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特集「ひらがなの美-高野切-」

現在、本館特別1室で、特集「ひらがなの美-高野切-」を開催中です(7月1日(日)まで)。「高野切(こうやぎれ)」は、『古今和歌集』の現存する最古の写本です。豊臣秀吉(1537~98)がその一部を高野山に下賜したため、「高野切」と呼ばれるようになりました。日本の書の歴史にとって基本の作品であり、その完成された仮名の美しさは、現代のわれわれが使う「ひらがな」の形のもとであると考えられています。


重要文化財 古今和歌集巻十九断簡(高野切)
重要文化財 古今和歌集巻十九断簡(高野切) 伝紀貫之筆 平安時代・11世紀 森田竹華氏寄贈

筆者は、紀貫之(872~945)と伝称されてきましたが、実際は平安時代・11世紀の作で、三人の筆者によって寄合書(よりあいがき、分担して書くこと)されています。その三人を、第一種、第二種、第三種と呼び分けます。


第一種~第三種のひらがな
左の列:第一種、真ん中の列:第二種、右の列:第三種のひらがな

このように並べてみると、三人の書が違うのがわかります。「の」の字は少しずつ形が違っているものの、どれも「ひらがな」の手本となるような美しい形です。また、線質をみると、第一種と第三種はすっきりとした筆線ですが、第二種はかすれる部分も見られて力の入れ方が統一ではありません。今回の特集では、「高野切」の三人の筆跡をより近くで見ていただけるようなケースに展示しました。三人の仮名を見比べてみてください。


重要美術品 大字和漢朗詠集切
重要美術品 大字和漢朗詠集切 伝藤原行成筆 平安時代・11世紀 森田竹華氏寄贈

この画像は、第一種の筆者による、別の作品です。薄茶色の染紙に、金銀や雲母の砂子を散らした装飾料紙を使っています。『和漢朗詠集』を書写していて、右から漢詩、左の三行の仮名は和歌です。仮名部分は、「高野切」とは趣を変えているようにみえます。「高野切」の三人の筆者は、それぞれ能書(のうしょ、書の巧みな人)として活躍していたようで、別の作品もいろいろと現代に伝わっています。


興風集断簡(名家家集切)
興風集断簡(名家家集切) 伝紀貫之筆 平安時代・11世紀 森田竹華氏寄贈

この作品は、「高野切」第二種とよく似ています。第二種の書をよく学んだ別の人物によるものと思われます。第二種の書と形は似ていますが、筆線が細いのが特徴的です。繊細な仮名と、浮遊する飛雲の模様が調和しています。

「高野切」やその三人の筆者の書は、それぞれ名筆として、後奈良天皇や後西天皇をはじめとする歴史上の人々が愛好し大切にしたため現代まで伝わってきたものです。今回の特集では、「高野切」と、その三人の筆者の別の作品、さらに、三人の書に類似する作品をご紹介しています。「高野切」の時代の「ひらがな」の美しさを、ぜひご堪能ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡特集・特別公開

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posted by 恵美千鶴子(東京国立博物館百五十年史編纂室長) at 2018年05月22日 (火)

 

空海の「三十帖冊子」、全30帖公開中です

今週から特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」が始まっていますが、もうご覧になっていただけたでしょうか。実は、仁和寺に伝わるあの国宝、空海の「三十帖冊子」を、展覧会史上初めて、全30帖を一挙公開しています(~1月28日(日)まで)。


三十帖冊子 展示風景

「三十帖冊子」とは、弘法大師空海(774~835)が、遣唐使として中国(唐)に渡った際(804~806年)に、現地で経典などを写して持ち帰ってきたものです。携帯できる小型の冊子本で、空海は生涯手元に置いていたと考えられています。

 
三十帖冊子 中国の写経生の書写部分

空海は、唐において、真言八祖の一人である恵果(746~806)に学び、多くの経典を書写させてもらいました。20人余りの唐の写経生にも写してもらったという記録があり、「三十帖冊子」には、空海以外の書がたくさん含まれています。その写経生の書の多くは、とても小さな楷書で、丁寧に写されているように見受けられます。


三十帖冊子 空海直筆部分

そして空海も、「食寝を忘れて」書写したそうです。小さめに書いてはいますが、写経生よりも大きな文字になっています。行書で書写している部分も多いため、中国の写経生の文字と比較すると、印象ががらりと変わります。それにしても、空海の「聾瞽指帰」(国宝、金剛峯寺所蔵)や「風信帖」(国宝、東寺所蔵)と比べると、「三十帖冊子」の文字は1センチになるかならないか程の、小さい文字です。

 
展覧会オリジナルグッズ 空海の四十八文字御手本カードセット 4,536円

そんな小さな文字ですが、このように大きく拡大してみると、やはり空海!。一文字一文字に雰囲気があり、筆の穂先を自在に使いこなしているのが見て取れます。今回、「三十帖冊子」の中から、48文字を抜き出して拡大し、空海の書の手本帖がミュージアムグッズになりました。「三十帖冊子」には、空海の書の魅力が満載です!

「仁和寺と御室派のみほとけ」展の図録に、「三十帖冊子」の歴史を書かせていただきました。空海が生涯大切にした「三十帖冊子」が、紆余曲折を経て仁和寺に伝わり、仁和寺は応仁の乱で焼けましたが、そんな中でも護り続けられてきたものです。そして、6か年かけた修理が平成26年度に終了したため「三十帖冊子」全30帖をそろって観ることがかないました。

空海の息遣いが感じられる「三十帖冊子」、全帖すべてが見られるのは1月28日(日)まで。ぜひ全30帖をご覧になってください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡2017年度の特別展

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posted by 恵美千鶴子(東京国立博物館百五十年史編纂室長) at 2018年01月19日 (金)

 

近衞信尹と三藐院流の書

近衞信尹(このえのぶただ、1565~1614)は、近世初期に活躍した能書(のうしょ、書の巧みな人)です。
本阿弥光悦や松花堂昭乗とならんで「三筆」と称されるほどで、その書は三藐院流(さんみゃくいんりゅう)と呼ばれて流行しました。
今回の特集「近衞信尹と三藐院流の書-近世初期の名筆―」(本館特別1室、8月29日(火)~ 10月9日(月・祝))では、信尹と三藐院流の書をご紹介します。


三十六歌仙帖
三十六歌仙帖 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀

恵美の写し
筆者の写し

いきなりですが、近衛信尹筆の「三十六歌仙帖」と、それを私が鉛筆で写したものをご覧いただきました。この「三十六歌仙帖」は、三藐院流の書風が如実に表れており、鉛筆で写すと、その特徴がよくわかります。一番右の行の上から3つ目「な」の字を見ると、最終画のくるっとまわる部分が平たく勢いよくまわっています。また、右から2行目の半ば過ぎくらいに「成」の字がありますが、縦画がやはり勢いよく上の文字の横から引かれています。そして、右から3行目冒頭の「や」は、平たいかたちをしており、特徴的なものです。私はいつも「や」の字を探して、三藐院流の特徴がみえるかどうかを検討しています。


源氏物語抄
源氏物語抄 近衛信尹筆 江戸時代・17世紀

近衞信尹筆の「源氏物語抄」ですが、よく見てください。さきほど説明した、「な」や「や」と同じものが見つかりましたか?このような三藐院流の特徴的な書風は、信尹がそれまでの和様の書を学びながら、あらたに生み出したものです。さきほどから「勢いがある」と説明してきましたが、信尹の書は、勢いがあり、豪胆で、自由奔放なイメージがあります。それは、近衞家という公家の名門の当主でありながら、戦国時代の世を生き抜いた近衞信尹の性格を表しているのかもしれません。


和久是晏書状
書状 斎雲宛 和久是安筆 江戸時代・17世紀

これは、和久是安(わくぜあん、1578~1638)という人物の書状です。上段の真ん中あたりにある「め」や、上段の左上にある「つ」をご覧ください。さきほど紹介した信尹の書と似ていると思いませんか?これが、流行した三藐院流の書風です。
近世初期に活躍した近衞信尹と本阿弥光悦、松花堂昭乗は、それぞれに新しい和様の書を生み出しました。寛永文化の花開く時期だったため、和様の書の世界においても新天地が切り拓かれたのでしょう。その中でもとくに近衞信尹の書は、独特の道を歩んでいました。今回の特集では、その独特の書風を感じていただければと思います。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡特集・特別公開

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posted by 恵美千鶴子(150年史編纂室長) at 2017年08月28日 (月)

 

藤原行成の書

藤原行成(ふじわらのこうぜい、972~1027)は、平安時代の「三跡」の一人とされる能書(のうしょ、書の巧みな人)で、日本風の書である和様の書を大成させた人として、また平安から鎌倉時代に流行する書流・世尊寺流の祖としても尊敬されてきました。日本の書の歴史にとって、とても重要な人物である藤原行成。その書を本館特別1室で特集しています。(特集「藤原行成の書 その流行と伝称」2016年8月23日(火)~10月2日(日))

国宝 白氏詩巻
国宝 白氏詩巻 藤原行成筆 平安時代・寛仁2年(1018)

これは、藤原行成の代表作とも言える「白氏詩巻」。これまでにもご紹介してきましたが、何度見てもいいです!筆を少し傾けた筆法のため丸みを帯びた文字になっており、それなのに堂々として迫力もあり、さらに楷書と行書の使い分けに趣向が凝らされていて、圧巻です。

藤原定信筆 跋語
跋語国宝「白氏詩巻」巻末 画像左半分)藤原定信筆 平安時代・保延6年(1140)

行成の「白氏詩巻」の巻末には、このような跋語(ばつご)が付いています。藤原行成の玄孫である藤原定信(ふじわらのさだのぶ、1088~1154~?)が、この行成の書を物売りの女から購入したことを記しています。手に入れた喜びから書いたのでしょうか?

重要文化財 書状
重要文化財  書状 藤原行成筆 平安時代・寛仁4年(1020) 個人蔵

次は行成の唯一の書状です。書状というのは、とても個人的なもののはずですが、この書状は、墨の濃淡や楷書、行書、草書の配置が絶妙で、芸術品とも言える仕上がりになっています!

重要文化財  添状
重要文化財  添状(藤原行成筆書状附属)尊円親王筆 鎌倉時代・建武元年(1334) 個人蔵

行成の書状にも、このような添状が付いています。行成の書を褒め称える内容です。しかも、この添状を書いたのは、江戸時代に大流行する御家流の祖ともいえる尊円親王(そんえんしんのう、1298~1356)です。尊円親王も行成を尊敬していたのですね。

安宅切
安宅切 伝藤原行成筆 平安時代・12世紀

これは、伝称筆者を藤原行成とする「安宅切」です。今回の特集では、伝藤原行成筆の「升色紙」や「大字和漢朗詠集切」などの古筆切もご紹介します。この「安宅切」の書は、行成の一系である世尊寺流の書風とよく似ているため、行成の書とされたのでしょうか。

安宅切 安宅切
左:安宅切(見返し)冷泉為恭の書き込み(中央)と下絵
右:冷泉為恭の書き込み部分拡大


「安宅切」には、この図版のように冷泉為恭(1823~64)の書き込みがあります。「安宅切」を冷泉為恭が所蔵して、装丁し、その台紙に下絵を描きました。復古大和絵派の絵師として有名な冷泉為恭も、行成の書を大切にしていたといえるでしょう。

さまざまな人が尊敬し、大切に伝えてきた藤原行成の書。行成の直筆の書とともに、行成の書風をよく真似ている作品や、伝藤原行成筆の古筆切をたくさんご紹介いたします。平安時代に一世風靡した行成の書をぜひご覧ください。

関連事業
ギャラリートーク「三跡・藤原行成の尊重」2016年8月30日(火) 14:00 ~ 本館特別1室
 
 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡特集・特別公開

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posted by 恵美千鶴子(150年史編纂室主任研究員) at 2016年08月26日 (金)

 

国宝 和歌体十種の魅力

現在、本館2室(国宝室)で、「和歌体十種」と「和歌体十種断簡」を展示(6/7まで)しています。
その「和歌体十種」の魅力について、先日はギャラリートークをさせていただきました。
ここでも、魅力について紹介させていただきます。



国宝 和歌体十種(部分) 平安時代・11世紀 ※~6/7まで展示

「和歌体十種」は、壬生忠岑(860?~920?)の著作とされる歌学書で、和歌を十体に分類して説明し、例歌を5首ずつあげたものです。序文や十体の説明は漢字で、例歌は仮名で書写され、漢字と仮名の美しい調和が見られます。


筆者はわからないですが、藤原行成(ふじわらのこうぜい、972~1027)の筆跡に通じるものがあります。


(左) 和歌体十種の「種」
(右) 行成の「重」 国宝「白氏詩巻」(平安時代・寛仁2年(1018) )より


この「重」のかたち、よく似ていると思いませんか?
藤原行成は、平安時代中期を代表する能書(のうしょ)・「三跡」(さんせき)の一人。行成の書風は、流行していたと記録されています。本作も、行成の書風をよく学んでいて、平安時代・11世紀の作です。


そして、料紙には、大きな藍と紫の繊維を漉き込んだ飛雲(とびくも)の装飾がほどこされています。大きな飛雲は、「歌仙歌合」(国宝、和泉市久保惣美術館蔵)にも見られますが、ほかにはあまり残っていないため、珍しいものです。小さい飛雲は、当館所蔵の「元暦校本万葉集」(国宝)や「筋切」などにあります。


国宝 元暦校本万葉集 巻第一 平安時代・11世紀 (展示はしておりません)

昭和のはじめころ、安田家でこの「和歌体十種」(巻子本)が発見され、それまでは欠脱部分もあった壬生忠岑の「和歌十体」の全貌が、初めて明らかになりました。

でも、実はそのとき、この巻子本から十体目の「両方体」の辺りが切断されていて、行方不明でした。
その行方不明だった断簡が、約20年前に発見されたのです!発見された断簡は、平成6年(1994)6月に、追加で国宝となりました。それが、今回一緒に展示している「和歌体十種断簡」です。

 
国宝
 和歌体十種断簡 平安時代・11世紀 ※~6/7まで展示

巻子本よりも、料紙が濃い色になっていて、汚れているように見えます。掛幅になったこの断簡は、茶の湯の席などで披露されてきたのでしょうか。

それにしても、断簡を発見した人の喜びを想像すると、私もうれしくなってきます。このような発見が、まだまだどこかにあるのかもしれません。


平安時代の優美な書で、内容も文学的に貴重な作品です。
これを発見した人の興奮を考えながら、ぜひ国宝室でゆっくりとご覧ください。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(百五十年史編纂室) at 2015年05月21日 (木)