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特別展「春日大社 千年の至宝」報道発表!

東京国立博物館では、来年1月17日(火)~3月12日(日)、平成館にて特別展「春日大社 千年の至宝」を開催いたします。
7月22日(金)、開催に先立ち、報道発表会を行ないました。


先行チラシ

当日は、当館副館長の松本と、春日大社宮司の花山院弘匡氏の主催者挨拶のあと、本展覧会担当研究員の土屋貴裕より展覧会趣旨の説明がありました。

当館副館長 
松本副館長


花山院宮司


展覧会担当 土屋研究員


春日大社は皆さんご存知のとおり、奈良公園内にある神社です。奈良時代に創建され、全国に約3000ある春日神社の総本山で、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」はユネスコの世界遺産にも登録されています。
春日大社では、「式年造替」と呼ばれる社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行なわれ、今年、平成28年には第60回目を迎えます。ということは単純計算で1200年!すごいことです。
本展は、この大きな節目に、春日大社に伝来し、社外ではめったに拝観することのかなわない貴重な宝物と春日の神々への祈りが込められた選りすぐりの名品をかつてない規模で展観します。

見どころ、まず1つめは「平安の正倉院」と呼ばれる国宝の古神宝。これら平安工芸の最高峰といえる作品を一堂にご覧いただけます!


国宝  金地螺鈿毛抜形太刀 平安時代・12世紀 春日大社蔵

見どころ、2つ目は日本を代表する甲冑、刀剣類。平成28年3月、春日大社所蔵「黒韋威胴丸」の国宝指定が答申されました。これをあわせた「国宝の甲冑4領」が揃い踏みする史上初の機会となります。さらに国宝の刀剣類も展示され、迫力満点です。


国宝 赤糸威大鎧(竹虎雀飾) 鎌倉時代・13世紀 春日大社蔵

そして見どころ3つ目は鹿。春日大社は神様が鹿に乗って奈良の地においでになったという伝説から、古くから鹿を「神鹿(しんろく)」として大切にしてきました。本展でも神々しくも愛らしい神鹿たちが展覧会会場のあちこちに現れます。


鹿図屏風 江戸時代・17世紀 春日大社蔵

まさに、今 “なら” 見られる、行く “しか” ない! という展覧会です。
来年新春は、上野に春日詣へ。特別展「春日大社 千年の至宝」、どうぞお楽しみに!
※会期中展示替があります。

 

カテゴリ:news2016年度の特別展

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posted by 武田卓(広報室) at 2016年07月26日 (火)

 

「古代ギリシャ」海シリーズ(1)

海との関わりが深かった古代ギリシャ。
今回は海を越えて繁栄したミノス文明を物語る1品を紹介しましょう。


文字が刻まれた銅塊
前1500~前1450年頃(後期ミノスIB期)
クレタ島、メサラ、アギア・トリアダの邸宅(7室)出土
イラクリオン考古学博物館


銅塊が出土したアギア・トリアダはクレタ島の南西部に位置する遺跡。
ミノス時代の町と「邸宅」が20世紀初頭に発掘されました。
「邸宅」は、この地域を支配していたフェストスの領主の離宮と目されます。

この銅塊は、剥いだ牛の皮に形が似ていることから、「牛皮形インゴット」とも呼ばれます。
アギア・トリアダで出土した銅塊は合計19枚、うち8枚に文字や記号が刻まれていました。
ミノス文明の文字は未解読のため内容は分かりませんが、貴重な物資を管理するための印であったと想像できます。
銅の一大産出地であったキプロス島から輸入した銅であったと考えられています。

青銅器の原料となる銅や錫の地金は、最も重要な交易品の1つでした。
ミノス人たちはキプロス島などから銅を仕入れ、クレタ島各地に流通させるだけでなく、海外にも輸出していたことが知られています。


レクミラ墓に描かれたミノス人(前15世紀)
(Norman de Garis Davies 1935, Paintings from the Tomb of Rekh-mi-R ē ‘ at Thebes: Pl. III; V.)
※本展では展示しておりません。


レクミラは、エジプトのトトメス3世とアメンヘテプ2世に仕えた高官。
彼の墓には、クレタ島からエジプトに渡ってきたミノス人使節団が描かれています。
ミノス人が携えている品々の中に、牛皮形の銅塊が含まれているのにお気づきでしょうか。
日焼けした海の男が肩に担いでいますね。ちなみに、展示中の銅塊は25.7kgあります。

それから、ミノス人たちが履いているカラフルな靴。
このような靴がメソポタミアの王たちにも好まれていたことが知られています。
北メソポタミア(現在のシリア)の古代都市マリで出土した楔形文字史料には、マリの王が、バビロンのハンムラビ王にクレタ島製の靴を2足贈ったことが記されています(しかも、そのうち1足はサイズが合わなかったのか、返品されました)。
ハンムラビ王は「目には目を、歯に歯を」で有名なハンムラビ法典を残した王です。

ミノス文明の諸都市は、優れた製品を作り、各地に輸出しました。
エジプトや西アジアの遺跡で出土するミノス土器は、それ自体が付加価値のついた製品であるとともに、香油や軟膏といった高級コスメの容器であったようです。
また、ミノスの美術も各地で受容されました。
実は、ミノス様式のフレスコ画は、西アジアやエジプトの王宮址からも出土するのです。
ミノス人の壁画職人が各地の王に招かれ、壁画を描いたと考えられています(本展覧会では、クノッソス宮殿出土のフレスコ画や、テラ島で発掘された同時代のスレスコ画をご覧いただけます)。

このようにクレタ島でミノス文明が花開いた時代は、ギリシャの製品や美術が、初めて広範囲に広まった画期的な時代であったといえます。
ミノス文明の粋を示す選りすぐりの出土品は、展覧会第2章で展示されています!
お見逃しなく!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2016年度の特別展

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posted by 小野塚拓造(東洋室研究員) at 2016年07月15日 (金)

 

特別展「禅―心をかたちに―」記者発表会

この秋、トーハクでは臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」(2016年10月18日(火)~11月27日(日))を開催します。

開幕に先立ち、7月8日(金)に記者発表会を行いました。

本展は、2016年4月12日(火)~5月22日(日)まで、京都国立博物館で開催されました。トーハクの特別展「禅―心をかたちに―」は、東京展限定の作品もあり、新たな魅力が加わっています! 記者発表会では、禅展のみどころを本展担当研究員4人のリレートークで説明しました。

まずは、みどころその1、「戦国大名と禅僧」についてです。

  
(写真左)当館 救仁郷研究員 (写真右)沢彦宗恩と織田信長

戦国武将の影に禅僧あり!
禅僧は武田信玄や織田信長ら、武将のブレーンとして禅の教えを説いたり、時に参謀として戦略の相談に乗ったりしました。本展では、武将と禅僧の肖像画をご覧いただけます。

みどころ2は「禅と茶の湯」です。


当館 三笠研究員

 
(写真左)「織田有楽斎像」(部分) 古澗慈稽賛 狩野山楽筆  江戸時代 元和8年(1622) 京都・正伝永源院蔵 
(写真右)唐物文琳茶入 銘「玉垣文琳」 中国 南宋時代・12~13世紀 埼玉・遠山記念館蔵

東京展では、織田信長の弟、織田有楽が持っていたと伝わる茶道具を展示します。徳川家康の命によって救い出された茶入「玉垣文琳」など、エピソードの尽きない名品の数々が並びます。

みどころ3は「禅寺の障壁画」です。

 
(写真左)当館  山下研究員 (写真右)重要文化財「南禅寺本坊小方丈障壁画のうち 群虎図」(部分)狩野探幽筆 江戸時代 17世紀 京都・南禅寺蔵

禅寺を飾った障壁画や屏風の数々。狩野元信や長谷川等伯、伊藤若冲、池大雅などが描いた各時代の代表作が並ぶ様子は、必見です!

最後に、みどころ4「蘭渓道隆坐像の修理について」。


当館 浅見研究員 

 
(写真左)修理前 (写真右)修理後 重要文化財「蘭渓道隆坐像」(部分) 鎌倉時代 13世紀 神奈川・建長寺蔵  

鎌倉にある建長寺所蔵の「蘭渓道隆坐像」は、2014年から2年かけて、保存修理が行われました。江戸時代に厚く覆われた漆を剥がすことによって、当初の姿に近い、リアルな姿を取り戻すことができました。

 

続いて、報道発表会第二部では、場所を当館庭園の茶室「九条館」に移して、出品作品の青磁輪花茶碗「鎹(かすがい)」(愛知・マスプロ美術館蔵)と当館所蔵の「馬蝗絆(ばこうはん)」を比べて解説しました。

 
(写真左)九条館にて (写真右)奥が「鎹」、手前が「馬蝗絆」(注:「馬蝗絆」は出品されません)

織田有楽が所持していたといわれる「鎹」と、瓜二つな「馬蝗絆」。これらの茶碗は、京都の豪商として知られる角倉家に伝来し、幕末に角倉家が東西に分家した際に分かれたことが、記録に残っています。


記者発表会の様子、いかがだったでしょうか。

臨済宗・黄檗宗両15派の全面的な協力のもと、鎌倉時代から江戸時代にいたる臨済禅の歴史をたどり、禅宗寺院に花開いた禅の美術をご覧いただける本展。 国宝22件、重要文化財102件を含む、禅の名宝が、この秋トーハクに集結します!

今年の秋は、特別展「禅―心をかたちに―」(※会期中、展示替があります)を、どうぞお楽しみに!

 

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2016年07月13日 (水)

 

「ほほえみの御仏」とトーハクの半跏思惟像

開催中の特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」は、日本と韓国、それぞれを代表する仏像を揃ってご覧いただけるという、奇跡的な展覧会です。

展示は半跏思惟像(はんかしゆいぞう)2体のみですが、それぞれに美しく、見応えある2体です。
今回は、この2体の見どころをご紹介します。

その前に。そもそも、「半跏思惟像」ってなに?…と、思われる方も多いと思います。
「半跏」とは、片脚を組んだ座り方のことで、「思惟」は右手を頬につけて考えごとをするポーズを指しており、「半跏思惟」のポーズをとる仏像、という意味です。

仏像であれば、「釈迦如来」や「観音菩薩」のように、仏様の種類で呼ぶのが一般的ですが、半跏思惟像についてはどの仏様なのか、わからないことも多く、このようにポーズを意味する名前で呼んでおります。

展示室にお入りいただくと、奥に見えるのが奈良・中宮寺門跡に伝わる国宝・半跏思惟像。
中宮寺像に対面して、手前に見えるのが韓国国立中央博物館所蔵の韓国国宝78号・半跏思惟像です。


 
(左) 国宝 半跏思惟像
飛鳥時代・7世紀 奈良県 中宮寺門跡蔵
(右) 韓国国宝78号 半跏思惟像
三国時代・6世紀 韓国国立中央博物館蔵
画像提供:韓国国立中央博物館


それぞれ、ポーズは同じ「半跏思惟」ですが、大きさや材質、表現など様々な点で異なります。

中宮寺像は、今は表面が黒く見えていますが、これは下地の漆があらわになっているためです。
左足の裏に残る彩色からは、体を肌色であらわしていることが知られ、衣にも僅かに赤や緑といった彩色が残るため、もとは鮮やかな姿であったことがわかります。
さらに、各所に釘穴があることから考えると、宝冠や胸飾、腹当、腕輪などを身につけていたようです。


西川杏太郎氏作図

衣のひだには、左右対称の「品」字形の折り畳みもみられますが、彫り口はやわらかく、控えめながらふっくらとした肉づきからも、穏やかでやさしい印象が伝わってくるような表現がなされています。

 

霊木としても信仰されていたクスノキの木から彫られていますが、飛鳥時代であれば一本の木から彫り出すことが多いところ、この像は複数の部材をあわせて造られているのが特色です。
たとえば、頬に指を添える右腕には小材が挟まれており、角度の微調整がおこなわれたことがうかがえるように、作者が木材の扱いに熟達していたことはまちがいありません。

これに対して、韓国国宝78号像は、中宮寺像に比べると小さく感じられますが、金銅仏(銅像に金メッキを施してつくられた仏像)のなかでは、かなり大きいものです。
しかも、銅の厚みは平均して5ミリ程度で、均一の厚みを維持しているところが驚かれます。
頭部と体部、そして左足先と三分割して原型を造ることで可能になったとされますが、このように美しくあわせるのは至難であったと思われます。

また、顔に浮かべた笑みは明瞭で、体つきは滑らかで、ボリュームをあえて抑えているようです。それに対して、両肩にかかる天衣や台座の衣などにみられる、整然としたひだの表現によって、人体を離れた、超越者としての仏をよく表しているといえるでしょう。

 
画像提供:韓国国立中央博物館

このように、それぞれ表現や技法は異なるものの、持てる技術と表現力を最大限に工夫することによって、心のよりどころであった信仰の対象を形にできたことがわかります。

初めに半跏思惟像は名前がはっきりとはわからないと書きました。
こうした憂いを帯びたポーズ、もともとインドでは出家前の釈迦にみられる仕草で、この世の苦しみについて、思いを巡らせる様子であったようです。
中国では、仏滅の56億7千万年後にこの世に現れるとされた弥勒菩薩にも、このポーズが採用されており、朝鮮半島ではその多くが信仰の盛んであった弥勒菩薩として表されているのではないかと考えられています。

日本でも、銘文に「弥勒」と刻んだ半跏思惟像が残っており、記録からも半跏思惟像を弥勒菩薩と呼んでいることが知られるため、弥勒菩薩として表されたものがあったのは確かといってよいでしょう。

日本と韓国に、古代の仏像を代表する半跏思惟像が伝わることは、海を隔てながらも、活発であった両国の交流を物語る証拠といえるかも知れません。


さて、当館でみられる半跏思惟像は、この2体だけではないことをご存じですか?

正門から入って左手に進むと見えてくる法隆寺宝物館



ここでは、明治11年(1878)に法隆寺から皇室へ献上され、当館に引き継がれた300件を超える宝物をご覧いただけますが、これに含まれる仏像のなかには半跏思惟像もあります。
その数、なんと10体!

いずれも、7世紀に造られたとみられる金銅仏で、愛らしい表情のものから肉感的でエキゾチックな姿のものまで、様々なバリエーションがあったことがわかります。
なかには、朝鮮半島からもたらされた可能性のある像もあり、興味は尽きません。

  
重文 菩薩半跏像
(左)(中央)飛鳥時代・7世紀
(右) 三国(朝鮮)時代・6~7世紀

すべて法隆寺宝物館第2室で展示中

さらに!
東洋館でも朝鮮半島でつくられた半跏思惟像をご覧いただけます。
正門から右手にある東洋館10室では、「朝鮮半島の仏教美術」として、三国時代から高麗時代までの仏像や瓦などを展示しておりますが、目玉のひとつがこちらの半跏思惟像です。


菩薩半跏像
三国時代・7世紀 小倉コレクション保存会寄贈
東洋館10室で展示中


大きさ20センチ足らずは思えない整った姿で、華麗な宝冠やほほえみを浮かべた表情には、韓国国宝78号像を思わせるところがあり、魅力的です。

日韓を代表する半跏思惟像がお出ましになっている今、ぜひ法隆寺宝物館にもお立ち寄りいただき、東アジアで愛された半跏思惟像について、そして、その姿に共有されていたひとびとの願いや祈りに、思いを馳せていただければ幸いです。

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻2016年度の特別展

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posted by 西木政統(絵画・彫刻室) at 2016年06月29日 (水)

 

特別展「古代ギリシャー時空を超えた旅ー」 開幕!

特別展「古代ギリシャ-時空を超えた旅-」が本日、ついに開幕しました。



開幕に先立ち、前日に行った開会式と内覧会にも多くのお客様にご出席いただきました。

 
 

 
(左)開会式でのテープカット (右)開会式に登場したトーハクくん(エスカレーター付近にご注目)

 この展覧会、ギリシャ国内の40ヶ所以上の国立博物館群から厳選された作品325件が集結、しかもそのうちの9割以上が日本初公開という、古代ギリシャの決定版ともいうべき、世紀の展覧会なんです!

注目作品ばかりの本展ですが、まずはポスターやチラシにも登場している「漁夫のフレスコ画」。こちらの作品はおよそ3600年前のものですが、この色彩の鮮やかさ!実はこの絵が描かれてからしばらく後、火山が大噴火し、灰に埋もれていたお陰でこのようにきれいな状態で残っていたという訳です。
 


漁師のフレスコ画 前17世紀 テラ先史博物館蔵 (C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports- Archaeological Receipts Fund

また、古代ギリシャの彫刻と言えば大理石が真っ先に思い浮かびますが、実はブロンズ製の彫刻の方が多く作られていたそうです。しかしブロンズ像は後の時代に溶かしてコインや武器に再利用されることが多かったため、ほとんどが残っていません。こちらのヘレニズム時代の「君主頭部」は1997年に漁師たちが偶然に海中から発見したもの。
 


君主頭部 前3世紀 カリュムノス考古学博物館蔵
 

このように作品が現在まで伝わった歴史や経緯を知るとより深く感動を味わうことができます。

もちろんこの2件以外にもハインリッヒ・シュリーマンによって発見されたミュケナイの黄金製品、「アルカイック・スマイル」で知られる「コレー像」や「クーロス像」、アレクサンドロス大王の肖像のうち最もよく保存されているものの1つである「アレクサンドロス頭部」など、見所作品は目白押しです!

 


円形飾り板 前16世紀後半(後期ヘラディックⅠ期) アテネ国立考古学博物館蔵  (C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports- Archaeological Receipts Fund



(左)コレー像 前530年頃 アテネ、アクロポリス博物館蔵 
(右)クーロス像 前520年頃 アテネ国立考古学博物館蔵
 


アレクサンドロス頭部 前340年~前330年 アテネ、アクロポリス博物館蔵  (C)The Hellenic Ministry of Culture and Sports- Archaeological Receipts Fund


これだけの名品が揃う特別展「古代ギリシャ-時空を超えた旅-」、会期は6月21日(火)~9月19日(月・祝)です。今後、本展の見どころを、このブログでご紹介していきます。どうぞご期待ください!

 

カテゴリ:news2016年度の特別展

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posted by 武田卓(広報室) at 2016年06月21日 (火)