特集陳列「呉昌碩(ごしょうせき)の書・画・印」はじまりました
9月12日(月)、トーハクのある上野は晴れて中秋の名月がきれいに見えました。
皆様はお月見を楽しまれましたか?
さて、平成館企画展示室では、その翌日9月13日(火)から
台東区立書道博物館との連携企画第9弾として、
特集陳列「呉昌碩(ごしょうせき)の書・画・印」の展示がスタートいたしました。
呉昌碩は、清時代末期から近代にかけて活躍した書・画・印の巨匠です。
84歳で生涯を閉じるまで旺盛な創作活動を展開、在世中から多くの人々を魅了してきました。
(手前右)墨梅自寿図 呉昌碩筆 中華民国・民国14年(1925) 青山杉雨氏寄贈 (~2011年10月10日)
呉昌碩は、石鼓文(せっこぶん)の臨書が名高く、
日本に現存する作品が多いことでも知られています。
石鼓文とは戦国時代、前5~前4世紀の石碑の古代文字で、
石が太鼓に似ているので石鼓と呼ばれています。
本展では若書きの40歳代の作品から、最晩年の傑作までをご覧いただけます。
(左)篆書般若心経十二屏 呉昌碩筆 中華民国・民国6年(1917)
(右)臨石鼓文軸 呉昌碩筆 清時代・宣統2年(1910) 林宗毅氏寄贈
臨石鼓文軸(部分)
年を重ねるごとに変化してゆく石鼓文のとらえ方は大きなみどころですが、
さらに今回は、作品だけでなく手紙などの遺品を通じて、
呉昌碩の人となりを垣間見られる点も、楽しみのひとつです。
たとえば、上海で知り合った日本人の漢学者で書・画・篆刻の創作もした長尾雨山への手紙です。
長尾雨山宛書簡 呉昌碩筆 中華民国・20世紀 京都国立博物館蔵(~2011年10月10日)
自ら作成した印を「あまりできはよくないけれどもらってください」と送る呉昌碩。
雨山が謝礼を送ったため「そんな(お金をとる)つもりで送ったのではない」と現金を送り返しています。
美しい字で綴られた手紙はみているだけでうっとりしますが、
プライベートの書簡の内容は呉昌碩やその作品をより身近にしてくれるように感じます。
本展を連携で企画している台東区立書道博物館での展示には、当館の収蔵品などの作品のほかに
現在、休館中の朝倉彫塑館が所蔵する呉昌碩胸像石膏原型なども展示されており
呉昌碩の姿をより具体的にイメージすることもできます(呉昌碩の「福耳」にもご注目!)。
お散歩をかねて両館をごらんいただけると呉昌碩の世界がより大きく広がるのではないでしょうか。
朝夕に少しずつ秋の気配を帯びてきた上野で、
ぜひ、呉昌碩の書・画・印の数々をご堪能ください。
特集陳列「呉昌碩(ごしょうせき)の書・画・印」は
平成館 企画展示室にて11月6日(日)まで開催しております。
最後に、本展にご協力いただいた皆様に感謝して。結
月例講演会「呉昌碩の書・画・印」
列品解説「呉昌碩について」
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posted by 林素子(広報室) at 2011年09月14日 (水)
「空海と密教美術」展は、2011年9月13日(火)午後、40万人目のお客様をお迎えいたしました。
これまでご来場いただいたお客様に、心から感謝申し上げます。
40万人目のお客様は、東京都世田谷区からお越しの山木房子さん(85歳)です。
お嬢様の山木康子さんと一緒に来館されました。
東京国立博物館 銭谷眞美館長より、展覧会図録と密教展オリジナルグッズを贈呈いたしました。
左から、山木康子さん、山木房子さん、銭谷眞美館長
2011年9月13日(火) 東京国立博物館平成館にて
房子さんは開催前より前売り券をご購入くださっていたそうで、
「小説をきっかけに空海に関心を持つようになりました。
特に風信帖は本物をぜひ見てみたいと思ってきました」とのこと。
また、書道をたしなんでいらっしゃるため、書の展示作品に関心をお持ちのほか、
仏像もお好きとのことで、本展のあとには特集陳列「運慶とその周辺の仏像」(~2011年10月2日(日))
にも、あわせて立ち寄る予定とのことでした。
山木房子さん、康子さん、ありがとうございました。
「空海と密教美術」展は、2011年9月25日(日)まで開催しています。どうぞお見逃しなく!
カテゴリ:news、2011年度の特別展
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posted by 広報室員 at 2011年09月13日 (火)
仏像好き必見の特集陳列「運慶とその周辺の仏像」(~2011年10月2日(日) )から、今回はかわいらしい(失礼!)獅子たちのご紹介です。
この特集の目玉作品は、なんといっても運慶作とされる二体の大日如来像です。そのうちのひとつ、栃木県・光得寺蔵作品については、美しく荘厳された厨子と台座も展示されています。
左から、大日如来坐像、その納入品の模型、厨子と台座。
厨子の中の台座をよく見ると…………
花びらの先からきらきら光る水晶の水玉がこぼれる美しい蓮の花が仏さまの座るところです。そしてその蓮の花を、おやおや、小さな獅子たちが支えています。
トーハクブログの読者の皆さまに特別サービス!
今回は特別にこの獅子たちを厨子の外に出して、じっくり見てみることにしましょう。
全部で4頭の獅子。口を開いた「阿形」が3頭、閉じた「吽形」が1頭です。
お顔はさまざま。目力抜群、きりっとした顔立ちのライオン風もあれば、おっとりとしたネコ風もあり、それぞれ個性的です。
横から見てみると
いずれも胸の筋肉が発達した豊かな体つきをしています。
髪型、もとい、たてがみ型が違っているのがわかりますか?
くるくるパーマのおばさん風もあれば、名古屋巻のお嬢様タイプあり。
もひとつおまけ。後姿です。
なんと! 尻尾のウエーブがたてがみに対応していることが判明!
左端のお嬢様風、背後に回ってみたら、あばらの浮き出た野性味たっぷりの体つきでした。
獅子の体は黒漆を塗り、その上に白い顔料、さらに丹(たん)というオレンジ色の顔料を重ね、金泥(きんでい)と呼ばれる金の絵の具で仕上げています。この美しい輝きはそれだけ手をかけているからこそなのですね。
お顔に近づいて見ると
目じりの赤い色がわかりますか? 表情が豊かになるように、細かい工夫がされています。
たてがみには金の筋が一筋一筋丁寧に描かれています。
じつはこれ、金箔を細く切って文様を描く截金(きりかね)という技法によるもの。金箔ならではの輝きが獅子に威厳を与えています。
この台座の上に坐る大日如来は運慶の作とされるものですから、これらはその弟子たちが造ったものかもしれません。台座といえども力の入ったすばらしいできばえです。
この小さな獅子たちにも、生き生きとしたリアルな表現で一時代を築いた鎌倉彫刻の特長を十分に見て取ることができるでしょう。
このように大日如来の台座に獅子を表すことには、ちゃんと根拠があります。
「中心毘瑠遮那如来。頭載五智宝冠、坐七獅子座上結跏趺坐、結界法印」(善無畏訳「尊勝仏頂修瑜伽法儀軌」巻上)。
そう、密教の古い経典に、大日如来が7頭の獅子の上に坐っているという記述があるのです。
おや、7頭ですって?
実は、この台座の獅子はいくつか失われおり、おそらく、最初は7頭の獅子がいたと考えられているそうです。
現在開催中の「空海と密教美術」展では、8体の仏像による「仏像曼荼羅」が話題になっています。これは東寺講堂の21体の仏像による「立体曼荼羅」のうち、8体を展示しているものです。今回の仏像曼荼羅では展示されていませんが、東寺の「立体曼荼羅」の中心に置かれているのは、密教でいちばん大切な仏さま、大日如来です。残念なことに現在の大日如来像は15世紀に作られたものですが、当初の大日如来像は7頭の獅子の上に乗っていたことが、さまざまな資料により明らかになっています。
さて、話を運慶の大日如来に戻しましょう。
実は、運慶は、建久8年(1197)に東寺の講堂の仏像の大規模な修復を行ったことがわかっています。
この大日如来像が造られたのが、それより先のことなのか、後のことなのか、はっきりはわかっていません。しかし、運慶が、いわば密教の仏像の原点ともいえる東寺講堂の大日如来を意識していたことは間違いないはず。その姿にならってこの像と台座を作った― その可能性は決して低くはありません。
特別展と総合文化展。行ったり来たりの一歩進んだ鑑賞法のオススメでした。
総合文化展には、ほかにも密教美術の作品が随所に展示されています。
当館ウェブサイト「おすすめコースガイド」では、「空海と密教美術」展とあわせて観たい! おすすめ作品コースを紹介しています。
是非ご活用ください!
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posted by 小林牧(広報室長) at 2011年09月13日 (火)
「銅人形」って知っていますか?
本館 16室 歴史資料「健康を考える」(~2011年10月10日(月))で展示されています。
「どんなもの?」と思った方のためにご紹介いたします。
まずは展示替えの模様から。
収蔵庫から台に乗せられて3人がかりで慎重に運ばれます。
人形といっても、その大きさは実物の人間大のものから人の腰の高さくらいのものまで、色々です。
この写真からもわかるように、展示されている銅人形は実物大のものに近い背丈がありそうです。
5~6人がかりで開梱され、展示されました。
これが銅人形です。
(左)重要文化財 銅人形 江戸時代・寛文2年(1662) 松平頼英氏寄贈 C-544
(右)銅人形 江戸時代・18世紀 C-543
一目見るだけで目に焼きつくその異様なビジュアルは、学生の頃、理科室で見た人体模型を思い出させます。
それもそのはず、この銅人形、医学を学ぶための教材として作られたものなのです。
「銅人形」が作られるようになったのは、中国の宋の時代です。
医学の国家試験に使用されていました。
全身には、気の流れを表す14本の経脈の線が走り、360か所以上の経穴(つぼ)が開けられています。
(左)銅人形 C-543 部分
(右)左画像赤枠部分の拡大。経脈を示す線や「つぼ」を示す穴がみられます。
試験の際には、銅人形の表面に蝋が塗られます。
解答者は、目隠しをされ、出題内容に適した「つぼ」がある部分を予測して針を刺します。
正解の穴をうまく探し当てたら、人形の中に仕込まれた水銀や水が流れ出すという仕組み。
画像の銅人形は、江戸時代に日本で作られたものです。
幕府の侍医、山崎宗運が『銅人ゆ穴鍼灸図経』(中国で宋の時代に鍼灸書)と自らの研究をもとに作成したもので、
当初は中国で作られたものが日本に渡ってきたものと考えられていました。
人体模型として、内臓や血管、骨など体内の情報を知ることができる銅人形がこちら。
足裏に記された銘文によって、寛文2年(1662)・江戸時代に和歌山藩医の飯村玄斎らが考証して、岩田伝兵衛らが制作に関わったことがわかっています。
銅人形 C-544 部分
人体の表面をあらわす張り巡らされた網目状の銅の隙間から、血管や骨、内臓の模型が収まっているのが見えます。
(左)銅人形 C-544 部分
(右)左画像赤枠部分の拡大。表面の銅を外した画像です。
この銅人形は、江戸時代の人々にとって最先端医療を学ぶ貴重な資料として役立っていたようです。
歴史資料「健康を考える」では、今回ご紹介した銅人形のほかに、
旅の必需品の携帯薬入れや、
懐中持薬入 近江屋安兵衛作 江戸時代・19世紀 徳川宗敬氏寄贈
当時の医療に関する書籍などが展示してあり、
覆載万安方 巻第54 59冊のうち 梶原性全著、坂璋写 江戸時代・天保6年(1835)
江戸時代の人々の医療事情を知ることができます。
また、健康に関する多くの書籍や資料から、当時の人々の健康への関心の深さがうかがえます。
今日のように医学が進歩していなかった江戸時代の人々の予防医療に学ぶこともあり、健康志向が高まっている現代で、興味をもたれる方も多い展示ではないでしょうか。
展示は2011年10月10日(月)まで。
お見逃しなく。
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posted by 広報室Web担当 at 2011年09月11日 (日)
本館12室 漆工では、日本で独自の発展をとげた漆芸(しつげい)装飾技法、「蒔絵(まきえ)」による作品を展示しています。
蒔絵の作品は、器の内側にも文様が描かれていることが多く、蓋の裏側のなどの展示には、いつも悩みます。
特に硯箱の蓋の場合、必ずと言って良いほど、裏側にも図柄が描かれているのです。
あたりまえですが、表を上にして置くと裏が見えず、裏を向ければ表が見えず…
ところが以前、外国の美術館で、硯箱の蓋を垂直に立てて展示しているのを見ました。
なるほど確かに、そうすれば表も裏も同じように良く見えます。
でも垂直にするためには、蓋をフレームに嵌め込んで立てることになります。
硯箱の蓋がまるで、衝立のようでした…
表裏両面の図柄を見せるという意味では良いアイディアなのですが、箱の蓋としての存在意義が、
分かりにくくなってしまいます。
そこで私達が良く使うのは、このような鏡を用いた展示具です。
鏡に映ると図柄は反転してしまいますが、表側を見ながら、裏側にどんな文様が描かれているかも分かります。
最近本館12室をご覧下さった方はご存知と思いますが、この展示室は昨年末に改装して、
新しい展示ケースを導入しています。
ケース内に自由に角度を変えられるLED照明が入っているので、鏡に光を当てられるようになり、
以前より鏡に映った映像が明るく、見やすくなりました。
現在展示中の作品では、以下の硯箱の蓋表と蓋裏が、ご覧いただけるようになっています。
いずれも表と裏に異なる図柄を描いており、表裏あわせてお楽しみいただきたい作品です。
・重要文化財 男山蒔絵硯箱 室町時代・15世紀 (~11月20日まで展示)
男山は現在の京都府八幡市にあり、和歌にもよく詠まれた名所。
蓋の表には男山の景色を描き、裏にはその山頂にある岩清水八幡宮の社殿を描いています。
(左)蓋表、(右)蓋裏
・重要文化財 柴垣蔦蒔絵硯箱 古満休意作 江戸時代・17世紀 (~11月20日まで展示)
幕府の御用蒔絵師、古満派の代表作。
外側には、紅葉しはじめた蔦のからまる柴垣を精緻に描いています。
対して蓋の裏側には、雨の中を鷺が舞い降りようとする、その一瞬をとらえた図。
(左)外側、(右)蓋裏
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 竹内奈美子(工芸室長) at 2011年09月08日 (木)