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1089ブログ

特集「未来の国宝」より 白瑠璃埦の物語

こんにちは、考古室研究員の山本です。

研究員イチ押しの作品を紹介する企画「未来の国宝」、このたび彫刻・工芸・考古の展示がはじまりました。
創立150年記念特集「未来の国宝―東京国立博物館 彫刻、工芸、考古の逸品―」と題して、本館14室を会場に、2022年9月6日から12月25日の展示期間を3期に分け、考古・漆工・陶磁の作品を展示します。

そのトップバッターとして、考古分野から白瑠璃埦と、それにまつわるエピソードをご紹介します。


重要文化財 白瑠璃埦 ササン朝ペルシア 大阪府羽曳野市 伝安閑陵古墳出土 古墳時代・6世紀 クラブ関西寄贈 ガラス製
2022年9月6日(火)~10月10日(月・祝)まで展示



このガラス製の埦について、考古展示室では長らく「ガラス埦」としてご紹介してきましたが、令和元年の特別展「正倉院の世界」で正倉院宝物の白瑠璃埦とともに展示されたことを機に名称を「白瑠璃埦」としました。
ご存じの方も多いかと思いますが、この埦と正倉院宝物の白瑠璃埦は大きさや切子の段数や数がほぼ同じで、兄弟埦とも呼ばれることがあります。
これまでこの2つの埦が同時に並べられたのは3度のみ。
うち2回は関係者や専門家しか見ることができませんでしたが、特別展「正倉院の世界」ではついに展覧会の場で多くの皆様がご覧になれる機会となったのでした。

これらの埦はソーダ石灰ガラスという種類の素材で、ササン朝ペルシア(3~7世紀)の領域で作られました。
かつてはイラン高原でよく出土することから現在のイランで作られたと考えられていましたが、最近では現在のイラクにあたるメソポタミア地方を中心に作られたものとされています。
これほど遠く離れた場所からはるばる日本へと運ばれてきた2つの埦。
当館の埦が出土した安閑陵古墳は6世紀の古墳であり、また正倉院に宝物が納められたのは8世紀のことですから時代に大きな差はあるのですが、2つの埦に秘められた数奇な運命を想起せざるを得ません。
そうした想いから、作家の井上靖さんが短編小説「玉碗記」を著したことも有名です。

そしてこの埦は、出土してから当館に収蔵されるまでの間にも、多くの変転の道のりを歩みました。

ここでそのエピソードをご紹介します。
この埦が出土したのは戦国時代とも江戸時代とも記した文書がありますが、史料が多く信用が置ける江戸時代説が有力です。出土したのは元禄年間と考えられています。
古墳が崩れ、中からこの埦が出土したとされています。
外箱の箱書きによれば、安閑陵古墳(高屋築山古墳)を含む土地を当時所有していた森田家(屋号は神谷)から、近くの古刹である西琳寺に寄進されたことが分かります。
この外箱の箱書きによって、この埦が安閑陵古墳から出土したという伝承に信憑性が与えられるのです。


外箱底面の箱書き


円筒形の内箱、その蓋には大きく「御鉢」の2文字。


内箱蓋の題字「御鉢」


内箱見込みの揮毫


内箱の身の見込みには京都の上賀茂神社の神職で、寛政8年当時に書博士として活躍していた賀茂(岡本)保考の揮毫があり、京都の聖護院門跡であった盈仁(えいにん)法親王がこの題字を書いたことがわかります。
内布には時期が遡るであろう古裂が、仕服には唐織の裂が使われており、これらをみても大変珍重されていたことが分かります。


白瑠璃埦と付属品一式


この埦が西琳寺に寄進されたころにはちょうど国学が隆盛していたこともあり、この埦は多くの文人たちの目に留まることになりました。
藤貞幹(とうていかん)や太田南畝(蜀山人)(おおたなんぽ(しょくさんじん))らの著した書物には、しっかりとその存在が記されています。
そのころにはすでに漆で接いだ状況を確認できる絵図があるので、江戸時代には現在みられるような姿になっていたことがわかります。
日本近代東洋考古学の父と呼ばれる原田淑人は、江戸時代にすでに修復が行われた証拠としてこの黒漆接ぎを「治療してはいけない傷跡」と評しています。


最も欠けが多い部分。CT撮影によって、隙間が大きい箇所には木片が詰められていることが分かりました


ところが明治時代に入ると危機が訪れます。廃仏毀釈の影響で行方不明となるのです。
幻の存在となったこの埦に再び光が当たるようになったのは戦後、昭和20年代のことでした。
大阪の旧家に収められていたのがわかり、有志の努力によって当館に収められることとなったのです。

江戸時代に出土したのち、珍重され多くの人々の関心を引いた白瑠璃埦。
危機を迎えたのち、多くの人々の手によって再び脚光を浴びるようになりました。
その道筋をたどると、未来に向けて文化財を守り伝えていく使命をあらためて強く感じます。
 


創立150年記念特集 未来の国宝―東京国立博物館 彫刻、工芸、考古の逸品―
重要文化財 白瑠璃埦 ササン朝ペルシア大阪府羽曳野市 伝安閑陵古墳出土 古墳時代・6世紀 クラブ関西寄贈
[2022年9月6日~2022年10月10日まで展示]

 

カテゴリ:考古特集・特別公開

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posted by 山本 亮(考古室) at 2022年09月06日 (火)

 

没後700年 趙孟頫とその時代—復古と伝承— その3・ ラブハンコ 趙孟頫と篆書篆刻

台東区立書道博物館の中村です。 
現在開催中の「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(2月27日(日)まで)は、台東区立書道博物館と東京国立博物館の連携企画第19弾にあたります。
今回のブログでは、展示作品のなかでも印章に着目してご紹介します。

中国において印章の使用が認められるのが戦国時代です。 
紙の発明などまだまだ先の当時、印章は盛られた粘土に押されました。
紙が普及するとともに印章は朱で押されるようになります。
印章そのものは大型化しますが、余分な朱で紙面を汚さないように、印面の字の線は細身に作られました。
中国歴代の印章は、時代によって全体の姿や字の書風の変化を見ることができます。

台東区立書道博物館では、元時代に使用された印章を展示しています。
役所で用いられたであろう印章は軽量で背が低く作られ、軍事用の印章は青銅をふんだんに用いた丈夫なつくりとなっています。


「呉興」朱文円印 (ごこう しゅぶんえんいん) 印影
元時代・13〜14世紀 台東区立書道博物館蔵【書道博通期展示】
趙孟頫の故郷の役所で使用されたと考えられている印章です。


「元師左監軍印」朱文方印(げんしさかんぐんいん しゅぶんほういん) 印影
元時代・13〜14世紀 台東区立書道博物館蔵【書道博通期展示】

そして元王朝初代、世祖クビライ・カアンから帝師と仰がれたチベット僧のパスパ(八思巴)が作った文字による貴重な作例「蒙古軍万戸府経理司印」が展示されています。


パスパ文字印の展示風景(於:台東区立書道博物館)


「蒙古軍万戸府経理司印」朱文方印(もうこぐんばんこふけいりしいん しゅぶんほういん) 印影
元時代・13世紀 台東区立書道博物館蔵【書道博通期展示】 

南宋の高宗皇帝や王羲之の書を学び、上品で美しい楷書や行書で知られる趙孟頫(ちょうもうふ)は、篆書・篆刻にも情熱を注ぎました。
書画作品をつくり、署名して最後に印を押すようになるのが宋時代。
この頃は、象牙や金属などの材に文人が字を反転させて配置したあとに職人が刻む、という方法でした。
軟質の石材に文人が刀を揮うのは、趙孟頫より少しあとの世代の王冕(おうべん)に始まるといいます。
趙孟頫の書や所蔵品に見かける、動きの豊かな字姿の「松雪斎」、のんびりとした味わいの「趙氏子昂」などの印は、趙孟頫自身が字を入れたのでしょう。
趙孟頫の書を刻む専門の工人として茅紹之(ぼうしょうし)の名が記録されており、彼の刻でないと趙孟頫は腕を振るわなかったといいますが、印章においても腕を見込んだ工人がいたのでしょう。
図版は、趙孟頫が愛蔵した「絳帖」【書道博通期展示】に押された朱文印「松雪斎」の印影です。
700年も昔の印影ですから、すっかり朱色が疲れているのがご覧頂けるかと思います。


絳帖(こうじょう) 部分 (「松雪斎」印影)
潘師旦(はんしたん)編  北宋時代・11世紀頃 台東区立書道博物館蔵【書道博通期展示】

趙孟頫は、漢~魏時代を中心とする古代の印を模刻し、考証を付した『印史(いんし)』二巻を著したといいます。
趙孟頫に親しい友人のなかには吾丘衍(ごきゅうえん)という古文字の研究家もいましたから、古印の鑑賞と研究も活発に行われていたのでしょう。
趙孟頫は主に漢時代の印章に注目したため、漢時代の印章を範とする者が続きました。

趙孟頫の篆書は、「楷書玄妙観重脩三門記巻」【東博通期展示、場面替えあり】などにも登場します。
今日の私たちは清朝碑学派(ひがくは)たちの迫力に満ちた篆書作品に慣れてしまって、趙孟頫の篆書では物足りなく感じるかもしれません。
この碑学派たちより500年も前の時代、華やかな行書・草書の筆法を押し殺して均一に徹した線質、縦画の終筆の際にスッと筆を引き抜く筆法を見ると、趙孟頫の篆書の深い習熟のさまをうかがうことができます。
元時代は中華文化の停滞期というイメージを抱きがちですが、石碑の題額を中心に作例が多く残され、趙孟頫をはじめとして篆書に優れた書人も少なからずいました。


[参考]
楷書玄妙観重脩三門記巻(かいしょげんみょうかんじゅうしゅうさんもんきかん)(部分)
趙孟頫筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博通期展示、場面替えあり】 
※篆書の場面(画像)は展示終了いたしました。

北宋時代に古印鑑賞が興り、元時代に趙孟頫たちが篆書作品を作り、またその篆書を印に配置する。
元末明初期に王冕が軟質の石材に直接刀を揮って印を作り、明時代中頃に篆刻が文人たちのたしなみの一つとして定着するという、文人趣味の歴史の流れを追うことのできる今日、趙孟頫の存在が王羲之書法の伝承だけにとどまらないことを教えてくれます。 
 

没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 中村信宏(台東区立書道博物館主任研究員) at 2022年02月10日 (木)

 

没後700年 趙孟頫とその時代—復古と伝承— その2

東洋書画担当の植松です。
特集「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(2月27日(日)まで)の展示は、後期に入りました。
シリーズでお届けしているこのブログ、今回は、趙孟頫(ちょうもうふ)の活躍した元時代の絵画のうち、東京国立博物館の後期展示で見られる名品を紹介します。

日本では古来、宋・元時代の中国絵画が、将軍・大名のコレクションや茶道の大名物として珍重されてきました。
元についていえば、趙孟頫をはじめとする著名な文人画家の真筆はあまり日本になく、のちの中国の正統な絵画史観に照らし合わせると、傍流ともいえる作品が多い点は否めません。
例えば、これから紹介する、葛叔英(かつしゅくえい)、孫君沢(そんくんたく)といった画家は、室町将軍家の鑑賞体系を物語る『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』に名前が記され、日本では大画家としてもてはやされましたが、中国本土には作例があまりのこっていません。
しかし、日本にある元時代絵画には、当然ながら、大切に伝えられてきただけの理由があるはずです。
以下、その魅力を考えていきたいと思います。


(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸 画像
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(1)葛叔英筆「栗鼠図軸」
栗鼠図軸 画像
栗鼠図軸(りすずじく)
葛叔英筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


栗鼠図軸 落款


栗鼠図軸 落款

葛叔英は、栗鼠図の名手「松田」として、日本で有名でした。
本図は、落款から、彼の91歳の時の作とわかります。
かわいた墨線で、栗鼠のややかたい毛並みが細かに表現されています。
見つめ合う二匹の目元、やわらかそうな鼻先や口元の愛らしさも見所です。
また、栗鼠の毛描きとは対照的に、葉を落とした木の輪郭には、かすれのある、あらあらしい筆づかいが目立ち、幹のごわごわした質感が伝えられます。
木の輪郭の外側には淡い墨面がはかれていて、幹の内側の白さが引き立てられています。
この白さは、あるいはうっすらと雪が積もっていることを示しているのかもしれません。


栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。


枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。


栗鼠図軸 狩野常信箱書 ※本特集では展示しません。


枯木栗鼠図軸(こぼくりすずじく)
牧野理春模 江戸時代・享保11年(1726) 東京国立博物館蔵 ※本特集では展示しません。

「栗鼠図軸」には、江戸時代の狩野常信(かのうつねのぶ、1636~1713)の箱書、外題が付属しており、享保11年(1726)の狩野派絵師による模本も現存しています。
武蔵国忍藩主である阿部正喬(あべまさたか、1672~1750)の所蔵を経て、のちに十二代将軍徳川家慶(とくがわいえよし、1793~1853)に献上されたものと考えられています。


(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」

重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(2)孫君沢筆「雪景山水図軸」

重要美術品 雪景山水図軸(せっけいさんすいずじく)
孫君沢筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

孫君沢は元代の杭州(浙江省)にあって、すでに滅びた南宋の宮廷山水画風を慕い、それをよりわかりやすいものに昇華させていった画家です。
本図は、雪景色をながめやる書斎の高士を詩情豊かに描きます。


雪景山水図軸 部分(旅人)


雪景山水図軸 部分(山石)


雪景山水図軸 部分(柳、梅、椿)


雪景山水図軸 部分(花瓶)

書斎の高士の視線の先には、広い川面、そして笠をかぶって橋をわたっていく騎馬の旅人の姿が小さく見えます。
雪の積もった山石に施される皴(山石の質感を表わす筆線)は、かたく直線的で、ひんやりとした空気感を伝えます。
葉を落とした柳にも雪がうっすらと積もり、梅や椿(山茶花)の花が白一色の世界にわずかな色彩を点じています。
書斎の中にも瓶に活けられた梅花が見えます。
細かなところまでよく行き届いた描写が魅力です。


(3)伝禅月筆「羅漢図軸」

重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


(3)伝禅月筆「羅漢図軸」

重要美術品 羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


羅漢図軸 部分(顔)

禅月大師貫休(ぜんげつたいしかんきゅう)は五代十国時代(907~960)の蜀の僧侶です。
怪奇な風貌と豪放な衣文が特徴の羅漢図を描いたとされ、その画風は南宋~元時代に引き継がれました。
日本には、元時代に作られたと考えられる、禅月風の水墨羅漢図がいくつものこっていますが、本図は、なかでも肉厚で生生しい目鼻や耳の描写に優れています。
元時代の道教・仏教絵画では、常人とは異なる迫力ある風貌を、現実感を伴って描く、このような表現が好まれたようです。


羅漢図軸 部分(香炉)

背景の香炉や靴も、簡略な描写ではあるものの、形がしっかりとらえられているので、立体感を失っていません。

展示場では、となりに別の禅月様羅漢図も並んでいます。
市河米庵(いちかわべいあん、1779~1858)旧蔵のこちらの「羅漢図軸」は、最初のものに比べると、描写があっさりしており、あるいは迫力不足な感じがするかもしれません。
似たような作品を見比べて、違いを探してみるのも絵画鑑賞の楽しみの一つでしょう。


羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】


羅漢図軸(らかんずじく)
伝禅月筆 元~明時代・14~15世紀 市河三兼氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

 

没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室) at 2022年02月02日 (水)

 

没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承― その1

トーハク(会場:東洋館8室)と台東区立書道博物館の連携企画は、現在開催中の「没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―」(前期:~1月30日(日)、後期:2月1日(火)~2月27日(日))で19回目を数えます。
今年は、元時代(1279~1368)を代表する文人の趙孟頫(ちょうもうふ、1254~1322)、そして同時代の書画に焦点を当てました。
両館あわせて6つのテーマ(【1】趙孟頫前夜 【2】趙孟頫と元時代の書 【3】趙孟頫の学書 【4】元時代の絵画 【5】明清時代における受容 【6】日本における受容 〈注〉【3・6】:書博のみ、【4】:後期はトーハクのみ)を設け、前後の時代や日本の書画にも目を向けながら、趙孟頫をはじめとする元時代の書画の魅力と後世の受容についてご紹介する企画です。
今回のブログでは、トーハクで展示のオススメの書跡を、テーマに沿ってお伝えします。


トーハク東洋館8室の展示風景


台東区立書道博物館の展示風景

南宋時代(1127~1279)の末期に、宋王朝の皇族として生まれた趙孟頫。
祖国を滅ぼしたモンゴル人の元王朝に仕えて高官に至り、ときに非難も受けました。
一方、異民族王朝のもと、書画をはじめとする祖国の伝統文化を護持し、中国書画史に偉大な業績を残したことは高く評価されています。


「趙孟頫前夜」
趙孟頫が活躍する前夜、宋時代には、正統的な王羲之(おうぎし)・王献之(おうけんし)の書が尊重されました。
宋人は高度な技法に基づく書の美しさよりも、自己の精神を筆墨に託した自由な表現を追求しました。
特に「宋の四大家」と称される北宋の能書、蔡襄(さいじょう)・蘇軾(そしょく)・黄庭堅(こうていけん)・米芾(べいふつ)の書には、創意に富む個性的な表現が窺えます。


行書虹県詩巻(ぎょうしょこうけんしかん)(部分)
米芾筆 北宋時代・崇寧5年(1106)頃 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書虹県詩巻」は、虹県(安徽省泗県)を訪れた際に作った詩を大字の行書で書いた1巻。米芾(1051~1107)、最晩年の書です。
壮年期は「集古字」と評されるほど、王羲之ら古人の書法を徹底的に学び、晩年はその技法に拘泥されない、豪放で変化に富んだ作風に至りました。
本作は筆勢が豊かで、ニジミとカスレ、線の太細、傾きがよく調和し、一紙のなかに筆墨の様々な表情がみてとれます。


行書虹県詩巻跋(ぎょうしょこうけんしかんばつ)(部分)
劉仲游、元好問筆 金時代・大定13年(1173)、モンゴル帝国・憲宗5年(1255) 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

米芾の「行書虹県詩巻」は、のちに金の田瑴(でんかく)、劉仲游(りゅうちゅうゆう)らが所蔵し、巻末には劉仲游や詩人として名高い元好問(げんこうもん、1190~1257)らの跋がみられます。
南宋に対峙した華北の金では、世宗・章宗の頃に漢民族文化の摂取が積極的に行われました。
書においては、蘇軾や米芾などの北宋文人の作が重んじられました。


「趙孟頫と元時代の書」
趙孟頫は、王羲之を主とする晋唐の書法に習熟し、それを規範とする復古主義を唱導しました。
古典の筆法や形を尊重した趙孟頫の理念と典雅な作風は一世を風靡し、宋時代以来の書の流れを大きく転換させました。
一方、元時代も後半期になると、古法をふまえながらも、趙孟頫とは異なる野趣に富む峻厳な表現が現れました。




独孤本定武蘭亭序並蘭亭十三跋(どっこぼんていぶらんていじょならびにらんていじゅうさんばつ)(部分)
趙孟頫筆、原跡:王羲之筆 元時代・至大3年(1310)、原跡:東晋時代・永和9年(353)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博通期展示、頁替えあり】

「独孤本定武蘭亭序並蘭亭十三跋」は、趙孟頫が57歳の時に、僧の独孤淳朋(どっこじゅんぽう)から譲り受けた宋拓本の「定武蘭亭序」に、13の跋と蘭亭序の臨書を認めた1帖。
悠然とした筆使いで、どこを切り取っても王羲之ら晋唐の書を彷彿とさせる、格調高い書法です。
「右軍(王羲之)の人品は甚だ高し。故に書は神品に入る。」などと述べる跋や、その字姿には、王羲之に対する尊崇の念が表れます。




楷書玄妙観重脩三門記巻(かいしょげんみょうかんじゅうしゅうさんもんきかん)(部分)
趙孟頫筆 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵【東博通期展示、場面替えあり】

蘇州(江蘇省)の道教寺院、玄妙観は、元時代に改名されて額を賜った際、三清殿と三門を改修し、二つの記念碑が建てられました。
この「楷書玄妙観重脩三門記巻」は後者の碑文の原稿で、篆書の題額と行楷書の本文はともに趙孟頫49~50歳頃の書とみられます。
題額は謹厳な筆使い。本文は唐の李邕(りよう)の書法を素地としたとみられ、重厚かつ流麗な筆致。墨色の美しい端整な字姿は、各種の書体に優れた趙孟頫の技量の高さを伝えています。


行書趙孟頫竹石図跋(ぎょうしょちょうもうふちくせきずばつ)(写真右は部分)
銭良右筆 元時代・泰定4年(1327)  高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書趙孟頫竹石図跋」は、竹石図と唐の陸亀蒙(りくきもう)・杜甫(とほ)の詩を揮毫した趙孟頫49歳時の書画巻(欠失)に添えられた跋文。趙孟頫の没後5年、銭良右(せんりょうゆう、1278~1344)50歳時の書です。
銭良右は趙孟頫の逝去を悔やみ、書画の風格や韻致はこの1巻から今もなお想像できると称えています。
文意と趙孟頫に近似する温雅な字姿には、敬慕の念と影響の大きさが窺えます。


張氏通波阡表巻(ちょうしつうはせんぴょうかん)(部分)
楊維楨筆 元時代・至正25年(1365)  青山杉雨氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博通期展示】

「張氏通波阡表巻」は、元末明初の詩人として著名な楊維楨(よういてい、1296~1370)が、張麒(ちょうき)のために、松江(上海市)の通波塘に建てる墓碑(阡表)の文章を書いた1巻。松江に居した70歳時の書です。
隷書の筆意が残る章草など、草行楷の各体の筆法を混用、調和させながら、険しく鋭い筆致で書写されます。
楊維楨は趙孟頫の復古の流れを受け、章草などの古法を調和させた、野趣に富む新奇な表現に至ったものとみられます。


「明清時代における受容」
明時代の中期と後期の書画壇で最も影響力のあった文徴明(ぶんちょうめい)と董其昌(とうきしょう)。文徴明は趙孟頫を崇拝、董其昌は痛烈に非難し、その評価は実に対照的でした。
清の乾隆帝(けんりゅうてい)は趙孟頫の書法を重んじ、当時、宮廷を中心に趙孟頫風の書が流行しました。
明から清時代中期まで趙孟頫の評価は揺れながらも、多くの者が趙孟頫の書を介して伝統的な書法を学びました。
清時代も後期になると、伝統書法そのものが変容を迫られました。




行書陶淵明帰去来図画賛軸(ぎょうしょとうえんめいききょらいずがさんじく)(写真下は部分)
詹仲和筆 明時代・正徳7年(1512) 東京国立博物館蔵【東博前期展示】

「行書陶淵明帰去来図画賛軸」は、寧波・杭州(浙江省)で活躍した明の書画家、詹仲和(せんちゅうか)が、陶淵明の像と代表作「帰去来辞」を揮毫した一幅です。
絵画には繊細な線描、書には王羲之や趙孟頫の行書を祖述する気品ある字姿がみられます。
詹仲和は王羲之、趙孟頫の書法を学び、また墨竹や白描(線描主体の絵画)などの絵画に優れました。


行書格物篇軸(ぎょうしょかくぶつへんじく)(写真右は部分)
乾隆帝筆 清時代・乾隆43年(1778) 東京国立博物館蔵【東博後期展示】

「行書格物篇軸」は、雲間に飛びかう蝙蝠の吉祥紋様を金泥で描いた薄桃色の蠟箋に、「格物」と題する詩を書写した1幅。乾隆帝(1711~99)68歳時の書です。
草書をまじえた流麗な筆使いによる行書は、端整な書きぶりです。
太細の変化の少ない線条は乾隆帝独特のものですが、温雅な字姿は愛好した趙孟頫の書を想起させます。

トーハクと台東区立書道博物館、両館の展示作品を通して、現代まで受け継がれてきた中国伝統の書画文化に親しんでいただけますと幸いです。


没後700年 趙孟頫とその時代―復古と伝承―

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
定価:1,200円(税込)
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カテゴリ:研究員のイチオシ書跡特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(東洋室) at 2022年01月21日 (金)

 

江戸時代にもたらされた中国書画

東洋館8室では、特集「江戸時代にもたらされた中国書画」(~10月17日(日)、一部展示替あり)を開催しています。


東洋館8室 会場風景

「国が鎖(とざ)されていた」という印象のある江戸時代ですが、中国大陸の文化を伝える人や物は、長崎の交易などを通じて日本に入ってきていました。
この特集では、東京国立博物館所蔵および寄託の優品を展示し、以下の四つの視点から、江戸時代にもたらされた中国書画の魅力をお伝えします。


(1)黄檗僧と禅宗の書画

中国で明時代末期から清時代初期にかけて勢力を拡大した臨済宗(りんざいしゅう)の一派、黄檗派(おうばくは)は、隠元隆琦(いんげんりゅうき)の来日が呼び水となって、江戸時代の日本でも広まっていきました。
黄檗派の僧侶の来日は以後も続き、教義のみならず、彼らの書画の趣味が伝わりました。


草書韋駄天像賛 独湛性瑩筆 
江戸時代・元禄11年(1698)
[9月26日まで展示]

独湛性瑩(どくたんしょうけい)は、中国福建地方の出身です。
隠元に従って来日し、その法を嗣ぎ、京都宇治の黄檗山萬福寺(まんぷくじ)4世の住持となりました。
韋駄天像(いだてんぞう)に漢詩を書いたこの作品は、独湛71歳の時の作です。




草書韋駄天像賛(部分)

ヘタウマともいうべき素朴な造形の韋駄天と、ぽてぽてした墨のにじみが印象的な書風のコラボに、何ともいえない味わいがあります。



羅漢図(模本) 渡辺秀実筆、原本=陳賢筆 
江戸時代・文政5年(1822)
[9月28日から展示]

中国福建の画家、陳賢(ちんけん)によって制作され、長崎の黄檗寺院である聖福寺に献納された羅漢図を、渡辺秀実(わたなべしゅうじつ、号鶴洲)がほぼ原寸大で模写したもの。
秀実は、渡来品の鑑定をする唐絵目利(からえめきき)の家に生まれた画家です。


羅漢図(模本)(部分)

人物の陰影やシワは、もとの陳賢作品(神戸市立博物館蔵)にも認められますが、秀実の模写には何ともいえない生々しさがあり、独自の魅力を放っています。


(2)沈銓の花鳥図とその波及

沈銓は、清時代に活躍した花鳥画家です。
長崎に2年弱滞在し、その名を日本に広めました。
鮮やかで濃厚な彩色、独特のリズムある筆法が特徴で、その画風は日本で一世を風靡しました。


鹿鶴図屛風 沈銓筆 清時代・乾隆4年(1739)



鹿鶴図屛風 沈銓筆 
清時代・乾隆4年(1739)
(上=右隻、下=左隻)


将軍家のコレクションにあったという屛風です。




鹿鶴図屛風(左隻、部分・桃、鶴)

桃の実のツヤツヤした発色のよいピンクと白、鶴の肉感としっかりした羽毛の線描が、よく知られた沈銓画の魅力といえるでしょう。


鹿鶴図屛風(左隻、部分・波)


鹿鶴図屛風(右隻、部分・枝葉)

一方で、泡立つ波頭を表わすやわらかく淡い墨の線、ツタの枯葉にみられる繊細なグラデーションも、その卓越した画技を伝えています。


(3)来日した明国・清国人の書画

交易の窓口として栄えた長崎には、明から清時代にかけて、中国大陸から商人・文化人が訪れていました。
彼らのうち書画のたしなみをもつ者は、中国文人文化に憧れのあった日本の文芸界で歓迎されたようです。
その作品は当時の大陸の一級品ではありませんが、一般の書画愛好家の水準がわかる、興味深い資料です。


菊折枝図 陸雲鵠筆 
江戸時代・文政8年 (1825) 個人蔵

陸雲鵠(りくうんこう)は蘇州(そしゅう)出身の商人。
しばしば来日し、長崎の画家である石崎融思(いしざきゆうし)、川原慶賀(かわはらけいが)らと交流しました。


菊折枝図(部分)

本作では、清時代の人気小説『紅楼夢(こうろうむ)』のヒロインたちが作中で菊を詠んだ七言詩2首を書き、瀟洒な墨菊を描き添えています。
当時の商人の教養の程度や関心の対象がわかる作品です。


(4)市河米庵にみる江戸文人の中国書跡受容

「幕末の三筆」に数えられる書家、市河米庵(いちかわべいあん)は、中国文物の収集・鑑識に尽力し、自選のコレクションカタログを出版しています。
東京国立博物館にはそのコレクションの一部が収蔵されています。



楷書前赤壁賦扇面 市河米庵筆 
江戸時代・19世紀

北宋時代の蘇軾(そしょく)の詩「前赤壁賦(ぜんせきへきふ)」を、細楷で扇面に揮毫しています。


楷書前赤壁賦扇面(部分)

非常に精緻に書かれており、書技の高さはもとより、筆や墨など中国製の文房具へのこだわりが背景に想定されます。



米庵蔵筆譜 市河米庵編 
江戸時代・天保5年(1834)

米庵の唐筆(とうひつ、中国製の筆)コレクションから、218枝を選び、図と考証を付けて、彩色刷りで刊行された図録です。
筆の形状や銘のほか、適合する書体・書風についても記され、筆の考証は中国書法研究の一環であるという姿勢がうかがえます。

本特集を通じて、江戸時代、波濤を超えて日本に新たな書画を運んだ人々の営みに思いを馳せていただければ幸いです。
 

江戸時代にもたらされた中国書画

編集・発行:東京国立博物館
定価:660円(税込)
カラー24ページ

各作品の詳細な説明については、こちらの小冊子もご参照ください。

 

 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 植松瑞希(出版企画室) at 2021年09月10日 (金)