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1089ブログ

模本たちの果たした役割

本館特別1室と特別2室で「木挽町狩野家(こびきちょう かのうけ)の記録と学習」(3月21日(日)まで)がはじまりました。
この特集は、当館が所蔵する5,000件近い「木挽町狩野家伝来資料」を通じて、江戸時代の幕府の絵師たちが、なぜ多数の模写を行い、どのようにそれらを利用してきたかをご紹介するものです。

会場は以下の3つから構成されています。
  第1章「木挽町狩野家のはじまりと奥絵師の御用」
  第2章「鑑定と模写」
  第3章「記録から創造へ」


第1会場写真



第2会場写真

今回のブログでは、展示をご覧いただく前に、まず、この伝来資料がどのようなものなのかをご紹介したいと思います。


――「模本」「粉本」とはどんなもの

狩野派は室町時代中期から明治時代初期まで続いた、日本の絵画の最も代表的な流派の一つです。昨年の特別展「桃山」で展示していた室町時代の狩野元信、安土桃山時代の永徳、江戸時代初期の探幽などの名をご記憶の方も多いのではないでしょうか。

今回ご紹介している伝来資料は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した木挽町狩野家が大切に保管していた「模本(もほん)」や「粉本(ふんぽん)」と呼ばれるもので、主に5つの種類があります。

(1)目にした出来事を記録したもの。スケッチ。
(2)完成画(本画)の前段階となる下絵や草稿。
(3)本画の代替品としてつくられた複製画。レプリカ。
(4)後日の参考資料として、本画を写した控え。模写や縮小コピー(縮図)。
(5)学習や練習の結果、量産されたもの。稽古描き。


(1)スケッチは思いついたときに描きとめることが多く、後日、画帖や巻子に貼られて保管されました。
雑画帖 第一帖(部分) 狩野〈伊川院〉栄信、狩野〈晴川院〉養信筆 江戸時代・18~19世紀



(2)本画の前の下絵。幕府に制作を命じられた屛風の下絵です。
長篠合戦図屏風下絵 狩野〈養川院〉惟信、狩野〈伊川院〉栄信筆 江戸時代・18~19世紀 狩野謙柄氏寄贈



(3)本画の代替品としてつくられた複製画。徳川吉宗が狩野古信に命じて3セット描かせ、1つは狩野家の控えとして、残る2つは幕府と所蔵者である毛利家にそれぞれ収められました。
四季山水図巻(山水長巻)(模本、部分) 狩野〈栄川〉古信模写 江戸時代・享保10年(1725)
原本=雪舟等楊筆 室町時代・文明18年(1486)
※展示期間:2021年2月28日(日)まで



(4)古画や名画を後学のために写したもので、原本の筆者や所蔵者についてのメモを記されています。
羅漢図(模本) 竹澤惟房模写 江戸時代・安永10年(1781) 原本=伝禅月筆 元時代・14世紀



(5)狩野〈晴川院〉養信が10歳(現在の9歳)に描いた稽古描き。
魚籃観音図(模本)(部分) 狩野〈晴川院〉養信模写 原本=狩野探幽筆 江戸時代・文化2年(1805)



中でも特に多いのは古画・名画を写した(4)です。このような模本は狩野派だけでなく、土佐派や住吉派、円山派など、他の流派もそれぞれ作成し、大切に保管していました。
木挽町狩野家の場合、持ち出しを厳しくチェックし、定期的に修理を施すなど、厳重に管理していたことが知られています。


―― なぜ模本が大切にされたのか

現代の私たちからみると、模本はコピーやニセモノといったような、マイナスな印象が強いかもしれません。
けれども、「写す」という行為は、創造を生み出すための原点で、今でも美術制作の基礎中の基礎と考えられています。それは室町時代から江戸時代にかけて画壇を席捲した狩野派の画家たちにとっても同じことです。

そしてそれ以上に、作画上、絶対に模本が必要な理由がありました。それは江戸時代、彼らに期待された絵画がどのようなものだったかに関係します。

当時、絵の主な発注者である将軍や大名は、先例、特に吉例を何よりも重んじていたため、まず先例に準じた絵を描くことが求められました。加えて贈答用の絵画は、相手の格によって画題や、素材の種類、量までも決められていたため、絵師自身のオリジナリティを発揮できる部分は非常に限られていたのです。

このような状況下ですと必然的に、先例、すなわち過去の古画や名画の情報を持たない絵師は御用を務めることが出来ません。逆にいえば、これらをより多く保有している家がより有利になったのです。

そのため、どの家も積極的に鑑定を引き受け、模写する機会を増やし、それをまた次の制作に活かす、というサイクルを作り出しました。また模写の際、古画や名画に対する感想や、当時の所蔵者情報なども記録するようになります。
各家の模本類は、このようにして集められた膨大な絵画情報の集積なのです。

木挽町狩野家は、江戸時代の狩野派の中でも中心的な役割を担い、将軍のお抱え絵師として全国に多大な影響力を持っていました。彼らの手元には全国の大大名からあらゆる古画や名画が寄せられ、大変な数の鑑定をこなしていたことが知られています。
この伝来資料を読み解くことで、江戸時代の絵画制作だけでなく、現在私たちが鑑賞している中世以前の絵画についても多くのことが明らかになると期待されています。


次回は、木挽町狩野家が務めた「奥絵師(おくえし)」という立場と仕事についてご紹介したいと思います。

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 金井裕子(平常展調整室) at 2021年02月16日 (火)

 

「まるごと体験!日本の文化」、後半に突入!

本館特別4室にて開催中の、親と子のギャラリー「まるごと体験!日本の文化」
「浮世絵」「うるし」など東京国立博物館の展示に関連したテーマをとりあげた、大人も子どもも楽しめる、体験型の展示です。

※会場内では消毒等、新型コロナウイルス感染予防対策を徹底して行っています。
※本展はデジタルコンテンツや複製品を用いた体験型展示です。体験のモチーフとなっている作品は展示していません。


「浮世絵」「うるし」と並んで人気だった「よろい」のコーナーが、会期後半に模様替えし、「きもの」コーナーとして生まれ変わりました。

会場で目を引くのは、この複製きもの。
もとになった作品は、当館所蔵の「小袖  白綾地秋草模様(しろあやじあきくさもよう)」(通称:冬木小袖)と、「振袖 白縮緬地梅樹衝立鷹模様(しろちりめんじばいじゅついたてたかもよう)」。
どちらも江戸時代・18世紀につくられたもので、重要文化財に指定されています。


ほんものの作品展示ではなかなか見られない、着付けた状態の複製きもの


複製きものの横にはテーブルと椅子が並べられ、ゆっくりと「きものぬりえ」を楽しめる空間になっています。


足を休めてちょっと一息。ぬりえに没頭できる空間です


こちらのコーナーでは、寛文年間(1661~1673)に初めて刊行された、雛形(ひいながた・今でいうファッション雑誌)に載っていたきものデザインのぬりえに挑戦できます。


ぬりえイメージ


ちなみに江戸時代には、流行に合わせて200種類以上もの雛形本が出回ったそうです。
たとえば、この雛形本の右ページのデザインによく似たきものが、当館のコレクションにもあります。


「新撰御ひいなかた」より 江戸時代・寛文7年(1667)

 


振袖  白綸子地大菊小花模様(しろりんずじおおぎくこばなもよう) 江戸時代・17世紀

 

それから、こちらの雛型本のデザインによく似た赤いきものを着ている立ち姿の女性が描かれた絵もあります。


「美女ひいながた」より 江戸時代・享保12年(1727)



婦女納涼図 西川祐信筆 江戸時代・18世紀 井上猛氏寄贈


雛形に出てくるデザインが、実際に町で流行していたものであったことがよくわかります。

雛形をモチーフにしたきものぬりえのデザインを見て、どんな色のきものがあったらいいかなと、想像を膨らませながら楽しんで色をぬっていただければと思います。

思い思いの色をぬって細かい模様やデザインの工夫をお楽しみいただいたあとは、当館で展示している実際のきものをあわせてご覧ください。
日本の文化の奥深さをより感じていただけることでしょう。

本展は2月28日(日)まで開催しています。

※入館は、オンラインでの事前予約(日時指定券)制となっております。
詳しくはウェブサイトをご確認ください。

 

カテゴリ:教育普及

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posted by 藤田千織(教育普及室長) at 2021年02月11日 (木)

 

日本のたてものの「校倉造」

特別展「日本のたてもの―自然素材を活かす伝統の技と知恵」では、文化庁が「模造事業」としてこれまで製作を行ってきた国宝・重要文化財の木造建造物の模型を中心とした展示を通して、古代から近世までの日本建築の成り立ちを紹介しています。
模型以外にもパネル展示も行っていますがご覧になりましたでしょうか。
パネル展示をしている正倉院正倉模型と唐招提寺宝蔵模型はともに校倉造ですが、今回は校倉造について紹介します。

正倉院正倉 1/10模型 平成16年(2004) 文化庁蔵
※会場では模型は展示していません



唐招提寺宝蔵 1/10模型 昭和39年(1964) 東京国立博物館蔵
※会場では模型は展示していません


校倉造は木材を水平に積み重ねてその上に屋根を載せるので、柱が無い建築構造で、日本建築では特異な存在です。
世界でも特異な存在ですが、ログハウスと呼ばれて北欧の伝統建築では一般的な構造です。

ノルウェーのログハウス倉庫(17世紀、ノルウェー民俗博物館)


じつは、会場の表慶館の裏側に抜けて外に出ると、校倉造の建物があるのです。
重要文化財 旧十輪院宝蔵がそれで、鎌倉時代に建てられ、明治15年に奈良の十輪院から東京国立博物館に移築されました。

重要文化財 旧十輪院宝蔵(校倉)
※柵の中にはお入りいただけません

小さな建物ですが模型ではありません。床下を塞ぐように十六善神像を線刻した石をはめ込む、特異な校倉の中でも仏堂色の強い、さらに特異な校倉です。是非ご覧ください。

校倉造は、木材を隙間無く積み上げる都合上、まっすぐな木材が必要です。
その点において針葉樹は、まっすぐな木材が得られやすいので校倉造に向いています。
世界を見ても北欧のような北国や、中国雲南省北部のような高山地帯など、針葉樹が多い地域にログハウスは多いのです。
しかし、旧十輪院宝蔵をはじめとして日本の校倉のように、木材を断面三角形(厳密には五角形)に精密に仕上げて意匠に優れたログハウスは海外に例を見ません。
展示中の長寿寺本堂(模型)などの優美な檜皮葺も、針葉樹であるヒノキの樹皮を利用したものですが、樹皮葺屋根をここまで美しく昇華した建築は海外にはありません。

長寿寺本堂 1/10模型 昭和62年(1987) 国立歴史民俗博物館蔵


日本人がどのように針葉樹を活かしたか、「日本人と自然」・「日本の美」の一端を垣間見られるポイントです。

※本展の入場は事前予約が必要です。展覧会公式サイト等でご確認ください。

カテゴリ:2020年度の特別展

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posted by 黒坂貴裕(文化庁文化財調査官) at 2021年02月10日 (水)

 

清朝書画コレクションの諸相 その2

東洋絵画を担当する植松です。
現在、東洋館8室では、トーハクと台東区立書道博物館の連携企画「清朝書画コレクションの諸相―高島槐安収集品を中心に―」の後期展示(2月2日(火)~2月28日(日))が始まっています。

この展示は、高島槐安のコレクションをメインにした企画ではありますが、同時に、高島に至るさまざまな中国絵画コレクターの足跡を紹介したいということで、中国清朝宮廷コレクションのコーナーを設けています。

今回のブログでは、この中から、陳書(ちんしょ)筆「倣陳淳水仙図巻(ほうちんじゅんすいせんずかん)」をご紹介したいと思います。


倣陳淳水仙図巻(部分) 陳書筆 清時代・雍正12年(1734) 東京国立博物館蔵(東博後期展示)

陳書(1660~1736)は、秀水(現在の浙江省嘉興市)の女流画家です。
晩年は南楼老人という号を用いました。
この作品の末尾にも、「南楼老人陳書時年七十又五」の落款があり、陳書が75歳のときの作とわかります。


「倣陳淳水仙図巻」款書

明時代の文人画家、陳淳(ちんじゅん/1482~1544)に倣って、咲き乱れる水仙の群れを描いたという、清雅な作品です。

この「倣陳淳水仙図巻」には、清の乾隆帝(けんりゅうてい/位1736~1795)、嘉慶帝(かけいてい/位1796~1820)、宣統帝(せんとうてい/位1909~1911)の鑑蔵印が多数捺されていて、かつて清朝の宮廷にあったことがわかります。
清の宮廷のコレクション目録『石渠宝笈(せっきょほうきゅう) 続編』にも記録されています。

また、宮廷であつらえられたであろう、箱と包裂、爪がともに伝わっている点でも貴重です。
順番にご紹介したいと思います。

まず、箱ですが、蓋と側面に「女史陳書倣陳淳水仙」と彫られた端正なつくりです。


「倣陳淳水仙図巻」箱

作品は光沢のある裂にくるまれて、この箱の中に収められています。
包裂の裏側には「女史陳書倣陳淳水仙真蹟、上等」の文字があります。


「倣陳淳水仙図巻」包裂(表)


「倣陳淳水仙図巻」包裂(裏)

表紙や巻緒が清朝宮廷であつらえられたままであるかどうかの決め手はないのですが、現在は別に保存されている玉製の爪は宮廷で作られたものと考えられます。
玉の表面には装飾がほどこされ、裏面には、箱や包裂と同様、「乾隆御賞。女史陳書倣陳淳水仙」の文字が彫られています。


「倣陳淳水仙図巻」表紙、巻緒


「倣陳淳水仙図巻」爪(左:表面、右:裏面)

当館所蔵の中国絵画には、かつて清朝の宮廷にあったとわかる作品がいくつかありますが、「倣陳淳水仙図巻」のように、箱・包裂・爪の三つの付属品がそろってともに伝わっているものは、蕭雲従(しょううんじゅう)筆「秋山行旅図巻(しゅうざんこうりょずかん )」くらいです。


重要文化財 秋山行旅図巻(部分) 蕭雲従筆 清時代・17世紀 東京国立博物館蔵 ※本展示には出陳しません。


「秋山行旅図巻」付属品

本展示では、中国清朝宮廷コレクションのコーナーで、この「倣陳淳水仙図巻」の箱や包裂、爪も一緒に展示いたします。
作品と一緒に、宮廷の雅びな表装文化もお楽しみいただければ幸いです。


※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、現在、トーハクはオンラインによる事前予約(日時指定券)制で開館、台東区立書道博物館は緊急事態宣言終了まで臨時休館(再開はウェブサイトにてお知らせ)しております。
お客様にはご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。 

清朝書画コレクションの諸相―中村不折・高島槐安収集品を中心に―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館 九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室) at 2021年02月05日 (金)

 

清朝書画コレクションの諸相 その1

東洋書跡を担当する六人部と申します。
トーハク(会場:東洋館8室)と台東区立書道博物館(書博)で毎年開催している恒例の連携企画は、現在の「清朝書画コレクションの諸相」(前期:~1月31日(日)、後期:2月2日(火)~2月28日(日))で18回目となりました。
今年は、中国書画の清時代におけるコレクションがテーマです。トーハクは「高島槐安収集品を中心に」、書博は「中村不折収集品を中心に」と副題を冠し、中村不折(なかむらふせつ)と高島槐安(たかしまかいあん)、主に両氏の収集品を通して、清時代の宮廷と民間の書画コレクションを概観するという趣旨の展示です。

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、現在、トーハクはオンラインによる事前予約(日時指定券)制で開館、書博は緊急事態宣言終了まで臨時休館(再開は書博ホームページにてお知らせ)しております。
お客様にはご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

トーハクは今週末で前期展が終了し、2月2日から後期展が始まります。今回は、企画の前提となる中村不折と高島槐安についてお話したうえで、清時代のコレクションに触れながら、トーハクで展示するオススメの書跡をご紹介します。


特集「清朝書画コレクションの諸相―高島槐安収集品を中心に―」(東京国立博物館東洋館8室)の展示風景


中村不折(1866~1943)は幕末に生まれ、明治から昭和に活躍した画家、書家、収蔵家です。
本業の洋画は、歴史画を中心に発表して太平洋画会の代表的な作家となり、帝国美術院会員を務めました。画業は幅広く、新聞挿絵、文学作品の装幀・挿絵、美術批評など多岐にわたります。
画家として不動の地位を築いた一方、余技とした書でも、その言葉に余りあるほどの功績を残しました。北魏の書を基調とした作風を発表して当時の書壇に一石を投じ、書に関する考古品や中国歴代の書の名品を収集して膨大なコレクションを築き、一般に公開するために自ら書道博物館を創設、開館(1936年)しました。
没後も中村家によって書道博物館は維持運営され、その後、台東区への寄贈(1995年)を経て、台東区立書道博物館(2000年~)として再開館するに至ります。中村不折コレクションの代表的な作品には、顔真卿(がんしんけい)筆「自書告身帖(じしょこくしんじょう)」が挙げられます。
 

中村不折肖像

 

自書告身帖(部分) 顔真卿筆 唐時代・建中元年(780) 台東区立書道博物館蔵(書博展示予定)

人事を掌る吏部尚書から皇太子の教育係である太子少師への自身の転任について、唐の顔真卿が自ら書いたと伝わる辞令書です。宋時代に宮廷から民間に流出し、清時代には梁清標(りょうせいひょう)らの手を経て、乾隆帝(けんりゅうてい)の治世に再び宮廷コレクションとなり、乾隆帝自ら題詞を記して最上級の装幀を施しました。清朝宮廷所蔵の書画著録『石渠宝笈(せっきょほうきゅう)』続編(淳化軒)に収録されます。


不折より9歳年少の高島槐安(1875~1969)は、名を菊次郎といい、明治から昭和にかけて活躍した実業家、収蔵家です。長らく製紙業界に身を置いて王子製紙社長などの要職を歴任し、斯界の発展に寄与しました。中国の思想や美術に精しく、余暇には漢籍や書を研究し、自ら宋元明清を中心とする書画の収集に努めました。槐安は晩年91歳時(1965年)に、わが子同然に愛蔵していた書画をトーハクに寄贈し、没後もその遺志を継がれたご遺族によって三度(1969、84、98年)、遺愛の品が寄贈されました。
トーハクの高島槐安コレクションは総数345件(書跡221件、硯5件、絵画119件)になります。このうち書跡は、西周~北宋時代の石碑を主とする金石銘文の拓本、法帖、北宋~中華民国時代にわたる肉筆の文人法書が揃い、古代から近代の中国書法史を概観できる作品群として貴重です。代表的な作品として、「定武蘭亭序(呉炳本)(ていぶらんていじょ(ごへいぼん))」が挙げられます。

 

高島槐安肖像

 

定武蘭亭序(呉炳本)(部分) 原跡=王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(東博通期展示)

「定武蘭亭序」は、唐の欧陽詢(おうようじゅん)が臨書した王羲之(おうぎし)の「蘭亭序」を、唐の太宗(たいそう)が石に刻させたと伝承される拓本です。この「呉炳本」は、北宋時代に原石が破損される前にとられた「五字未損本」として伝わる稀少な旧拓本で、元の呉炳が所蔵したことからこの名があります。元の倪瓚(げいさん)、明の沈周(しんしゅう)、清の王文治(おうぶんち)など、民国期までの歴代の名家が題跋を付し、民間で逓伝してきたことがわかります。


不折と槐安が収集活動を展開した明治40年代~昭和10年代は、清朝が崩壊し、宮廷や民間に所蔵されていた書画の名品が流出して、日本にも流入してきた時期にあたります。
中国の文化に造詣の深い当時の貴族や財界人、学者、芸術家たちは、この好機を逃すまいと収集に努め、不折と槐安もまた、収蔵家や書肆・美術商、学者・芸術家など様々な人脈を介してコレクションを築いていったのです。
それでは清朝が崩壊するまではどうだったのでしょうか。清時代のコレクションの変遷に目を移してみましょう。

中国では明時代(1368~1644)の中期以降、経済発展が著しかった江南地方を中心に、書画の収蔵が盛んに行われました。16世紀には、項元汴(こうげんべん/1525~90)という収蔵家を筆頭に、江南では宮廷を凌ぐほど民間のコレクションが充実しました。
清時代(1616~1912)に入ると、17世紀には明・清両朝に仕えた孫承沢(そんしょうたく/1593~1676)や梁清標(1620~91)をはじめ、華北地方の収蔵家が江南から多くの書画を獲得して、良質のコレクションを築きました。
しかし、18世紀になると、彼ら民間の収蔵品は、次々に宮廷に吸収されることとなります。清朝の皇帝たちが書画の収集に意を注ぎ、特に乾隆帝(位1735~96)の治世には、最も壮大な宮廷コレクションが形成されました。清朝宮廷の書画コレクションの内容は、『秘殿珠林(ひでんじゅりん)』『石渠宝笈』の初編・続編・三編によって窺うことができます。

 

群玉堂米帖(ぐんぎょくどうべいじょう) 韓侂冑(かんたくちゅう)編 編纂=南宋時代・12~13世紀 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(東博前期展示)

南宋の韓侂冑が家蔵の書を選び、向若水(しょうじゃくすい)に刻させた『閲古堂帖(えつこどうじょう)』は、後に『群玉堂帖』と改称されました。これは全10巻中、北宋の米芾(べいふつ)の書を収める巻8の後半部にあたる零本で、完本が現存しない『群玉堂帖』の稀少な作例です。清時代に孫承沢らが旧蔵し、翁方綱(おうほうこう)、李宗瀚(りそうかん)らが題跋を付します。翁方綱は、本紙冒頭の脇に付された題簽を孫承沢の書であると指摘しています。


草玄閣次韻詩冊(そうげんかくじいんしさつ) 張経(ちょうけい)他筆 元時代・至正23年(1363) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(東博前期展示)

元の官僚、詩人の楊維楨(よういてい)は、松江(上海市)の自邸に築いた草玄閣の落成記念に詩を詠みました。本作は、その七言律詩に対して楊の門生ら元人19家が唱和して記した書を合装した一冊です。清時代には、梁清標の手を経て宮廷コレクションとなりました。『石渠宝笈』初編(御書房)に収録されます。


一方、民間における書画の収蔵や鑑賞も依然、活況を呈しました。18~19世紀には、碑帖に執心した翁方綱(1733~1818)や李宗瀚(1769~1831)らのコレクションが知られ、貿易で栄えた広東地方では、呉栄光(ごえいこう/1773~1843)や潘正煒(はんせいい/1791~1850)らの収蔵家が輩出しました。
激動の清末から中華民国期には、宮廷コレクションが存続の危機を迎える一方で、民間では楊守敬(ようしゅけい/1839~1915)、端方(たんぽう/1861~1911)、羅振玉(らしんぎょく/1866~1940)など、日本とも関係の深い収蔵家たちが、世情に左右されながらも旺盛な活動を展開しました。そして、辛亥革命(1911~12)を契機として、宮廷や民間の書画は海外にも流出し、日本でも質の高いコレクションが形成されることとなったのです。

 

楷書前後出師表巻(かいしょぜんごすいしひょうかん)(部分) 祝允明(しゅくいんめい)筆 明時代・正徳9年(1514) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(東博後期展示)

明時代中期の代表的な文人である祝允明が、無錫(江蘇省)の収蔵家の華夏(かか)から依頼されて、諸葛亮「前後出師表」を書写した一巻です。三国時代・魏の鍾繇(しょうよう)を彷彿させる、ふっくらとした字姿の小楷は、古雅な趣をたたえます。翁方綱らの跋文があり、広東の収蔵家である潘正煒、伍元蕙(ごげんけい)らが旧蔵しました。

 

行書文語巻(ぎょうしょぶんごかん)(部分) 張栻(ちょうしょく)筆 南宋時代・12世紀 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(東博後期展示)

張栻は南宋の官僚で、朱熹(しゅき)、呂祖謙(りょそけん)とともに東南三賢と称された大学者です。これは北宋末の諫官、某氏の行状と国家を論じた一巻で、伝存する張栻の書の作例として貴重です。清末の盛昱(せいいく)や羅振玉、山本二峯(悌二郎)らが旧蔵し、羅振玉の跋文と山本所蔵時に記された長尾雨山(甲)の跋文があります。


中国伝統の文化を受け継いだ中村不折と高島槐安のコレクションは、本人やご家族らの尽力で戦火をくぐり抜け、文字通り懸命に護持され、今に伝えられてきました。
本展を通して、書画を愛してやまなかった両氏をはじめ、日中の収蔵家たちに、思いを馳せていただけますと幸いです。
 

 

清朝書画コレクションの諸相―中村不折・高島槐安収集品を中心に―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館 九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室) at 2021年01月29日 (金)