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「拓本のたのしみ」その4

東京国立博物館(以下、東博)と台東区立書道博物館(以下、書道博)で開催中の連携企画「拓本のたのしみ」【3月16日(日)まで】は、閉幕まであとわずかとなりました。
両館の展示についてリレー形式でご紹介してきたブログも今回が最後となります。
 
初回でもお伝えしましたが、サブタイトルに「明清文人の世界」と題した東博展示では、前半部(「拓本あれこれ」、「碑拓法帖の優品」)で拓本そのものの魅力に注目し、後半部(「鑑賞と研究」、「収集と伝来」)で拓本を愛好し楽しんだ明清時代の文人の活動に焦点を当てています。
第1回のブログに続き、最終回は東博展示の後半部の概要を中心にお伝えします。
 
 
「鑑賞と研究」
書の拓本である碑拓法帖(碑帖)を手習いした臨書や模本、鑑賞記録として周囲に書きつけられた題跋や印記等の資料は、伝来はもとより、碑帖の鑑賞・研究の実体を物語っています。
ここでは、書画家や収蔵家としても名を馳せた、明・清時代の文人たちが残したこれらの資料から、碑拓の愛好の様子をご覧いただきます。
 

楷行草雑臨古帖巻(巻頭 本紙)
劉墉筆 清時代・乾隆51年(1786)
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】

楷行草雑臨古帖巻(本紙 冒頭)
 
こちらは、松・梅・笹の文様を廻らせた絹本に、王羲之(おうぎし、303~361)の草書の代表作「十七帖(じゅうしちじょう)」から五代の能書、楊凝式(ようぎょうしき、873~954)の「韭花帖(きゅうかじょう)」まで、歴代の法書を渾厚な筆致で臨書した1巻です。原跡の形にとらわれず、比較的自由な態度で書写された、書き手の個性がひかる臨書です。
筆者の劉墉(りゅうよう、1719~1804)は、清の乾隆・嘉慶期の高官で、書では法帖を拠り所とする帖学派の大家として知られます。『淳化閣帖(じゅんかかくじょう)』などの法帖から、三国・魏の鍾繇(しょうよう、151~230)や王羲之の書法を学び、濃墨を用いた重厚で古雅な表現を確立しました。


模九成宮醴泉銘冊(本文 第1開)
翁方綱摸 清時代・乾隆56年(1791) 
高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】


模九成宮醴泉銘冊(第1紙 上部)
 
こちらは、碑帖研究の大家の翁方綱(おうほうこう、1733~1818)が、初彭齢(しょほうれい、1749~1825)所蔵の宋拓「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」から100字を選び、響搨(きょうとう)という技法で制作した模本です。
響搨とは、原跡の上に紙をのせて、窓から射す光で文字を透かして写し取ること。本作では、文字の輪郭を写し(双鉤)、中を墨でうめる(塡墨)、双鉤塡墨(そうこうてんぼく)という模写技法が併用されています。
翁方綱はこのような緻密な技法を駆使して同一古典の碑帖を比較、考証し、碑帖研究の進展に大きく寄与しました。
 
 
「収集と伝来」
書画家・学者・収蔵家など様々な顔をもつ文人は、鑑賞・研究の対象として、また社会的地位を示す文物として、優れた拓本を収集しました。
また、金石(青銅器や石碑など)の研究が盛行した清時代には、山野に埋もれた資料を自ら探し求めることもありました。
ここでは、収集と伝来に注目しながら、碑拓法帖やその原物をご紹介します。
 
武氏祠画像石 後漢時代・2世紀 
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
 
 
武氏祠画像石(部分) 
 
こちらは、後漢時代の地方豪族、武氏一族の祠堂(しどう)を飾った画像石のうち、武梁(ぶりょう、78~151)の祠堂東壁の拓本です。壁面のレリーフにみられる人物が刻された5層は、最上層が東王公のいる東方の神仙世界、2層以下は地上世界で、列女や孝行者、刺客の故事などを表しています。人物の近くには、当時刻された隷書の題記がみられます。
祠堂は地上に建てられて墓主を祀り、棺を安置する墓室は地下に造られました。武氏祠は今の山東省嘉祥の武宅山の北麓に造営され、長らく地中に埋もれていたところ、乾隆51年(1786)に金石学者の黄易(こうえき、1744~1802)らによって発掘、保存されました。武氏祠画像石のなかには、黄易らの発掘経緯が傍らに追刻されたものもあります。
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石) 唐時代・咸通9年(868)
端方氏寄贈 東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(原石 第1面 上部)


仏頂尊勝陀羅尼経幢(台座(後補) 第5面 銘文)
 
こちらは唐時代に造られた「仏頂尊勝陀羅尼経幢(ぶっちょうそんしょうだらにきょうどう)」の原石です。経幢とは仏典などの経文を刻した石造物のことで、唐時代以降に盛んに造られました。多くは本作のように『仏頂尊勝陀羅尼経』を廻らせた八角柱で、蓋(欠損)と台座(後補)を備えます。
この経幢原石は、もとは清末の金石書画の大収蔵家である端方 (たんぽう、1861~1911)のコレクションのひとつでした。端方は、明治36年(1903)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会に、本作を含む自身の金石コレクションを出品しました。そして東京帝室博物館(現在の東博)の依頼を受けた端方は、閉会後に、本作など10数件の金石資料を博物館に寄贈しました。
寄贈された当初、本作は幢身の石柱のみの状態でしたが、のちに博物館で大理石製の台座(銘文「李唐咸通経幢台座/東京帝室博物館造」)に据えられ、拓本が取られました。
東京帝室博物館は寄贈に対して謝意を表し、江戸初期頃の甲冑一具を端方に贈呈し、端方は礼状を返送しました。

仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本) 唐時代・咸通9年(868)
東京国立博物館蔵【東博展示、3月16日(日)まで】
仏頂尊勝陀羅尼経幢(拓本 第1面 上部)

こちらが、端方の寄贈後に博物館で取られた拓本です。原石よりも比較的文字が見やすく、「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」の王羲之書法に通ずる典雅で変化に富む字姿であることがわかります。
この「仏頂尊勝陀羅尼経幢」の原石と拓本は、ただ金石・拓本の収集・伝来の様子を物語るにとどまらず、文物を介した近代の日中交流を物語る資料としても貴重です。
 
 
全4回にわたって東博・書道博の連携企画「拓本のたのしみ」についてお伝えしてきました。
ぜひ両館で魅力あふれる拓本と、拓本を愛してやまない文人たちのディープな世界をご堪能ください。

 

 

拓本のたのしみ

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
拓本のたのしみ 表紙画像

カテゴリ:中国の絵画・書跡「拓本のたのしみ」

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posted by 六人部克典(東洋室) at 2025年03月11日 (火)

 

1200年前から変わらない空気感、冬の大覚寺へ

 開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(~3月16日(日))の閉幕まで、残りわずかとなりました。

 
すでに展覧会をご覧いただいた方の中には、本展をきっかけに「大覚寺を訪れてみたい」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで今回は、大覚寺についてご紹介します。
 
京都府の北西、右京区嵯峨にある大覚寺は、平安時代のはじめに、嵯峨天皇が離宮・嵯峨院をつくったことにはじまります。
その後、嵯峨天皇の皇女・正子内親王(まさこないしんのう)が父や夫の淳和天皇(じゅんなてんのう)を供養するためお寺にしたいと願い、大覚寺が開創されました。
 
 
渡月橋は嵯峨天皇の行幸の際に架けられたという説も
 
JR京都駅から嵯峨嵐山駅まで、嵯峨野線に乗車して約16分。
年間を通して観光客でにぎわう嵐山エリアですが、大覚寺へは駅の北口から、閑静な住宅街を通って向かいます。
 
 
 
 
 
 
駅からゆっくり歩いて20分ほどで表門に到着。この日は時折雪が降り、しんとした静けさを肌で感じつつ、参拝口へ。
 
 
表門
 
大覚寺は、歴代天皇や皇族の方が門跡(住職)を務められたことから、門跡寺院として高い格式を誇ります。
 
 
いけばな発祥の地であり、嵯峨御流の総司所(家元)としても知られています。
 
また、大覚寺の周辺環境は見渡す限り電柱などの遮蔽物がなく、昔ながらの景色が今も変わらず楽しめることから、時代劇をはじめドラマや映画のロケ地としても親しまれてきました。
 
 
式台玄関と臥龍(がりょう)の松
 
それでは、さっそく境内へ入っていきます。
大覚寺の特徴として、建物のほとんどが移築されてきたものであることが挙げられます。
 
狩野山楽による襖絵「牡丹図」や「紅白梅図」のある宸殿(しんでん)は、江戸時代に後水尾天皇と結婚した和子(東福門院)の女御御所が移築されたものと伝わります。
 
 
宸殿(重要文化財)の外観(東側から)
 
 
宸殿「牡丹の間」(襖絵は復元模写)
 
大覚寺の建物に現在はめられている襖絵は、昭和中期に描かれた復元模写です。
 
今回の特別展では、大覚寺が霊宝館に保管する240面の障壁画(オリジナル)から、14か年計画で進んでいる修理作業のうち、修理を終えたものを中心に、前後期併せて123面が出品されています。
 
 
第4章の展示風景
 
障壁画をパノラマティックに展覧する本展の趣と異なり、大覚寺では、襖絵が当時の生活のなかでどのように使用されていたかを、間近に体感することができます。
 
 
宸殿「紅梅の間」(襖絵は復元模写)
 
 
蔀戸(しとみど:戸板を上下に開け閉めする建具)の蝉飾りは職人による手作りで、一匹一匹が異なる造形をしています。
 
宸殿の北西に位置する正寝殿も、重要文化財に指定されている建物です。
こちらは安土桃山時代の遺構と考えられており、本展で再現展示をしている「御冠の間」も正寝殿にあります。
大覚寺の中興の祖・後宇多法皇が院政を敷き、南北朝講和の舞台になったと伝えられます。
 
 
正寝殿「御冠の間」(襖絵は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています。(注)現在当館で展示中のため不完全な部分があります)
 
 
正寝殿「御冠の間」の再現展示
 
本展でもとりわけ愛らしさが際立つ「野兎図」は、正寝殿の腰障子に描かれています。
 
 
正寝殿「狭屋(さや)」に描かれた兎(野兎図は復元模写)
(特別な許可を得て撮影しています)
 
なお、今夏には通常非公開である正寝殿の特別公開が行われます(6月21日(土)~8月3日(日)まで)。
詳しくは大覚寺のウェブサイトをご確認ください。
 
宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は「村雨の廊下」と名付けられ、縦の木柱を雨に、折れ曲がった廊下を雷に見立てているとのこと。
 
 
防犯を兼ねて天井は低く、床は鴬張りになっています。
 
大正14年に建てられた心経殿には、嵯峨天皇をはじめ、天皇直筆の書(宸翰:しんかん)の般若心経が奉安されています。
ちなみに、心経殿を建てる際に資金集めをしたのが実業家の渋沢栄一。ここにも歴史の一端が垣間見えます。
 
 
勅封心経殿
 
 
心経前殿(御影堂)

心経殿を拝するための心経前殿は、大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を移築したもの。
移築の際に、大覚寺の本堂を移動させたため、もともと本堂のあった場所が石舞台となっています。
 
 
石舞台と勅使門(奥)
 
心経前殿を過ぎ奥へ進むと、明治の廃仏毀釈の際に京都東山から移築された、安井門跡蓮華光院の御影堂(安井堂)があります。
本展の見どころのひとつ、重要文化財の刀剣「薄緑<膝丸>」は、安井堂が大覚寺に移築された際に共に納められたと伝わっています。
 
 
重要文化財 太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)(たち めい  ただ(めいぶつ うすみどり〈ひざまる〉))
鎌倉時代・13世紀 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
安井堂に隣接するのは、現在の大覚寺の本堂にあたる五大堂。本堂には、大覚寺の本尊である不動明王を中心とした五大明王が祀られています。
大覚寺には平安時代後期、室町~江戸時代、近代の3組の五大明王があり、そのうちの2組の五大明王が、本展に出品されています。
 
 
 
 
五大堂では写経体験も。己を見つめなおす時間を設けるのもおすすめです。
 
明円作の重要文化財「五大明王像」は普段は厨子に入っているため、ガラスケース越しにじっくりと見られる本展の貴重な機会をお見逃しなく。
 
 
重要文化財 五大明王像のうち不動明王
明円作 平安時代・安元3 年(1177) 京都・大覚寺蔵 通期展示
 
五大堂から眺める大沢池は、1200年前から変わらない風景が心を打ちます。
周囲約1キロメートルの日本最古の人工池で、日本三大名月鑑賞地としても親しまれています。
 
 
五大堂から大沢池をのぞむ
 
池の周りは散策コースとして、15分ほどで一周できます。
鴨や鷺(さぎ)、鵜(う)や、カイツブリなど多くの野鳥をはじめ、梅林や竹林もあり、春は桜、秋は紅葉と、四季折々でさまざまな風景が楽しめます。
 
 
令和6年2月には開創1150年記念事業の一環として、新たに名古曽橋が開通しました。
 
歴史の厚みが感じられる独特の空気感は、現地に行ってこそ得られる特別な体験です。
今回ご紹介したのは一部ですが、大覚寺の静寂さや宮廷文化の華やかな雰囲気が伝われば幸いです。
 
 
 
本展は大覚寺の貴重な寺宝の中から、障壁画の原品や、貴重な密教美術の名品を一挙に見られるまたとない機会です。会期は3月16日(日)まで。
 
ぜひ、特別展「大覚寺」と京都の大覚寺、どちらにも足をお運びください!
 
 

カテゴリ:彫刻絵画刀剣「大覚寺」

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posted by 田中 未来(広報室) at 2025年03月10日 (月)

 

おひなさまと日本の人形

東京国立博物館では、例年3月3日の桃の節句にあわせて、ひな人形や日本の伝統人形の展示を行っています。


特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室、3月23日(日)まで)の展示風景

古代には、罪や穢れ(けがれ)を人形(ひとがた)に託して水に流すという風習がありました。また、季節を問わず、平安貴族の子どもたちが小さな人形で遊ぶ「ひいな遊び」もあり、そのような文化から、今のひな祭りへと発展したと考えられています。
例年展示している、おひなさまのルーツとも呼べる天児(あまがつ)や這子(ほうこ)など、ひな人形の歴史を辿る展示に加え、今年は古今雛(こきんびな)の名品を展示しています。
古今雛は、山車(だし)人形の制作技術を応用してつくられたひな人形です。

古今雛
末吉石舟作 江戸時代・文政10年(1827) 山本米子氏寄贈
古今雛(部分)

 

きらりと輝く瞳には、ガラスが入れられています。いきいきとしながらも、お顔立ちは非常に端正で、気品あふれる表情をしています。また、宮廷装束を模倣しつつも、町方の好みの豪華な衣裳をまとっています。

そのほかにも、鮮やかな彩色を施した紙でつくられた立雛(たちびな)、上方で好まれた丸い頭部にちょこんと目鼻をつけた古式次郎左衛門雛(こしきじろざえもんびな)、江戸時代の奢侈禁止令をうけて流行した大変小さな芥子雛(けしびな)など、一口に「おひなさま」といっても、さまざまな種類や流行があります。
ぜひ展示室で、お気に入りのひな人形を見つけてみてください。


芥子雛
七澤屋製 江戸時代・19世紀 牧野次助氏寄贈

本特集では、ひな人形に加えて、日本の伝統的な人形も展示しています。たとえば、朝廷や公家で好まれたことに由来するとされる御所人形。ふくふくとした表情・体つきが愛らしく、愛でていたくなるようなお人形ばかりです。

御所人形 立子(奴姿)(ごしょにんぎょう たちご(やっこすがた))
江戸時代・19世紀
御所人形 立子(奴姿)(部分)

 

従者の奴(やっこ)に見立てた御所人形。きりっとした表情をしていますが、丸くつくられた頭にふっくらとした体つきは、まるでごっこ遊びをしている子供のようです。ずっと見守っていたくなるようなかわいらしさがあります。

加えて、子供たちが実際に衣裳を着替えさせて遊んだ、三折(みつお)れ人形も展示しています。3か所の関節が折り曲げられるため、「三折れ」とよばれます。


三折れ人形
江戸時代・19世紀

伊予国(いよのくに)宇和島藩の伊達家に生まれ、飯野藩保科家へと嫁いだ節子姫の愛用品といわれ、「御舟様(おふねさま)」の愛称をもつお人形です。子供の成長の側に、お人形が寄り添っていたことを物語っています。

「かわいらしさ」を尊ぶ日本の人形文化を、展示室にて味わっていただければ幸いです。
もちろん、それを支えている職人の高度な技術にもご注目いただきたく、細部までじっくりとご覧いただければと思います。遠目では見えにくい部分についても、展示室入り口のモニターに、クローズアップしたスライドショーを投影しています。
ぜひ、東京国立博物館で華やかに桃の節句をお祝いしましょう。

 

カテゴリ:特集・特別公開

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posted by 沼沢ゆかり(学芸研究部) at 2025年03月03日 (月)

 

「拓本のたのしみ」その3

台東区立書道博物館の春田賢次朗です。

東京国立博物館と台東区立書道博物館(以下、書道博)の連携企画第22弾「拓本のたのしみ」【3月16日(日)まで】の会期も残り2週間ほどとなりました。六人部さん、鍋島館長と続いてきたバトンを受け取って、書道博の展示、とくに全形拓(ぜんけいたく)についてご紹介させていただきます。
 
全形拓(器形拓(きけいたく)・立体拓(りったいたく)とも)とは、器物の全形を立体的に表現する拓のことで、容庚(ようこう)の「拓墨」(『商周彝器通考』、上海人民出版社、2008)では、道光初年(1821)、馬起鳳(ばきほう、原名は宗黙、後に改めて起鳳)が創始者であるとします。しかし、近年まで馬起鳳による全形拓の作例は発見されていませんでした。
 
ところが2013年、北京泰和嘉成オークションで馬起鳳による全形拓が2件出品され、はじめてその作例が確認されました。そしてなんと、それ以外にも日本において馬起鳳による全形拓が2件存在していたのです。
 
尊銘 馬起鳳拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】
古器物銘(部分) 馬起鳳拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】

前期展示【2月2日(日)まで。すでに終了いたしました】では淑徳大学書学文化センター蔵の馬起鳳による全形拓を、2月26日(水)からは早期全形拓者として注目される陳南叔(ちんなんしゅく)、銭寄坤(せんきこん)による全形拓を展示いたします。これら早期全形拓者による全形拓は、共通して淡い拓調です。
 
鬲銘 陳南叔拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】
爵銘 銭寄坤拓
原器:西周時代・前11~前8世紀
個人蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】

では、このような全形拓はどのように制作されるのでしょうか。全形拓は石碑や墓誌のような平面の拓にくらべ、高度な技術と複雑な工程を要することは想像に難くないでしょう。紀宏章『伝拓技法』(紫禁城出版社、1985)によると、以下の3ステップを経てつくられるようです。

①原寸大の正確な下絵を描く。
②鉛筆でその下絵を軽く写す。
③写した下絵を器物に合わせて複数回にわけて上紙・上墨を行い完成。

以下、「古器物銘(部分)」をもとに、②、③の行程を確認していきましょう。
 
右上を拡大してみると、鉛筆の線がはっきりと確認できます。これが②に該当します。
 
古器物銘(部分)
原器:西周時代・前11~前8世紀
淑徳大学書学文化センター蔵
【書道博前期展示】
古器物銘(部分)の拡大図

紋様部分では、角度を微妙に変えながら、3回にわけて拓をとっていることがわかります。これが③に該当します。このように、拓をとる範囲と角度を細かく調整することで、自然な奥行きを表現しているのです。

古器物銘(部分)紋様部分の拡大図
 
全形拓の中には、対象物からいっさい拓をとらずに完成させる例もあります。あたかも拓本をとったかのように描く技法のことで、これを穎拓(えいたく)と称します。この技法は黄士陵(こうしりょう、1849~1908)や姚華(ようか、1876~1930)が得意としました。2月26日(水)からは、黄士陵による穎拓を展示いたします。
 
叔朕鼎図 黄士陵筆
清~中華民国時代・19~20世紀 個人蔵
【書道博2月26日(水)~3月16日(日)展示】
 
本紙上部の黄士陵の識語からは、『西清古鑑(せいせいこかん)』を参考にして描いたことがわかります。『西清古鑑』とは、乾隆帝の勅命によって1749年に制作された宮中の古銅器図録です。
 
『西清古鑑』所載の叔朕鼎図と銘文
(劉慶柱・段志洪主編『金文文献集成』第3冊(線装書局、2005)より)
 
上図は『西清古鑑』に掲載された「叔朕鼎(しゅくちんてい)」の器形図と銘文です。
両者の「叔朕鼎図」を比較すると、違いが見られます。黄士陵の穎拓は、取手内側の紋様をより明確に伝える構図で、脚を短くすることによって器全体の重心が下がり、どっしりとした印象を与えます。また、銘文においても『西清古鑑』と異同が見られますので、この比較はぜひ書道博でお楽しみください。
 
 
黄士陵の息子の黄延栄(こうえんえい)もまた、父親譲りの画力を生かし、端方(たんぽう)輯『陶斎吉金録(とうさいきっきんろく)』の器形図を担当しました。書道博の本館2階の第4展示室では、中村不折(なかむらふせつ)が収集した端方旧蔵の青銅器と『陶斎吉金録』の当該頁を並べて展示しております。今回はそのうちの1器、「婦𨷼卣(ふひんゆう)」を紹介させていただきますので、残りはぜひ、直接お楽しみください。

婦𨷼卣
西周時代・前10世紀
台東区立書道博物館蔵
【書道博通期展示】
 

 

拓本のたのしみ

編集:台東区立書道博物館
編集協力:東京国立博物館、九州国立博物館
発行:公益財団法人 台東区芸術文化財団
制作・印刷:大協印刷株式会社
定価:1,900円(税込)
ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
拓本のたのしみ 表紙画像

週刊瓦版
台東区立書道博物館では、本展のトピックスを「週刊瓦版」という形で、毎週話題を変えて無料で配布しています。
東京国立博物館、九州国立博物館、台東区立書道博物館の学芸員が書いています。展覧会をたのしく観るための一助として、ぜひご活用ください。

カテゴリ:中国の絵画・書跡「拓本のたのしみ」

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posted by 春田賢次朗(台東区立書道博物館専門員) at 2025年02月26日 (水)

 

特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」10万人達成!

平成館特別展示室で開催中の、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」(3月16日(日)まで)は、来場者10万人を達成しました。

これを記念し、埼玉県からお越しの吉田さんに、当館館長藤原誠より記念品と図録を贈呈いたしました。
 
記念品贈呈の様子。吉田さん(左)と藤原館長(右)
 
大学生の吉田さんは京都がお好きで、授業でも訪れたことがあるとのことです。
今回は大覚寺の寺宝を間近に見られるということで、ご来館いただきました。
現在は空海に関するレポートにも取り組んでおり、ちょうどご縁があったようです。
 
京都・大覚寺に伝わる約100面の障壁画がずらりと展示ケースに並ぶ、豪華絢爛な展覧会。今週から後期展示もはじまりました。
さらに本日から週末の夜間開館も実施。金・土曜日と、2月23日(日・祝)の開館時間を20時(入館は19時30分)まで延長します。
貴重な寺宝の数々をじっくりご覧いただけるまたとないこの機会。どうぞお見逃しなく!
 

カテゴリ:「大覚寺」

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posted by 天野史郎(広報室) at 2025年02月21日 (金)