現在、本館19室 みどりのライオン体験コーナーで展示中の工程見本「紅型ができるまで」はご覧になりましたか?
今回、その制作を行った東京藝術大学大学院インターンによる紅型体験のワークショップを8月10日に子ども向け、22日に大人向けで行いました。
子どもたちは、同じ型紙を使って染める工程体験し、大人たちはさらに型紙を彫るところから染めまで体験しました。
今日はその様子をご紹介します。
ワークショップのはじめには、紅型とはどんなものなのか? どのように制作されるのか? を知るために展示室へ作品の鑑賞へ行きました。
まず向かったのは、本館16室 アイヌと琉球 琉球の暮らし。
そこには、工程見本の原品「紅型衣装 白木綿地牡丹模様」が展示されています(9/3で展示終了)。
一面に色鮮やかな模様が染められた華やかな作品です。
紅型って知っていますか?
沖縄には行ったことはありますか?
何色使われていると思いますか?
どんな模様がありますか? などなど
藝大生の問いかけに対し、会話をしながらじっくり鑑賞していきます。
模様が繰り返しているのがわかりますか?
“模様の繰り返し??” 目を凝らして探します。
そう、この作品の模様は、1枚の型紙を繰り返し使ってできています。
模様の繰り返しの継ぎ目を見つけると、型紙を置いた位置がわかります。
継ぎ目を探そうと必死です
次に本館19室 みどりのライオン体験コーナー 「紅型ができるまで」の工程見本を見に行きました。
ここでは、紅型の制作工程の説明を受け、ますますやる気が高まります!
工程見本を前にこれから体験することをイメージトレーニング?
そして、待ちに待った紅型体験です!
大人の方は、型紙を彫る工程から始めます。
型紙には、本来は柿渋を塗った和紙を用いますが、今回は扱いやすいプラスチックが原料の紙を使用しました。
いくつか用意してある古典紅型の模様の中からどれを選ぼうか、皆さん楽しそうでした。
シューッ サクサクサク 型紙を彫る音しかしません
皆さん一気に集中モード
型紙を彫ったら、布に型紙をのせ、その上から防染糊を置きます。
ここは難しいので、藝大生が担当しました。
糊を乾燥させたら染めの工程です。今回は、トートバッグに染めていただきました!
はじめの一色は、子どもも大人も緊張でなかなか差せません。
しかし、藝大生にアドバイスを受けながら思い切って一差し…!
一差しすると、皆さん再び火が付き黙々と色を差していきます。
紅型の色差しでは、刷毛を使い顔料を暖色系から寒色系へと順番に染めます。
子どもたちは、工程見本の原品と同じ模様、同じ色で染めました。
大人の方は、自分の選んだ模様をどんな色にしようかと、配色計画を立てながらの制作でした。
![]() 丁寧に丁寧に。色の境目が難しいです |
![]() 色加減に悩みます |
体験はすすみ…
染め上がりです。なかなかの達成感だったようです。
ワークショップはここまでで、色の定着と糊を取る工程は、藝大生が大学のアトリエで行いました。
さてどんな仕上がりになっているのか…!
\じゃん!!/
![]() 子ども向け |
![]() 大人向け |
華やかですね~
紅型の特徴であるぼかしも皆さんお上手でした。
展示見学もあり、盛りだくさんのワークショップでしたが、皆さんこだわりを持って制作してくださいました。
体験を通して紅型を身近に感じていただけたのではないか思います。
担当した藝大生たちにとっても、一緒に手を動かしながら直接参加者の皆さんにお伝えでき、充実した機会となりました。
参加者の皆さんには、ぜひ素敵な紅型のトートバッグを持ってお出かけしていただけると嬉しいです。
なお、ワークショップは終了しましたが、工程見本「紅型ができるまで」のギャラリートークを藝大生が10月まであと6回行います。
このギャラリートークでは、調査や工程見本の制作を通してわかった技法や表現についてお話いたします。
足をお運びいただけましたら幸いです。
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posted by 岡田和佳奈(ボランティア室) at 2017年08月31日 (木)
近衞信尹(このえのぶただ、1565~1614)は、近世初期に活躍した能書(のうしょ、書の巧みな人)です。
本阿弥光悦や松花堂昭乗とならんで「三筆」と称されるほどで、その書は三藐院流(さんみゃくいんりゅう)と呼ばれて流行しました。
今回の特集「近衞信尹と三藐院流の書-近世初期の名筆―」(本館特別1室、8月29日(火)~ 10月9日(月・祝))では、信尹と三藐院流の書をご紹介します。
三十六歌仙帖 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
筆者の写し
いきなりですが、近衛信尹筆の「三十六歌仙帖」と、それを私が鉛筆で写したものをご覧いただきました。この「三十六歌仙帖」は、三藐院流の書風が如実に表れており、鉛筆で写すと、その特徴がよくわかります。一番右の行の上から3つ目「な」の字を見ると、最終画のくるっとまわる部分が平たく勢いよくまわっています。また、右から2行目の半ば過ぎくらいに「成」の字がありますが、縦画がやはり勢いよく上の文字の横から引かれています。そして、右から3行目冒頭の「や」は、平たいかたちをしており、特徴的なものです。私はいつも「や」の字を探して、三藐院流の特徴がみえるかどうかを検討しています。
源氏物語抄 近衛信尹筆 江戸時代・17世紀
近衞信尹筆の「源氏物語抄」ですが、よく見てください。さきほど説明した、「な」や「や」と同じものが見つかりましたか?このような三藐院流の特徴的な書風は、信尹がそれまでの和様の書を学びながら、あらたに生み出したものです。さきほどから「勢いがある」と説明してきましたが、信尹の書は、勢いがあり、豪胆で、自由奔放なイメージがあります。それは、近衞家という公家の名門の当主でありながら、戦国時代の世を生き抜いた近衞信尹の性格を表しているのかもしれません。
書状 斎雲宛 和久是安筆 江戸時代・17世紀
これは、和久是安(わくぜあん、1578~1638)という人物の書状です。上段の真ん中あたりにある「め」や、上段の左上にある「つ」をご覧ください。さきほど紹介した信尹の書と似ていると思いませんか?これが、流行した三藐院流の書風です。
近世初期に活躍した近衞信尹と本阿弥光悦、松花堂昭乗は、それぞれに新しい和様の書を生み出しました。寛永文化の花開く時期だったため、和様の書の世界においても新天地が切り拓かれたのでしょう。その中でもとくに近衞信尹の書は、独特の道を歩んでいました。今回の特集では、その独特の書風を感じていただければと思います。
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posted by 恵美千鶴子(150年史編纂室長) at 2017年08月28日 (月)
日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」も、まもなく閉幕となりました。
今回の展覧会をご覧いただき、タイに行ってみようかな、と思った方もいらっしゃるのでは?
各地の魅力は語りきれませんが、ここではバンコクの散歩の楽しみをご紹介します。
まずは暁の寺、ワット・アルンです。
バンコクの観光名所のひとつとしても名高いところで、チャオプラヤー川を挟んで、王宮や寝釈迦で有名なワット・ポーの対岸に位置します。
暁の寺(ワット・アルン) ワット・ポー近くの船着場(ター・ティアン)から渡し舟に乗って。片道3バーツ。
王宮の対岸は、トンブリーといいます。トンブリーにはアユタヤー時代から続くお寺が残っています。
暁の寺(ワット・アルン)からワット・ポーを望む。 まだ雨季のため、チャオプラヤー川の水量が多い。
チャオプラヤー川をずっと遡るとアユタヤーに至る。対岸には王宮が見える。
400年続いたアユタヤーはビルマとの戦争に破れ、1767年、崩壊しました。その半年後、中国人の支援を受けて立ったタークシンが、兵を率いてアユタヤーからビルマ軍の追放に成功しますが、タークシンは、アユタヤーを捨てトンブリーを都に定め即位しました。 タークシンがアユタヤーからチャオプラヤー川を下り、トンブリーのこの寺に至ったのが、明け方だったため、ワット・チェーン(チェーンは明るい、澄み切ったなどを意味します)と名づけられたといわれています。
現在の高い仏塔が建てられ、ワット・アルンと名づけられたのは、ラタナコーシン朝になってのことです。ラーマ1世王が修繕、拡張に着手し、現在の仏塔が完成したのはラーマ3世王の時代ですが、もともとのお寺はアユタヤー時代に創建され、トンブリー王朝時代(1768〜82)には、王宮寺院として最も重要なお寺でした。現在、バンコクの王宮寺院(エメラルド寺院)に国の守護仏として祀られているエメラルド仏は、かつてワット・アルンに安置されていたのです。
さて、このワット・アルン、4年の大修理がつい先日8月はじめに終わりました。 ここ数年、修理のための足場が組まれていましたが、やっと美しい仏塔が姿をあらわしました。
間近で見ても素晴らしいのですが、川から眺める姿は良いものです。
ワット・アルンから少し北に行くとワット・ラカン。ちょうど王宮の対岸にあたります。
ワット・ラカンへは、ワット・アルンから歩いてもよし、シリラート病院近くのワンラン船着場から市場を散策しながら歩いてもよし。
マハーラート船着場からワット・ラカンを望む。
トンブリー側のシリラート病院
ワット・ラカンはアユタヤー時代に創建されたお寺で、トンブリー時代には、タークシン王が大僧正パヤーシータンマティラートをこの寺に招き、ビルマとの戦争で散失した経典や写本を再編する作業が行われたといいます。
本展覧会ではタイ歴代王朝の名品を一堂にご紹介していますが、その中には、タイ国内でさえなかなか実物を見ることができなかった作品があります。
そのひとつが『三界経』の絵入り写本です。
「三界経」(トンブリー時代・18世紀、 タイ国立図書館蔵 ※場面替えあり)
トンブリーのワット・ラカン内で1776 年に完成しました。 この場面は、インドラ神(帝釈天)の住む三十三天。右上の仏塔の前には地獄と天国を自由に行き来するマーライ尊者も見えますよ。 (1089ブログ「マーライ尊者の奇妙な冒険」も見てね)
『三界経』は欲界、色界、無色界という仏教的宇宙を構成する三つの世界について説かれたもので、スリランカから取り寄せた経典をもとに、スコータイ王朝第6代リタイ王が皇太子時代の1345年に記したと伝えられるものです。
「三界経(トンブリー本)」は、三界の中でも特に欲界が詳しく描かれています。 会場には欲界(神々の世界と地獄)図解を掲示しているので、是非みてくださいね。
チャオプラヤー川を王宮側に渡って、今回の展覧会の大きな見どころとしてご紹介しているワット・スタットに行ってみましょう。
王宮から東に向かって歩いていくと、大きな鳥居のようなものが見えてきます。
昔、吉凶を占うために使われていた大ブランコです。
その向こうに見えるのがワット・スタット。
ワット・スタットと大ブランコ(サオ・チンチャー)
タイ展では、ワット・スタットの大扉を展示してます。写真撮影もできますよ。
「ラーマ2世王の大扉」(ラタナコーシン時代・19世紀、バンコク国立博物館蔵)
扉の奥に見えるのは、スコータイの中心寺院ワット・マハータートからバンコクに運ばれたシャカヤムニー大仏の大写真。スコータイからバンコクに運ばれた大仏は、ワット・スタットの仏堂に安置されています。1089ブログ「スコータイへの旅」参照。
ワット・スタットを訪れる際には、仏堂、そして、奥の布薩堂にも足を伸ばしてみてくださいね。どちらの壁画もタイを代表する素晴らしいものです。
布薩堂内には、ラーマ3世王時代の仏像と素晴らしい壁画。
布薩堂の壁画。なんと! 焚き火をする象たちが!!
いつも暑いタイですが、バンコクの旧市街を観光するなら、散歩がおススメです。
疲れたらおいしそうなお店に寄って、一休み。
ワット・スタット近くの氷菓子屋。老若男女を問わず、制服や喪服を着たおじさんたちも、思わず寄り道したくなります。
ちょっと小腹がすいた人にはこちら。ワット・ラーチャプラディット(「花水山水図螺鈿扉」の寺院)近くの名店スン・ポーチャナーの牛肉麺。
川や運河沿いは風も気持ちよく、休憩にちょうど良い日陰もあります。
民主記念塔近く、バーンランプー運河にかかるパーンファー・リーラート橋
民主記念塔近く、マハーカーン砦から見る運河
是非地図を片手に、のんびり歩いて見てください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2017年度の特別展
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posted by 原田あゆみ(九州国立博物館 研究員) at 2017年08月25日 (金)
日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」10万人達成!
日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」(7月4日(火)~8月27日(日)、平成館)は、昨日10万人目のお客様をお迎えしました。ご来場いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
10万人目のお客様は、中国の南昌(なんしょう)市からいらっしゃった周玥(チョウ ユエ)さん。
ご両親と日本旅行中に来館されました。
玥さんには、東京国立博物館長の銭谷眞美より、記念品として特別展図録と展覧会グッズの「A4クリアファイル」などを贈呈しました。
また、贈呈式には当館公式キャラクターのトーハクくんとユリノキちゃんも登場! 一緒にお祝いを盛り上げました。
玥さんは、「タイの仏像は見たことがあります。今回の特別展も楽しみです」とお話しくださいました。
(左)周玥さん(右)当館館長 銭谷眞美、後ろにはユリノキちゃんとトーハクくん!
特別展「タイ ~仏の国の輝き~」の閉幕まで、いよいよあと4日。
8月25日(金)・26日(土)は21時まで、最終日の27日(日)は18時まで開館しています。
8月25日(金)・26日(土)は平成館の前庭で「トーハク BEER NIGHT!」も実施しします。タイ料理など屋台のほか、都内でも珍しい樽出しのシンハービールも楽しめますよ!
タイにおける国宝級の作品をいちどに見ることができるまたと無い機会です。皆様のご来館をお待ちしております。
「ナーガ上の仏陀坐像」(シュリーヴィジャヤ様式・12世紀末~13世紀、バンコク国立博物館蔵)
カテゴリ:2017年度の特別展
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2017年08月23日 (水)
本館では名物「三日月宗近」が人気を集めていますが、日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」にも見逃せない刀剣が展示されていることを皆さまご存知でしょうか。
日本刀をモデルにタイで作られた刀剣、「日本式刀剣」です。
タイにおける日本刀の受容は、16世紀から17世紀にかけてのアユタヤー朝で活発化したと思われます。
日本刀は正式な交易品として以外にも、流入した日本人の武装として、人の流れに沿う形で大量にタイ国内へもたらされました。 ところが、朱印船貿易の終息とその後の江戸幕府の政策によって、日本とタイの間の直接交流が途絶えると、当然のことながら日本刀の輸入量も激減し、タイ国内の需要をまかないきれなくなりました。その結果、日本よりもたらされた日本刀をモデルにタイで日本刀を模した刀=日本式刀剣が製作されることとなるのです。
この日本式刀剣には発達段階があると考えられます。本展で展示している刀を例に見てみましょう。
第一段階は刀身・拵(こしらえ)ともに日本製と思われるものです。 しかし、タイでは高温多湿のため素材の木材が痛み、拵が刀身よりもはやく壊れてしまいます。ですから、16世紀にアユタヤへ持ちこまれた日本の拵は現存していません。
そのため、刀身は日本製、拵は日本刀を模したタイ製の刀剣が作られるようになります。これが日本式刀剣の第二段階です。「ニエロ装拵刀」がこれにあたります。
「ニエロ装拵刀」([鐔・柄]ラタナコーシン時代・19世紀 [刀身]室町時代・16世紀、バンコク国立博物館蔵)
その後、刀身も錆(さび)などで腐食し失われてしまうため、刀身・拵ともに日本刀を模したタイ製のものが現れます。これが日本式刀剣の第三段階で、今回の展示では「金板装拵刀」がそうです。
「金板装拵刀」(ラタナコーシン時代・19世紀、バンコク国立博物館蔵)
これらタイで作られた日本式刀剣の外装には特筆すべき特徴があります。
それは考古学用語でいうところの「痕跡(こんせき)器官」の存在です。痕跡器官とはもともとは生物学の用語で、退化によって本来もっていた機能を失った器官が、わずかに形だけがそれと分かるように痕跡的に残っているもののことを指します。
先ほどの「ニエロ装拵刀」をもう一度よく見てください。
鐔(つば)の部分に半円の模様が描かれています。
一方こちらの日本刀をご覧ください。
同じ場所に、小柄(こづか)といわれるナイフのような道具や、笄(こうがい)と呼ばれるくしのようなものを抜き差しするために、孔があけられています。
「黒漆大小」(江戸時代・19世紀、東京国立博物館蔵)
小柄と笄を用いないタイにおいて、この孔は装飾の類として捉えられていたようで、孔を模した図様を鐔に描いてその痕跡を留めているのです。
これはほんの一例ですが、日本とは異なる服飾や髪型、習俗などをもつタイにおいて、本来の用途を喪失し、形状だけを写した結果がタイ製日本式刀剣にあらわれています。(刀の装着方法も日本とは逆で、刀剣を下にして、帯に直接差し込みます。)
これら日本式刀剣は現在のラタナコーシン朝においても重要な宝剣ととらえられており、国王の即位式ではタイ七宝製の外装に包まれた日本式刀剣を佩用(はいよう)して威儀を正します。
タイと日本のつながりを象徴するもののひとつ「日本式刀剣」。特別展「タイ ~仏の国の輝き~」の会場では、ぜひ作品の細部にも注目してください。
カテゴリ:研究員のイチオシ、2017年度の特別展
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posted by 末兼俊彦(平常展調整室主任研究員) at 2017年08月18日 (金)