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1089ブログ

「明末清初の書画」のたのしみかた、その3 いびつな形の裏側に

年明けに開幕した東京国立博物館(以下「東博」)と台東区立書道博物館(以下「書道博」)の連携企画「明末清初の書画」は、2月10日(火)より後期展示がはじまり、気付けば閉幕まであとわずかとなりました(3月22日(日)まで)。

本展を多くの方々にお楽しみいただこうと、東博と書道博の研究員でご紹介してきたブログも今回が最後となります。

【1089ブログ】
 
東博 東洋館8室 後期展示の風景
 
個性的な作風で彩られる明末清初の書画で、特に目を引くのが「いびつな形」です。本展でも作品に表れた奇怪な造形に目を奪われた方が少なくないのではないでしょうか。
今回のブログでは、書における形のいびつさに注目したいと思います。
 
激動期の明末清初には、個性の解放や、「奇」という独創的で優れたものを重んじる風潮を背景に、従来の正統的な書画の枠にはおさまらない、新奇な表現が生み出されました。
「ゆがみ」や「ねじれ」、「かたむき」など、いびつさをともなうさまざまな造形上の変化は、既存の表現では飽き足らなくなった作者と鑑賞者の欲求を満たすものであったのでしょう。
 
いびつさのオンパレードともいえる作品がこちらの書です。
 
(図1)行書五言律詩軸(ぎょうしょごごんりっしじく)
王鐸(おうたく)筆 中国 明~清時代・17世紀 青山杉雨氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示 3月22日まで】
 
行書五言律詩軸 釈文
 
これは、明末清初を代表する書の名手の王鐸(1592~1652)が、「題柏林寺水(はくりんじのみずにだいす)」という詩を、長条幅(ちょうじょうふく)という縦長の大画面形式に書写した掛軸です。
趙州(ちょうしゅう、現在の河北省石家荘市趙県)の柏林禅寺(はくりんぜんじ)には、かつて長江の激流を描いた壁画がありました。この壁画は唐時代8世紀前半の著名な画家、呉道玄(ごどうげん)の作という伝承をもち、「趙州柏林寺の水」や「趙州の水」と呼ばれ、詩にも詠われて親しまれてきました。
 
王鐸はこの詩を、筆にたっぷりと墨を含ませ、ゆったりとした筆運びで書写しています。
(図2)の赤線や青線部分にみられるように、縦長の大画面を存分に活かして、3字、4字と続けて書き、書いてはその流れや傾きを受けて、バランスをとりながら次の文字を形作っていきます。
 
(図2)王鐸の特徴的な筆運び
 
そうして書かれた個々の字姿は、左に傾いたり(図3)、右に倒れたり(図4)、ねじれたような形であったり(図5)、墨溜まりが塊状になったりと(図6)、実にいびつで変化に富み、まるで生き物のように躍動感に満ちています。
 
(図3)2行目「青」
 
(図4)2行目「浸」
 
(図5)1行目「来」
 
(図6)2行目「龍」
 
一方、(図7)の赤枠部分のように、上下・左右の文字同士は互いに響き合い、それぞれの行は揺れながらもよく調和しています。そして、墨の量と線の太さ、文字の大きさの変化によって、画面には奥行きが感じられます。
 
(図7)呼応する上下・左右の文字
 
この作品には、繻子織(しゅすおり)の絹織物である絖本(こうほん)が用いられています。絖本は光沢のある質感で墨が浸透しにくい性質をもちます。
つまり、筆運びが速かったり、墨の量が少なかったりすると、線にカスレが生じやすくなります。かえって、本作のように墨量を多くし、ゆったりと運筆すると、墨溜まりが生じ、点画が塊状になることもあります。
 
明末清初には、このような絖本や、墨がにじみにくく墨線に筆鋒(ひっぽう)の流れや割れが明瞭に表れる金箋(きんせん、金泥や金箔を施した光沢のある加工紙)などの素材、あるいは長条幅などの形式が好んで用いられました。
明末清初の書画におけるいびつさの裏側には、こうした予期せぬ筆墨の変化を生む素材や形式の流行もあったのです。
 
東京国立博物館 東洋館8室 特集「明末清初の書画―乱世にみる夢―
どちらも3月22日(日)まで開催。
 
 

公式図録

本展の公式図録をミュージアムショップで販売しています。

明末清初の書画 ―乱世にみる夢― 八大山人 生誕四百年記念

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ中国の絵画・書跡「明末清初の書画」

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posted by 六人部克典(平常展調整室主任研究員) at 2026年03月17日 (火)

 

「明末清初の書画」のたのしみかた、その2 八大山人の世界

東京国立博物館(以下、東博)と台東区立書道博物館(以下、書道博)は、連携企画として、毎年、時期とテーマを合わせて中国書画に関する展覧会を開催しています。

23回目となる連携企画は「明末清初の書画」。激動の時代を取り上げる本展を多くの方々におたのしみいただこうと、東博と書道博の研究員でリレー形式による1089ブログをお送りしています。
1089ブログ「明末清初の書画」のたのしみかた、その1 石マニア?「烈士」?―明時代の終わりを見届けた倪元璐の二つの顔

第2回は、東博と書道博の展示から、今年生誕400年を迎える八大山人(はちだいさんじん 1626~1705)にスポットをあててお伝えします。
 
台東区立書道博物館 展示室風景
 
八大山人は、通名を朱耷(しゅとう)といい、江西省南昌(なんしょう)に生まれました。明の皇族の血を引く彼は、明が滅亡した時、19歳の青年でした。皇族という出自のため、その存在自体が反乱の火種でした。彼は身を隠すため仏門に入り、修行に専念しましたが、50代半ばに還俗します。そして酒を飲んでは泣き叫び、時には狂人を装い、奇行を繰り返しました。これは清王朝への抵抗であり、俗世を避け、遺民としての精神を貫くための術でした。彼は狂人という仮面のもとで、個を研ぎ澄ませていきます。この頃から八大山人と称し、書画を鬻(ひさ)いで生計を立てます。書画の制作は、亡国の悲憤を昇華する唯一の拠り所でした。
八大山人は、空白と象徴に満ちた独自の様式を築きます。鳥や魚を描いた寓意的作品には、沈黙の中に深い精神性と痛切な感情が宿されます。故国の喪失とアイデンティティの崩壊というこの極限状況こそが、八大山人という稀代の芸術家を生み出す原点となったのです。
 
今回、東博と書道博において、国内に所蔵される12件の八大山人作品を紹介しています。
東博では、八大山人の書を展示しています。彼の書は、筆の先を包み隠すようにして淡々と書き進められ、筆の動きも抑制されて、むしろ清々しささえ感じられます。
 
(図1)草書七言絶句軸(そうしょしちごんぜっくじく) 
八大山人筆 中国 清時代・17~18世紀 東京国立博物館蔵
(注)展示は終了しました。
 
(図2)行書送李愿帰盤谷序軸(ぎょうしょそうりげんきばんこくじょじく) 
八大山人筆 中国 清時代・17~18世紀 東京国立博物館蔵【東博展示 3月22日まで】
 
書道博では、八大山人の書と画を紹介しています。彼の画も一見とてもシンプルで、そこには静けさが漂います。しかしよく見ると、どこかに違和感が仕込まれています。最も顕著なのが「目」です。彼が描く鳥や魚の多くが白目をむいていて、鑑賞者を、あるいは世界そのものを冷ややかに、あるいは傲然(ごうぜん)と睨みつけています。この静寂の中の異様さが、八大山人の画の核心なのです。
 
(図3)重要文化財 安晩帖(あんばんじょう) 
八大山人筆 中国 清時代・康熙33年(1694)、康熙41年(1702) 泉屋博古館蔵【書道博展示 2月23日~3月8日】
 
(図4)乙亥画冊(いつがいがさつ)
八大山人筆 中国 清時代・康熙34年(1695) 調布市武者小路実篤記念館蔵【書道博展示 通期】
 
八大山人は、日本ではあまり馴染みのない人物かもしれませんが、実は著名な小説家や芸術家、評論家に多くの信奉者がいました。以下にざっと挙げてみましょう。
志賀直哉(1883~1971)、武者小路実篤(1885~1976)、柳宗悦(1889~1961)、
岸田劉生(1891~1929)、中川一政(1893~1991)、住友寛一(1896~1956)、
川端康成(1899~1972)、白洲正子(1910~1998)、加藤周一(1919~2008)、
司馬遼太郎(1923~1996)など。
 
また近年では、我々もよく知る坂本龍一(1952~2023)も八大山人のファンであり、八大山人の作品や生き様に絆され、コラムで熱く語っています。
「僕が八大山人に惹かれたのは、その異常なまでの抽象性である。大胆な余白と空間、微妙な線、限られた色。八大山人の画は、僕が今考える音楽に、大きなインスピレーションを与えてくれる。余白を埋めてしまうのではなく、空間、あるいは間、沈黙を活かすこと。音色のうつろいとしての墨の濃淡。決して幾何学的な計算からは出てこない枝、葉のフォルム。この抽象性に目を瞠らざるをえない。(中略)そして、過酷な人生を生き抜き、最後まで強い意志を燃やし続け、究極の境地に達するために身を削った。共感などという軽々しい言葉は使えないが、強い信念を曲げないという部分に、自分もそうでありたいと思う。」(坂本龍一「八大山人」『坂本図書』一般社団法人坂本図書、2023年)
 
八大山人の作品は、中国では大人気です。今後、生誕400年を記念して中国各地でも展覧会が開かれるそうです。
 
世界中で八大山人、はなざかり!
みなさんもぜひ、今回の連携企画で八大山人の世界にどっぷりと浸ってみてください。


台東区立書道博物館 八大山人作品コーナーの様子 

東京国立博物館 東洋館8室 特集「明末清初の書画―乱世にみる夢―
どちらも3月22日(日)まで開催。
 
「週刊瓦版」
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています(先着100名様)。
東京国立博物館、九州国立博物館、台東区立書道博物館の学芸員(研究員)が執筆しています。展覧会をたのしく観るための一助として、ぜひご活用ください。
 
 

公式図録

本展の公式図録をミュージアムショップで販売しています。

明末清初の書画 ―乱世にみる夢― 八大山人 生誕四百年記念

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ中国の絵画・書跡「明末清初の書画」

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館長) at 2026年02月18日 (水)

 

「明末清初の書画」のたのしみかた、その1 石マニア?「烈士」?―明時代の終わりを見届けた倪元璐の二つの顔

東京国立博物館(以下「東博」)と台東区立書道博物館(以下「書道博」)は、連携企画として、毎年、時期とテーマを合わせて中国書画に関する展覧会を開催しています。

23回目となる今回は「明末清初の書画」と題して、17世紀の中国、明から清へ王朝が交代した激動の時代の芸術をご紹介しています。

東京国立博物館 東洋館8室 特集「明末清初の書画―乱世にみる夢―
前期:2026年1月1日(木・祝)~2月8日(日)、後期:2月10日(火)~3月22日(日)

台東区立書道博物館 「明末清初の書画―八大山人 生誕400年記念―
前期:2026年1月4日(日)~2月8日(日)、後期:2月10日(火)~3月22日(日)
 

東博 東洋館8室の展示風景

本展を多くの方々におたのしみいただこうと、東博と書道博の研究員でリレー形式による1089ブログをお送りします。
初回は東博展示から、倪元璐(げいげんろ 1593~1644)という人物による「書画冊」(しょがさつ)の鑑賞ポイントをお伝えします。

まずみなさんにご紹介したいのは、明時代末期の17世紀前半、文震亨(ぶんしんこう 1585~1645)が著した『長物志』(ちょうぶつし)という本のおもしろさです。
この本はタイトルずばり、「無用の長物」に関する本で、ようするに、この時代の、趣味にうるさい文人たちの生活文化のガイドブックです。
どのような住まいがよいか、センスのよい家具とはどんなものか、身に着けるものは、乗り物は…にはじまり、お茶や果物、園芸、ペット、骨董品、文房具、お香などなど、衣食住に関わるさまざまな事項について、著者の批評とうんちくが語られます。
経済発展を背景に、文人たちの生活文化が洗練の極に達した様子がうかがえる1冊です。

さて、この『長物志』のなかに「品石」という項目がありまして、ここでは、庭園や書斎に置く石の趣味が語られています。
産地、大きさ、造形の複雑さ、石肌の色や質感、たたいた時の音などが評価のポイントとなっていたようです。
たとえば、東博所蔵品で石の趣味がわかるものとして、「城南雅集図巻」があります。このなかに、庭園に置かれた立派な太湖石を見ることができます。
また、江戸時代の儒学者、市河米庵(いちかわべいあん 1779~1858)が書斎で愛玩した石も伝わっています。
 
城南雅集図巻(じょうなんがしゅうずかん)(部分) 
禹之鼎筆 中国 清時代・17世紀 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵 
(注)本展には展示していません。
 
崑山石(こんざんせき
中国 清時代・17~19世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示 通期】

『長物志』からわかるような愛石趣味の盛り上がりを受けて、明末には石を表した絵画もしばしば制作されています。
倪元璐も石を愛した文人画家のひとりで、その「書画冊」には石の画が2点おさめられています。
 
書画冊(しょがさつ) 
倪元璐筆 中国 明時代・崇禎12年(1638)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示 2月8日まで】


石を描くにあたり、倪元璐はかわいた筆としめった筆を使い分け、濃度の異なる墨を丁寧に重ねて、「玲瓏」(れいろう)とも表現される、透き通った石の輝きを表そうと工夫を凝らしています。
石に対する倪元璐のマニアックなまなざしが伝わってくる作品です。
 
書画冊 倪元璐筆 
(注)このページは展示されていません。


もし、倪元璐が明王朝の瓦解の前に世を去っていたら、この作品は明末の一文人のみやびな趣味が反映されたものとしてのみ、鑑賞されたかもしれません。
しかし、実際には王朝の交代に際しての倪元璐の決断により、「書画冊」は何よりも「烈士」の遺作として価値をもつようになります。

倪元璐は趣味人であると同時に、天啓2年(1622)に科挙に合格した高級官僚でもあり、明という国の行く末に責任をもつ立場にありました。
倪元璐が国政に携わるようになった頃の明は、文化の爛熟とはうらはらに、北の満洲族の侵攻と内乱により国力の弱体化に歯止めがかからない状況にありました。
これに失望して、倪元璐は一時、官界から退き郷里に戻る決断をします。
しかし、崇禎16年(1643)、皇帝のいる北京がいよいよ危なくなると、首都に戻って勤王に尽くします。
そして、首都陥落を目の当たりにして国に殉ずることを選び、52歳で縊死しました。

「書画冊」は、清時代の初めには倪元璐の子孫が所蔵していました。
その子孫の依頼に応じて、冊の後ろには、在りし日の倪元璐と交流のあった文人たちが所感を記しています。
 
書画冊 倪元璐筆
在りし日の倪元璐と交流のあった文人たちによる跋文。
(注)このページは展示されていません。

 
そこで繰り返し強調されるのは倪元璐の愛国心・忠義心です。
国に殉じた「烈士」倪文璐がほめたたえられる一方で、『長物志』の世界にも通じる「軟弱な」石マニアの姿は浮かびあがってきません。
果たして、この作品を描いたときの倪元璐はそれを予想していたのでしょうか。
倪元璐の「書画冊」は、動乱の時代にあたっての人生の選択と、後世における作品評価が、緊張感をもって交錯する、きわめて明末清初らしい作品といえるでしょう。
 
 

公式図録

本展の公式図録をミュージアムショップで販売しています。

明末清初の書画 ―乱世にみる夢― 八大山人 生誕四百年記念

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)

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特集「創建400年記念 寛永寺」公式図録表紙

 

 

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posted by 植松瑞希(出版企画室長) at 2026年01月27日 (火)

 

「拓本のたのしみ」その4

東京国立博物館(以下、東博)と台東区立書道博物館(以下、書道博)で開催中の連携企画「拓本のたのしみ」【3月16日(日)まで】は、閉幕まであとわずかとなりました。
両館の展示についてリレー形式でご紹介してきたブログも今回が最後となります。
 
初回でもお伝えしましたが、サブタイトルに「明清文人の世界」と題した東博展示では、前半部(「拓本あれこれ」、「碑拓法帖の優品」)で拓本そのものの魅力に注目し、後半部(「鑑賞と研究」、「収集と伝来」)で拓本を愛好し楽しんだ明清時代の文人の活動に焦点を当てています。
第1回のブログに続き、最終回は東博展示の後半部の概要を中心にお伝えします。
 
 
「鑑賞と研究」
書の拓本である碑拓法帖(碑帖)を手習いした臨書や模本、鑑賞記録として周囲に書きつけられた題跋や印記等の資料は、伝来はもとより、碑帖の鑑賞・研究の実体を物語っています。
ここでは、書画家や収蔵家としても名を馳せた、明・清時代の文人たちが残したこれらの資料から、碑拓の愛好の様子をご覧いただきます。
 

楷行草雑臨古帖巻(巻頭 本紙)
劉墉筆 清時代・乾隆51年(1786)
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】

楷行草雑臨古帖巻(本紙 冒頭)
 
こちらは、松・梅・笹の文様を廻らせた絹本に、王羲之(おうぎし、303~361)の草書の代表作「十七帖(じゅうしちじょう)」から五代の能書、楊凝式(ようぎょうしき、873~954)の「韭花帖(きゅうかじょう)」まで、歴代の法書を渾厚な筆致で臨書した1巻です。原跡の形にとらわれず、比較的自由な態度で書写された、書き手の個性がひかる臨書です。
筆者の劉墉(りゅうよう、1719~1804)は、清の乾隆・嘉慶期の高官で、書では法帖を拠り所とする帖学派の大家として知られます。『淳化閣帖(じゅんかかくじょう)』などの法帖から、三国・魏の鍾繇(しょうよう、151~230)や王羲之の書法を学び、濃墨を用いた重厚で古雅な表現を確立しました。


模九成宮醴泉銘冊(本文 第1開)
翁方綱摸 清時代・乾隆56年(1791) 
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】


模九成宮醴泉銘冊(第1紙 上部)
 
こちらは、碑帖研究の大家の翁方綱(おうほうこう、1733~1818)が、初彭齢(しょほうれい、1749~1825)所蔵の宋拓「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」から100字を選び、響搨(きょうとう)という技法で制作した模本です。
響搨とは、原跡の上に紙をのせて、窓から射す光で文字を透かして写し取ること。本作では、文字の輪郭を写し(双鉤)、中を墨でうめる(塡墨)、双鉤塡墨(そうこうてんぼく)という模写技法が併用されています。
翁方綱はこのような緻密な技法を駆使して同一古典の碑帖を比較、考証し、碑帖研究の進展に大きく寄与しました。
 
 
「収集と伝来」
書画家・学者・収蔵家など様々な顔をもつ文人は、鑑賞・研究の対象として、また社会的地位を示す文物として、優れた拓本を収集しました。
また、金石(青銅器や石碑など)の研究が盛行した清時代には、山野に埋もれた資料を自ら探し求めることもありました。
ここでは、収集と伝来に注目しながら、碑拓法帖やその原物をご紹介します。
 
武氏祠画像石 後漢時代・2世紀 
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
 
 
武氏祠画像石(部分) 
 
こちらは、後漢時代の地方豪族、武氏一族の祠堂(しどう)を飾った画像石のうち、武梁(ぶりょう、78~151)の祠堂東壁の拓本です。壁面のレリーフにみられる人物が刻された5層は、最上層が東王公のいる東方の神仙世界、2層以下は地上世界で、列女や孝行者、刺客の故事などを表しています。人物の近くには、当時刻された隷書の題記がみられます。
祠堂は地上に建てられて墓主を祀り、棺を安置する墓室は地下に造られました。武氏祠は今の山東省嘉祥の武宅山の北麓に造営され、長らく地中に埋もれていたところ、乾隆51年(1786)に金石学者の黄易(こうえき、1744~1802)らによって発掘、保存されました。武氏祠画像石のなかには、黄易らの発掘経緯が傍らに追刻されたものもあります。
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石) 唐時代・咸通9年(868)
端方氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石 第1面 上部)


仏頂尊勝陀羅尼経幢(台座(後補) 第5面 銘文)
 
こちらは唐時代に造られた「仏頂尊勝陀羅尼経幢(ぶっちょうそんしょうだらにきょうどう)」の原石です。経幢とは仏典などの経文を刻した石造物のことで、唐時代以降に盛んに造られました。多くは本作のように『仏頂尊勝陀羅尼経』を廻らせた八角柱で、蓋(欠損)と台座(後補)を備えます。
この経幢原石は、もとは清末の金石書画の大収蔵家である端方 (たんぽう、1861~1911)のコレクションのひとつでした。端方は、明治36年(1903)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会に、本作を含む自身の金石コレクションを出品しました。そして東京帝室博物館(現在の東博)の依頼を受けた端方は、閉会後に、本作など10数件の金石資料を博物館に寄贈しました。
寄贈された当初、本作は幢身の石柱のみの状態でしたが、のちに博物館で大理石製の台座(銘文「李唐咸通経幢台座/東京帝室博物館造」)に据えられ、拓本が取られました。
東京帝室博物館は寄贈に対して謝意を表し、江戸初期頃の甲冑一具を端方に贈呈し、端方は礼状を返送しました。

仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本) 唐時代・咸通9年(868)
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本 第1面 上部)

こちらが、端方の寄贈後に博物館で取られた拓本です。原石よりも比較的文字が見やすく、「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」の王羲之書法に通ずる典雅で変化に富む字姿であることがわかります。
この「仏頂尊勝陀羅尼経幢」の原石と拓本は、ただ金石・拓本の収集・伝来の様子を物語るにとどまらず、文物を介した近代の日中交流を物語る資料としても貴重です。
 
 
全4回にわたって東博・書道博の連携企画「拓本のたのしみ」についてお伝えしてきました。
ぜひ両館で魅力あふれる拓本と、拓本を愛してやまない文人たちのディープな世界をご堪能ください。

 

 

拓本のたのしみ

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
拓本のたのしみ 表紙画像

カテゴリ:中国の絵画・書跡「拓本のたのしみ」

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posted by 六人部克典(東洋室) at 2025年03月11日 (火)

 

「拓本のたのしみ」その3

台東区立書道博物館の春田賢次朗です。

東京国立博物館と台東区立書道博物館(以下、書道博)の連携企画第22弾「拓本のたのしみ」【3月16日(日)まで】の会期も残り2週間ほどとなりました。六人部さん、鍋島館長と続いてきたバトンを受け取って、書道博の展示、とくに全形拓(ぜんけいたく)についてご紹介させていただきます。
 
全形拓(器形拓(きけいたく)・立体拓(りったいたく)とも)とは、器物の全形を立体的に表現する拓のことで、容庚(ようこう)の「拓墨」(『商周彝器通考』、上海人民出版社、2008)では、道光初年(1821)、馬起鳳(ばきほう、原名は宗黙、後に改めて起鳳)が創始者であるとします。しかし、近年まで馬起鳳による全形拓の作例は発見されていませんでした。
 
ところが2013年、北京泰和嘉成オークションで馬起鳳による全形拓が2件出品され、はじめてその作例が確認されました。そしてなんと、それ以外にも日本において馬起鳳による全形拓が2件存在していたのです。
 
尊銘 馬起鳳拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】
古器物銘(部分) 馬起鳳拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】

前期展示【2月2日(日)まで。すでに終了いたしました】では淑徳大学書学文化センター蔵の馬起鳳による全形拓を、2月26日(水)からは早期全形拓者として注目される陳南叔(ちんなんしゅく)、銭寄坤(せんきこん)による全形拓を展示いたします。これら早期全形拓者による全形拓は、共通して淡い拓調です。
 
鬲銘 陳南叔拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】
爵銘 銭寄坤拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
個人蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】

では、このような全形拓はどのように制作されるのでしょうか。全形拓は石碑や墓誌のような平面の拓にくらべ、高度な技術と複雑な工程を要することは想像に難くないでしょう。紀宏章『伝拓技法』(紫禁城出版社、1985)によると、以下の3ステップを経てつくられるようです。

①原寸大の正確な下絵を描く。
②鉛筆でその下絵を軽く写す。
③写した下絵を器物に合わせて複数回にわけて上紙・上墨を行い完成。

以下、「古器物銘(部分)」をもとに、②、③の行程を確認していきましょう。
 
右上を拡大してみると、鉛筆の線がはっきりと確認できます。これが②に該当します。
 
古器物銘(部分)
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】
古器物銘(部分)の拡大図

紋様部分では、角度を微妙に変えながら、3回にわけて拓をとっていることがわかります。これが③に該当します。このように、拓をとる範囲と角度を細かく調整することで、自然な奥行きを表現しているのです。

古器物銘(部分)紋様部分の拡大図
 
全形拓の中には、対象物からいっさい拓をとらずに完成させる例もあります。あたかも拓本をとったかのように描く技法のことで、これを穎拓(えいたく)と称します。この技法は黄士陵(こうしりょう、1849~1908)や姚華(ようか、1876~1930)が得意としました。2月26日(水)からは、黄士陵による穎拓を展示いたします。
 
叔朕鼎図 黄士陵筆
清~中華民国時代・19~20世紀 個人蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】
 
本紙上部の黄士陵の識語からは、『西清古鑑(せいせいこかん)』を参考にして描いたことがわかります。『西清古鑑』とは、乾隆帝の勅命によって1749年に制作された宮中の古銅器図録です。
 
『西清古鑑』所載の叔朕鼎図と銘文
(劉慶柱・段志洪主編『金文文献集成』第3冊(線装書局、2005)より)
 
上図は『西清古鑑』に掲載された「叔朕鼎(しゅくちんてい)」の器形図と銘文です。
両者の「叔朕鼎図」を比較すると、違いが見られます。黄士陵の穎拓は、取手内側の紋様をより明確に伝える構図で、脚を短くすることによって器全体の重心が下がり、どっしりとした印象を与えます。また、銘文においても『西清古鑑』と異同が見られますので、この比較はぜひ書道博でお楽しみください。
 
 
黄士陵の息子の黄延栄(こうえんえい)もまた、父親譲りの画力を生かし、端方(たんぽう)輯『陶斎吉金録(とうさいきっきんろく)』の器形図を担当しました。書道博の本館2階の第4展示室では、中村不折(なかむらふせつ)が収集した端方旧蔵の青銅器と『陶斎吉金録』の当該頁を並べて展示しております。今回はそのうちの1器、「婦𨷼卣(ふひんゆう)」を紹介させていただきますので、残りはぜひ、直接お楽しみください。

婦𨷼卣
西周時代・前10世紀
台東区立書道博物館蔵
【書道博通期展示】
 

 

拓本のたのしみ

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)
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拓本のたのしみ 表紙画像

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
東京国立博物館、九州国立博物館、台東区立書道博物館の学芸員が書いています。展覧会をたのしく観るための一助として、ぜひご活用ください。

カテゴリ:中国の絵画・書跡「拓本のたのしみ」

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posted by 春田賢次朗(台東区立書道博物館専門員) at 2025年02月26日 (水)

 

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