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1089ブログ

展覧会で見る、日本スポーツの歴史と文化

特別企画「スポーツ NIPPON」では、日本スポーツの歴史と文化について、秩父宮記念スポーツ博物館と当館の所蔵品により紹介しています。



最初に本題から少し外れますが、これまでに日本国内の博物館・美術館で開催された、日本スポーツを取り上げた代表的な展覧会をご紹介します。

まず挙げられるのが、1964年東京大会にあわせて、日本体育学会と毎日新聞社が主催して東京池袋西武百貨店で開催された「日本スポーツ史」展です。
この展覧会では、日本スポーツを原始スポーツ、貴族的スポーツ、武家的スポーツ、庶民的スポーツ、近代スポーツに部門分けし、さらに正倉院御物(しょうそういんぎょぶつ)・鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)、狩猟、相撲(すもう)、登山等の四部門を別個に設けました。
総数225件もの考古資料、文献史料、美術工芸品などによって日本スポーツの歴史を総合的に紹介しています。
これほどの規模で日本スポーツに関する展覧会が開催されたのは初めてのことであり、当時の関係者たちの意気込みが伝わります。

次にご紹介するのは、1994年に徳川美術館で開催された「美術に見る日本のスポーツ」展です。
武士の武芸や貴族の宮廷行事、庶民の遊戯の中から弓術(きゅうじゅつ)・相撲・剣術・蹴鞠(けまり)・打毬(だきゅう)などを日本の伝統的スポーツと位置づけ、これらを題材にした国宝・重要文化財を含む86件の美術工芸品が展示されました。
伝統的スポーツが日本美術における画題や意匠のひとつになっており、日本文化を理解する上でも重要なものであることを示した点が高く評価されています。

最近では、2019年に江戸東京博物館にて特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」が開催されました。
日本の伝統的スポーツが江戸時代には競技や娯楽としての性格を強めつつ、庶民層まで浸透していたことを起点として、明治時代以降の西洋スポーツの普及と伝統的スポーツの近代化、日本選手のオリンピックへの挑戦と活躍、戦時下でのスポーツ事情、そして1964年東京大会の誘致から開催までの流れを、196件の展示資料によって様々な切り口で紹介した優れた内容となっています。

本展は、展示作品数50件と、規模的には上記の展覧会ほど大きなものではありませんが、秩父宮記念スポーツ博物館と当館が協力することにより、日本スポーツの歩みを原始・古代から近現代まで通観し、その魅力をわかりやすく紹介することを目指しました。

さて、本題に戻りまして、本展の第1章「美術工芸にみる日本スポーツの源流」より、私のおすすめ作品をご紹介します。

日本の伝統的スポーツのうち、剣道や居合道は、武士の武芸として重視された剣術にそのルーツがあります。
日本の剣術は、日本独自の刀剣である日本刀が誕生した平安時代後期(11世紀)頃から、刀剣を自在に操るために発達したと考えられます。
大規模な戦乱が全国に広がった室町時代後期(戦国時代)には、より実戦的な剣技を体系化した剣術流派や、宮本武蔵(みやもとむさし)に代表されるような剣豪が登場し、その理念や奥義を図解した秘伝書がまとめられるようになりました。

「愛洲陰流伝書(あいすかげりゅうでんしょ)」はそのひとつです。
愛洲陰流は、室町時代に伊勢国(三重県)の愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)が編み出した剣術流派で、陰流(影流)ともいい、新道流(しんとうりゅう)・念流(ねんりゅう)とともに兵法三大源流のひとつとされます。
本作品では、「猿飛(えんぴ)」、「猿廻(えんかい)」、「山陰(やまかげ)」、「月陰(つきがげ)」、「浮舩(うきふね)」など、様々な剣技が図示されています。


愛洲陰流伝書(部分) 室町時代・16世紀写 東京国立博物館蔵


右から「山陰」、「月陰」、「浮舩」が描かれています。

天下泰平となった江戸時代においても、刀剣は武士の象徴であり、心身の鍛錬としての性格を強めつつ、様々な剣術流派が派生しました。
「北斎漫画(ほくさいまんが)」は、江戸時代を代表する浮世絵師の一人、葛飾北斎(かつしかほくさい)による絵手本(スケッチ画帳)で、人物、動植物、風景、器物、建物、妖怪など様々なものが取り上げられています。
今回は、剣術や槍術などの武芸が描かれた場面を展示しており、江戸時代の剣術稽古の様子や道具がよく分かります。


北斎漫画 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵

また、江戸時代には実際に刀剣を使う機会が少なくなったことから、試し切りによって刀剣の切れ味を評価することも行われました。
「刀 長曽祢虎徹(かたな ながそねこてつ)」は、優れた切れ味で名高い長曽祢虎徹が製作したもので、よく鍛えられた刀身に冴えた刃文(はもん)が光ります。
茎(なかご)には「四胴(よつどう)」の金象嵌銘(きんぞうがんめい)があり、試し切りの名手であった山野加右衛門(やまのかえもん)が、この刀で罪人の遺体4体を重ね切りしたことが記されています。


刀 長曽祢虎徹 長曽祢虎徹作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵


「四胴」の文字が金象嵌銘で記されています。

このように、本展の前半は、日本の伝統的スポーツについて当館所蔵品を通して紹介しています。
また、江戸時代の浮世絵に描かれた様々な画題の中から、心身を鍛え、ルールのもとで互いの技を競い合うという、現代のスポーツやオリンピック精神にも通じるような内容のものを選んで展示しています。
これらについては、次回以降の1089ブログでご紹介しますのでお楽しみに。
 

東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

カテゴリ:特別企画

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posted by 佐藤寛介(登録室・貸与特別観覧室長) at 2021年07月21日 (水)

 

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画「イスラーム王朝とムスリムの世界」の絵画を通してみたイスラーム世界の生活と文化

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画「イスラーム王朝とムスリムの世界」では、セクションごとに大画面の油彩画などを展示しています。
これらの絵の多くは、ヨーロッパの画家がイスラーム世界を訪れ、その文化に魅かれて描いたものです。したがって、ヨーロッパ人の目を通してみた当時のイスラームの文化だといえます。
しかし、当時のイスラームの文化を理解する上で有効な資料であることに違いありません。

イスラーム展 展示風景

今回は、額絵3点をもとに、イスラーム世界のさまざまな文化を読み解いていきたいと思います。

1枚目は「羊毛を紡ぐ人」です。
オーストリアの画家ルドルフ・エルンストは、二人の女性がテラスで羊毛を紡いでいる様子を描きました。
画面に向かって左下には、象嵌(ぞうがん)の小箱が置かれています。
この絵が掛けられたケースには、螺鈿箱も展示されています。この螺鈿箱は、絵に描かれた象嵌の小箱のように、女性たちが宝石などの大事なものをしまうために使っていたのでしょう。
また、この絵には3本の柱が描かれています。柱の上には、柱頭が置かれています。柱頭とは柱の上に梁(はり)をのせる大切な建築部位です。
セクション「はじめに:イスラーム王朝とムスリムの世界」で展示されている柱頭は、この絵に描かれているように、建物の柱の上に置かれ、梁を載せながら、また柱を飾っていたことがわかります。
そして絵の中央と右側に描かれた入口に立つ柱の前には、アルハンブラのツボが置かれています。
セクション「スペインと北アフリカ」のケース内に展示された1対のアルハンブラの壺は、この絵のように、入口の左右に置かれてていたであろうことがわかります。

「羊毛を紡ぐ人」解説画像

「羊毛を紡ぐ人」解説画像

2枚目は「祈り」です。
オーストリアの画家ルートヴィヒ・ドイッチュは、モスク内で男性が祈りを捧げる様子を描きました。
画面では男性が立つ絨毯(じゅうたん)の上に、クルアーン台が置かれています。またモスクの壁に近くには真鍮燭台(しんちゅうしょくだい)が置かれています。
セクション「モスクの芸術」で展示されていたメダイヨン文敷物やクルアーン台、そしてセクション「マムルーク朝」で展示されている真鍮燭台が、モスクの中ではこの絵にみられるような使われ方をしていたことがわかります。

「祈り」解説画像

「祈り」解説画像

3枚目は「モスク入口の貧者」です。
ポーランド出身の画家スタニスワフ・フレボフスキが、モスクの入口で貧者が物乞いをする様子を描いたものです。
モスクの大きな入口の左右両側には鉄格子の小窓が取り付けられていたようです。アーチ形のタイルが小窓の上を飾っています。
同じケースで展示されているミフラーブ・パネルも、おそらくはこの絵のようにモスクの壁面を飾っていたであろうと考えられます。
また画面の貧者は両手で鉢を持っています。その貧者の左側には修道僧の鉢を置いています。
同じケースに展示されている文字文鉢は本来、飲料水の容器であり、修道僧の鉢は托鉢用でした。
イスラーム教の修道僧の中には神と一体となるために、人から施しを受ける貧困生活に身を投じながら、ひたすら修行に励む者もいました。これらの鉢はこうした俗念からの心の開放を暗示しています。

「モスク入口の貧者」画像解説

「モスク入口の貧者」画像解説

以上、3点の絵画を通して、展示されているさまざまな作品が本来、どのように使われてきたのかを読み解いてみました。
いずれの作品もイスラーム世界の生活や文化、イスラーム教の信仰などを知る手掛かりになります。
大画面の絵画から、会場内に展示されているさまざまな作品を探し当ててください。

 

カテゴリ:特別企画

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posted by 勝木言一郎(上席研究員) at 2021年07月20日 (火)

 

聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子と法隆寺」開幕したほ!



ほほーい! ぼくトーハクくん、7月13日(火)から開幕した聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子と法隆寺」を見にいくほ!
事前予約はしたかな。日時指定券の予約が必要だから、忘れずにね.。
ばっちり予約したほ。ところで、聖徳太子といえば、みんなも冠位十二階、憲法十七条、遣隋使などの言葉と一緒に一度は聞いたことがある人は多いと思うほ。
そうだね。聖徳太子は政治制度を整えて、仏教を深く研究して、日本の文化を大きく飛躍させたのよ。
そして、その聖徳太子が創建したのが法隆寺だほ。
世界最古の木造建築があって、建築・美術・文学などあらゆる分野において、日本を代表する文化財を守り伝えてきたわ。
看板とかに書いてある言葉「和を以て貴しとなす」、これも聞いたことあるほ。
憲法十七条の1つ目の言葉だわ。仏教の教えよりも先にこの言葉がくることからも、聖徳太子の人柄が想像できるような気がするわ。

さっそく会場に行くほ。これは聖徳太子だほ?


重要文化財 如意輪観音菩薩半跏像(にょいりんかんのんぼさつはんかぞう) 平安時代・11~12世紀 奈良・法隆寺蔵

聖徳太子が創建した大阪の四天王寺のご本尊を模刻した作品よ。もともとのご本尊は今はないけど、平安時代以降、聖徳太子を観音の化身とする信仰があって、その模刻像が多数つくられたのよ。
これも聖徳太子のイメージの一つってことほか。だから最初にあるのかもほ。

トーハクくん、これはわかるかな。


聖徳太子二王子像(模本)(しょうとくたいしにおうじぞう もほん) 狩野<晴川院>養信筆 江戸時代・天保13年(1842) 東京国立博物館蔵

見覚えあるほ!聖徳太子と聞くと、これをイメージするほ。
御物「聖徳太子二王子像」の模本なのよ。幕末の幕府御用絵師、狩野<晴川院>養信が模写したわ。昔のお札でもこのイメージが使用されていて、長い間みんなに親しまれてきたのよ。

これはなんだほ。どこにも聖徳太子がいないほ。


夾紵棺断片(きょうちょかんだんぺん) 飛鳥時代・7世紀 大阪・安福寺蔵

これは聖徳太子の棺(ひつぎ)かもしれない作品よ。
なんでだほ?
ポイントは横幅らしいわ。この横幅は夾紵棺としては最大の大きさで、大阪の叡福寺(えいふくじ)の北古墳にある、聖徳太子の石製の棺台が唯一設置することが可能な大きさと指摘されているのよ。
ところで、夾紵棺ってなんだほ?
織物を漆で固めて作った棺のことよ。この夾紵棺断片は45層もの絹が貼り重ねられているらしいわ。

これはいつもは法隆寺宝物館で展示している国宝の「灌頂幡」だほ。


国宝 灌頂幡(かんじょうばん) 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館蔵

ほかにも普段は法隆寺宝物館に展示されている作品がこの展覧会で展示されているわ。特別展会場に展示されていると、普段とは違った見方ができるかもしれないわ。
見終わったら、法隆寺宝物館の展示室に行くのもおすすめだほ。『8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」2021』を実施しているほ!あっ大きい布があるほ。


国宝 天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう) 飛鳥時代・推古天皇30年(622)頃 奈良・中宮寺蔵 8月9日(月・休)まで展示

聖徳太子が亡くなった後に行くことになった国と伝えられる「天寿国」の様子が緻密な刺繍で表されているわ。聖徳太子周辺の信仰が絵画的表現として反映されている貴重な作品よ。

あっ、かわいらしいお像があるほ。


聖徳太子立像(二歳像)(しょうとくたいしりゅうぞう にさいぞう) 鎌倉時代・徳治2年(1307) 奈良・法隆寺蔵

聖徳太子が数えで二歳の時に、「南無仏」(なむぶつ)と唱えた伝説上の姿を表しているわ。
2歳には見えない、キリっとした眉毛と鋭い目だほ。これも聖徳太子だほ?


聖徳太子像(孝養像)(しょうとくたいしぞう きょうようぞう) 室町時代・弘治2年(1556) 奈良・法隆寺蔵 8月9日(月・休)まで展示

聖徳太子が16歳の時に、お父さんの用明天皇が病気になった時、治るようお祈りしていたというお話にもとづく肖像画よ。
ユリノキちゃん、こっち、こっち、とても立派なお像があるほ。


国宝 聖徳太子および侍者像(しょうとくたいし じしゃぞう) 平安時代・保安2年(1121) 奈良・法隆寺蔵

これは真ん中にあるのは聖徳太子のお像で、周りには聖徳太子の子どもの山背大兄王(やましろのおおえのあに)や聖徳太子の仏教の先生の恵慈法師(えじほうし)などがいるわ。聖徳太子はきりっとした表情だけど、周りの人はどこかユーモアのある表情に見えるわね。
いろんな年齢の聖徳太子が見れたほ。ほかの人は、例えば肖像画だとおじいちゃんの時のみとかで、いろんな年齢の姿をあらわした作品は少ないと思うけど、どうしてだほ?
うーん、想像だけど、様々な年での伝説や実績が語り継がれてきたからじゃないかしら。そういった様々な伝説や実績が、作品としての表現につながったのかもね。
ほー。さすが、日本の歴史上での有名人物だほ。お、塔の上に水晶がのっているほ。なんだほ?


南無仏舎利(なむぶつしゃり) [舎利塔]南北朝時代・貞和3~4年(1347~48) [舎利据箱]鎌倉時代・13世紀 奈良・法隆寺蔵

聖徳太子立像(二歳像)の作品で、聖徳太子が二歳の時に「南無仏」と唱えた伝説があるって話したけど、続きがあって、その時に聖徳太子の手からこぼれ落ちたのが、お釈迦様の遺骨と伝えられていて、それが納められているのよ。

すごい伝説だほ! あっ、こっちには大きな鈴みたいなものがあるほ。


重要文化財 五大明王鈴(ごだいみょうおうれい) 中国 唐・8~9世紀 東京国立博物館蔵

聖徳太子ゆかりの7種の宝物のひとつで、密教の法具らしいわ。8月11日(水)からの後期展示ではこの7種の宝物すべてをみることができるのよ。

楽しみだほ。こっちにはおみこしみたいなものがあるほ。


舎利御輿(しゃりみこし) 室町時代・15~16世紀 奈良・法隆寺蔵

聖徳太子がお亡くなりになった日、旧暦の2月22日には法隆寺で聖霊会(しょうりょうえ)という儀式をするんだけど、このおみこしは十年に一度とかの大きな儀式で使用されるものよ。
周りにあるお面は何か関係あるほ?仮装大会でもするほか?
このおみこしをかつぐ人たちがレプリカのお面をつけるわ。儀式の様子をイメージして展示したのよ。

ポスターとかで見たことあるお像だほ。


国宝 薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう) 飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺蔵

めったに法隆寺の外に出ることがない、今回大注目の作品よ。優しく微笑んでいるような表情、台座にまで垂れている衣、光背の唐草模様、見どころ満載だね。

これもすごいほ、お像が中から飛び出ているみたいだほ。


国宝 伝橘夫人念持仏厨子(でんたちばなぶにんねんじぶつずし) 飛鳥時代・7~8世紀 奈良・法隆寺蔵

もともとは厨子の中にある阿弥陀三尊像を別々に展示しているのね。このお像は、とても薄い銅で作られているみたいで、その技術が生み出す曲線の美しさに要注目ね。

ふー、たくさん見たほ。あらためて聖徳太子って凄い人だなって思ったほ。そして、その聖徳太子ゆかりの宝物を守り伝えてきた法隆寺も凄いお寺なんだと思ったほ。
聖徳太子に思いを寄せることで、今の世界、未来の世界を生きるヒントが見つかるかもしれないわ。


※会期は9月5日(日)まで、会期中展示替えがあります。
※入館は事前予約制。詳細は展覧会公式サイトにてご確認ください

カテゴリ:トーハクくん&ユリノキちゃん2021年度の特別展

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posted by トーハクくん&ユリノキちゃん at 2021年07月19日 (月)

 

特別企画「スポーツ NIPPON」が開幕しました!

 7月13日(火)より平成館1階の企画展示室にて、東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」が開幕しました。

躍動感あふれるタイトルロゴがお出迎えします。
 
日本におけるスポーツの歴史と文化を紹介する本展は、2章構成となっています。
 
第1章「美術工芸にみる日本スポーツの源流」では当館が所蔵する絵画や工芸などの美術作品を通して、日本スポーツの源流をご紹介します。
 
日本のスポーツの歴史は古く、原始・古代までさかのぼります。
そのルーツは、貴族の宮廷行事、武士の武芸、庶民の遊戯、そして神事や芸能など多種多様です。
相撲・流鏑馬(やぶさめ)・蹴鞠(けまり)といった伝統文化や、剣道・弓道などの武道として、現代まで受け継がれています。
 
重要文化財 男衾三郎絵巻(おぶすまさぶろうえまき)(部分) 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵 展示期間:7月13日(火)~8月15日(日)
 
男衾三郎絵巻は、都の生活にあこがれる兄の吉見二郎と武芸に励む弟の男衾三郎という関東に住む武士の兄弟が登場する絵巻です。
今回展示しているのは、笠懸(かさがけ)の場面です。
笠懸は走る馬の上から的に鏑矢(かぶらや)を射る騎射技術で、流鏑馬よりも実践的な性格が強いものとされます。
馬と弓を巧みに操りながら的を射る姿が生き生きと描かれています。
 
絵巻の中で武士が使っている、重籐弓(しげとうのゆみ)や鏑矢、鞍の実物も展示しています。
 
向かって左:重籐弓 江戸時代・19世紀 世良田基氏寄贈、中央:鏑矢 江戸時代・19世紀、右:重要文化財 獅子螺鈿鞍 平安~鎌倉時代・12~13世紀 嘉納治五郎氏寄贈 すべて東京国立博物館蔵
 
当時の武芸の様子と、そうした場で使用されていた武具を合わせて見ることができるのも、本展のみどころのひとつです。
 
平安時代に貴族の間で盛んにおこなわれた蹴鞠ですが、使用する鞠や装束を、蹴鞠の様子を描いた絵巻と合わせてご覧いただくことができます。
 
 
なよ竹物語絵巻(模本)(部分) 江戸時代・19世紀 狩野晴川院養信模(原本:鎌倉時代・14世紀) 東京国立博物館蔵 展示期間:7月13日(火)~8月15日(日)
 
上:鞠装束 紅遠菱文(まりしょうぞく べにとおびしもん) 江戸時代・19世紀、左下:蹴鞠 江戸時代・19世紀、右下:鞠靴(まりぐつ) 江戸時代・19世紀 関保之助氏寄贈 すべて東京国立博物館蔵 
 
このほか、江戸時代の浮世絵作品の展示を通して、前近代における日本のスポーツ文化をたどるコーナーもあります。
 
※会期中展示替えがあります。
 
第2章「近現代の日本スポーツとオリンピック」では、近代から現在に至るまでの日本スポーツの歩みを秩父宮記念スポーツ博物館の所蔵資料を中心にご紹介します。
 
明治以降、「スポーツ」という概念が海外よりもたらされます。
とくに、オリンピックは日本にスポーツを普及・啓発する上で重要な役割を果たしました。

1912年のストックホルム大会で、日本は初めてオリンピックに参加しました。
この時出場した、三島弥彦(みしまやひこ)選手と金栗四三(かなくりしそう)選手にゆかりのある資料を展示しています。
日本における初期のスポーツ用具や用品をご覧いただけます。
 
三島弥彦 陸上ユニフォーム、シューズ 明治45年(1912) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 
 
マラソン足袋 明治~大正時代・20世紀 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 
 
1964年にアジアで初めてとなる東京オリンピックが開催されましたが、当時のユニフォームや聖火トーチ、ポスターなど貴重な資料が一同に会します。
 
1964年東京大会の日本選手団デレゲーションユニフォームや聖火リレーのランナー用シャツ、パンツ、聖火トーチが並びます。
 

亀倉雄策氏がデザインした1964年東京大会公式ポスターです。

こちらの振袖は1964年東京大会の表彰式で女性補助要員が着用したものです。
五輪マークの刺繍をあしらう斬新な意匠と、伝統的な和装の優美さが世界の注目を集めました。

 
1964年東京大会 メダル授与式着用振袖(松坂屋) 昭和39年(1964) 秩父宮記念スポーツ博物館蔵 
 
オリンピックを代表するものといえばメダルですが、日本で行われたオリンピックのメダルや、日本人選手が獲得したメダルを展示しています。
開催地や時代によって、様々なデザインのメダルがつくられました。
 
一番右の1998年長野冬季大会のメダルは、素材に木曽漆を使用、中心部には蒔絵が使われ、七宝焼きの大会エンブレムがあしらわれています。

平成館にて同時期に開催中の、特別展「聖徳太子と法隆寺」(別途事前予約および観覧料が必要)と合わせてお楽しみください。
 
 
東京2020オリンピック・パラリンピック開催記念 特別企画「スポーツ NIPPON」

平成館 企画展示室
2021年7月13日(火)~2021年9月20日(月)

展覧会詳細情報

 

カテゴリ:特別企画

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posted by 長谷川悠(広報室) at 2021年07月16日 (金)

 

「聖林寺十一面観音」、搬出の舞台裏

6月22日(火)より開幕した、特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」
本ブログでは、タイトルにある国宝 十一面観音菩薩立像を聖林寺のお堂から搬出した時のことをご紹介します。

 
国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

奈良県桜井市の小高い場所に位置する聖林寺の国宝 十一面観音菩薩立像は、明治元年(1868)に同市の大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にあった寺から移されました。
高さ209.1センチ、台座の高さと合わせると約3メートルにもなります。
搬出のポイントは、この像の「材質」と「構造」です。詳しくみていきましょう。


お堂のなかの様子

まずは、像のまわりに鉄骨の足場を組み上げます。
お堂の中にはガラス戸がありますが取り外せないため、限られた空間のなかで作業をしました。
像にとても近い場所での作業は、より一層の緊張感がありました。


梱包された像
頭や手、全身を薄い和紙や柔らかい布で丁寧に梱包し、ベルトや木の板を使って像を木枠に固定します。

ここが1つ目のポイント、「材質」です。
この像は、木でおおよその形をつくり、表面にペースト状の練り物を盛り上げて成形する、木心乾漆造(もくしんかんしつづく)りという技法でつくられています。
一般的な木造の像であれば、像に直接触れて数人で持ち上げることもできますが、木心乾漆造りの場合は表面が練り物なので、人の手では不均等に圧がかかって表面の脱落につながるリスクがあります。
そこで、表面を綿布団(わたぶとん)で保護した上、面積の広いベルトで木枠に固定することで、圧力を分散させてリスクを取り除きます。

そしていよいよ持ち上げ作業開始。周囲の足場に設置したクレーンで木枠ごと持ち上げ、像を台座から離していきます。
真上に少しずつ、少しずつ持ち上げていきます。
すると、、、、


像と台座が離れた瞬間
2本の木の棒が出てきました!
これは像の足裏から突き出た足枘(あしほぞ)というもので、立った形式の像を台座に固定させるための支柱の役割を果たします。


国宝 十一面観音菩薩立像の台座

ここが2つ目のポイント、「構造」です。
この像の足枘の長さはおよそ60センチもあり、他の像と比べて非常に長く、しかもそれに対して像の頭から天井までの高さがあまりありません。
そのため台座の各部位のうち、蓮肉(れんにく)と葺軸(ふきじく)という部位を像と一緒に持ち上げました。
それにより、本来は約60センチ持ち上げなければならないところを25センチほどで済みました。
加えて、足枘を敷茄子(しきなす)という部位から抜き切ったところで止め、敷茄子から下の台座を手前に引き出すことで、像を持ち上げる高さを最小限にしました。



像の足元側の木枠にロープをくくり付けて持ち上げていきます。
同時に、像を持ち上げた頭側のクレーンのロープを下げていき、立っている像をだんだんと寝かせていきます。
足元側を上げる作業と頭側を下げる作業。この2つを同時に、息を合わせて慎重に行ないます。


横になった像
そしてやっと像が寝ている状態になりました。次はいよいよお堂から像を運び出します。



お堂から寺のなかを通って山門(寺の入り口)までは急な階段を通らねばなりません。
そこで今回は木の生えていたところを整備してお堂から直接外へと搬出するようにしました。
小高い場所に立つ聖林寺のお堂から下の平地までは、ずっと坂道が続きます。
まず、車が入れる場所までは人の手で運びます。周りや足元に注意しながら慎重に運んでいきます。




この像を東京まで運ぶ車は大型で寺までは上がって来れないため、途中で一旦、屋根のないより小さい車へ移し替えました。
ゆっくりゆっくりと下っていきます。




そして無事に平地に到着。東京へと運ぶ美術品専用車へ移し替えました。


本堂からの景色

ところで、もし雨が降っていたらこの日に像の搬出を行なうことができませんでした。
数日前の天気予報ではこの日は雨予報だったので、私たちも気が気でありませんでしたが、しかし当日は驚くほど気持ちのいい青空が広がりました。

冒頭に記しましたように、この像は明治元年(1868)に大神神社の境内にあった寺から移されました。しかし当時は車もなく、道もアスファルトで整備されていません。当時の人々がこの像をどれほど大切に運んだか、その情景にあらためて思いを馳せました。

搬出の舞台裏、いかがでしたでしょうか。
奈良の地を初めて離れた「聖林寺十一面観音」。東京で公開されるまたとないこの機会をぜひお見逃しなく!

カテゴリ:2021年度の特別展

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posted by 増田政史(絵画・彫刻室) at 2021年07月09日 (金)