東京国立博物館では、164名の生涯学習ボランティアに加えて、6名の東京芸術大学の学生がボランティアとして活動しています。
芸術の最高峰ともいえる大学に通う大学院生たちが、それぞれの知識や経験、技術を生かして活動を行っています。
そのひとつとして、作品の制作工程模型を作り、紹介する活動があります。
本館20室 教育普及スペース みどりのライオンでは、5月15日から新たに、
制作工程模型「国宝「紅白芙蓉図」ができるまで―東洋絵画の絵の具の秘密―」を展示しています。
当館所蔵の国宝「紅白芙蓉図」のうち、ピンク色の芙蓉の花を描いた作品の模型で、
制作したのは、東京芸術大学学生ボランティア、石井恭子さんです。
制作工程模型 「国宝「紅白芙蓉図」ができるまで―東洋絵画の絵の具の秘密―」(本館 20室 2012年5月15日(火)~)
(原品は東洋館で2013年1月2日(水)~1月27日(日)展示予定)
今回の制作工程模型は、特に絵具に注目して紹介しています。
東洋の絵画では、顔料や染料などの原材料が違う絵具を使うため、絵具の特徴もさまざまです。
模型を作る際には、国宝「紅白芙蓉図」の科学調査を行った結果を基に、葉や花の部分がどのように描かれているか、
それぞれの材料の特徴を生かして、染料と顔料を使い分けながら、模型を作っています。
制作に使った材料は、一部、触れることもできます。
また、会期中には、月1回程度、ギャラリートークを行っています。制作者ならではの視点から、技法や材料に注目した解説をお楽しみいただけます。
制作の手順と絵具の特徴をご覧ください。
ギャラリートーク風景。今回の制作に使った材料もご覧いただけます。
9月にはワークショップも予定していますので、東洋絵画の絵具に興味のある方は、ぜひ参加をお待ちしています。
カテゴリ:教育普及
| 記事URL |
posted by 鈴木みどり(ボランティア室) at 2012年06月22日 (金)
トーハクくん、6月19日(火)は私たちの東京国立博物館がお休みなんだって。
ほぉー? 聞いてないほー。
博物館も年に一回、健康診断が必要なのよ。
なるほど・・・。
じゃー僕は、平成館の1階ギャラリーで土偶先輩たちと、うたた寝でもしてるほ。
あのイスの座り心地は最高なんだほー。
もう、しょうがないわね。
というわけで。
2012年6月19日(火)は設備保守点検のため全館臨時休館いたします。
なお資料館は、2012年6月18日(月)~6月19日(火)の2日間臨時休館いたします。
皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解いだけますようよろしくお願い申し上げます。
(東京国立博物館 広報室)
月曜、火曜は休んで、また20日(水)からまってるほー。
カテゴリ:news
| 記事URL |
posted by ユリノキちゃん&トーハクくん at 2012年06月15日 (金)
書を見るのは楽しいです。
より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第16回です。
今回も、特集陳列「写された書-伝統から創造へ」(~2012年6月24日(日))から、
市河米庵(1779~1858)のふたつの「天馬賦」(てんばふ)をご紹介します。
「天馬賦」は、中国・北宋の米芾(べいふつ、米元章、1051~1107)の著作・筆跡として有名なものです。
まずは、米庵が17歳のときに写した「天馬賦」です。
天馬賦(模本) 市河米庵筆 江戸時代・寛政7年(1795) 市河三次氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
双鉤塡墨(そうこうてんぼく、字の輪郭を線でとり中を墨で埋める)で
「天馬賦」を模写しています。
上の画像ではよく見えないかもしれませんが
右側のページは、「高君」という字の輪郭線のみです(双鉤といいます)。
わかりにくいかもしれませんので、
私が、米庵の「高君」を途中まで双鉤塡墨してみました。
(もちろんコンピュータのデータ上でのことです。ご心配なく)
恵美が書き込んだ天馬賦「高君」
双鉤塡墨、ということは、
米芾の「天馬賦」を忠実に写そうとしているということです。
輪郭をとることで、筆遣いを細部まで知ることができます。
もうひとつは、
米庵80歳のときに書いた「天馬賦」です。
臨天馬賦(部分) 市河米庵筆 江戸時代・安政5年(1858) 林督氏寄贈
(~2012年6月24日(日)展示)
これは、臨書といいます。
米芾の「天馬賦」を横に置いて書いたものです。
17歳と80歳の「天馬賦」をもう一度並べてみます。
比較 17歳(左)と80歳(右)の「天馬賦」
17歳のときは忠実に写していますが、比較すると80歳では違う字になっています。
臨書には、
形を真似る臨書(形臨)と、筆意を汲みとっての臨書(意臨)とがあります。
80歳の「天馬賦」は、意臨なのです。
それにしても、
市河米庵が、17歳のときも写した「天馬賦」を80歳でも臨書する、
一生涯写し続ける、その姿勢が大切です。
意臨に続いて、
その雰囲気で別の文章を書く、倣書があります。
それが、さらに創作へとつながります。
いろいろと学んだことから、新たな書を創作する、
まさに、“古典から創造へ”、なのです。
| 記事URL |
posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年06月14日 (木)
この秋トーハクでは、特別展「出雲-聖地の至宝-」(10月10日(水)~11月25日(日)本館特別5室・特別4室)を開催します。
6月7日(木)報道発表会を行い、展覧会の見どころや出品作品をご説明しました。
この展覧会ワーキンググループのチーフである池田上席研究員より展覧会の見どころを説明
「出雲」という言葉から皆様はどのようなイメージをいだくでしょうか。
「出雲大社」、「神話の国」、「八岐大蛇(やまたのおろち)」、「パワースポット」など様々あるかと思います。
そのイメージどおり、物語やロマンあふれる展覧会になりそうです!
展覧会は2部構成です。
第一章は、「出雲大社の歴史と宝物」。
巨大な宇豆柱と大社に伝わる文化財からその歴史をたどります。
目玉は何といっても「宇豆柱」!
平成12年から13年にかけて出雲大社境内遺跡よりスギの大木を3本を一組にした巨大柱が出土しました。
1本の最大径が1.3m、3本束ねた径は約3mもあります。
この宇豆柱を東京で初めて公開します。
重要文化財 宇豆柱(うづばしら)
鎌倉時代・宝治2年(1248)
出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
第二章は、「島根の至宝」。
島根県で発掘された大量の青銅器群と社寺に伝わった名宝を紹介します。
荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)と加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)から出土した大量の青銅器は弥生時代の社会のイメージを大きく変えることになりました。
今回、これらの遺跡から出土した国宝の青銅器79点を展示します。
国宝 荒神谷遺跡出土の青銅器
弥生時代・前2~前1世紀
(この中の一部を展示します)
国宝 加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
弥生時代・前2~前1世紀
(この中の一部を展示します)
その他にも、美しい蒔絵の手箱、神像なども出品されます。
国宝 秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ)
鎌倉時代・13世紀 島根県・出雲大社蔵
(10月10日~11月4日展示)
島根県指定文化財 摩多羅神坐像(またらじんざぞう)
鎌倉時代・嘉暦4年(1329)
島根県・清水寺蔵
記者より、「宇豆柱はどのように展示するのでしょうか?想像がつかないのですが・・・」とご質問をいただきました。
展覧会会場では、本館5室のメインの位置に展示する予定としています。
私もどのように展示されるのか楽しみにしていますので宇豆柱につきましては、また詳しくご紹介します。
その他、今後もこのブログで展覧会の魅力や作品をご紹介していきたいと思っています。
この秋開催する特別展「出雲-聖地の至宝-」どうぞお楽しみに!
カテゴリ:2012年度の特別展
| 記事URL |
posted by 江原 香(広報室) at 2012年06月13日 (水)
安土桃山時代の画家・長谷川等伯(1539~1610)は、国宝「松林図屏風」などの水墨画作品で広くその名を知られています。
等伯は40代半ばころまで「信春(のぶはる)」と名乗って、はじめ、生まれ故郷の能登地方を中心に活動していました。
そこでは、とくに日蓮宗に関連した寺院のために仏画を制作していました。
6月12日(火)より「書画の展開―安土桃山~江戸」(本館 8室)で展示中の「伝名和長年像」も「信春」時代を代表する肖像画です。
国宝 松林図屏風 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 (2013年1月2日(水)~2013年1月14日(月)展示)
重要文化財 伝名和長年像 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀
(2012年6月12日(火)~2012年7月22日(日)展示)
この絵を収めた箱に、かつての所有者であった明治の政治家・福岡孝悌(ふくおか たかちか・1835~1919)が「伯耆守名和長年像」(ほうきのかみなわながとしぞう)と記しています。
名和長年(?~1336)は、南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕え建武の新政において重用されました。現在では、この肖像の人物は200年前の名和長年ではなく、等伯の生きた時代の武将を描いたと考えられています。
素襖(すおう)をつけて威厳に満ちた武将は、上畳に座り、その前に好物であったのでしょうか、枇杷が供えられています。そばにたまらなく愛くるしい小姓が、にこにことお茶を差し出しています。癒されますね。
馬丁が手綱をとるのは武将の愛馬であったのでしょうか。あるいは名馬を産出する地域を治める武将であることを示しているのでしょうか。
等伯は「信春」時代に重要文化財「牧馬図屏風」を描いています。あるいは、この肖像画の主人公が関わって「牧馬図屏風」を描かせたのかもしれません。
重要文化財 牧馬図屏風 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀 (展示予定は未定)
このように、この絵には像主にちなんだ事物が描かれていて、この人物がいったい誰であるのかを考える上で、いくつかのヒントが表されているといってもよいでしょう。
描かれた人物の詮索は別の機会に譲り、今回はこの絵の表現上の特色を2つあげてみます。
ひとつめは画面にあらわされたモチーフの構図です。
まず、左へ顔をむけた武将を大きく描いています。右手には扇を持っています。茶を差し出す小姓が向かって右に侍り、暴れる馬をおさえる馬丁が左に控えます。
3人の人物が描かれていますが、この構図はまるで仏画でいう本尊と両脇侍を描く三尊形式を彷彿させます。
通例、肖像画は像主その人のみを描くことが多く、この画面形式は加賀藩祖の前田利家(まえだとしいえ)(1538~1599)が天正9年(1581)に七尾市にある長齢寺(ちょうれいじ)創建の際、父利春の菩提のために寄進した「前田利春像(まえだとしはるぞう)」と同様の形式です。
この絵は等伯が描いたものという説もあった作品で、北陸で活動した等伯に関わる長谷川家一門の絵師が得意とした画面形式だったのかもしれません。
さて、この絵はいったいどこを描いたものなのでしょうか?
馬がいるので野外でしょうか。背景をあらわす事物が描かれていないので不明瞭です。また画面の右に描いた刀をみてください。脇に置かれているものなのでしょうが、まるで画面の枠にもたれさせているようです。
また、像主の武将を大きく、侍者たちを小さく描いて、武将の存在感を強めていますが、位置関係をみると画面上で上下関係はあっても、人物の位置関係をみると、奥行が感じられません。いずれも現実的な空間が絵に反映されているように見えないのです。
このような表現もやはり仏画の多くに見られることです。
仏神の多くは、空や平面、空間など何もない状態をいう「虚空」に描かれます。その仏神の尊さを示すために、前後関係や背景を描いて、室内であることや特定の現実的な場所を描く必要がないのです。そこでは仏神のみを丹念に描くことが重要なのです。
それぞれモチーフが画面のなかで並列に置かれ、あるのは上下関係だけです。はじめにふれたように等伯の「信春」時代に描かれた仏画が、まさにこうした表現方法をとっています。
像主を単独で描く通常の肖像画の画面形式でなく、仏画でみられる画面構成で描くのも、等伯が信春時代に仏画の制作を主たる活動としていたことを強く示しているのでしょう。
ふたつめの特色は緻密な描写です。
武将の髭(ひげ)や顎鬚(あごひげ)の細かさ、馬の鬣(たてがみ)、刀の拵(こしらえ)にみられる凝った装飾など、拡大鏡がなければそれぞれの描写が判断できないくらいです。
小姓が差し出す天目台にのせた茶碗をみると、金泥によって天目台には鳳凰が、茶碗には梅が描かれているようです。さらに右手に握る扇は、金泥地に水墨で梅が描かれています。さらにはその絵には朱色の判子まで描きこんでいます。
この極めて細かな描写は、やはり等伯が信春時代に描いた多くの仏画にあらわれる特徴で、それらは鮮やかな色彩で、緻密に仏神が装飾されています。まるで仏教にかかわる言葉でいう最小の単位「極微(ごくみ)」の世界をあらわしているかのようです。
このように肖像画という画題において、信春時代の等伯は、仏画を描くことを専らとしていた画業の経験を活かして像主の威厳を高めているのです。
カテゴリ:研究員のイチオシ
| 記事URL |
posted by 松嶋雅人(特別展室長) at 2012年06月12日 (火)