平成館企画展示室では現在、特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」(8月23日(日)まで)を開催しています。
本展のタイトルは「ビフォー縄文」ですが、今回本ブログで取り上げる人物は「アフター縄文」(弥生時代)の研究者である蒔田鎗次郎(まいだそうじろう)です。
本展では、蒔田ゆかりの(1)ナイフ形石器や(2)模造 石鏃(せきぞく)を展示しています。
ナイフ形石器の展示風景
模造 石鏃の展示風景
そもそも蒔田鎗次郎とは、明治20年~30年にかけてのたった10年弱という短い期間に活躍した在野の考古学者で、「弥生式土器」(弥生土器)を初めて論文に活字化した人物としても知られています。現在の考古学的な分析方法とも重なる視点から土器を分析し、当時の弥生土器研究を飛躍的に進めました。
そんなこともあってか、現在でも彼の研究の足跡を「推し活」する弥生時代・文化研究者が後を絶ちません。
(1)ナイフ形石器
ナイフ形石器(蒔田の報告では「石鎗(いしやり)」)は、明治31年(1898)7月18日に蒔田によって弥生土器とともに田端西台通遺跡の「竪穴」住居の底から一緒に発見・採集されました。この成果を根拠に蒔田は弥生時代が石器と金属器の併用された金石併用時代であると提言したのです。
ただし、現在ではこの「石鎗」は形態や石材の特徴から後期旧石器時代のものと考えられ、弥生時代の竪穴住居にナイフ形石器が紛れ込んだものと考えられています。
当時の考古学者は旧石器時代の存在こそ知っていましたが、それは世界史(欧州)のなかのこと。日本史のなかにその存在があるかどうかさえ、まだまだ考えが及んでいませんでした。本格的に日本で旧石器時代の探求や議論がはじまるのは、もう少しあとのことです。
ナイフ形石器(表)
東京都北区 田端西台通遺跡出土 後期旧石器時代・前3万3,000年 徳川頼貞寄贈(蒔田鎗次郎旧蔵) 東京国立博物館蔵
ナイフ形石器(裏)
蒔田によって採集場所や採集日が丁寧に朱書きされ、考古遺物に対する彼の誠実な人柄をうかがうことができます。
(2)模造 石鏃
蒔田はモノクロ写真に手作業で色付けする絵付師を仕事としていました。写真の撮影や写生にも長けていたようで、『世界風俗写真帖』や『東京家禽(かきん)雑誌』には蒔田の手による写真や写生が掲載されています。
さて、模造石器については、蒔田自身は何も記していないため詳細は不明です。ただ模造石器を納めているブリキの標本箱は、二条基弘(にじょうもとひろ)公爵によって設立された日本最初期の私立博物館である銅駝坊陳列館(どうだぼうちんれつかん)で使用されたものと同じということが注目されます。おそらく、二条の学術的な指南役であった坪井正五郎(つぼいしょうごろう)もしくは同館の資料収集や整理を委嘱されていた野中完一(のなかかんいち)からの依頼で蒔田が作ったものと考えられます。
彼らは東京人類学会(現、日本人類学会)の研究仲間でもあったので、蒔田の観察力の高さや手先の器用さを見込んで頼み込んだのではないかと思っています。そして、同じく研究仲間であった白井光太郎(しらいみつたろう)や佐藤傳蔵(さとうでんぞう)らの知見も盛り込まれていたでしょう。
これらの模造は石とガラスとで作り分けられていることからも、本来は何かしらの目的があって作り分けられたはずです。
その理由は判然としませんが、黒曜石製の模造石鏃だけを見ても石材や形態、そして製作技術を踏まえ作られたことがよくわかり、当時の石器研究の一つの到達点が表れているとも言えます。
模造 石鏃(ガラス製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
模造 石鏃(石製)
蒔田鎗次郎製作 明治時代・19~20世紀 徳川頼貞寄贈 東京国立博物館蔵
産地が異なる黒曜石を使い分けて、縄文時代早期から晩期の各種の石鏃を模造していることがわかります。
日本における旧石器時代発見前の石器研究の様子を知ることができる貴重な資料ですので、夏休みのこの機会にぜひご覧ください。
本展のあとは、向かい側の考古展示室にも足をお運びいただき、旧石器時代から江戸時代までの日本の考古資料をお楽しみください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、考古
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posted by 品川欣也(展示企画グループリーダー) at 2026年07月22日 (水)