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「空海と密教美術」展 展示替え情報

「空海と密教美術」展の会期が早くも半分を過ぎ、明日からいよいよ後半戦に突入します。後半には大規模な展示替えが行われますので、その情報と見どころをお伝えします。
(明日から展示される作品一覧はこのブログの一番下をご覧ください。出品作品リストはこちらからどうぞ。)

作品No.5 国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき) 下巻 空海著・筆 平安時代・8~9世紀 和歌山・金剛峯寺 
国宝 聾瞽指帰上巻から下巻へ展示替えされます。
この作品は、儒教・仏教・道教の教えを擬人化した3人の人物が登場し、教えをめぐってそれぞれが所信を語った結果、最終的に仏教が他を説き伏せるという内容です。上巻では儒教の鼈毛先生(べつもうせんせい)・道教の虚亡隠士(こもういんし)という人物が論じる場面でしたが、下巻はいよいよ仏教の仮名乞児(けみょうこつじ)が語るクライマックスです。聾瞽指帰の見どころについては「空海と密教美術」展の楽しみ方もあわせてご覧ください。

作品No.12 国宝 狸毛筆奉献表(りもうひつほうけんひょう) 伝空海筆 平安時代・9世紀 京都・醍醐寺
この作品は、空海が嵯峨天皇に筆を献じた際に提出されたものと伝えられています。空海は、唐での筆作りの技術を日本に伝えるため、留学中の経験をもとに、書法別に4種類の筆を製作させたといわれています。三筆と名高い空海。書だけでなく、筆作りまでもプロデュースしていたのです。

作品No.40 国宝 風信帖(ふうしんじょう) 空海筆 平安時代・9世紀 京都・東寺
国宝 風信帖
この作品は、空海から最澄にあてた3通の手紙をつないだものです。空海40歳ごろの手紙と推測され、最澄と親交を結んでいた時期の様子を伝えてくれます。1通目は、『摩訶止観』という仏教の論書を送ってもらったお礼と、最澄に比叡山を下山して高雄山寺(現在の神護寺)まで来てほしいというお願い。2通目は、多忙のため時期を改めて返信する、という内容。3通目は、延暦寺まで最澄に会いに行く、そしてその時に貸すはずだった「仁王経」を持参できなくなったことをお詫びしている内容です。

作品No.54    国宝 金剛般若経開題残巻(こんごうはんにゃきょうかいだいざんかん) 空海筆 平安時代・9世紀 京都国立博物館
この作品は、金剛経と呼ばれるお経の内容について、注釈を加えて解説した草稿(下書き)の残巻です。草書体・行書体と異なる書法を交えて書かれており、修正箇所や抹消、書き込みなどがあることから、草稿であることが分かります。空海の日常の筆跡を見ることができる、大変貴重な作品です。


【8月23日(火)より出品される作品】

No.5   国宝 聾瞽指帰 下巻 空海著・筆 平安時代・8~9世紀 和歌山・金剛峯寺 
No.8   国宝 不空羂索神変真言経 巻三十 平安時代・10世紀 和歌山・三宝院
No.9   重文 大毘盧遮那経供養次第法義疏 巻第二  平安時代・10世紀 和歌山・竜光院
No.10 重文 性霊集 巻第二・四・六・七・八 空海著 鎌倉時代・13世紀 京都・醍醐寺
No.12 国宝 狸毛筆奉献表 伝空海筆 平安時代・9世紀 京都・醍醐寺
No.15 重文 十地経・十力経・廻向輪経 第二帖 平安時代・9世紀 京都・仁和寺
No.21 重文 御請来目録 空海撰 平安時代・9世紀 滋賀・宝厳寺
No.40 国宝 風信帖 空海筆 平安時代・9世紀 京都・東寺
No.44 重文 刻文脇息  平安時代・9世紀 京都・東寺
No.52 重文 即身成仏品 空海撰述 平安時代・9世紀 和歌山・金剛峯寺
No.54 国宝 金剛般若経開題残巻 空海筆 平安時代・9世紀 京都国立博物館
No.55 重文 四種護摩本尊並眷属図像 (巻替) 宗実写 鎌倉時代・建暦3年(1213) 京都・醍醐寺
No.57 重文 仁王経五方諸尊図  北方・西方 南北朝~室町時代・14~15世紀 京都・東寺 (~9/4)
No.68 国宝 両界曼荼羅図(西院曼荼羅) 金剛界 平安時代・9世紀 京都・東寺

国宝 両界曼荼羅図(西院曼荼羅) 金剛界

No.76 国宝 宝相華蒔絵宝珠箱  平安時代・10世紀 京都・仁和寺
No.78 重文 十天形像 宗実写 鎌倉時代・建暦3年(1213) 京都・醍醐寺
No.81 国宝 処分状 聖宝筆 平安時代・延喜7年(907) 京都・醍醐寺
No.83 重文 御遺告 平安時代・12世紀 京都・東寺
No.84 国宝 宝簡集 巻第二十六  平安~安土桃山時代・11~16世紀 和歌山・金剛峯寺
No.85 国宝 又続宝簡集 巻第八十八  平安~室町時代・11~14世紀 和歌山・金剛峯寺

これだけの作品が展示替えになります。まだご来館されていない方はもちろん、既にご覧になった方ももう一度、是非見にいらしてください。

カテゴリ:news2011年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2011年08月22日 (月)

 

特集陳列「石に魅せられた先史時代の人びと」がはじまりました。

 特集陳列「石に魅せられた先史時代の人びと」(~ 2011年10月30日(日))がはじまりました。

まず「石」といわれてみなさんが思い浮かぶのは、指輪やネックレス、ペンタンドやイヤリングなどにあしらわれる宝石と呼ばれるものではないでしょうか?
この他に日常生活で石を見かける機会は意外と少ないかもしれません。
田舎育ちの自分にとっては道端で拾った石で地面に落書きをしたり、川で水切り(石切り、石投げとも呼び、川に石を投げて水面を何回飛び跳ねるか競う遊び)をしたりと、割と身近な遊び道具のひとつでした。
小さいながらも、どの石がどのあそびに合っているか考えながら石を選んでいたことを覚えています。


さて特集陳列をしている場所は平成館考古展示室の弥生時代と古墳時代のさかいにある一つの壁付ケースです。
そこに約120件、200点を超える石器を展示しました。


展示されている石器は旧石器時代から弥生時代と年代順にならび、模造した石器へと続きます。
その内容は「石器の石材」、「実用的な石器」、「祈りを捧げるための石器・石製品」、「石器を作るための技術」という視点から組み立てました。


では特集陳列の内容をいくつかをご紹介します。
「石器の石材」では、代表的な石材で作られた石鏃(せきぞく)を展示しています。


もののけ姫にも登場したことでみなさんも良く知っている黒曜石(こくようせき)で作られたもの、サヌカイトや頁岩・チャートといった普段耳にすることのない名前の石材で作られたものもあります。
どの石材も硬さや鋭さがその特徴で、弓矢猟の鏃(やじり)に欠くことできない特徴です。
あわせて注目して欲しいのは、それぞれの石材のもつ色や光沢といった美しさです。
東北地方で見つかる頁岩やチャートで作られた石鏃の中には、赤や黄など目を惹く色の石鏃も数多くあり、当時の人びとの美意識を感じさせてくれます。



「祈りを捧げるための石器・石製品」の中から、御物(ぎょぶつ)石器を取り上げてみましょう。

御物石器 岐阜県飛騨市宮川町出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年 柏木萬氏寄贈
2011年8月2日(火)~10月30日(日)展示



御物石器は枕石や石搥とも考えられた石器ですが、現在では儀礼用に使われたものと考えられています。
形が個性的なうえに、名前の由来もまたユニークな石器です。
その名前の由来はというと、明治10(1887)年に石川県穴水町比良から出土したものが皇室に献上され、「帝室御物」となったことに因んでいます。
実は「帝室御物」となった「御物石器」そのものも別の壁付ケース(縄文人の装身具とまつりの道具)に展示されています。

御物石器 石川県穴水町比良出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年 宮内庁蔵


石器の名前にはさまざまな由来があり、それを調べることは石器に関心をもった人びとや研究者の考え方を知ることにもつながっています。



この特集陳列にあわせてパンフレットを作りました。
さまざまな石材で作られた石鏃が表紙となっています。

この小さな石鏃の愛らしさに心躍らせた気持ちを、展示をご覧になるみなさまと共有できたらと思っています。

 

(関連事業)
列品解説 石に魅せられた先史時代の人びと 2011年9月13日(火) 当日受付
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 品川欣也(考古室) at 2011年08月19日 (金)

 

特別展「孫文と梅屋庄吉」ギャラリートーク開催

現在、開催中の特別展「孫文と梅屋庄吉」のギャラリートーク「古写真にみる孫文・梅屋が生きた時代」が、8月12日(金)17:00に開催されました。

辛亥革命の中心的な人物である孫文と、孫文を物心両面でサポートした梅屋庄吉を軸に、彼らの周囲の人々や当時の街の様子などもあわせて生の資料で見ることをコンセプトとする本展。ギャラリートークでは、担当研究員の関さんが、時代の語り部であり、本展のみどころでもある貴重な古写真を通して、孫文と梅屋が生きた時代の様相についてお話ししました。

開催場所は、特別展「孫文と梅屋庄吉」と本館入口からすぐの本館20室。聴講は無料で先着順と、お気軽にご参加いただけることもあったためか、12日は開始前から満席状態で、追加で席を設けるほどの盛況でした。

内容はというと、古写真にちなんだエピソードはもちろん、年表や図を使用した時代背景の解説など、盛りだくさんの約30分。紫禁城の写真では、関さんが撮影してきた現在の写真と対比してみる試みも。これはギャラリートークならではのお楽しみです。

ギャラリートークは、1926日にも開催します。いずれも金曜日で20時まで開館の日。暑さのピークを過ぎた16時頃からお越しいただいても総合文化展などと合わせてゆっくりお過ごしいただけます。ぜひ足をお運びください。   結

カテゴリ:2011年度の特別展

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posted by 林もとこ(広報室) at 2011年08月17日 (水)

 

列品解説「東大寺山古墳出土大刀群と金象嵌銘文の世界」 補遺2

前回のブログ「補遺1」に続き、特集陳列 「よみがえるヤマトの王墓―東大寺山古墳と謎の鉄刀―」(~2011年8月28日(日)まで)のハイライト・金象嵌銘大刀を含む、5本の大刀に付けられた青銅製環頭にまつわる大刀改造の謎について、関連する常設の考古展示室の展示品をご紹介しつつ補足したいと思います。

花形飾・家形飾環頭大刀
花形飾・家形飾環頭大刀 (奈良県天理市東大寺山古墳出土)[東大寺山古墳展]


「抜刀(ばっとう)」という言葉がありますが、ご承知の通り、剣道の竹刀(しない)や日本刀でも刀は手で柄(つか)部を握って操作します(もちろん“刃物”ですので他は素手では触れません…)。
弥生・古墳時代の大刀は柄の長さが最大でも約15㎝程で、両手では持つことができないため、片手で抜刀し刀身を収める鞘はもう一方の手で支えていたようです。 中国・三国志の戦闘シーンなどでおなじみの利き腕を使った片手持ちの戦闘スタイルは、この大刀の構造から生まれたものです。

すると、普段は刀身を収めた鞘と柄・先端の把頭しか見えないため、実用性第一の刀剣では(命掛けなので当然ですが…)、機能最優先の刀剣身や柄は装飾を施すことが難しい部分です。 反面、常に見えている柄頭は抜刀時の滑べり止めとして、(野球のバットと同じく)一廻り大きく造る以外にさしたる機能がないため、刀剣装飾(拵(こしら)え)の関心事が集中することになります。
結果、柄頭はバラエティに富んだ様々な形状・装飾が工夫される独壇場となり、いわば刀剣のもつ性格・意義(ステイタス)を示す大切な部分となった訳です。

古墳時代の大刀
古墳時代の大刀(各種大刀・模式図[4~7c])[小林行雄1951]

5本の青銅製環頭大刀は、金象嵌銘大刀を含むため中国製品を改造して日本列島製の柄頭に付け替えた特別な大刀と考えられています。
ちなみに、東大寺山古墳出土大刀群のうち、7本の素環頭大刀は中国製の中国式、8本の木装大刀は刀身の製作地は判りませんが日本列島独自の拵えを装着していたとみられます。



次に、青銅製環頭の意匠に注目してみましょう。
環頭上部には花形飾と家形飾があり、いずれも環頭の内側基部には植物の若芽のような形の装飾をもち、中国の三葉環頭をモデルとしたことが判ります。

家形・花形飾環頭(左)・三葉環頭(右)
家形・花形飾環頭(左)・三葉環頭(右)(左:東大寺山古墳,右:福島県会津大塚山古墳[4c])
[左:東大寺山古墳研究会他2010,右:八日市市教育委員会他編1990]


環頭部には弥生時代に起源をもつ日本列島独自の直弧(ちょっこ)文が施され、側面には不思議な形の各種装飾突起が付きます。 とくに、家形飾環頭の耳のような形の装飾は、家形・靫形埴輪や鍬形石などの碧玉製石製品などに付けられる鰭(ひれ)形飾りと呼ばれるものです。4世紀後半頃に直弧文から発達し、日本列島で流行した独自スタイルの装飾です。


靫形埴輪模式図
靫形埴輪模式図 [東大寺山古墳展:展示パネル]

直弧文やその起源となった旋帯(せんたい)文は、考古展示室(平成館1階)で展示中の直弧文鏡(奈良県広陵町新山古墳出土[4c]:宮内庁蔵)や模造の旋帯文石(原品=岡山県倉敷市楯築神社 伝世[3c])でご覧になれますので、是非比べてみてください。



一方、家形飾環頭の装飾は、今回比較展示している模造の家屋文鏡(奈良県河合町佐味田宝塚古墳出土:原品=宮内庁蔵)の文様と実によく似ています。

家屋文鏡文様
家屋文鏡文様(奈良県佐味田宝塚古墳・模式図[4c])[堀口捨巳1948]

家屋文鏡には4棟の入母屋(いりもや)造伏屋建物(A棟)・切妻(きりづま)造高床倉庫(B棟)・入母屋造高床住居 (C棟)・入母屋造平屋住居(D棟)が表されますが、A・C棟には高貴な人物の存在を表す蓋(きぬがさ)の表現があり、特殊な性格の建築であることを示しています。
いずれも草葺屋根の日本列島独自の建物を表現したもので、家形飾のモデルは縄文から平安時代まで使われていた伝統的な竪穴(たてあな)住居で、当時の人々にもっとも身近な建物が表現されていたことが解ります。
比較展示している重要文化財の子持家形埴輪(宮崎県西都原古墳群出土:当館蔵)は、主屋とみられる中心の入母屋造伏屋建物と周囲の開放的な入母屋・切妻造付属建物4棟からなり、機能差をもつ建物群の構成を示していると考えられます。当時の集落や有力者の居宅の情景を一体的に表現した傑作です。

子持家形埴輪
子持家形埴輪(左) (宮崎県西都市西都原古墳群出土[5c]) [東大寺山古墳展]

同様な構成は家形埴輪群にも典型的に見られるもので、考古展示室で展示中の家形埴輪群(群馬県赤堀茶臼山古墳出土:当館蔵)とも是非、比較して頂きたいと思います。

家形埴輪群
家形埴輪群 (群馬県伊勢崎市赤堀茶臼山古墳出土[5c])[考古展示室]


さて、東大寺山古墳出土の青銅製環頭は中国製三葉環頭をモデルにして、これでもかと云わんばかりに日本列島生まれの意匠を加えて造っていたことがお解り頂けたと思います。
これは東大寺山古墳出土大刀群のうち、この5本の大刀には特別な意義を認められていた証拠といえます。その理由は金象嵌銘文から考えると、大刀の意義を理解して大変気に入っていたからに違いありません。
いわゆる魏志倭人伝とよばれる三国志『魏書』東夷伝倭人条には、3世紀の邪馬台国では「使訳(使節と通訳)通ずる所三十国」とありますから、かなり正確に知ることができたことでしょう。

しかし、はるばる運ばれてきた舶来の貴重な大刀の“顔”である環頭を取り除き、わざわざ青銅製環頭に改造するということは、少々不可解で相当な覚悟があったはずです。
少なくとも金象嵌銘文の意味する世界観だけで満足していた訳でもなかったことが窺われ、当時の人々にとって「X:満足した部分」と「Y:満足できなかった(?)部分」があったということを予測させます。Xは幸いなことに金象嵌銘文に含まれている可能性が高く、前回分析した銘文A~C部分のいずれかにあることは容易に推測できますし、Yは改造した青銅製環頭の意匠で補われたと考えられます。

この大刀改造の謎の背景(Y)については、5世紀以降に同じく独自の表現を加える日本列島で製作された刀剣銘文に謎を解くヒントが隠されているといえそうです。


今回も長くなってしまいましたので、新たな第2の謎はまた(補足×2の…)補足3でお話できればと思います。

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2011年08月16日 (火)

 

「空海と密教美術」展の楽しみ方  シリーズ(2)-2 絵画

「空海と密教美術」展の魅力を知り尽くした、展覧会の担当研究員に直撃インタビュー。題して、「空海と密教美術」展の楽しみ方。 シリーズ(2) 絵画の前半インタビューにつづく、後半をご覧ください。

 

『唐での表現 日本での表現』

広報(以下K):展示の中で、沖松さんが「ここは面白いから注目してほしい」という部分がありましたら教えてください。 

沖松(以下O):肖像画という観点から展覧会を見てみると、少し違った面白さが浮かび上がってきます。当時の肖像画とはどういうものだったのか、画家たちは人物をどのようにとらえたのか、そういうトピックは研究員としてはとても興味深いものです。特に前期に展示される僧侶像は、古い時代の良い作品が一気に見られます。

国宝「弘法大師像」(作品No.2 展示期間:展示中~8月28日(日))、
国宝「勤操僧正像(ごんぞうそうじょうぞう)」(作品No.13 展示期間:展示中~8月21日(日))、
国宝「真言七祖像」(作品No.14 展示期間:龍智・金剛智・不空 展示中~9月4日(日)、一行・恵果 9月6日(火)~9月25日(日))

私が注目するのは、国宝「勤操僧正像」の袈裟の表現。
国宝 勤操僧正像
ドレープが流れるように描かれており、質感・量感豊かで、まだ形式化されていない自由な表現を読み取ることが出来ます。

K:お顔も、熱心になにかを語りかけられているようで、親しみやすさがありますね。

O:そうですね。表情だけでなく手つきからも熱弁ぶりがうかがえます。勤操僧正は、空海の先輩にあたる僧侶です。最澄や空海のもたらした新しい仏教にも理解を示したと伝えられています。生命力あふれる勤操僧正のキャラクターがよく表れていますね。

国宝「真言七祖像」は、その名の通り真言密教の基盤をつくった7人の僧の肖像です。そのうちの2枚、龍猛(展示期間終了)と龍智の像だけが日本で作られています。一般的に、唐でつくられた5作品に比べて平板な表現になったとも言われますが、それが日本人の画家の技術の問題なのか嗜好の問題なのか難しい問題です。画家も日本人ではなく中国大陸や朝鮮半島からの渡来人かも知れませんし、そうなると事はなおさら複雑になります。


今回は、唐の作品とそれを元に描いた日本の作品とを同時に比較できるよう、隣り合わせに展示しました。一幅ずつだったら分からないことが見えてくるはずです。こんな貴重な体験、滅多に出来ないんですよ!!唐の作品のどこを引き継いで、どこが変わったのか、その目で確かめてみてください。

K:唐でつくられた作品との違いと共通点をよむ、そういう楽しみ方があったのですね。なるほど!

O:展示室のキャプションにも書いてあるんですけどね。

K:えっ…!(汗) すみません、そこまで読み取れず。

O:いえいえ、かなりマニアックな目線ですから。
たとえば密教の経典を最初に唐に伝えたという不空の描写は、とても写実的で人物をよく写しています。耳毛なんかもリアルですよ。

K:本当ですね!ここまで描くか!という細かさですね。

O:ちなみに空海は不空の亡くなった年に生まれたので、不空の生まれ変わりとも言われています。

もうひとつの比較ポイントは、第一章から三章までと、第四章との違いです。
第三章までは、密教の原点(インド)のものを求めていくという、空海の明確な意識が見てとれます。空海が収集したと考えられる図像によってもその方向性が分かるでしょう。いわば源流志向といえるものです。
しかし空海以後、その源流志向が正確に受け継がれるというわけではありません。貴族階級など、当時の日本人の好みに合った表現も取り入れられていくわけです。
そういう違いを見るのも面白いかもしれませんね。

K:ポイントがそんなにたくさん散りばめられている展覧会だったとは!「空海と密教美術」展を、そういう視点でもう一度見直してみようと思います。なんだかだんだん密教美術にはまってきました。いえ、かなりはまりつつあります!
沖松さん、どうも有難うございました!
 

沖松研究員

専門:絵画 所属部署:学芸企画部特別展室
東博でも希少なパティシエ系研究員
「得意なお菓子はシュークリームです。最近は忙しくてつくれていないですけど。」


次回のテーマはいよいよ「彫刻」です。どうぞお楽しみに。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2011年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2011年08月15日 (月)