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年末恒例「仮名手本忠臣蔵」

浮世絵(本館10室)の部屋では、12月に『仮名手本忠臣蔵』を題材とした浮世絵を陳列することがよくあります。本年も12月の浮世絵版画は『仮名手本忠臣蔵』に関する作品で構成しています。
「忠臣蔵」というと、元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、吉良上野介義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発し、翌元禄15年12月14日、家老大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士四十七人が本所吉良邸に討ち入って上野介の首級を挙げた仇討ちを思い出すでしょう。
元禄赤穂事件と呼ばれるこの事件は、現代では「忠臣蔵」と一般に言わていますが、「忠臣蔵」は、江戸時代以来、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目として人気を集めた『仮名手本忠臣蔵』のことです。同時代の武家社会の事件を上演することが禁じられた江戸時代、『仮名手本忠臣蔵』は、太平記の時代を舞台とし、登場人物の名前を変え、さまざまな脚色がなされて演じられました。
登場人物の名前も
浅野内匠頭は、赤穂藩の名産である「塩」にかけて、塩冶判官(えんや はんがん)。
吉良上野介は、高家肝煎であったことから、高師直(こうの もろのう)
大石内蔵助は、大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。
その息子の・大石主税(おおいしちから)は、「ちから」を「力」として大星力弥(おおぼしりきや)。といった具合に史実を連想させる名付けがなされています。
他に、討ち入りに加わらず不忠臣とされた浅野家の家老大野九朗兵衛が、斧九太夫(おのくだゆう)、息子が斧定九朗(おのさだくろう)。絶世の美人浅野内匠頭の正室阿久利は、顔世御前(かおよごぜん)、由良助の武器調達を助けたとされる大坂の義商天野屋利兵衛は、天川屋儀平として登場しています。

今回は、歌川広重が芝神明前にあった版元有田屋から出版した全11段を12枚に描いた揃いを展示します。
冒頭の大序では、「鶴ヶ岡社前の場」が描かれています。右が高師直、刀を握って詰め寄っているのは、塩冶判官ではなくもう一人の饗応役である桃井若狭介。左に描かれたのが顔世御前。好色ジジイの師直が顔世に言い寄るのですが、若狭介が間に入って顔世を救う。邪魔された師直に悪口を言われた若狭介が刀を握って詰め寄る場面が描かれています。(以下画像は全て2011年12月11日(日)までの展示)

忠臣藏・大序
忠臣藏・大序 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


二段目は、若狭介の館。右が「桃井館上使の場」で、桃井家の家老加古川本蔵の義理の娘小波と許婚の大星力弥。奥の庭では、師直との一件を聞いた本蔵が、若狭介の前で松の枝を切り落とす「桃井館松切りの場」が描かれています。

忠臣藏・二段目
忠臣藏・二段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


仇討ちが、男女の恋を絡めながら展開するのですが、そこは、『仮名手本忠臣蔵』をお読みいただくとして、今回は「忠臣蔵」に題材をとった見立絵などを多く展示していますので、それについてご紹介します。
「忠臣蔵 七段目」は、「祇園一力の場」。紫の着物を着て目隠しをして鬼ごっこで芸子と遊ぶ由良助。そこに斧九太夫一行が由良助の様子を見にあらわれます。

忠臣藏・七段目
忠臣藏・七段目 歌川広重筆 江戸時代・19世紀


この、「祇園一力の場」の見立てとなっているのが、鳥高斎栄昌が目隠し鬼を描いた「めんないちどり」

めんないちどり(見立由良之助一力遊興)
めんないちどり(見立由良之助一力遊興) 鳥高斎栄昌筆 江戸時代・18世紀


そして、『仮名手本忠臣蔵』の七段目では、由良助が顔世からの密書を読む場面が続きます。床下に隠れた斧九太夫が、これを盗み見るのですが、それが鳥文斎栄之の「見立忠臣蔵七段目」では、女性に置き換えられています。ここに描かれているのが寛政三美人の高島おひさと難波屋おきたというのも趣向です。

見立忠臣蔵七段目
見立忠臣蔵七段目 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀


そして、同じような図は磯田湖龍斎によっても描かれています。

炬燵で文を読む男女
炬燵で文を読む男女 磯田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀

歌川国芳筆の「木曾街道六十九次之内・大井」は、木曽街道ならぬ山城の「山崎街道の場」。
では、なぜ木曽街道のシリーズとして描かれているのかというと、……

木曾街道六十九次之内・大井
木曾街道六十九次之内・大井 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀


早野勘平が仇討ちに加わるために必要な金を用立てた与市兵衛が夜道を山崎に急ぐ。後ろから手を上げて「オオイ、オオイ、おやじ殿」と声をかけるのが落ちぶれた斧定九朗。この後与市兵衛から金を奪うという場面である。

他にも、歌麿が自身の姿を、酒で討ち取られる高師直に見立てて描いた「高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ」など、さまざまな忠臣蔵浮世絵が展示されています。

(左)忠臣藏・夜討(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ
(左)忠臣藏・夜討 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
(右)高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀>



芝居では、客が不入りの時でも忠臣蔵を出せば当たるといわれるほど庶民に人気のあった「忠臣蔵」。
さて、東博での入りはいかが相成るでしょうか。
 

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posted by 田沢裕賀(絵画・彫刻室長) at 2011年12月03日 (土)

 

特別展「法然と親鸞展」 入場者20万人達成!

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」は、2011年12月2日(金)午後、20万人目のお客様をお迎えいたしました。
これまでご来場いただいたお客様に、心から感謝申し上げます。

20万人目のお客様は、山室 彬紗さん(16歳)高校1年生です。
東京国立博物館長 銭谷眞美より、展覧会図録と孔雀風呂敷のセット・会場限定販売のベアブリックを贈呈いたしました。


右から、銭谷眞美館長、山室彬紗さん
2011年12月2日(金) 東京国立博物館平成館にて

山室さんは学校の帰りに本展会場でお母様とお待ち合わせとのことです。
なんと、お祖母様は一足先にお越しいただいたそうなので、母娘三代で鑑賞いただくことになります。
楽しみにしている作品は 「仏像」と「襖」だそうです。
山室さん、ありがとうございました。

「法然と親鸞展」は残すところあと2日、2011年12月4日(日)で閉幕です。
法然と親鸞のゆかりの作品が一同にそろうことは今後なかなかないと言われている大変貴重な展覧会です。

まだ、ご覧いただいていない方、ぜひお見逃しなく!

カテゴリ:news2011年度の特別展

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posted by 広報室員 at 2011年12月02日 (金)

 

終了間近アジアギャラリー 表慶館の魅力

建築とは、人間の欲求からなる美・技術・環境・思想など、高度に調和、統合されたものです。 また、「時代を表す象徴」と言われ、建造物が生きてきた時代の政治や文化、思想や技術の影響が色濃く反映されます。現存する近代の建造物が「経済性」と「老朽化」などの理由によりスクラップ&ビルトされる今日において、表慶館は竣工から100年が過ぎ、重要文化財として残されている意義は大きく、この建造物をどのように使いどのように後世に渡すかは、現代の私たちに課せられた課題でもあります。

表慶館(1908年竣工、片山東熊設計)は、明治末期を代表する当時最高の技術が結集された西洋風建築です。 日本で最初に作られた美術館として知られ、関東大震災にも耐えた堅牢な建造物です。 創建当時は、現在の本館の位置に旧本館(J・コンドル設計)が鎮座し、現在とは全く違った様相をみせていたのではないかと思います。


(左)旧本館(J・コンドル設計)、(右)表慶館(片山東熊設計)

現存する図面やパースを見ると、現在のドーム形状に至るまで数案の検討がなされていたことがわかります。 どの案であっても採用されれば現在の印象とは違ったものになったことは、いうまでもありません。 帝室時代の宮廷建築として、上品であり端正な造形の外観は、イオニア式オーダー、2階外壁部分にピラスター(付柱)、欄間に彫刻装飾があり、 単純な十字形平面に対して立面は、変化に富んだ構成と美しいプロポーションが印象的です。 片山の「建築物は芸術作品でなければならない」という思想を感じさせます。







建築構造は石造のように見えますが、煉瓦造で躯体煉瓦の壁に花崗岩が張られています。 中央大ドーム(直径16.7m)と両翼左右のドームを支える構造は鉄骨造で、アメリカのカーネギー社により製造されたものです。 ドームやフィニアルをはじめとする多くの装飾は、木製の下地により形作られ、それを銅版で葺いたり覆ったりしています。


基礎工事


(左)中央ドームフィニアルの木製下地、(右)屋根部分の木下地

中央ホールは大理石が多く用いられ、床はモザイク張りで幾何学模様が美しく、空間全体は上品で重厚な印象を受けます。 中央部の大理石の柱は、1階が角柱、2階が円柱となっており、1階の重厚さと2階の軽快さのバランスが見事です。 過度に装飾を施さず、美術館のエントランスにふさわしい意匠は必見です。


右、左ともに中央ホール

東洋の彫刻・工芸・考古遺物を展示する表慶館(アジアギャラリー)は2011年12月25日(日)までで見納めです。(表慶館は一時休館。次回開館予定は未定です。)
東洋美術の作品を鑑賞された後に、100年前に造営され、細部にわたり意匠を凝らした建築空間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 矢野賀一(デザイン室) at 2011年12月01日 (木)

 

明の名将にも知られた倭寇必須の剣術?!

2011年11月22日(火)から始まりました本館16室の展示「武家の作法―弓馬のたしなみと剣術・砲術・礼法」(~2011年12月25日(日)展示)を担当した研究員の髙梨です。
ブログでこの展示の見どころの一部を紹介したいと思います。

テーマはズバリ、武士が生業としていた“戦い方”。
そして、その日常生活を規定していた礼法つまり“マナー”です。

まず戦い方です。
時代劇の影響もあって、侍というとすぐに刀を振るうチャンバラを連想しがちですが、本来は馬にのって高速な機動力を活かし、遠距離兵器の弓で矢を放つ騎射が基本でした。
本館6室で時々展示される大鎧をご覧になったことはありますか?
あんなに重いものを着て刀で戦うのは、よほど体力があっても無理でしょう。
つまり武士にとって馬と弓は切っても切り離せない関係だったのです。
そうした意味から本展示でも弓馬術に関する資料を陳列しています。

ではみなさんご存知の“チャンバラ”はいつごろ始まるのかというと、すでに平安時代にはありました。
ただし騎馬どうしの戦いで、刀を使うのは敵を打ち取るためにその首を取る際です。
だから古来の剣術とは馬術の補助的な意味合いが強かったのですが、南北朝・室町と時代が下ると戦い方が変化します。
“武者”どうしの馬上の戦いから“雑兵”と呼ばれた下級兵士が入り乱れて戦う集団・白兵戦が主流となってきます。
そうなると相手と対峙して刀や槍などの接近戦用の武器でいかにしてか戦うかが、武士たちの生死を分ける重要な要素となってきます。
現代にまで続く剣術流派の多くが室町時代中ごろから生まれてくる背景には、日本列島が応仁の乱以降、戦闘状態に突入する“戦国の世”の幕開けがあります。

さて、その剣術ですが皆さんはどんな流派を思い出しますか?
こちらも正月のワイド時代劇でよく登場する、柳生但馬守や十兵衛で知られた「柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)」などご存知の方もいらっしゃいましょう。
また最近では「鹿島新当流(かしましんとうりゅう)」を創始した塚原ト伝(つかはら ぼくでん)を主役にしたテレビドラマも放映されていますね。
実はこれら有名な流派の源流に当たる「陰流(かげりゅう)」という剣術がありました。
愛洲久忠(あいすひさただ)が創始した流派で「愛洲陰流」とも呼ばれますが、これを学んだ上泉信綱(かみいずみのぶつな)が後に「新陰流」を創始し、信綱に学んだ柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)が「柳生新陰流」として展開していきます。

この陰流ですが、日本のみならず遠く異国にまで知られた流派でした。
時代は少し下って江戸時代の元禄年間に大阪の儒医松下見林(まつしたけんりん)が『異称日本伝』という日本・中国・朝鮮半島の歴史を研究した書物を著しています。
その中で日本関係の記事として引用した文献に『武備志』という中国・明の兵学者茅元儀(ぼうげんぎ、1594年-1640年?)が著わした兵学書があります。
そこには明の将軍、戚継光(せきけいこう、1528-87)が1561年に倭寇からの戦利品として「影流之目録」を得たとの記載があります。
つまり、この陰流は中国や朝鮮半島沿海部を荒らしまわった倭寇たちの間で学ばれていた剣術であった可能性があります。
本展示では、この陰流の伝書を陳列しています。
倭寇退治の名将をてこずらせた剣術だったのかと思うと、ちょっとびっくりですね!!

愛洲陰流伝書
愛洲陰流伝書 室町時代・16世紀写

ちなみにそこには剣士と様々な天狗たちの立ち合いの図が、各構えごとに描かれています。
しかも剣士の頭は禿げあがり髭ぼうぼうの姿です。
何となく「倭寇図巻」(東京大学史料編纂所蔵)に描かれた姿に似ているように感じられるのは私だけでしょうか?

余談ばかりで恐縮ですが、このほかにも大砲の玉や鉄砲にかかわる資料も展示しています。

大砲玉
大砲玉 下野国川西町糖塚原(栃木県大田原市)出土 江戸~明治時代・19世紀 植竹三右衛門寄贈

荻野流鉄砲組立之図
荻野流鉄砲組立之図 江戸時代・19世紀写 徳川宗敬氏寄贈

矢立鉄砲
矢立鉄砲 江戸~明治時代・19世紀 杉浦正氏寄贈

武士の多様な世界観を楽しんでいただければ幸いです。

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posted by 高梨真行(書跡・歴史室、ボランティア室)) at 2011年11月28日 (月)

 

今年も行います!東博ボランティアデー

12月5日(月)は、国連の定めた国際ボランティアデーです。それにあわせ、東京国立博物館でも、昨年に引き続き、「東博ボランティアデー2011」を開催します。
今年は、12月3日(土)と4日(日)の両日、東京国立博物館の生涯学習ボランティアが集結します。
この2日間、皆様にボランティア活動についてご紹介し、ボランティアと共に、今まで以上に博物館を楽しんでいただこうと、現在準備をしています。
当日は、ボランティアによる様々な催しを用意しています。


見る!聞く!知る!ボランティアに興味がある人必見!

「ボランティア活動紹介コーナー」では、生涯学習ボランティアの全員が行う活動と、任意で登録して行う活動についてご紹介します。さまざまな種類の活動を行えるのは、東博ボランティアならでは。
「行ってみよう!活動最前線」では、実際にボランティアの活動している現場にお連れし、ボランティアにインタビューして、生の声をお聞きいただこうと計画中です。


本館の各所で、ご案内しています


本館20室で体験コーナーや触知図もお楽しみいただけます


人気のガイドツアーワークショップが一同に!

ボランティアによる大人気のガイドツアーやワークショップを、この2日間でまとめて体験できます。
展示作品をご紹介するガイドに加えて、博物館の外側もお楽しみいただけるツアー、ワークショップも体験いただけます。特に、この日だけの特別企画として、「庭園茶室ツアー」と「お茶会」のコラボレーション、展示室での手話通訳にも初挑戦する「本館ハイライトツアー」や、いつものコースに加えて「本館じっくりコース」「茶室と法隆寺宝物館コース」などの「たてもの散歩ツアー」(手話通訳付きコースあり)なども用意しています。
(一部、有料・整理券が必要なものがあります)


わかりやすいガイドで、展示作品に近づこう


たてものや樹木、庭園茶室、たんけんマップなど、さまざまなツアーがあります

また、平成24年度生涯学習ボランティアの募集を開始します。ボランティアデーには、ボランティア募集説明会も開きますので、応募を考えていらっしゃる方は、ぜひご参加ください。
ボランティアデー当日の詳細は、ホームページ、チラシ、博物館ニュース12・1月号をご覧下さい。

カテゴリ:news催し物

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posted by 鈴木みどり(ボランティア室長) at 2011年11月26日 (土)