画家ですが、この作品は皇帝のためではなく、科挙合格を目指して勉強中の顧余慶(こよけい)という受験生のために描かれました。
顧余慶はその後、見事合格したそうですので、今年大事な試験を控えているみなさんは、こちらにあやかっていただければと思います。
探花図巻(部分)
宮廷画風は中国各地で流行していきますが、その過程で、より騒がしく、激しい筆づかいが好まれるようになります。
その極地ともいえるのが、鄭文林(ていぶんりん)筆「柳蔭人物図軸(りゅういんじんぶつずじく)」です。
柳蔭人物図軸 鄭文林筆 明時代・16世紀 中国 橋本末吉氏・橋本太乙氏寄贈
野卑とも評される、デフォルメされた奇妙にユーモラスな人物の顔立ちは、好みが分かれるかと思いますが、衣の線に見られる筆さばきの見事さにはため息が出ます。
鄭文林の「あらさ」が確かな技術に裏打ちされていることがわかるでしょう。
柳蔭人物図軸(部分)
展示場にはこのほかにも橋本コレクションの名品が並んでいます。
ミュージアムショップで図録も販売していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
『受贈記念 橋本コレクション 一 明(一)』
全32ページ
発行:東京国立博物館
定価:本体800円+税
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2024年07月17日 (水)
「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」はいつもの東博の展覧会とは少し雰囲気が違います。
考古作品を大胆にトリミングしたポスタービジュアル、解説のない展示室、自然光を取り込んで刻々と変化する光など、普段の東博の展示とは違ったアプローチで、鑑賞者がモノや空間と繊細に向かい合わざるを得ないような展示になっています。
自然光で撮影された写真を大胆にトリミングしたポスター
重要文化財 足形付土製品(部分) 新潟県村上市 上山遺跡出土
縄文時代(後期)・前2000〜前1000年 東京国立博物館蔵 撮影:畠山直哉
第2会場の本館特別5室には、当館所蔵の考古作品が入った展示ケースがいくつか設置されています。
低い。地面に置かれている感覚に近い低さ。
「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」第2会場
撮影:畠山直哉
写真を見てお気づきのように、これらの展示ケースは普段の東博の展示では考えられないほど低く設置されています。
この低い展示ケースで見る作品は、見やすい高さに設置された通常の展示ケースで見る場合と全く印象が違います。
地面を見下ろすような鑑賞は、足形付きの土製品が足跡に見えるような新鮮な感覚を覚えます。
(足形付土製品:https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-38391?locale=ja)
この職員や監視スタッフを心配させるほど低く設置された展示ケースですが、うっかり接触しても簡単には動かないようにしたり、地震から守るための免震装置を設置したり、しっかりと安全対策も行なっています。
このために用意した免震装置は、数ミリしかない超薄型のものを使用しています。
高い天井の空間を使った作品も本展の見どころです。見下ろしたり、見上げたり、さまざまな視点で展示を楽しんでみてください。
展示ケースと床の間に設置された超薄型の免震装置
また特別5室は、東西の窓のシャッターを数十年ぶりに開放して自然光のみで展示しています。
天候や時間によって光が常に変化するので作品の印象が見るたびに違います。
展覧会の準備のためにシャッターを開けた時に、西と東で窓ガラスが違うことに気が付きました。
東側は透明なガラス(竣工当時の製法であるフルコール法やコルバーン法で作られた板ガラス。波打つ歪みが美しい)、西側は曇りガラスになっています。
これは西日の強い光を抑える設計だと考えられます。
(左)東側窓ガラス (右)西側のガラス
展示は、何を、どこに、どう置き、どう光を当てるかで感じ方が全く変わるものです。
本展はそれを様々な面で強く感じる展示です。本展でたくさんの「違い」を感じて得た視点で、総合文化展を見ると、また新しい発見があるかもしれません。
内藤礼展は、比較的ゆったりしている平日の午前中がおすすめです。
カテゴリ:「内藤礼」
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posted by 荻堂正博(デザイン室) at 2024年07月10日 (水)
「十年一昔」といいますから「二昔」前のことですが、「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」として、奈良県の吉野・大峯(おおみね)、和歌山県の熊野及び高野山を中心とする地域が、平成16年(2004年)に世界文化遺産に登録されました。アテネでオリンピックが開催され、樋口一葉、野口英世のお札が登場し、微笑(ほほえ)みの貴公子・ヨン様が日本を席巻した年です。
私は初任地である奈良国立博物館にこの年に採用されましたので、今年で在職20年ということになります。それを記念して・・・ではなく、勝手に世界遺産登録20年記念に便乗した企画なのですが、特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」という小さな展示の企画・構成を担当し、現在本館14室で開催しております(2024年7月15日(月・祝)まで)。
当館が所蔵する金峯山経塚(きんぷせんきょうづか)出土品、那智山(なちさん)経塚出土品の一群に、奈良・大峯山寺(おおみねさんじ)から寄託されている大峯山頂出土品を加えた構成で、普段はお目にかけないようなもの(図1・2)も展示してますが、吉野・大峯信仰を代表する蔵王権現(ざおうごんげん)像が多数展示されているのが目を引くことと思います(図3)。
(図2)重要文化財 鉄錠(てつじょう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・12世紀 奈良・大峯山寺蔵
(図3)特集「吉野と熊野―山岳霊場の遺宝―」(本館14室)の展示風景
蔵王権現は日本で創出された修験道(しゅげんどう)独自の尊格で、「権現」(仮の姿で現れる)と記されるように、インド以来の仏教の仏が変化(へんげ)した存在で、釈迦(しゃか)、千手観音(せんじゅかんのん)、弥勒(みろく)の三つの仏尊の徳を合わせ持つとされています。役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山で修行中に、過去の存在である釈迦、現在の存在である千手観音(阿弥陀の化身)、未来の存在である弥勒に続き、盤石(ばんじゃく)の中から涌出(ゆじゅつ)したとされており、過去・現在・未来を司る特別な存在と目されています。その姿についてはインド由来の仏のように経典に記されてはいないのですが、南北朝時代に記された『金峯山秘密伝(きんぷせんひみつでん)』という書物には次のように記されています。
「顔が一つ、目が三つ、腕は二つで、色は青黒く、顔は忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)。頭に三鈷冠(さんこかん)をいただき、左手は剣印(けんいん)を結んで腰に置き、右手は三鈷杵(さんこしょ)を持って頂上に上げ、左足は盤石を踏みしめ、右足は空中を踏む」(図4)
(図4)重要文化財 銅板鋳出蔵王権現像(どうばんちゅうしゅつざおうごんげんぞう)
奈良県吉野郡天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・11~12世紀 奈良・大峯山寺蔵
なるほど、涌(わ)いて出てきただけあってなかなか大胆なポーズで、思わず真似してみたくなります。右手に邪悪なものを破砕する三鈷杵を持つので、きっと右利きなのでしょう。昔の人はだいたい右利きです。右手でさっと抜けるよう、刀は左腰に帯びました。
金峯山寺蔵王堂(本堂)には秘仏の巨大な蔵王権現像が3体並んでいますが、揃って右手・右足を上げています。同じ姿の仏像が3体並ぶ(しかも大きい)のはなかなかおもしろいものです。
ところが会場を眺めると、逆向きの方がいらっしゃいます(図5・6)。しかも複数。 左右を間違えて作ってしまったのでしょうか。それとも鏡に映した姿でしょうか。
密教(みっきょう)では鏡に尊像を思い浮かべる修行があり、そこから派生して鏡に尊像を彫り表したのが鏡像(きょうぞう)ですので、鏡に映した姿を表したと考えることもできますが、他の尊像ではこうした例はまずありません。私も解説などを書いていてよく間違えるので、同じような人がやっぱり間違えちゃったのかなとも思われるのですが、実は蔵王権現は、元は左右一対(いっつい)で表されることもあったと考えられています。
滋賀・石山寺には蔵王権現のような形の奈良時代の仏像の心木(しんぎ)があります。この石山寺の当初(奈良時代)の本尊の姿を描いたと考えられる平安時代の図像(図7)が残っていて、それを見ると本尊・如意輪(にょいりん)観音(二臂・半跏踏み下げの古い形式)の向かって右下に蔵王権現のような姿の天部形(てんぶぎょう)、向かって左下にそれを反転させた姿の天部形が描かれています。
(図7)重要文化財 諸観音図像(しょかんのんずぞう) 第17紙 如意輪観音(部分)
平安時代・12世紀 奈良国立博物館蔵
(画像提供:奈良国立博物館)
蔵王権現のルーツについては、はっきりとは解明されていないのですが、この金剛力士(こんごうりきし、仁王)と思われる如意輪観音の脇侍(わきじ)も起源の一つと考えられていて、それを踏まえると、対(つい)になるように左手・左足を上げた方もいらっしゃったということになります。当時の礼拝法もよくわかってはいないのですが、石山寺と同じように左右向かい合うようにして用いられた可能性も考えられますし、古い形式が残ったことも考えられます。
いずれにしろ、左利きの蔵王権現は、左右を間違えちゃったわけではなく、ちゃんと由緒を持った姿ということが確かめられるのですね。
私は野球世代なので、希少な左利きには憧れがありました(右利きです)。投げる方はダメでしたが、打つ方は時々左で打ってみたりして、中日ファンだったので、打席でバットをグルグル回す田尾選手の真似をしてみたり、構えた時にお尻をキュッと投手の方へ向ける谷沢選手の真似をしてみたり・・・。
恐らく希少な存在の、左利きの蔵王権現がどのように見られてきたことか・・・。 仏様の前でポーズは取ってみなかったとは思いますが、気になるところではあります。
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posted by 清水健(工芸室) at 2024年07月04日 (木)
6月25日(火)、「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」が開幕しました。(9月23日(月・休) まで)
本展は、会場が「平成館企画展示室」「本館特別5室」「本館1階ラウンジ」の3か所に分かれています。
ご覧いただきたい順路をご説明します。
まずは第1会場の「平成館企画展示室」へ。
東京国立博物館の正門プラザを通って入館したら、平成館へ向かいます。
平成館エントランスにお入りいただいたら、右手にお進みください。
第1会場の「平成館企画展示室」が見えてきます。手前側の出入口からお入りください。
第1会場の反対側の出入口を出て、第2会場の「本館特別5室」へ向かいます。
第1会場を出て、すぐに右手に曲がります。(ここが少しわかりづらいですが、画像のとおり、案内看板があります。)
本館へ繋がる連絡通路へ、道なりにお進みください。
本館に入って、すぐ右手にある本館18室を目指します。
本館18室「近代の美術」の展示室を進みます。
本館18室「近代の美術」の1番奥まで進み、左手の出入口を出て、そのまままっすぐ本館特別4室にお進みください。
(または本館19室を経て、ミュージアムショップを通り抜けることも出来ます。)
特別4室を抜けると、本館エントランスに出ます。
左手に第2会場「本館特別5室」が見えてきます。
第2会場に入った時とは反対側の出入口から出たら、右手に見える大階段を横切り、来た道と同じ道を戻ります。
(左手側の本館11室~15室を道なりに進み、第3会場へ行くこともできます)
本館18室「近代の美術」を再びまっすぐ進んだら、右手に曲がります。
本館16室「アイヌと琉球」の展示室を奥まで進むと、第3会場「本館1階ラウンジ」へ。
館内が広く、じっくりとご覧いただきたいので、ぜひ時間に余裕をもってのご来館をおすすめします。
本展を堪能されると、なんだかすっきりとして、目の前の曇りが晴れてくるような気持ちになります。第3会場を出たあと、この眼差しで見た総合文化展の作品は、どのように見えてくるでしょうか。
もしかしたら、今までとはまた違った見え方で浮かび上がってくるかもしれません。
本館特別5室では、長年閉ざされていた大開口の鎧戸を開放しました。お天気によって見え方がまったく変わりますので、日時や時間を変えて、何度か見てみると、また新たな表情が見えてくるかもしれません。
本館特別5室 長年閉ざされていた大開口の鎧戸の様子
本展は、9月7日より銀座メゾンエルメス フォーラムで開催される同名展覧会(2025年1月13日まで)の空間へと続き、再び本展へと戻るという構成です。
どんな風に繋がるのか、私たちも今からとても楽しみにしています。
カテゴリ:「内藤礼」
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posted by 東京国立博物館広報室 at 2024年06月27日 (木)