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特集「未来の国宝」より 白瑠璃埦の物語

こんにちは、考古室研究員の山本です。

研究員イチ押しの作品を紹介する企画「未来の国宝」、このたび彫刻・工芸・考古の展示がはじまりました。
創立150年記念特集「未来の国宝―東京国立博物館 彫刻、工芸、考古の逸品―」と題して、本館14室を会場に、2022年9月6日から12月25日の展示期間を3期に分け、考古・漆工・陶磁の作品を展示します。

そのトップバッターとして、考古分野から白瑠璃埦と、それにまつわるエピソードをご紹介します。


重要文化財 白瑠璃埦 ササン朝ペルシア 大阪府羽曳野市 伝安閑陵古墳出土 古墳時代・6世紀 クラブ関西寄贈 ガラス製
2022年9月6日(火)~10月10日(月・祝)まで展示



このガラス製の埦について、考古展示室では長らく「ガラス埦」としてご紹介してきましたが、令和元年の特別展「正倉院の世界」で正倉院宝物の白瑠璃埦とともに展示されたことを機に名称を「白瑠璃埦」としました。
ご存じの方も多いかと思いますが、この埦と正倉院宝物の白瑠璃埦は大きさや切子の段数や数がほぼ同じで、兄弟埦とも呼ばれることがあります。
これまでこの2つの埦が同時に並べられたのは3度のみ。
うち2回は関係者や専門家しか見ることができませんでしたが、特別展「正倉院の世界」ではついに展覧会の場で多くの皆様がご覧になれる機会となったのでした。

これらの埦はソーダ石灰ガラスという種類の素材で、ササン朝ペルシア(3~7世紀)の領域で作られました。
かつてはイラン高原でよく出土することから現在のイランで作られたと考えられていましたが、最近では現在のイラクにあたるメソポタミア地方を中心に作られたものとされています。
これほど遠く離れた場所からはるばる日本へと運ばれてきた2つの埦。
当館の埦が出土した安閑陵古墳は6世紀の古墳であり、また正倉院に宝物が納められたのは8世紀のことですから時代に大きな差はあるのですが、2つの埦に秘められた数奇な運命を想起せざるを得ません。
そうした想いから、作家の井上靖さんが短編小説「玉碗記」を著したことも有名です。

そしてこの埦は、出土してから当館に収蔵されるまでの間にも、多くの変転の道のりを歩みました。

ここでそのエピソードをご紹介します。
この埦が出土したのは戦国時代とも江戸時代とも記した文書がありますが、史料が多く信用が置ける江戸時代説が有力です。出土したのは元禄年間と考えられています。
古墳が崩れ、中からこの埦が出土したとされています。
外箱の箱書きによれば、安閑陵古墳(高屋築山古墳)を含む土地を当時所有していた森田家(屋号は神谷)から、近くの古刹である西琳寺に寄進されたことが分かります。
この外箱の箱書きによって、この埦が安閑陵古墳から出土したという伝承に信憑性が与えられるのです。


外箱底面の箱書き


円筒形の内箱、その蓋には大きく「御鉢」の2文字。


内箱蓋の題字「御鉢」


内箱見込みの揮毫


内箱の身の見込みには京都の上賀茂神社の神職で、寛政8年当時に書博士として活躍していた賀茂(岡本)保考の揮毫があり、京都の聖護院門跡であった盈仁(えいにん)法親王がこの題字を書いたことがわかります。
内布には時期が遡るであろう古裂が、仕服には唐織の裂が使われており、これらをみても大変珍重されていたことが分かります。


白瑠璃埦と付属品一式


この埦が西琳寺に寄進されたころにはちょうど国学が隆盛していたこともあり、この埦は多くの文人たちの目に留まることになりました。
藤貞幹(とうていかん)や太田南畝(蜀山人)(おおたなんぽ(しょくさんじん))らの著した書物には、しっかりとその存在が記されています。
そのころにはすでに漆で接いだ状況を確認できる絵図があるので、江戸時代には現在みられるような姿になっていたことがわかります。
日本近代東洋考古学の父と呼ばれる原田淑人は、江戸時代にすでに修復が行われた証拠としてこの黒漆接ぎを「治療してはいけない傷跡」と評しています。


最も欠けが多い部分。CT撮影によって、隙間が大きい箇所には木片が詰められていることが分かりました


ところが明治時代に入ると危機が訪れます。廃仏毀釈の影響で行方不明となるのです。
幻の存在となったこの埦に再び光が当たるようになったのは戦後、昭和20年代のことでした。
大阪の旧家に収められていたのがわかり、有志の努力によって当館に収められることとなったのです。

江戸時代に出土したのち、珍重され多くの人々の関心を引いた白瑠璃埦。
危機を迎えたのち、多くの人々の手によって再び脚光を浴びるようになりました。
その道筋をたどると、未来に向けて文化財を守り伝えていく使命をあらためて強く感じます。
 


創立150年記念特集 未来の国宝―東京国立博物館 彫刻、工芸、考古の逸品―
重要文化財 白瑠璃埦 ササン朝ペルシア大阪府羽曳野市 伝安閑陵古墳出土 古墳時代・6世紀 クラブ関西寄贈
[2022年9月6日~2022年10月10日まで展示]

 

カテゴリ:考古特集・特別公開

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posted by 山本 亮(考古室) at 2022年09月06日 (火)

 

特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(4)――清朝の皇帝皇后の書

7月26日(火)から平成館特別展示室で開催中の日中国交正常化50周年記念 特別デジタル展「故宮の世界」は、早くも会期の半ばを折り返しました。
後期展示では、会場の後半「清朝宮廷の書画と工芸」のコーナーで、前期から一部展示替えを行いました。
このコーナーでは、会場前半のデジタル展示でご覧いただいた紫禁城の宮廷文化を、実物の清朝宮廷美術に関する書画工芸品から紹介しています。
展示作品はいずれも東京国立博物館が所蔵・管理しているもので、栄華を極めた清朝の絢爛豪華な宮廷文化を物語る、選りすぐりの作品群です。

たとえば書跡は、宮廷文化の創造者とも言える、清朝の皇帝皇后の書を展示テーマに掲げ、君主たる筆者の壮麗な字姿を、典雅な料紙や多様な璽印などとともに体感いただきたいとの想いを込めました。
今回は東洋書跡担当から、展示中の清朝の皇帝皇后の書について、3つの見どころ(字姿、料紙、璽印)をご紹介します。


「清朝宮廷の書画と工芸」コーナーより書跡の展示風景
 

(1)壮麗な字姿

第6代皇帝乾隆帝(けんりゅうてい)勅撰(ちょくせん)になる清朝宮廷の書画コレクション目録『秘殿珠林(ひでんじゅりん)』『石渠宝笈(せっきょほうきゅう)』初編、続編や、第7代皇帝嘉慶帝(かけいてい)勅撰の同三編などには、「宸翰(しんかん)」「御筆(ぎょひつ)」「御書(ぎょしょ)」「御臨(ぎょりん、皇帝筆の臨書)」などの言葉で表された皇帝直筆の書画類が数多く収録されます。
また、乾隆帝は所蔵する歴代の書画に、題跋(だいばつ)や識語(しきご)と呼ばれる鑑賞記録を度々書き付けましたが、目録中にはその内容も記載されています。
このような皇帝の作例は、今なお故宮博物院をはじめとする諸機関に少なからず現存しており、皇帝が政務の内外において、日々筆を執り、書を認めることを常としていた様子を想起させます。
なかでも第4代皇帝康熙帝(こうきてい)と乾隆帝は、書に関わる文化事業を手厚く行い、自らも書法に意を注いだことが知られています。



楷書四字軸「龍飛鳳舞」(かいしょしじじく「りょうひほうぶ」)
康熙帝筆 中国 清時代・康熙25年(1686) 高島菊次郎氏寄贈


康熙帝筆「楷書四字軸『龍飛鳳舞』」は展示作品のなかでも、ひときわ大きな掛け軸で、本紙は縦211センチメートル、横108センチメートル、表装全体では縦約325センチメートル、横約145センチメートルもの大きさになります。
掛け軸のサイズ感もさることながら、まず目に飛び込んでくるのが、雄壮な風格を湛えた「龍飛鳳舞」の書です。
蜜蠟(みつろう)を塗布して磨き上げた、蠟箋(ろうせん)という光沢のある料紙に、濃墨をたっぷりと用いて、ゆったりとした運筆で書写されます。

重厚で骨太の筆画から形作られる文字は、墨が紙面を制圧して、1字の中の余白が極端に抑えられています。
ただ、残された僅かな余白は形や配置などが整然としており、比較的風通しがよく、文字を明るく見せています。
また、造形はやや縦長で、重心を高い位置に置く腰高、更に左右に配した縦画を内側に反らせた腰を引き締めたような構え方をしており、唐時代の能書、欧陽詢(おうようじゅん)などの端正な楷書を彷彿させ、凛とした趣があります。

皇帝は自ら筆を執った御書を、折につけて功臣たちに下賜しました。
康熙帝も、雄渾で立派な様子を意味するこの4字句「龍飛鳳舞」の御書を、沈荃(しんせん)や陳廷敬(ちんていけい)といった寵臣(ちょうしん)に授けたことが知られています。
文字通り雄壮で気力に満ちた字姿の本作が、同様に下賜された一幅であったかはわかりませんが、仮にこれを授かった臣下を想像すると、皇帝の偉大さを視覚的に感じ、更なる忠義の意を抱いたかもしれません。
 

(2)典雅な料紙

清朝では、官紙局(かんしきょく)という製紙の監督部署を宮中に設置し、各地の名匠には、皇帝御用品や官用品として最高品質の料紙を献上させました。
また、他の文物と同様に、古典とすべき歴代の名紙を模倣した仿古品(ほうこひん)の製造も行われ、料紙は宮廷で大事に取り扱われていたことがわかります。
皇帝皇后の書には、このような上質で典雅な料紙がしばしば用いられ、鑑賞時の見どころの一つでもあります。
その意味で、乾隆帝筆「行書格物篇軸(ぎょうしょかくぶつへんじく)」は、展示作品のなかでも是非ご覧いただきたい一幅です。


行書格物篇軸 乾隆帝筆 中国 清時代・乾隆43年(1778)

先の康熙帝の書と同様に大幅で、本紙サイズは縦216.5センチメートル、横84センチメートル、表装全体では縦約302センチメートル、横約115センチメートルもあります。
更に本作は、やや紫がかったピンク地の色鮮やかな料紙に目を奪われます。
近づいてよく見ると、料紙には雲間に飛びかう蝙蝠(こうもり)が金泥で描かれていることに気付きます。
雲は、霊芝(れいし)という不老長生を象徴するキノコの形をした瑞雲(ずいうん)。「蝠」と「福」が同音であることから幸福を象徴する蝙蝠は、雑宝、つまり様々な形状・寓意の宝物を咥えています。
乾隆帝の流麗な行書の字姿は、吉祥文様が描かれた淡紅色の典雅な蠟箋と相俟って、一層の気品を醸します。

 
「行書格物篇軸」料紙の吉祥文様

(3)多様な璽印

清朝では、過去の王朝の集大成として厳格な官印(かんいん)制度が布かれ、皇帝から地方官に至るまで所用の璽印(じいん)が定められました。
皇帝皇后が用いた璽印は、「宝璽(ほうじ)」(皇后は「宝印(ほういん)」)などと総称され、(官印的性格の)皇帝が国務において皇権を示すために用いた特定の宝璽(「国宝」とも)と、(私印的性格の)それ以外の御書や収蔵品に捺す落款印(らっかんいん)・鑑蔵印(かんぞういん)等に大別され、後者は様々な形状や印文のものが制作されました。
展示作品にも、後者に該当する宝璽がみられますが、一般的な文人士大夫の印とは異なる点があります。それは、宝璽の大きさと捺す位置です。

前述のとおり、後者の宝璽には様々な形状があり、一般的な印と変わらないものもありますが、宝璽のなかには、一般にはほぼ用いられない超巨大サイズがしばしば見られます。
そして、宝璽は料紙の上部や上部中央に捺されることがままあり、こちらも一般的な用印では考えにくい特異な点です。
このような宝璽の用法は、皇帝皇后の権威を端的に示し、御書に更なる威厳を与えているように思われます。

展示作品のなかでは、西太后(せいたいこう)こと慈禧皇太后(じきこうたいごう)筆「楷書四字額『丹宸冊府』(かいしょしじがく「たんしんさっぷ」)」の上部に捺された3顆(か)の宝印、「和平仁厚与天地同意」白文方印、「慈禧皇太后御筆之宝」朱文方印、「数点梅華天地心」白文方印が、1辺12.5~13センチメートルと最も大きく、堂々たる風格を具えています。

 
楷書四字額「丹宸冊府」 慈禧皇太后筆 中国 清時代‧19世紀


「和平仁厚与天地同意」白文方印(楷書四字額「丹宸冊府」所鈐)


「清朝宮廷の書画と工芸」のコーナーでは、清朝の皇帝皇后の書を、身の回りに置かれた絵画や工芸品とともに展示をしています。
展示作品から、皇帝皇后の人となりや紫禁城での往時の暮らしに想いを馳せていただけますと幸いです。  

 

 

カテゴリ:中国の絵画・書跡2022年度の特別展

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posted by 六人部克典(東洋室研究員) at 2022年08月29日 (月)

 

「150年後の国宝展-ワタシの宝物、ミライの宝物」、わたしの国宝候補大募集中!

150年後の国宝展キービジュアル

ほー暑いほ、暑いほ。こうも暑いとさすがの僕でも溶けそうだほ。

溶けている場合じゃないわよ、トーハクくん。

ユリノキちゃん、どうしたほ。

これにはもう申し込んだ?

150年後の国宝展-ワタシの宝物、ミライの宝物」、 これなんだほ?

みんなから、150年後の国宝候補を募集しているのよ。

どういうことだほ?

この展示イベントは、みんなから「150年後の国宝候補」を集めて、選んだモノをこの展示イベントで紹介するのよ。

トーハクには国宝の作品があるのに集めるほ?

今回集めるものはトーハクで展示するような文化財じゃないのよ。

何を集めるほ?

150年後という未来は今とは価値観や生活が変わっている可能性が高いわ。そんな150年後という遠い未来に伝えたいと考える、国宝候補を募集しているのよ。

  そんな遠い未来のことなんてわからないし、何を伝えたらよいかわからないほ。

難しく考えなくていいのよ。どんなものでもいいから、わたしにとってはこれが150年後にも残っていたら嬉しいなと思うものを応募してほしいの。理由も書いてもらうのだけど、そこにみんなも共感できる理由があればより良いわ。

  ユリノキちゃんだったら何を応募するほ?

わたしだったらもちろんこれよ!

本館を背景にそびえ立つゆりの木

ユリノキちゃんのモチーフにもなった、トーハクのゆりの木だほ。

タイトルをつけるとすれば「みんなを見守るゆりの木」かな。わたし、トーハクの中ではこのゆりの木の下でのんびりするのが好きで、ほかにもたくさんのお客様がゆりの木の下で、おしゃべりしたり、休憩したり、読書したりと思い思いにすごしているのをよく見るわ。
このゆりの木がわたしも含め、トーハクに訪れる人をずーっと見守ってくれているような気がするの。150年後でもトーハクとみんなを見守ってもらいたいから、150年後の国宝候補として応募するわ。

ほー、150年後にも伝えたいほ。150年後にはどれくらい大きくなるか気になるほ。

トーハクくんは何か思いついた?

博物館ニュースだほ。

博物館ニュースの表紙

どうして?

やっぱりトーハクの情報を確認するのにこの博物館ニュースが一番だからほ。それに150年後にもこの博物館ニュースがつづいていたら、どんな形になっているかを考えると楽しみだほ。

なるほどね。でも、私たちが考えるとどうしてもトーハクに関係のあるものになっちゃうね。

そうだほ。だから、みんなが考える、「わたしの150年後の国宝候補」を知りたくなってきたほ!

そうだね。皆様、応募詳細ページはこちらです。公式ツイッターもあるので、よかったらご覧ください。

応募お待ちしているほ!
 

カテゴリ:催し物

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posted by トーハクくんとユリノキちゃん at 2022年08月19日 (金)

 

特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(3)――故宮博物院との交流

1972年の日中国交正常化を記念して、1973年に初めての中国文物展、「中華人民共和国出土文物展」が当館で開催されました。
それ以来、中国の歴史・文化をテーマとした展覧会を数多く開催するとともに、中国の博物館との人的交流・学術交流も展開しています。

特に、北京にある故宮博物院とは長年にわたり友好的な交流関係を築いており、2008年に両館の学術・文化の交流および協力に関する覚書を結びました。当館にとって中国における文化交流拠点として、故宮博物院と協力関係を深めてきました。
その成果の一つである2012年日中国交正常化40年を記念する特別展「北京故宮博物院200選」は、故宮博物院の全面的な協力によって実現しました。
清王朝歴代皇帝の審美眼が反映された様々な分野の宮廷コレクションが展示され、その中でも、中国美術史に輝く北宋時代の名画「清明上河図」の海外初公開が国内外で大きな話題となりました。


「清明上河図」の展示会場
期間限定公開のこともあり、連日行列ができていました。

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2015年、故宮博物院創立90周年記念式典が行われました。当館銭谷眞美館長(当時)は記念式典に招待され、記念事業の一環として開催された国際博物館長フォーラムで博物館における教育普及活動について講演を行いました。故宮博物院をはじめ、世界各国の博物館関係者との交流も進めました。


故宮博物院主催の国際博物館長フォーラムに出席した各国の発表者。

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また、故宮博物院が進めている国内外の文化財を紹介する展覧会事業に当館も協力しています。
2019年に故宮博物院で開催された「世界の龍泉:龍泉青磁とグローバライゼーション」展に、当館からは重要文化財「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」ほか、中国製と日本製の青磁作品8件を出品しました。
特に中国南宋時代に作られた青磁の名品である「馬蝗絆」は、この展覧会で初めて里帰り公開され、中国国内の各媒体に大きく取り上げられました。


「世界の龍泉:龍泉青磁とグローバライゼーション」展では、当館研究員を現地に派遣し、作品点検と展示作業を行っています。

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日中国交正常化50周年という節目の年である本年、故宮博物院と再度協力して、特別デジタル展「故宮の世界」を7月26日(火)から9月19日(月・祝)まで開催中です。デジタル技術を駆使して、VR(ヴァーチャル・リアリティ)や高精細3D(3次元)データで紫禁城の宮殿や書画工芸の名品を楽しめる展覧会です。
目玉展示のひとつである北宋時代の名画「千里江山図」は3面のスクリーンに投影され、そのスケールは実に壮大です。
描かれた青緑山水は目の前で流れて行くように展開します。舟に乗って川を下りながら、山と川の景色をゆったりと楽しむような鑑賞体験を、みなさまにぜひ味わっていただきたいです。


2019年、故宮端門にあるデジタル館を見学したとき、故宮博物院のスタッフが収蔵品デジタルアーカイブを紹介する際に見せてくれたのは、「千里江山図」でした。

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今後も、今までの故宮博物院との協力関係を大切にしながら、安定的かつ継続的な人的交流・研究交流に取り組んで行きたいと思います。

 

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 楊鋭(国際交流室長) at 2022年08月15日 (月)

 

特別デジタル展「故宮の世界」の魅力紹介(2)――故宮学

今年は日中国交正常化50周年の節目に当たるので、これを記念して特別デジタル展「故宮の世界」を開催いたします。
近年のコロナ禍により、海外から作品をお借りする展覧会の開催については、国内外の諸事情に影響される困難が伴うのですが、このたびは北京の故宮博物院と凸版印刷が長年にわたって共同で開発されてきたデジタル・アーカイブを利用させていただいて展覧会を開催することとなりました。

展覧会の構成は2章立てで、第1章「デジタル故宮博物院」では紫禁城(しきんじょう)の世界観や故宮の文物(ぶんぶつ。日本でいう文化財)をデジタル・データによって展示し、第2章「清朝宮廷の書画と工芸」では清の皇帝の愛蔵品や清時代の工芸品などを展示します。これらの展示を通じて、在りし日の紫禁城に想いを馳せていただきたく思います。

東京国立博物館の研究員として働きがいを感じることは沢山ありますが、そのひとつが海外の博物館との交流です。
東博と故宮とは長らく友好関係が続いていますが、私自身については、ちょうど10年前に当館で特別展「北京故宮博物院200選」を開催したのが交流を深めるきっかけでした。展覧会の準備にじっくり時間をかけたので、故宮の研究員と親しくさせていただいたのでした。

当時は鄭欣淼(ていきんびょう)院長が「故宮学」というのを提唱されており、そのさわりを故宮の研究員から門前の小僧のように教えていただきました。その内容については、私の解釈も入ってしまって正しく伝えられるか分かりませんが、故宮の宮殿や文物などについて、個別の建築や作品として捉えるのでなく、かつて紫禁城のなかでどのような論理・価値観・美意識などのもとに機能していたかを有機的に把握する、というもののように理解しました。その時点では、やや理論先行のようで、故宮の研究員のあいだでも見解の相違やとまどいがあったようにも思われました。私も自分自身の研究テーマと重なるところがあり、この故宮学の先行きについて大いに関心を寄せていたところ、はたしてその成果のひとつでしょうか、2019年に故宮の午門(ごもん)で「賀歳迎祥(がさいげいしょう)」という展覧会が行なわれました。


故宮博物院の特別展「賀歳迎祥」
かつて紫禁城では、正月のあいだは彩灯という色鮮やかな灯籠が懸けられていた様子を再現しています。解説文には、彩灯に関する宮廷の規定が説明されていました。

――― 


これは紫禁城の正月行事を紹介した展覧会ですが、従来なら芸術品とか生活用品などと別々に分けられてきたような、さまざまな文物がひとつのテーマのもとで展示されていました。また、宮殿にも装飾を施して、宮殿をただの建築物としてではなく、かつての生活空間として紹介する意図を感じました。


乾清宮の万寿灯
紫禁城の内廷の正殿である乾清宮(けんせいきゅう)。乾清宮の前面には丹陛(たんへい)というバルコニーが広がり、正月になると、ここに万寿灯(まんじゅとう)という天下太平を祝う言葉を書き連ねた装飾品を立てました。

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あるいは家具館では、展示品の家具にホログラムの乾隆帝が腰かけるというような工夫もありました。


家具館のホログラム展示
故宮博物院の家具館では、ホログラムを利用して、文人すがたの乾隆帝に扮装した人が実物の寝台に腰かける様子が映写されていました。これは「是一是二図」という絵画に取材した展示です。

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そのように故宮では、さまざまな方法で紫禁城を紹介されているのですが、さらに近年ではデジタル技術を生かした展示にも取り組んでおられます。
さて、このたびの特別デジタル展については、故宮や凸版印刷とも意見を交換しながら展示を作りました。なかでも北宋の王希孟(おうきもう)が描いた名画「千里江山図(せんりこうざんず)」のデジタル展示は見どころで、高さが約3メートル、幅が約22メートルの大画面に映しだされる青緑山水(せいりょくさんすい)の世界に没入するという趣向を凝らしています。
普通であれば、山水画巻を鑑賞するにあたって脳内で想像するような景色が、そのまま眼前に展開されるという素晴らしい空間ができたと思っています。


「千里江山図」のデジタル展示
繰り返し観ていると、次々に現れる山岳や河川の展開のうちに、なじみある交響曲のような旋律が見えてきて、レガートやクレッシェンドなどを感じるようになります。

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今後も当館では、現行の展示の長所は長所として大切に育みながら、新たに開発された技術を取り入れたり、海外の博物館を参考にしたり意見を交換しながら、次世代型の展示についてアイデアをめぐらせたく考えています。

カテゴリ:2022年度の特別展

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posted by 猪熊兼樹(特別展室長) at 2022年07月29日 (金)