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特集「西日本の埴輪 -畿内・大王陵古墳の周辺-」の見方2-技術編-

特集「西日本の埴輪-畿内・大王陵古墳の周辺」(2014年9月9日(火)~12月7日(日)、平成館考古展示室)がはじまり、はや1ヶ月余りがたちました。
たくさんのお客様にお越しいただき、心から感謝しています。

考古展示室前・看板(猪形埴輪)、館内サイン(家形埴輪)
左:考古展示室前・看板(猪形埴輪)、右:館内サイン(家形埴輪)

この特集展示では、古墳時代の中心地域であり、大王のお墓(大王陵古墳)が多数含まれるとみられる大阪府古市古墳群の埴輪をたくさん展示しています。
展示の概要については、前回のブログをご覧ください。
今回は、その埴輪の造り方をキーワードに、見どころのポイントについて解説いたします。


まず、今回展示をした作品のなかですぐに目に付くのは、土管のような形をした大きな円筒埴輪です。
大きなものでは160㎝以上もあり、大人の背丈ほどもある大きさです。
大王陵級の古墳にたてられた円筒埴輪ともなると、このようにかなり大きかったようです。

5世紀前半の円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)
5世紀前半の円筒埴輪(大阪府土師の里遺跡出土 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

この円筒埴輪はずいぶんと大きいので、造るのには相当大変だったことと思います。
板状や棒状に伸ばした粘土を輪にして、その輪を積み重ねることで筒状の埴輪ができあがります。
でも、この粘土は乾燥する前に一気に積み上げると重みで崩れてしまいます。私も実験で円筒埴輪を作ったことがあるのですが、何度も「倒壊」させてしまいました(笑)。

それを防ぐためには、ある程度の高さになったら一旦作業をとめて乾燥させる必要があります。
そして乾燥が終わると、ふたたび粘土を積み上げ、その繰り返しによって大きな筒をつくることができます。
とても手間と根気のいる作業です。

次に、円筒埴輪の表面に帯のように横にめぐる突帯をご覧ください。その間隔が一定なことに気がつかれたことと思います。
この突帯は、じつは定規のようなものを使って間隔が均一になるように、正確に計って(!)造られているのです。
しかも、横一直線に整然とめぐらせています。相当高い技術で造られていることがわかります。


さらに、この突帯の間には、横にめぐる細い線状の痕でびっしりと埋められていることがご覧いただけることと思います。
これはハケメ(刷毛目)と呼ばれる痕跡で、埴輪の表面を整えるために板状の木の工具でつけられた木目の跡です。

横方向のハケメ(左:写真2左の円筒埴輪の拡大、右:ハケメの微細写真)
横方向のハケメ(左:ハケメの微細写真、右:突帯間にあるハケメ)

まず、粘土を積み上げる過程で、粘土同士を密着させるために縦方向のハケメを施します。これは一次ハケメと呼ばれます。
次に、突帯を貼り付けた後に、狭い突帯の間に再度ハケメを施します。これを二次ハケメと呼んでいます。
このように、2回にわけてハケメを施すことによって表面を丁寧に整えてゆきます。
実は、この二次ハケメについては、1970年代から考古学的に重要な特徴がわかってきました。

当初、縦方向に施していた二次ハケメは、4世紀後半頃になるとランダムな横方向(A種)に変化してゆきます。
5世紀になると、横方向のハケメは断続的にめぐらされ、美しいリズミカルな模様を描くようになります(B種)。
さらに5世紀後半には、突帯の間を一周する切れ目のないハケメ(C種)に変化することがわかりました。
どうも円筒埴輪が回転する台の上で製作されるようになり、二次ハケメは回転台の力を利用して施すようになったと考えられています。

ハケメの変遷(円筒埴輪の編年 大阪府立近つ飛鳥博物館編2009『百舌鳥・古市古墳群展』を参考に作成)

このような製作技術の移り変わりは、1980年代以降、円筒埴輪の年代を推定する重要な指標として広く学会に受け容れられました。
とくに簡単に発掘できない大型古墳では、年代観の基礎データとなり、遺跡の研究や保護に大きな役割を果しています。
埴輪は古墳の地表面からも採集できますので、発掘調査をしていなくても古墳の時期や性格を知ることができる“すぐれもの”なのです。


次いで5世紀の後半から6世紀になると、円筒埴輪の製作にも大きな変化がみられます。
本展示では、小型の埴輪を6点展示しています。先ほどの大型の円筒埴輪と見比べてみましょう。


5世紀後半から6世紀の円筒埴輪(大阪府青山2号墳・蕃上山古墳・矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

一見して、とりわけ顕著な変化はその大きさです。腕の長さで納まる程度に小さくなります。
しかし、十分な乾燥期間をとらずに粘土の積み上げを一気におこなったために、埴輪がゆがんでしまうこともしばしばあります。

また、横方向のハケメを省略したため、二次ハケメでみえなかった縦方向の一次ハケメが表面に現れます。
突帯も、真っ直ぐではなくとも、多少斜めに曲がっていてもおかまいなしです。
この省略化や、造形美への“こだわりの薄さ”というのが、5世紀後半以降の埴輪のキーワードになっています。

縦方向のハケメと歪んだ突帯(左:縦方向のハケメ、右:歪んだ突帯 矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)
縦方向のハケメと歪んだ突帯(左:縦方向のハケメ、右:歪んだ突帯 矢倉古墳 大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)

このように埴輪の製作技術は、時期によって大きく変化します。
それゆえに、古墳の築造時期や性格を探る大きな手がかりともなっているのです。


ところで、ご紹介しました大型の円筒埴輪は5世紀の土師の里遺跡から出土しました。
この遺跡は、全国2位の規模をもつ伝応神天皇陵古墳(墳丘長:425m)に隣接し、古墳造営や埴輪生産に関わる伝承をもつ氏族、土師氏の本貫地と推定されています。
この埴輪は、中に人が入いる埋葬用のお棺として使われた特殊なもので、丸く刳り貫いた透孔も少なく、埋葬時にはこの孔も埴輪の破片で塞いでいました。

160㎝以上もある“巨大な”円筒埴輪を精巧につくるには、もちろん熟練した技術が必要です。
この埴輪もトップレベルの造り手の製品であるに違いありません。
そのような埴輪製作者や、埴輪製作者を統率していたリーダーが、この円筒埴輪に葬られたのかもしれません。
もしかしたら、「埴輪とともに生き、埴輪とともに死す」という世界観があったのでしょうか…。

展示室風景
展示室風景

畿内地方は、古墳時代の政治や経済の中心地であるとともに、埴輪生産の中心地でもありました。
古市古墳群周辺をはじめ、畿内地方で培われた埴輪製作技術が、各地方へと伝播してゆきます。
精巧に造っている段階でも、省略化した段階でも、全国の埴輪づくりの基準であることに変わりはありませんでした。


埴輪は見た目の印象でも充分に楽しめますが、その造り方に注目して細かく観察してみると、さらに楽しみは倍増します。
ぜひ、実物の資料を間近にご覧いただき、埴輪製作者の“情熱(?)”や想いというものを体感してみてください。

 

ギャラリートーク
円筒埴輪と形象埴輪の見方」 2014年11月7日(金) 18:30~19:00  東洋館ミュージアムシアター

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 河野正訓(考古室アソシエイトフェロー) at 2014年10月28日 (火)