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タイで作られた日本刀

本館では名物「三日月宗近」が人気を集めていますが、日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」にも見逃せない刀剣が展示されていることを皆さまご存知でしょうか。

日本刀をモデルにタイで作られた刀剣、「日本式刀剣」です。

タイにおける日本刀の受容は、16世紀から17世紀にかけてのアユタヤー朝で活発化したと思われます。

日本刀は正式な交易品として以外にも、流入した日本人の武装として、人の流れに沿う形で大量にタイ国内へもたらされました。 ところが、朱印船貿易の終息とその後の江戸幕府の政策によって、日本とタイの間の直接交流が途絶えると、当然のことながら日本刀の輸入量も激減し、タイ国内の需要をまかないきれなくなりました。その結果、日本よりもたらされた日本刀をモデルにタイで日本刀を模した刀=日本式刀剣が製作されることとなるのです。

この日本式刀剣には発達段階があると考えられます。本展で展示している刀を例に見てみましょう。

第一段階は刀身・拵(こしらえ)ともに日本製と思われるものです。 しかし、タイでは高温多湿のため素材の木材が痛み、拵が刀身よりもはやく壊れてしまいます。ですから、16世紀にアユタヤへ持ちこまれた日本の拵は現存していません。

そのため、刀身は日本製、拵は日本刀を模したタイ製の刀剣が作られるようになります。これが日本式刀剣の第二段階です。「ニエロ装拵刀」がこれにあたります。


「ニエロ装拵刀」([鐔・柄]ラタナコーシン時代・19世紀 [刀身]室町時代・16世紀、バンコク国立博物館蔵)

その後、刀身も錆(さび)などで腐食し失われてしまうため、刀身・拵ともに日本刀を模したタイ製のものが現れます。これが日本式刀剣の第三段階で、今回の展示では「金板装拵刀」がそうです。




「金板装拵刀」(ラタナコーシン時代・19世紀、バンコク国立博物館蔵)

これらタイで作られた日本式刀剣の外装には特筆すべき特徴があります。

それは考古学用語でいうところの「痕跡(こんせき)器官」の存在です。痕跡器官とはもともとは生物学の用語で、退化によって本来もっていた機能を失った器官が、わずかに形だけがそれと分かるように痕跡的に残っているもののことを指します。

先ほどの「ニエロ装拵刀」をもう一度よく見てください。

 

鐔(つば)の部分に半円の模様が描かれています。

一方こちらの日本刀をご覧ください。
同じ場所に、小柄(こづか)といわれるナイフのような道具や、笄(こうがい)と呼ばれるくしのようなものを抜き差しするために、孔があけられています。


「黒漆大小」(江戸時代・19世紀、東京国立博物館蔵)

小柄と笄を用いないタイにおいて、この孔は装飾の類として捉えられていたようで、孔を模した図様を鐔に描いてその痕跡を留めているのです。

これはほんの一例ですが、日本とは異なる服飾や髪型、習俗などをもつタイにおいて、本来の用途を喪失し、形状だけを写した結果がタイ製日本式刀剣にあらわれています。(刀の装着方法も日本とは逆で、刀剣を下にして、帯に直接差し込みます。)

これら日本式刀剣は現在のラタナコーシン朝においても重要な宝剣ととらえられており、国王の即位式ではタイ七宝製の外装に包まれた日本式刀剣を佩用(はいよう)して威儀を正します。

タイと日本のつながりを象徴するもののひとつ「日本式刀剣」。特別展「タイ ~仏の国の輝き~」の会場では、ぜひ作品の細部にも注目してください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2017年度の特別展

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posted by 末兼俊彦(平常展調整室主任研究員) at 2017年08月18日 (金)