東洋館の地下展示室はいつも静か。
まさに穴場的展示室です。
そして今回、この穴場をメイン会場として「博物館でアジアの旅 海の道ジャランジャラン」が絶賛開催中です。
東洋館地下1階の展示室
インドネシアを核とするこの企画のなかで、今回ご紹介したいのは、モコと呼ばれるインドネシアの青銅の楽器、銅鼓です。
東洋館では階段をおりた地下の展示室で常時展示をしている作品ですが、今回の企画にあわせ、日の目を浴びる絶好の機会が巡ってきました。モコもさぞ喜んでいることでしょう。
今回はまず、この銅鼓全般のお話をしましょう。
銅鼓の形は時代や地域によってさまざま
上の写真をご覧ください。展示室の中央に、さまざまな形の銅鼓が展示されています。
銅鼓にはさまざまな形のものがあります。そのなかでも古いものには2つの特徴があります。
1つは鼓面と呼ばれる打ち鳴らすための面が、銅鼓の最大径よりも小さいことです。
もう1つの特徴は、銅鼓の形にメリハリがあるということです。上中下の3段構造がわりと明瞭なのが古く、新しくなると、そうしたメリハリが失われていくのです。
これに作り方や文様の特徴を掛け合わせることで、おおよその新旧が明らかになるのです。
この写真には写っていませんが、展示品のなかで古いのは、出光美術館様からお預かりしている銅鼓です。
これは世界で知られている銅鼓のなかでもかなり古い部類に属しますので、ぜひ展示室でご覧ください。
銅鼓にはさまざまな装飾が施されます。鼓面にカエルをあしらう例も多いです。
銅鼓 15~17世紀 タイ北部出土 タイ国ダムロン親王寄贈
鼓面のカエル
なぜカエルなのでしょうか。
種類にもよりますが、カエルのオスは多くは夜に鳴きます。繁殖のためメスを惹きつけるためともいわれています。
実際、かつてベトナムでみた銅鼓では、カエルが2段3段と重なった姿であらわされていました。
これはカエル合戦とも呼ばれる繁殖期の抱接行動です。1匹のメスに、オスが次々と乗りかかっているのです。
こうしたことから、銅鼓にあらわされたカエルは、繁殖期のすがたを表していると推測されます。
抱摂行動のようすをあらわした銅鼓のカエル(ベトナム国立歴史博物館にて筆者撮影)
そうすると、鼓面中央にあらわされた光芒の意味もわかってきます。
一見するとサンサンと輝く太陽の光にも見えます。しかしこれはむしろ満月の光とすべきでしょう。
カエルの繁殖は主として夜に、それも満月の夜に集中するといわれているためで、図像の解釈としては満月としたほうがより合理的だからです。
そしてカエルの繁殖時期は田植えなどの農事暦に用いられることもありますので、銅鼓が担う祭りには、農耕にかかわる祭礼行事が含まれていたと推測されます。
鼓面中央の光芒
銅鼓の起源についてはまだよくわかっていませんが、中国西南部の雲南省から東南アジアのベトナムあたりで発生したと考えられています。
それが東南アジアの各地に拡散していくのですが、その過程で形や文様もさまざまに変化し、インドネシアではモコと呼ばれる銅鼓として定着しました。
銅鼓 初期金属器時代・6~12世紀 インドネシア東部出土
地元ではモコと呼ばれています
モコは、インドネシア東部のアロール島周辺に分布するといわれています。ほかの銅鼓と比べて細身ですが、上中下とメリハリのある姿に、古い段階の銅鼓の名残をみるようです。
モコには、その細身という形以外にも、他地域の銅鼓にはない特徴があります。それが人面文です。
銅鼓の把手と把手の間をご覧ください。同心円が4つ並んでいますが、よくみると鼻筋が表現されていますので、横並びに配された2つの顔であることがわかります。
人面文
なぜこうした人面文を表すのかはよくわかりませんが、銅鼓は楽器というだけでなく相応の価値を有するものだったようですので、たとえばこの2つの人面文は夫婦をあらわし、こうした銅鼓は婚礼の際の結納品として用いられたのかもしれません。想像が膨らみます。
ところで、最大のモコとされているものがバリ島のペジェン村、プナタランサシ寺院にあり、「ペジェンの月」というなんとも詩的な呼び名がついています。
そのいわれがどこまでさかのぼるのかははっきりとしませんが、古くは1705年に出版された博物学者ルンフィウスの『アンボン博物誌』(『アンボイナ島珍奇物産集成』ともいう)に記録があります。
1999年に出版された同書の英語版によると、それは次のような伝説でした。
この銅鼓も、鼓面に光芒があります。
上記の伝説が形成されたころ、その光芒は太陽ではなく月の光の名残と認識されていたことがうかがえます。
また、ルンフィウスがこの伝説を記録した当時、村人はペジェンの月を銅鼓であると認識していなかった思しく、その頃のペジェン村では銅鼓祭祀は行われていなかったと推測されます。
銅鼓は、東アジアの青銅祭器のなかでは、唯一現在に至るまで使われ続けてきた息の長い楽器とされています。
もちろん大局的にみればその通りですが、実際には断絶することもあったのです。
興味の尽きないモコ銅鼓ですが、実態解明はまだまだこれからです。
そのためには何よりアロール島やバリ島へ足を運ばねばなりません。実物実地が考古学の大原則ですから、いつか実現させたいと考えています。
それまでしばらくは、東洋館の地下を起点に、皆さんとともに博物館でアジアの旅を満喫したいと思います。
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posted by 市元塁(東洋室主任研究員) at 2018年09月14日 (金)