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「王羲之と蘭亭序」その1 道は違えど蘭亭愛-趙孟頫と趙孟堅-

台東区立書道博物館の中村です。
毎年恒例となっている東京国立博物館(以下「東博」/会場東洋館8室)と台東区立書道博物館(以下「書道博」)の連携企画は、今年で20回目を数えます。
現在開催中の「王羲之と蘭亭序」(前期~3月12日(日)、後期3月14日(火)~4月23日(日))では、20周年の節目を記念して、連携企画初回でも取り上げた王羲之(おうぎし)と蘭亭序(らんていじょ)に焦点をあてるとともに、後世における受容と展開をご紹介しています。

書の名品として名高い王羲之の「蘭亭序」ですが、残念ながら真跡は現存しません。
しかし、その字姿は多くの模本や拓本によって、現代にまで受け継がれてきました。
今回のブログでは、数ある拓本のなかでも「定武蘭亭序」と、それにまつわる書画の大家たちのエピソードをご案内します。

「蘭亭序」を手に入れた唐の太宗皇帝は、臣下たちに臨書や模写を命じました。
そのなかで、欧陽詢(おうようじゅん)の臨書が最も優れているということで、それを石に刻み、とった拓本を下賜したといいます。
この時の版石は、五代十国時代の石晋(せきしん)の乱によって所在不明となり、北宋時代の慶暦年間に定州(ていしゅう/河北省)で発見されました。
この地は唐時代に義武軍(ぎぶぐん/軍団の名)が置かれたため、「定武(ていぶ)」と名付けられたといいます。

同地の太守であった薛珦(せつきょう)が模刻し、子の薛紹彭(せつしょうほう)も模刻を行いましたが、この時にもとの版石の五字(五行目の「湍」「帯」「右」「流」、八行目の「天」)を破損させました。
破損させる前にとられた拓本を「五字未損(みそん)本」あるいは「五字不損(ふそん)本」、破損したあとにとられた拓本は「五字已損(きそん)本」といいます。
版石は北宋王朝滅亡の原因となる靖康(せいこう)の変で失われたと伝えられています。
五字未損本には、書道博が所蔵する中村不折コレクションの「韓珠船本(かんじゅせんぼん)」があります。


定武蘭亭序(韓珠船本)
原跡=王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 台東区立書道博物館蔵
【書道博前期展示】



「定武蘭亭序(韓珠船本)」展示風景(於=台東区立書道博物館)
【書道博前期展示】


五字已損本には、「呉静心本(ごせいしんぼん)」、そして元時代の大家、趙孟頫(ちょうもうふ)が愛蔵した「独孤本(どっこぼん)」が有名です。
元時代・至大3年(1310)9月、僧の独孤からこの「蘭亭序」を譲り受けた趙孟頫は、都に向かう船のなかで鑑賞・臨書し、「蘭亭序」を尊崇する心情を十三の跋文(ばつぶん)に記しました。


定武蘭亭序(独孤本)
原跡=王羲之筆、跋=趙孟頫他筆 原跡=東晋時代・永和9年(353)、趙孟頫跋=元時代・至大3年(1310) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】


[参考]
「定武蘭亭序(独孤本)」より趙孟頫跋文
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも趙孟頫跋文のページ(画像)の展示はありません。


趙孟頫には年の離れた従兄の趙孟堅(ちょうもうけん)がいます。
趙孟堅はある日、五字未損本の「蘭亭序」を手に入れ、限りない喜びを感じていました。
ところが夜に舟で帰るところ、湖中弁山(こちゅうべんざん)という所のふもとで舟がくつがえってしまいます。
荷物の類はみな水浸しとなりましたが、幸いに浅く、趙孟堅はこの巻を持って洲の上に立ち、従者に向かって「蘭亭は私が持っている。その他の物は棄てても何か苦しかろうか」と言いました。
趙孟堅は家に帰ると、巻のはじめに「性命可軽。至宝是保。」の八字を題し、さらに重宝したといいます。
こうして趙孟堅が命懸けで守った五字未損本は「落水本(らくすいぼん)」と呼ばれるようになりました。
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも「落水本」の展示はありません。

中国文化護持のためにあえて元王朝に仕えた趙孟頫とは相容れない仲となってしまいましたが、「蘭亭序」を愛好し、尊重する気持ちはどちらも負けてはいません。
こうした出来事も「蘭亭序」の神格化に一役買ったようです。
 

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 中村信宏(台東区立書道博物館主任研究員) at 2023年03月01日 (水)