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8.奉献美術館 表慶館の開館

奉献美術館設計図 片山東熊 明治時代

帝国博物館は明治33年(1900)東京帝室博物館と改称するが、この年5月10日は皇太子殿下(大正天皇)御成婚の日であった。御成婚奉祝のため、渋沢栄一・千家尊福らを中心とした東宮御慶事奉祝会が設立され、この会の目的は東京市中に美術館を建設して献納することであるとして、広く有志を募った。これに賛同した人は全国に及び、その数23,917人、寄付金は408,501円に達した。そして、同年10月27日美術館の位置を上野公園内とし、あわせて設計を宮内省技師片山東熊に依頼することなどを取り決めた。

明治34年8月の着工から7年を要して、明治41年9月29日に竣工、10月10日に奉祝会から献納された。ついで11月30日、この奉献美術館は「表慶館」と命名され東京帝室博物館が管理することとなった。花崗岩を主にしたこの建物は古代ギリシャ・ローマの様式にならった建築で、平面は十字型で2階建鉄骨造、中央に円形ホール、両端に小ドームをもつ階段室を設けている。陳列室は自然採光方式であった。なお、正面入り口の2頭の青銅製ライオンは大熊氏広と沼田一雅の製作である。

開館後はその奉献の趣旨から美術および美術工芸の陳列館として利用され、現在の第1・2室が工芸、第3室が書跡、第4・5・6室が絵画、第7・8室が彫刻の陳列と定められたが、ほどなく、彫刻は別の陳列館に移り、代って絵画の陳列室となっている。

 

 

完成間近の表慶館

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