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140周年ありがとうブログ

金春座伝来能装束にありがとう

東京国立博物館に勤めて、まる10年が経つ。

私の仕事は、長い歴史の中で衣服や帳などに用いられてきた織物や染物、刺繍といったテキスタイルの模様や技法を調べ、
その歴史的な位置付けや価値を見出だし、展覧会や文章にしてより多くの方にそのすばらしさを伝えることである。

東京国立博物館は江戸時代までに製作された日本染織が約3000件、
20世紀初頭までに製作された中国・インド・インドネシアなどの染織が約500件所蔵される、
日本で唯一、染織文化財を大量に収蔵する博物館である。
染織史に携わる者にとって、ここほど、恵まれた環境はないであろう。

ここに来る前、私は奈良にあって、大和猿楽四座の一つ、金春座の能装束について知りたいと思い、調査をしていた。
その大部分は明治維新の際に諸大名の庇護を失い、古美術市場に売り出されていった。
しかし、不幸中の幸いというか、ごく一部が奈良・春日大社の祭礼「春日若宮おんまつり」に使用するために奈良に遺されていた。

第2次世界大戦中、奈良に遺された能装束のうち状態が良く文化財として価値のあるものは、
「疎開」ということで東京国立博物館へひきとられていった。
戦後、「疎開」した能装束はそのまま、東京国立博物館が購入することとなった。

この一群の能装束には、旧大名家に伝来する能装束には見られない特色があった。
現在のこっている伝統とはまったく異なる様式やデザインを持つ桃山時代の能装束が
数多く「かたち」を維持したまま遺されてきたことである。

通常ならば、古めかしいものとして、面袋や風呂敷にでもされてしまうような桃山時代の能装束がどうして完全な形で遺されているのか、
その謎に惹かれて調査を始めた1年後、運よく東京国立博物館に就職することができた。
きっと、トーハクにある金春座伝来能装束が私を呼んでくれたに違いない。

金春座は、豊臣秀吉の時代、金春安照という名大夫によって全盛期を迎え、秀吉の愛顧を一身に受けていた。
金春座に伝来した桃山時代の能装束には秀吉の家紋である菊桐紋がデザインされ、秀吉と金春座の深い関係を表している。
最新の技術と最高の素材を用いたこれらの能装束のほとんどは、豊臣秀吉が金春座に下賜したといってよいだろう。

その後、江戸時代になって金春座は次第に弱体化したが、秀吉に贔屓にされていた時代や芸風を重んじ、桃山時代の能装束を大切に使い続けてきた。
そこで、桃山時代の能装束が奇跡的に形を遺して伝えられたのだということを、調査研究を続けていく中で知ることができた。
稀少価値のみが取り上げられてきた桃山時代の能装束に歴史的な意味付けができたことで、
多少なりとも恩返しになっていればいいなあ、と独りよがりな思いに浸っている。

研究の成果は、7年前の本館リニューアルオープンで特集陳列という形で公開した。
また、昨年は金春座ともゆかりのある金沢で、やはり、「金春座伝来 能面・能装束」というテーマで特別展を開催し、
その価値を展覧会で見ていただく機会を得た。


重要文化財 縫箔 紅白段菊水鳥模様 安土桃山時代・16世紀 奈良金春座伝来


重要文化財 唐織 萌黄地雪持柳梅露芝藤菊桐模様 安土桃山時代・16世紀 奈良金春座伝来
刺繍のデザインにみられる雅味あふれる動植物の表現や、紅色や黄緑色の美しい発色は桃山時代独特のものであり、絹の輝きは、江戸とかけ離れてつややかである。
そのすばらしさは、展示で実際に見ていただくことで初めてわかっていただけることであろう。


これからも、東京国立博物館に収蔵される染織文化財に、埋もれてしまっている歴史的・文化的価値を見出し、
日本の貴重な文化遺産であるということを示し、伝えていくことが、この博物館に勤める研究員の務めだと思っている。


夏、浅草寺門前にて。

 

カテゴリ:2012年7月

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posted by 小山弓弦葉(工芸室) at 2012年07月20日 (金)